再会

 〜6〜

ヴェスタリアンは難しい顔で、書庫で格闘していた。毎日の様に出されるアザリアンからの課題をこなすだけで精一杯だ。特訓に入ってから、今までの優しいアザリアンとは人が違ってしまった。

「ヴェスタリアン、明日は蔓ウサギをするからね。できる様にしておく様に。」

蔓ウサギってなんだ?そう思っても聞く事は出来ない。たとえ聞いたって『イアンを名乗るならそのくらい調べる術を持ってるだろう?』と優しく微笑んでお終いだ。

「蔓ウサギ、蔓ウサギ…。」
動物図鑑を手にとり、植物図鑑を積み上げてヴェスタリアンは頭を抱え込んだ。植物でも動物でも無いのか…。

「ばっかだなあ、お前って。」
ふいに後ろから声がした。後ろには呆れ果てたようなセルヴリアンが突っ立っている。
「ほんっとうに手のかかるお子ちゃまだよ、お前って。」
「あの…。」
少しむっとした様子でヴェスタリアンはセルヴリアンを見た。
「お前、何のために魔道士になったんだ?本はこうやって探すんだよ。例えばイアンの魔道士について調べたいとするだろう?」

そう言うとセルヴリアンは小さくルーンを唱えた。
すぐに遠くの本棚から本が一冊飛んで来た。そして丁寧にページがめくられ、目の前に降りてくる。
ヴェスタリアンはポッカリと口を開けて、本とセルヴリアンをかわるがわる見つめた。

そこにはイアンの魔道士についての詳細な記事の書かれたページと、少し怒ったような顔のセルヴリアンがあった。

「ありがとう…。」
ヴェスタリアンはにっこりと笑った。
「ちぇ。」
ぶっきらぼうにそう言うと、セルヴリアンはもう一度ル−ンを唱え、その本をしまった。
「お世話になります。」
「誰がお前みたいなガキの世話なんか!」
そう言い捨てて帰ろうとする彼の後ろ姿に、ヴェスタリアンは小さく頭を下げた。

正直やっていけるか不安でたまらない。毎日課題が出される度に自分にできるのか、ドキドキしてしまう。今にどうしても手に負えない事を言われるのではないかと思うと、夢にまで見てしまう。自分はイアンに相応しく無いと一日に何度も思う。サミュエル様に何度相談に行こうかと思うかわからない。だが、困った顔をしたり、途方にくれていると、一緒に修行しているセルヴリアンがいつも舌打ちしながら、ぶっきらぼうに助けてくれる。

本当はいい人なんだ…。もう少しがんばってみようか…。



「ヴェス〜!」
ヴェスタリアンが今度はたくさんの浮遊する本の狭間で格闘している時、懐かしいアルフの声が聞こえた。
「アルフ!?」
ヴェスタリアンはぷつん、と緊張の糸がきれる音が聞こえた。
「うわっ!わわわわっ!」
浮遊していた本が皆ヴェスタリアンめがけて落下する。

「ご、ごめん…。大丈夫?」
本の海からヴェスを救出しながら、アルフは軽く謝った。ほんの数日はなれていただけなのに何年も会っていない気さえする。

「どうしたんだよ?こんなところに来て。」
心配そうにヴェスタリアンはアルフに聞いた。
「顔が見たくなったんだ。サンディも来てる。今日はヴェスもお休みの日だと思ってさ。少し時間無い?」
ヴェスタリアンは少し考えた。蔓ウサギの事はまだ本を取り出しただけで全く調べて無い。でも…。
「少しなら大丈夫。」
ヴェスは軽くルーンを唱えると、本を元に戻した。

「ずいぶん腕をあげたね。」
目を丸くしてその様子を見つめるアルフの言葉を聞いて、ヴェスは少し自信を取り戻した顔をした。
「それならいいけれど…。」
「…。」

サンディは図書館の前で待っていた。本の匂いが苦手だから、と中には入らなかったのだ。
「ヴェス!」
そのサンディはヴェスを見たとたん思わず抱きついて喜びを表現した。
「ど、どうしたんだよ、サンディ!」
「会いたかったんだぜ、本当に!」
異常な喜び様に面喰らってヴェスタリアンはアルフの顔を見た。アルフは軽く頷いてみせた。
「ここじゃなんだから、俺の部屋に来る?」
「悪いな。なにか調べモノでもしていたんじゃないか?さっきお前の部屋に訪ねて来た人に聞いたら、お前ここだって言うから。」
「俺の部屋に訪ねて来た人?」
「フード被ってたから良くわからなかったけどさ、女の人みたいだったよ。ふんわりと花の香りがした。お前も隅におけないな。」
少しからかう様にサンディは笑った。ようやく前のサンディに戻ったような微笑みだ。しかし心当たりの無いヴェスは首を傾げた。

「そう、多分ヴェスに何か用があって来たんだよ。だって、小さな声でル−ン唱えてたもの。あの魔道は恐らく記憶の魔道。ヴェスの足跡をたどってたんだと思う。」
「そか。だからお前の居所を知ってたんだな。」
今頃になってサンディが納得した。
「それで、僕らがヴェスの部屋の前で立ち止まったら、ヴェスに用があるのがすぐ分かったみたいで、『ヴェスなら図書館のようね』って教えてくれたんだ。」

「まさか!」
ヴェスタリアンは小声で叫んだ。身体は半分自分の部屋のある方に向かっている。
「サミュエル様だったのでは!?」
「あ、そうか。」
サンディはすぐに納得したものの、首をひねった。
「でもお前のところにサミュエル様が直々においでになる事なんてあるのか?」
「え…。どうかな…。」
明らかにうろたえる様子をアルフは不思議なものを見つめる様に見つめた。

「さて…。」
今にも駆け出しそうなヴェスを見て、アルフはその首ねっこをむんずっと捕まえた。
「ヴェス君、君はこの短い間に僕達に白状しなくてはならない事がいくつかある様だ。それをゆっくりと聞かせてもらおうか。」
「白状?」
「取りあえず君の部屋に案内してくれ給え。」
悪戯っ子の表情でアルフはヴェスにウィンクした。

図書館からヴェスの部屋はちょうど水晶の館を挟んで向かい合った位置にあった。この中を突っ切れば早いのだが、サンディとアルフが一緒ではそうもいかない。ぴかぴかと光る水晶の館のまわりをぐるっと迂回して、3人は魔道士の居住区に向かった。
「おい、ヴェス、あれはなんだ?」
サンディは天を指さした。
見るとそこには黒い渦を巻いた穴がぐるぐると渦を巻きながら浮かんでいる。
「さ、さあ…。」
「ああ、あれは蔓ウサギだよ。」
アルフがあっさりと答えた。
「蔓ウサギ?」
ヴェスが目を丸くして聞き返した。
「そう。なんだ、ヴェスはまだ知らないんだ。」
アルフはそう言って説明を続けた。
「幼い頃一度だけ見た事がある。あれは魔道士が扱う魔道のうちでもかなりの大技だと思うよ。あれで到るところに潜む敵するものを一網打尽にするんだ。見てて御覧よ。」

アルフがそう言い終わらないうちに、渦を巻く穴はいくつもに分裂してそこかしこに散らばった。
「うわっ!」
一つがサンディの鼻先を掠めて通り過ぎた。ヴェスとアルフは思わず屈みこむ。
「あれで敵するものを探し出して、芋づる式に捕獲もしくは殺戮するんだよ。」
「それで蔓ウサギ…。」
「そう。集団で地下に潜っていても逃げられない。力のある魔道士しか出来ないすごい技だよ。さすが水晶の館だね。」
「スラ・マリシアン(アザリアン)かな?」
感心した様にヴェスが言った。
「でもなんでアルフが知っているんだ?」
なにげなくサンディが聞いた。
アルフは小さく溜め息をついた。瞳は暗く翳りが出来ている。
「幼い頃、黒魔術を行いサバトを開いていた両親がこれでスラ・マリサナに追われたから。」
「あ…。」
サンディは失敗した、と言う表情を浮かべた。アルフのこの過去はできるだけ触れられたくない事だと知っていたのに…。

「気にしないでいいよ。」
気を取り直したふうにそう言うアルフの背中を、サンディは無言でそっと叩いた。
「あれが蔓ウサギか…。」
道理で植物図鑑にも動物図鑑にもでていない訳だ。先ほども本を取り出しこれから読もうと思った時に、片付けてしまった。



「良く見てたかなあ。」
アザリアンは水晶の館の屋上の塔の上から、下を行くヴェスタリアンを見つめて小声で呟いてみた。
「あの子は心だけで創世期のルーンを使う。見たものをそのまま言葉として発する事ができる特殊な力を持っている様だ。…そう言えば昔ナーシアンスもそうだったな…。」
アザリアンは回想する。ナーシアンスがスラ・マリサナにそっと花を捧げた姿を…。

「サミュエル様。」
ナーシアンスは自らの主人である神の耳シルヴィルムの脇から、そっとサミュエルに駆け寄った。
「まあ、ナーシアンス。御機嫌はいかが?」
「はい、上々です。」
ほんのりと頬を染めてナーシアンスは微笑み、軽く会釈した。
「これを…。」
ナーシアンスはシルヴィルムからだ、と言いながら豪華な薔薇の花束を差し出した。だが思わず創世期のルーンが口をついて出る。
『我、ソリダスターを所望す』
ほんのりと黄色の小菊が何本も現れた。〜私を振り向いて〜そんな意味が込められた花だ。
「まあ、これはあなたからね?」
その吹き出すソリダスターを手にとってくすくす笑うサミュエルを、困った様に見つめるナーシアンスが忘れられない。

否定も肯定もしない、はにかんだ笑み。

そのすぐ後ろから満面の笑みを浮かべたシルヴィルムが歩いてくる。ナーシアンスの事など見えてないかの様にサミュエルはシルヴィルムに歩み寄る。それをナーシアンスは少し悲しそうな微笑みを浮かべて見送る。

良く見る光景だった。

アザリアンは思いを巡らす。

シルヴィルムがいた時は、いつも屈託ない笑顔で笑っていらしたスラ・マリサナ。最近あのヴェスタリアンが現れてから同じような笑みで微笑んでいる事が増えている。あの方はそれに気がついていらっしゃるのだろうか?

アザリアンはヴェスタリアンが2人の友人達と通り過ぎて行くのを、黙って見つめていた。


「あ…。」
自分の部屋の前に来たヴェスは、小さくそう叫ぶと扉の前に走り寄った。扉に小さく徴が残されている。
『我、君を見つけたり』
そんな意味のルーンが思わずヴェスの口をついて出る。そしてその小さな徴にヴェスは自分の左手を重ねた。

「ヴェス…。」
ヴェスタリアンに聞こえるだけの小さな声で、その徴は呼び掛けた。
「サミュ…。」
同じくらいの声でヴェスもそれに答える。
「お帰りなさい。今日はあなたに頼みたい事があって来たの。どうか、サンディやアルフと一緒に黎明の間に来て下さいな。」
「はい、すぐに。」

ヴェスタリアンはくるりとサンディやアルフの方を向き直った。
「さ、出かけよう。」
「で、出かけようってどこに?」
「黎明の間。サミュエル様がお待ちかねの様だ。」


黎明の間。いつもの様に淡い霞に覆われて、あたりはうすぼんやりとしている。サンディとアルフはここに入るのは初めてだ。物珍しげに見回してはヴェスの後をついて行った。
ヴェスタリアンはサミュエルに会えると言うだけで胸が高鳴るのを感じた。ここ数日は、入る事を許可された部屋にすら足を運んでいなかった。毎日の課題をこなすだけで心身共にへとへとになり、そんな余裕が全く無かったのだ。

「待っていましたよ。」
少々待ちくたびれた、といった風情のサミュエルが、正面の玉座に腰を掛けて頬杖をつきながら言った。余り待たされる事に慣れていないのだ。だが、今日は無理に呼び出さずに、彼らが現れるのを待っていた。今日は両脇には誰も控えていない。
「申し訳ありません、遅くなりました。」
ヴェスはサミュエルの前に恭しく膝をついた。そしてそれにサンディとアルフもならう。
「ヴェスタリアン、どうです?少しは力がつきましたか?」
「はい、そう思います。」
サミュエルは小さく頷いた。

「ではさっそく行きましょう。」
「あ、あの…。」
どこへ、と聞くのも憚れてヴェスタリアンはサミュエルの顔を見つめた。
「人の子の場所にきな臭いところがある。さっそく降臨して調べてみようと思う。」
当然ついてくるでしょう、と言わんばかりにサミュエルは玉座から降り、歩き始めようとした。
「お、お待ちください、えっと…。」
突然の事でサンディもアルフも困惑する。
「余一柱で降臨でも良いが、そなたらもついてくるであろう?」
世話係の天使達が慌ただしくマントやら剣やらの、旅の仕度を整える。それを受取りながらサミュエルは再び3人を振り返った。

「はい!」
ヴェスタリアンは着の身着のままで来た事を少し後悔したが、すっくと立ち上がった。それにサンディとアルフも続く。

「では目を閉じなさい。」
サミュエルは3人に歩み寄り、大きく手を広げた。

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