〜1〜
天宮の東側の一画にある学びの舎。ここにはまだ年端も行かない見習い達が集っている。これから天使になるもの、魔道士になるもの、吟遊詩人になるもの…。多くの子供達が集っているのだ。
「おい、ヴェス。ヴェスタルト君。お前さっきから何作ってるんだよ?」
ヴェスタルトは友達のサンディにふいに声を掛けられて、ふと我に返った。
「あ、ああ。サンディか。」
「没頭して何を作っているのかと思ったら、花!そんな食えねえもん沢山作ってどうするんだよ?」
「うん…、人にあげ…。」
「こらっ!またおまえか?サンディ!」
「いけねっ、大天使ラファエル様だ。また後でな!」
教育係を任されているラファエル様は頭を抱え込んだ。神の目サミュエル様にお仕えする、優秀な若者を育てる直属の学びの舎ではあるが、このところどうも気持ちが落ち着かない生徒が増えている。無理もない。もうじき年に一度のヴァカンスの季節なのだ。だが、そんな悠長な事を言っていられないような事が昨日起こった。学びの舎の教育係の集う控えの間に、天使のような身なりをしたサミュエル様がふらりといらっしゃり、こうおっしゃった。
「ラファエル。大至急イアンの魔道士を1人用立ててもらいたい。」
「イアン!?イアンと言えば魔道士の中でも最高級とされる、サミュエル様付きの魔道士の総称ではありませんか。ここでお預かりしているのは、皆まだ年端も行かない少年達です。」
「だが、才能の豊かなものもおるだろう?」
「…。」
「おらぬのか?」
少しイライラしたような調子で、サミュエルは険しい瞳をラファエルに向けた。
「私にはイアンに相応しい力を持ち合わせているものは、思い当たりません。」
サミュエルは深い溜め息をついた。
「余が直々に選ぶからよい。」
「あ、あのっ、サミュエル様!!」
神の目サミュエルはそう言い捨てると、ラファエルの方を振り向きもせずに、控えの間を出ていった。
「サミュエル様…。」
泣きそうな顔で見送ったラファエルの脇で、大天使ミカエルが呟いた。
「…ああ…麗しい…。あの激しい気性、燃え立たんばかりに煌めく黄金の瞳…。我が神はさすが、闘いの剣なる神…。」
大天使長でもあるミカエルは、心から敬愛する麗しいサミュエルに、いつも感嘆の溜め息を漏らしているのだ。だが、ミカエルは分かっている。サミュエルは決して振り向く事などない。その蒼銀の竜が棲むという心には、かつての恋人、神の耳しか存在していないのだから。
「なんだと!?もういっぺん言ってみろよ!」
サンディの息巻く怒鳴り声でラファエルは我に返った。見ると、サンディはふたたびヴェスタルトの席に来て怒鳴っているのだ。サンディの真っ赤な瞳がさらに怒りで深みを増している。
「そんなに大声を出さないでくれよ。何回でも言ってさしあげましょう。こんなものは花とは言えませんよ。魔道で咲かせる花は、本物の花より更に美しくなければ意味がないのです。」
サンディと対照的に物静かに語っているのは、学びの舎で一番魔道が上手なアシルと言う少年だ。彼の黒い瞳と黒い髪は魔道士にこそ相応しい神秘的な雰囲気をかもし出していた。彼の両親は二人とも魔道士の最高ランクであるイアンの称号が与えられ、サミュエルに仕えているのだ。
「花とはこうやって作るのです。」
アシルが軽くルーンを紡ぐと、そこには見事なまでの薔薇が一輪現れた。しかも、『この世』で自然に咲かせる事が禁じられている見事なまでの蒼い薔薇…。悔しいがサンディには返す言葉がなかった。
アシルはその薔薇を自分の胸に挿すと、静かに勝利の笑みを浮かべて立ち去った。
「くそうっ!」
サンディは歯がみした。
「おい、ヴェスタルト!お前悔しくないのかよ、あんな事言われて。」
「事実だから仕方ないだろう?僕の魔道は全然だめだ。もっともっと勉強しなくっちゃ。」
ヴェスタルトはこう言うと、うっとりと天空を見つめた。
「何か変だぞ、ヴェス?」
そんなヴェスにいきなり後ろから声をかけたのは、アルフォラードだ。寄宿舎でサンディと同室の少年で、物静かだが、その淡い水色の瞳は強い意志を秘めている様にいつも輝いていた。
「な…なにが!?」
アルフの一言はいつも鋭い所を突いてくる。争い事が嫌いな彼はアシルとサンディが言い争っている間は心配そうに後ろにいたが、その間もずっとヴェスタルトを見ていたのだろう。
「お前、その花を誰にあげるつもりなんだ?」
ヴェスタルトは真っ赤になった。端から見ている方が恥ずかしくなるほど、真っ赤になった。そして明らかにうろたえた表情でアルフを見た。
「い、いいよ。別に言いたくなければ。」
慌ててそう言ったアルフに、ヴェスは小さな声で言った。
「昨日…、綺麗な人を見たんだ…。本当に本当に綺麗な人だった…。」
「どこで?」
「大天使様の控えの間の前で。」
ヴェスはうっとりと天をあおいだ。
「あれは天使様だろうか。腰までの黄金の髪を無造作にたばねて、とび色の瞳は黄金に輝き、その唇は柘榴の様に紅かった。まるでスラ・マリサナ・サミュエルのように。」
「お前スラ・マリサナ(注:サミュエルのことをさす)に会った事あるのかよ?」
サンディがすかさず尋ねる。
「あるわけないだろ?天の上のお方だ。頑張って高級天使になるか、イアンの魔道士になるか、とびっきりの吟遊詩人ミスティリディにでもならない限り、会えっこない。」
頭をふりふりヴェスが答えた。
「アルフは会った事あるんだよな?」
サンディは昔たった一度だけそう聞いた事があったのを思い出して、アルフに聞いた。軽い気持ちだった。
「もう昔のことだ。忘れた。」
そういうと、アルフはぷいっと向こうに行ってしまった。いつもそうなのだ。この学びの舎に来る前のことに触れそうになると、決まって彼は不機嫌そうな様子になり、どこかに行ってしまう。人に知られたくない何かを抱えているのは誰にも分かった。
そんなアルフを見るといつも決まってサンディも悲しそうな顔をした。1人で苦しんでいないで、話してくれればいいのに…。いつもそう思う。サンディは、小さな溜め息をそっとついた。
その時、学びの舎はにわかにざわめきたった。驚嘆の溜め息とでもいうのだろうか?声にならない賞賛の歓声とでもいうのだろうか?あたりはさざめきが広がる様に、息を飲むような溜め息が広がった。サンディは何が起きたのかを確かめる前に、ヴェスの様子を見た。まるで惚けてしまったかの様に呆然と一点を見つめていた。
「あの人だ…。僕の…、あの人だ…。」
小さなつぶやきがヴェスタルトの口から漏れた。サンディはやっと、ヴェスの視線の先にいる、今この学びの舎に入ってきたばかりの1人の天使を見た。
腰までの波打つ髪は後ろに無造作に束ねられていた。左の腕に、赤いリングがはめられていた。位は低いがすでに天使の称号を持っている証だった。瞳は黄金に近いとび色で、唇は愛おしいまでに丸く赤かった。こんな美しい人を見た事があるだろうか?美しいと噂に聞くスラ・マリサナすら、かすんでしまうのではないか、という美しさだ。
「おい、あの子か?お前の言っていた昨日見たって子は?」
「…。」
ヴェスタリアンはすでに言葉も出せないほど緊張で固まっていた。『その人』が自分の方に向けて歩いてきたからだ。
そして、自分のすぐ前で立ち止まった時には、意識すら朦朧としているのではないか、と思われるほどだった。
「まあ、素敵なお花。見せて頂いて良い?」
その人はまるで鈴が囁くような音色の声で、ヴェスタリアンに聞いた。
「は…あ、あの、あの…。ど、ど、どうぞ…。」
その人は、こぼれるような笑みを浮かべると、その花を手にとった。
「!」
その人は驚いた顔で、その花を見つめた。手にとった瞬間、銀色の光を一瞬放ったからだ。そして探るような目でヴェスタルトを見た。
「これは、あなたが作ったの?」
「は、はは…は、はい。」
サンディは呆れ果ててヴェスタルトを見た。いくら何でも、こんなにだらしないやつだとは思っても見なかった。
「その花は、あなたに差し上げたくて、こいつが一生懸命作ったんです。」
親友のためにサンディはおせっかいを焼く事に決めた。見ていられないではないか。
「ば、ばか!な、なにを…。」
その人はきょとん、とした顔をしたが、すぐに思い出したらしくゆっくり頷いた。
「そう言えば昨日お会いしたかしら。あなた、お名前は?」
「ヴェ…ヴェスタルト…。」
「私はサミュア。」
サミュアは再び笑みを浮かべると、ヴェスの顔を覗き込んだ。
「このお花、頂いて良い?」
「は!はい!ど、どうぞ!」
「ありがとう。」
サミュアは大事そうにその花をそっと胸に挿した。再びその花は一瞬銀色の光を放った。
サミュアは、サンディの方を向いた。
「あなたは?」
「俺はサンディ。サンディリール・フェルディ。」
「私はサミュア。よろしく。」
「こちらこそ…。」
サンディはまじまじサミュアの顔を見た。そして気がつくと赤くなっているのを感じた。
「なに赤くなってんだよ!サンディ?」
からかうような声が後ろから聞こえた。
「僕はアルフォラード。初めまして、サミュア。」
先ほどの不機嫌さとは全然違う、嬉しげな笑みを浮かべて、アルフがサンディの後ろに立っていた。
「初めまして。アルフォラード。」
「アルフって呼んで下さい。サミュアさん。」
「こら、馴れ馴れしいぞ、アルフ!」
「お前らが緊張し過ぎなんだ。」
「なにを!?」
「サミュ…アさん…。」
困惑した声がした。大天使ラファエル様だ。サミュアは振り向くと、誰にもわからない様にそっとウィンクした。
「今日から私もここで魔道の練習をさせて頂きます。」
絶対に譲らないぞ、と言う決意のような響きで、サミュアはラファエルに告げた。
「…はい。お好きになさってください…。」
諦めた様子でもごもごとラファエルは言った。
「シェラ・サミュア(親愛なるサミュア)、そんな花やめておきなよ。」
ふいに後ろから声がして、サミュエルは振り返った。先ほどの見事な蒼い薔薇を差し出しながら、アシルが微笑んで立っていた。
「まあ、綺麗…。」
サミュアは自分に向けて差し出された花を受け取ろうと、そっと手を伸ばした。
ぱちん…。
サミュアが指先をその花に触れたとたん、蒼い薔薇は弾けて消えた。
「あ…。」
「ああ!!」
軽い驚きの声をあげたのはサミュア、悲痛な叫びをあげたのはアシルだ。
「すみません、お嬢さん。急いで作り直します!」
「お気に為さらず…。」
アシルは創造のルーンを呟いた。たちまちそこには前にもまして蒼く輝く薔薇が現れた。しかし、サミュアが触れたとたん、再び薔薇は弾けて消えた。
「なぜだ!?」
アシルは叫んだ。
「その花だ!あなたの胸に挿してあるその花が、僕の花を潰しているのだ!」
「なんだと!?ヴェスはそんな事しない!」
サンディが再びアシルに食って掛かりそうになる。
「他に何の原因がある?」
振り向きざま、サンディに殴り掛かりそうになったアシルにサミュアが割って入った。
「いいえ、違うわ。」
サミュアは悲しそうな顔でアシルに言った。
「ごめんなさい。このお花のせいではないわ。私がいけないの。後でラファエル先生に聞いてちょうだい。」
サミュアは、悲しそうに俯くと、学びの舎を出ていった。そしてその後を、ラファエルが追いかけた。
「サミュエル様。」
控えの間に戻ったラファエルはサミュア=サミュエルに跪いて言った。
「いったいどう言うおつもりで…。」
「昨日言ったであろう?余が直々にイアンの称号に相応しいものを選ぶと。そなたは思い当たらぬと申したが、いるではないか。」
「そ、それは?」
「ヴェスタルトと言う少年。」
「ヴェスタルトですか?!」
困惑した表情でラファエルが答えた。
「そなたの目は節穴か?あんな強い力を持った子は初めて見た。イアンの魔道士の長、アザリアン・ランディ・ランドウッディを凌ぐかも知れぬ。」
「まさか、そんな…。」
「見るが良い。この銀白色のオーラを!」
サミュエルはヴェスからもらった花を再び手にとった。
「この花は余の力に呼応して、こんなに輝きを増す事ができる。もうひとりの子の花は余の力に耐えきれず弾けてしまったと言うのに。あの子には気の毒な事をした。純粋な心を傷つけてしまった…。」
サミュエルの表情には、悲しそうな、しかし慈しむような表情が浮かんだ。
「ラファエル。」
「はい。」
「そなたにお願いがある。あの子を、アシルを、立派なイアンの魔道士にお育てなさい。あの子はまだ内なる力が不足しているだけ。きっと立派な魔道士になれるはずです。」
「学びの舎で、今のところ一番魔道が上手なのは彼ですから。」
サミュエルはゆっくり頷いた。
「わかっている。彼の両親共に私に長く仕えてくれているイアンの魔道士であろう?」
「そうでございます。」
「あのヴェスタルトと言う少年の両親は?」
「おりません。」
「おらぬ?」
「はい。いかがわしい奴隷商人の元からミカエルが連れて帰ったものでございます。目覚めの儀式も我々で行いました。」
ふとサミュエルに悪戯っぽい表情が浮かんだ。
「そうだ、ラファエル。余とゲームをしないか?」
「ゲーム…でございますか?」
「そうだ。余はヴェスタルトを育てよう。そなたはアシルを育てるが良い。どちらが早くイアンを名乗れる魔道士に育てられるか賭けをしないか?」
「何を賭けるのでございますか?」
サミュエルは愛くるしい笑みをラファエルに向けた。ラファエルは全身が総毛立つのを感じ、自分がいつになく興奮しているのを感じた。恐らく顔面は真っ赤になっているだろう。
「もし、そなたが勝てば、望みを一つ叶えよう。他人に迷惑のかかるものでなければ何でも言うが良い。」
「ほ、本当でございますか?」
小躍りしそうな喜び様に、サミュエルは失笑した。
「しかし余が勝った時には、そなたが余の言う事を一つ聞くのだぞ。」
「はい!それはもう。」
このときラファエルは勝利を確信していたのだ。相手はあのヴェスタルトだ。勝負は見えている。いままで魔道の才能など微塵も見せた事がないのだ。
何をお願いしようか?すでにラファエルは勝ったつもりで思いを馳せていた。それをにっこりしながら眺めているサミュエルは、ラファエルに全く勝ち目がないと言う事がわかっていた。
(続く)
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