再会

 〜7〜

「こっ、ここは!?」
サンディは思わず剣を抜き、身構えた。
「ここは人の子の世界。フランク族と言う民が統治する土地。」
サミュエルは遠くを見つめながら答えた。
アルフ、ヴェスも同じ方向を見遣る。

遠くにもうもうと砂埃が見えた。戦のさなかなのだろうか?
「人間は他人の中に自分と少しでも違うところを見つけては、それを破壊せずにはいられない生き物らしい。他人の中に自分と異なる部分があるのが当り前だと言うに、愚かしい…。」
サミュエルは自ら作り上げた人の子が、あまりに不完全で余りに愚かしい事を嘆き悲しんでいるのだ。
「そして与えられたものでは満足せず、より多くの物を欲しがるものでもあるらしい。」
「話に聞いた事があります。そうして人は移動し、自分と違うものを見つけては殺しあうのだと。でも、そんな事をしてよく種の保存が出来ましたね。」
アルフは聡明な瞳をサミュエルに向けた。
「繁殖力を高くしたわ。」
「なるほど…。」

「まるで闇の様だこと…。だから闇につけ込まれ共存を許してしまった。」
独り言の様に呟いて、サミュエルは目を伏せた。それをヴェスタリアンが心配そうに見つめる。
『止まりなさい、そして凍り付きなさい』
サミュエルはふいに静かな口調で、そう言葉を発した。ルーンだったかそうでなかったかはわからない。
「え?」
ヴェスタリアンは振り向いて、自身が凍り付きそうになった。

「うわっ!」
叫び声をあげたのはアルフだ。
4人の後ろには鎌首を持ち上げて口を大きく開き、今にも襲いかかろうとしている大蛇が固まったまま動かない。その獰猛な目は真直ぐにサミュエルを捕らえている。

もろもろ…。

そんな音と共に、蛇の身体からは細かい泥のようなものが吹き出し、崩れる様に形がとろけて静かに土に返った。
「まったく油断も隙もないんだから…。」
何ごともなかったような口調で、サミュエルはそう言い、くるり、と向き直った。
「さ、行きますよ。」

アルフ、サンディ、ヴェスの3人は顔を見合わせた。皆それぞれ恐怖の色を瞳に宿している。
「い、今のは…?」
「蛇でしょう。」
ヴェスは飄々とそう言うサミュエルの前に回りこんだ。
「あの蛇はどこから来たのです?」
「知らないわ。でも、空気を吸えばわかるでしょう?至る所闇の力が満ち満ちている。それが勝手に蛇の形を造ったのかも知れないし、誰かが我々に差し向けたのかも知れない。」
「誰かって!?」
「わからないから『誰か』なのよ。」
つまらなそうにサミュエルはそう言うと、ほとんど警戒心のない歩き方ですたすたと歩き始めた。

彼らは今まさにその勢力を拡大しようとしている。そのフランクの一部族の王の息子であるキルデリクをサミュエルが保護しているのは周知の事実だ。
「あの者の瞳に、我々の仲間である白い薔薇の花が宿っているのを見た。したがってあの者に余の加護を与えん。」
いつだったかサミュエルが黎明の間に皆を集めてそう宣言したというのを聞いた事がある。この時の『あの者』とは王メロヴィクだったはずだ。数年前学びの舎にいる時に、風の噂で聞いたものだ。人の子の世界の時の流れは天宮よりかなり早い。人間の世界ではすでに十数年が経ち、メロヴィクは子供をもうけ世継ぎをキルデリクと決めていた。

野蛮な人の子に何故それほど執着するのか、ミカエルもガブリエルも首をひねった。彼らは自分達の放つ矢よりも早く敵に襲いかかる事ができるほどの、好戦的で勇猛果敢な兵士の集団なのだ。彼らは闘いにおいて死すら恐れないという。いくらスラ・マリサナが剣なる神とはいえ、そんな野蛮で好戦的な人の子に惹かれる理由がわからない。

その後、ミカエルはサミュエルから何が起きたのか聞き出し、信じられない様子でラファエルに語ったと言う。
「サミュエル様はあろう事か、あの人の子に『臣王』の位を授けたのだそうだ。」
メロヴィクは時おり現れる美しい女神が自分の母である、と吹聴していた。この女神が海の神ポセイドンと共に産んだ子供が自分なのだ、と。サミュエルはそのでっちあげを可笑しそうに目を細めて聞いていた。

人の子の世界で、フランクのサリー族の王は神にこの世を託されているのだ、という噂が広がり始めている。数代前までは、ローマの雇われ兵に過ぎなかったサリ−族。しかし自治を許されその勢力は確実に増している。だから反逆しようとする者は、闇の力を貯え、神にまで逆らおうと言う輩に決まっているのだ。

『止まりなさい。そして砕けなさい。』
「げっ…。」
サンディが振り向いて、気味の悪いものを見たような表情になった。ヴェスタリアンはもう驚かなかった。そこに生まれて初めて目の当たりにするほど、巨大なクマが両手を広げていまにも飛びかからんとしていたけれど。

そしてクマは跡形もなく砕け散った。

仏の顔も3度までと言うが、神は仏ほど堪えしょうがないものなのだろうか?サミュエルは完全に不快感を露にした顔をしていた。
ぱちん…。
すでにルーンを唱える機嫌など持ち合わせていないかの様に、サミュエルは無言で無造作に指を打鳴らした。しゅるしゅる…。何かが渦巻いて近づいてくる。ヴェスタリアンとサンディ、アルフは空を見上げて思わず息を飲んだ。

黒々とした空間が渦を巻き、激しい勢いで分裂しようとしていた。

蔓ウサギだ!!

ヴェスが思わず声を上げた。見事な蔓ウサギだ。先ほど見たものの数倍もありそうだ。そしてこわごわとサミュエルの顔を見た。あんな無造作な状態からこんな大技を繰り出すとは…。

しゅわっ…。

そんな空間を切り裂くような音が微かに響いたかと思うと、その分裂して高速で移動する『それ』は彼らの耳元を掠めて散り散りに散っていった。

あるものは木を切り裂き、あるものは地面を抉り、またあるものは水の中に大きな水の柱を立ち上げるほどの爆発を持って、嵐の様に荒れ狂った。至る所うめき声や叫び声が木の切り裂く音に混ざって聞こえてくる。

そして間もなく、恐ろしいまでの静寂があたりを覆った。
「ふう、これでしばらくは大丈夫でしょう。」
すぐに森の喧噪が戻って来た。小鳥の声であったり、獣の声であったり。しかし闇の匂いは確かになくなった気がする。どれが闇の匂いかもはっきりはわからないけれど。

「もしかして、今の蔓ウサギは本来なら僕がやらないといけなかったのでしょうか?」
ヴェスタリアンが恐る恐る聞いた。
「そうね。もしあなたが私付きのイアンになりたいのなら、そういう事になるわ。」
サミュエルは優しく微笑んだ。そしてぽんぽん、とヴェスタリアンの背中を軽く叩いて付け加える。
「今にやってもらう事になるわね。」

「ところで、サミュエル様。」
しばらくして改まった口調でヴェスタリアンが言った。
「今日、ここに僕達を連れて来たのには、きっと何か深い訳がおありなのでしょう?」
「もちろん。物見遊山で連れて来た訳ではないわ。」
「それは…?」
「見てごらんなさい。」
サミュエルが前方を指さした。数歩歩を進めるとそこは断崖になっており、急に視界が開け断崖の下の方にいくつかの建物が見えた。煙突からは煙りが立ち上り、何となく活気が感じられる。

中央に大きな建物がある。領主の館だろう。そのまわりには忠誠を誓う騎士のごとく小さな建物が集まっており、荘園に住まう領主の世話をする家族達の家々なのだと言う事がわかる。
「ここは今はまだ秩序もなく大変心が苦しくなるようなところではあるけれど…。」
サミュエルは悲しそうに下に広がる村々を見た。
「もうしばらくすると我々の意志を汲む者がここにあらわれるでしょう。彼がこの土地のみならずガリア一体を統治する事になる。ちょうど同じ時期にイングランドでも同じような青年が現れ、ブリテンを統一するでしょう。我々はそれを助け、人の子の世界に闇が入り込むのを少しでも防がねばならないのです。」

「一つお聞きしてもいいですか?」
アルフがおずおずと切り出した。
「どうして闇はこの世に現れたのでしょう?その昔、この世に闇など存在しなかったと聞きました。」
「私にもわからない。」
サミュエルは思いつめるような顔で、目の前の空間の一点を見つめた。
「思い当たる事はあるけれど、今はまだわからないとしか言えない。ただ、この世に無駄なものは何一つ存在しないはずだから、きっと何か意味があるのでしょう。必要だから出てくる。」
「必要だから…?」
「そう、良いものかどうかはわからないけれど、取りあえずそれが必要だから。その意味をこれから考えていかないといけないのです。」

「僕も一ついいですか?」
サンディもサミュエルのすぐ脇に行き、跪く様にしてサミュエルの顔を見上げた。
「こんなに勢いがあり、未来の明るい国なのに、何故闇の入り込む隙があるのでしょう?」
「悲しい事に、国が大きくなる時には決まって闇の力が取り入ろうとするものです。野心は正義感を闇の力に変えてしまうもの。」
「もうルディリスが復活するのですか?」
サンディが驚いたような口調で聞いた。
「いいえ、闇の輩はルディリスだけではありません。確かに彼の力は強いのだけれど、彼があらわれる前からこの世界には闇が存在していたの。そう、この地は魔女が支配する場所…。」
「魔女…?」
「3人いるわ。メデッサ、メディア、メディータイ。彼らがこの世の闇を牛耳っている。」

「わかった!」
アルフが急に大きな声を上げた。
「僕は不思議に思っていたのです。数年前、サミュエル様が野蛮な人間を加護されたと聞いて…。でもわかりました。加護によってこの闇の力との接触と断とうとなさっている。」
「そうね、それもあるわ。でも、それだけで加護はしない。気に入らなければ滅ぼしてしまえば良いだけのこと。」

しん、と沈黙した。ヴェスタリアンにはたまらなくサミュエルが遠い人に感じられる瞬間だった。そう、この方は神なのだ。この世を支配し、思いのままに動かす事ができる神なのだ。天啓と言う名で多くの人の子を動かし、恵みを与える。

「さあ、王に会いに行くわ。」
サミュエルは独り抜け出しすたすたと集落に向けて歩き始めた。

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