村は活気に満ちていた。そこここで色々な格好の人々が行き交い、挨拶をかわし、荷車が通り過ぎていく。がしゃ、がしゃという音は鎖帷子か。この民族はみな綺麗な黄金の髪をし、それが光に透けてまばゆいばかりだ。
「おい、そこの女!」
サミュエルは荘園の領主の館の前を通りかかった時に、ふいに後ろから声をかけられた。サンディが抜刀しそうになるのを、急いで手を差し出して止める。声をかけた主はサミュエルの腕を掴み、乱暴に自分の方を向けさせた。領主の館の前だ。護衛の近衛兵のひとりか、と思ったが王の息子キルデリク本人であった。年の頃は20に満たない少年だろう。力のある瞳がキラキラと光っている。どこか戦に出かけていた帰りの様子で、鎖帷子の下に綺麗になめした毛皮が覗いている。
「こんな時間にこのあたりをうろついているとは、抜け出した奴隷女であろう?」
そういいつつも、キルデリクは気品ある美しいサミュエルの顔に釘付けになった。
「気に入れば私の妻にしてやろう。」
キルデリクはそのまま強引に、館の中にサミュエルを引きずり込もうとした。
サミュエルはその力強い腕を軽く振払った。さほどの力とも思えなかったが、キルデリクは信じられない、といった表情のまま無様に地面に転がりこんだ。
「あ!」
と言う叫び声と共にわらわらと彼の護衛の兵士が集まってくる。
『固まれ!』
ヴェスタリアンは思わず呟いた。無意識のうちに口から飛び出した言葉だ。それは創世期のルーンとなって紡ぎ出された。すると、先に飛び出した数名の兵士がその場で金縛りにあった様に動けなくなった。
「余の顔も見忘れたか。」
低い声でサミュエルは静かに言った。キルデリクには地の底から響くようなその声を聞き、慌てて地面に伏したまま顔だけ上げた。目には驚愕と尊敬の色が宿っている。
「あ、貴女様は!」
キルデリクは続いて剣を構えた兵士達を慌てて手で制した。そして、自分と同じ様に平伏させる。父メロヴィクはこの女を神と呼んだ。幼い頃からこの女の記憶はあるけれど、ほんの少しも歳を取らない。全く変わらないのだ。人間ではない…。そう思いつつ、勇猛果敢なフランクの跡取りであるキルデリクは少しもサミュエルを恐れてはいなかった。
魔女であるとは思えない。だがもしかしたら魔女の1人なのかも知れない。
だが、彼はたとえこの女が魔女であっても、自分にとって何か希望を運んで来てくれる人だというのが本能的にわかっていた。だから恐れずに甘えもするし、平伏もする。しかしどんなに平伏の態度をとっても、王の息子であり力あるものだという自尊心は失わない。日頃平伏されるだけのサミュエルにとって、ここがたまらない魅力なのだ。
サミュエルは金縛りにあっている兵士達の術を、ぱちん、と指を鳴らして解いてやった。彼らも慌てて後ろに下がり地面に平伏する。
「先ほどの土煙は?」
サミュエルはここに来る前に見た遠方でもうもうと上がる土煙は、このキルデリクがなにやらやらかしていたのだ、と察した。多少バツの悪そうな顔でキルデリクは微笑んだ。サミュエルはキルデリクの腰から下げている剣を見る。その剣はまだ乾き切っていない血のりがべったりとついていた。サミュエルは小さく溜め息をついた。
「あなたは勇敢さと残忍さを混同していませんか?」
「おっしゃる意味がわかりません。」
「ならば仕方ない。あなたの父、メロヴィク王に取次いでもらおう。」
サミュエルはキルデリクを促した。彼は胸を張り、堂々とした足取りでサミュエルを従えるような様子で、この大きな石造りの家の中に入っていった。その後ろにはヴェス、サンディ、アルフも付き従う。連れていた近衛兵達は、入り口のあたりで護衛の任務につくようだった。
屋敷の中は大勢の人が忙しく立ち働いていた。戦利品だろうか?珍しい東方の花瓶やら、タイルやらが白い室内を飾っている。皆一様にキルデリクを見かけると深々と頭を下げた。キルデリクは通りすがりにも、頭の下げ方がなっちゃいない、などと難くせをつけては絡んでみたりしながら、屋敷の奥へと歩いていく。その度にサミュエルは明らかに不快の意志を伝え、キルデリクをたしなめたが、耳を貸すふうでもなくキルデリクは飄々としていた。
メロヴィクは一番奥まった部屋にいた。
「キルデリク、戻ったのか?」
昔のような弾ける若さはもうない。だが、初老に差し掛かろうとしているメロヴィクは老練な軍人と化していた。ちら、とサミュエルを認めたメロヴィクは、一瞬緊張した表情を浮かべたが、やはり恐怖の色は見当たらない。
「主よ。」
メロヴィクは恭しく礼をした。
「貴女様に再びお目にかかる日が来ようとは思っても見ませんでした。」
サミュエルはゆっくりと頷く。そしておもむろに口を開いた。
「そなたの息子、キルデリクについてであるが。」
挨拶もなくいきなりの話に、メロヴィクは少々顔をしかめた。
「余りの粗暴で勝手な振る舞い、大変がっかりした。」
「と、おっしゃいますと?」
緊張が更に強くなったと見え、拳に力が入る。
「余は加護を与えんとする人間を欲している。」
一瞬、老獪な表情を浮かべたメロヴィクが少々安堵した表情で深々と頭を垂れた。
「申し訳ございません…。」
「しばらく余が引き取って教育し直したいと思うがいかがなものか?」
メロヴィクはにんまりとほくそ笑んだ。
「願ってもない事でございます。それに寄り我が民の繁栄が約束されますれば!」
ふ…、っとサミュエルは微笑んだ。
「そなたも変わらぬな。若くない分したたかになりおって。」
「貴女様ほどでは…。」
この静かな微笑みと共にかわされる会話を、3人の子供達とキルデリクはぼんやりと見つめていた。ぼんやり、という表現が相応しいかはわからないが、とにかく自分達と別の世界で話が進み、世の中が動いているのだ、と自分の存在を感じられずにその空間にいた。
良くわからない連帯感みたいなものが生まれるのに充分な時間がそこに費やされた。
『おまえ…。』
サンディがそっと心の言葉で問いかける。一瞬ビクっとしたキルデリクであったが、すぐに返答が返って来た。
『俺に話し掛けるのは誰だ?』
『剣天使サンディリエルだ。』
『剣天使!?すげえ!』
感動したような声が返ってくる。
『ここにいるのは皆天使なのか!?』
『違うな。だがそのようなものだ。』
『違うものってなんだ?』
『一言では言えない。』
『もったいぶってやがる。』
くすっとアルフが笑った。
『お前は天使ではないのか?』
『へえ、君は心で会話できるのか?』
『みんなできるんじゃねえのか?』
『いや、できるやつは滅多にいないよ。俺は吟遊詩人だ。』
『旅芸人か?』
『違う。旅はしていない。』
『宮廷で歌うのか?』
『それもしていない。』
『じゃあ何をするんだ?』
『竪琴を弾く。人の心を操るために。』
『なんだか危ねえな。』
『そっちのお前はなんだ?』
心で会話をするのが面白いのか、キルデリクはヴェスタリアンに声を掛けて来た。
『魔道士だ。』
『魔道士!?すっげえ。なんか魔法が使えるのか?』
『まあ。』
ヴェスタリアンは仏頂面をしていた。言葉少なで、多くを語ろうとしなかった。それを面白そうにアルフが見つめる。嫉妬するヴェスを初めて見たからだ。今まで控えめで奥手だったヴェスが、この野性的な少年に明らかに嫉妬している。それは愉快な発見だった。
『そう言えば、先ほどお前がなんだか言ったら、うちの兵士が動けなくなったもんな。』
キルデリクの顔は輝いていた。興奮の余り叫びだしそうな表情だ。自分と歳も余り変わらないようなこの3人が、そんな不思議な力を持っているとは。そしてかねてからの疑問を投げかけた。
『あの女は誰だ?』
サンディが慌てて言う。
『口を謹め。この世を統べる全能の神、スラ・マリサナ〜神の目〜だ。』
スラ・マリサナ、神の目…。
キルデリクは小さく呟いた。まるでその言葉を脳裏に刻み付けようとするかの様に。魔女どころではなかった。父の言う様に神であったのだ。
『なんだか大変な事になりそうだな。俺には教育が必要らしい。面白ければなんでもいいけどよ。この生活に飽き飽きしていたんだ。』
サミュエルはメロヴィクに数年間にわたりキルデリクを預かる了承を取り付けた。最後の数年は今が盛りのビザンツ帝国で国を動かす勉強をさせるという条件付きだ。
「ラファエル。」
「おそばに。」
「そなたに託した。」
「御意。」
姿は見えない。静かに空気を伝わる声が聞こえるだけだ。しかしやわらかな光が部屋を満たし始め、それがキルデリクをぼうっと包んだ。そして徐々にキルデリクの影が薄くなり、やがて消えた。
「さあ、行きますよ。」
サミュエルは子供達に声を掛けた。
「少しその辺を歩いてから帰りましょう。」
キルデリクが消えたのを目の当たりにしたメロヴィクは、同じ様に今度は閃光を放って消えてしまったサミュエル達のいた空間を、しばし呆然と見送っていた。もしかしたら、自分はとんでもない事をしてしまったのではないか、とわずかに恐怖を感じながら。
領主の館を出たサミュエルと子供達は、しばらくまわりの町並みを見て歩いていた後、森に入っていった。
「サミュエル様。」
アルフが心配そうに尋ねる。
「僕達がここに来た本当の理由をお教えください。」
「本当の理由…?」
サミュエルは微笑んだ。
「今にこの地に我が娘聖女王を降臨させるつもりです。その時期を物色しているのです。」
「聖女王!?」
「イアンの魔道士にかしずかれ、剣天使に守られた我が娘、聖女王。この地はこのまま放っておくといつの日か闇に飲まれてしまうでしょう。ここを拠点にされると厄介な事になる。何としてでも我々の手中に治めておかねばなりません。だから信頼して聖女王を預けられる人間が必要なの。いなければ早急に教育せねばなりません。」
「それでキルデリクを…?」
「あの子がうまく育ってくれれば良いのだけれど…。彼の娘として降臨させて良いものかどうか、これから考えなくてはなりません。」
「で、僕達は何をすれば良いのです?」
「まだ先のこと。今はこの地をよく見ておきなさい。きっとお手伝いをしてもらう事になると思うから。」
ヴェスタリアンは何となく浮かない顔をしていた。かなり衝撃だった。あの粗野で粗暴な少年を、サミュエルが嬉しげに眺めていたからだ。ああいう人間が好きなんだろうか?自分みたいなタイプは嫌いなんだろうか?せっかく少しずつ付き始めていた自信がもろくも崩れ去ってしまいそうだ。
「ヴェス、ヴェスタリアン。」
サミュエルが呼んだ。ヴェスはハッとしてサミュエルの方に静かな笑顔を向けた。
「はい。」
しかし、サミュエルは黙って微笑むだけだった。
「そう!ヴェスタリアン。」
サンディはふいにヴェスの方を向き直った。
「ここに来る時も、サミュエル様はお前をそう呼んだ。おまえ、イアンになったのか?」
「あ、うん。」
「なんでそれを早くに言わない?」
サンディはヴェスタリアンに飛びかかり、手荒な祝福をした。
「そうだよ!なんで教えてくれないんだ?」
それにアルフも加わる。
「え、だって、まだ名前ばかりで何も出来ないんだもの。名乗るのが恥ずかしいんだ。」
「お前ってやつはこれだから!」
呆れ果てた様子でアルフが言う。
「すげえよな、アルフはミスティリディになったって言うし!」
「えっ?」
今度はヴェスタリアンが驚きの声を上げた。
「それを俺はまだ聞いてないぞ!」
ヴェスタリアンはお返しとばかりに、アルフに飛びついた。
「言う暇がなかったんだ。」
「いいよな、俺だけ取り残されちまった。」
サンディは一瞬暗い顔になった。
「何を言うか。お前が一番最初に剣天使になったんじゃないか!」
サミュエルは3人の様子を黙って眺めていた。この3人はまだまだ皆未熟で、到底神の使いとしては使い物にはならない。だかその能力ははかり知れないものがあると踏んでいる。そして何よりも…。サミュエルは目を細めて微笑む。彼らには大きな武器がある。この3人の友情。欲しくて手に入るものではない、この癒しの力。ともすれば違う方向に行く可能性も秘めてはいるけれども…。
これにあのキルデリクが加われば、どんなに力強いだろう?先ほど心を飛ばして4人で会話をしているのも見た。4人の波長は合っている。自分の選択は間違っていないのではないだろうか?
その時、にわかにあたりが暗くなった。
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