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キュリテは悲しそうに一瞬顔を歪めた。
「何故余がそなたを楽士処の長に任じたかはわかるか?」
「いえ…。」
キュリテは静かに目をあげ、サミュエルを見つめる。サミュエルは優しく微笑んでいた。
「そなたの中に光と闇があるからだ。」
「スラ・マリサナ…。」
キュリテの目から涙がぽろぽろと溢れ出た。
「音楽とはそのようなものであろう。人は明るい光と自らの暗い陰を音楽の中に見いだし、それを自らと重ね合わせるのだ。天使や魔道士の扱う魔道とは根本的に違う性質を持っている。」
サミュエルは遠くを見るような目をした。
「余は我片翼であるシルヴィルムを亡くした時、それまで光だと信じて来た歌が闇に変わるのを見た。光り輝いていたものが急に色を失い、心を苛んだ。余はそれを悼んで音楽を遠ざけて来たが、それは間違っていた様だ。闇を牛耳るためには、自らの闇と闘わねばならないと気がついたのだ。そして今がこの楽士処を変える時。1人の力でも、また天使や魔道士の力だけでも闇には勝てぬ。ここに吟遊詩人の力を加えねば。」
サミュエルは静かに瞳を閉じた。
「だからその音楽を紡ぐ吟遊詩人とは、天使や魔道士とは違い闇も持ち合わせ、闇の中でも生きられねばならぬ。しかし、それはおそらく並みの楽士には出来ぬ。」
「確かに…。」
「それをそなたなら解きあかす事が出来ようと思ったのだ。それができる時、ミスティリディが闇に打ち勝つ時と余は思う。シェルレムはミスティリディとして闇のはびこる地に降りてもらった。あの者は心に闇を持ち合わせておらなかったからな。そしてそなたは楽士としてここでその心を探究してもらいたかったのだ。」
サミュエルはキュリテに向かい合って、キュリテの瞳を見つめた。
「アルフは連れて帰る。ここには置いてはおけぬ様だ。そしてきちんと育ててから天宮の楽士にするつもりだ。異存はないか?」
「サミュエル様…!」
冷徹だったキュリテの瞳が縋るような色を浮かべた。何故アルフをサミュエルがここに置こうとしたのか分かったからだ。そして何故彼を見てこんなにも自分が嫌悪感を感じたのかも。
似ている、彼の持つ暗い陰りが…。自分を見ているかのようだったのだ。
「私にもう一度機会をお与え頂けませんか?ぜひこのアルフォラードを育ててみとうございます。」
「それにはこの『楽士処』を今のような楽士派遣の施設から、楽士を養成する施設に変えねばならぬが?光だけではなく闇まで紡ぐ事ができる楽士をだ。その二つを御する事ができる楽士だ。そのような楽士を育てる術を見つけだせると言うのか?」
「やってみます!」
サミュエルはにっこりと笑った。
「では、そなたに任せよう。余の専属の竪琴弾きをそなたに預けるのだぞ。心して育てるが良い。お下がりなさい。」
サミュエルはキュリテを下がらせた。彼が下がるのを見送りながら、サミュエルは肩の荷が降りたような安堵の表情が浮かんだ。
サミュエルはアルフの方を向き直った。
「アルフォラード。あなたにぜひ見てもらいたい竪琴があるの。この竪琴は持ち主を探しているのだけれど…。」
そう言うと、サミュエルは両手のひらで何かを包むような仕種をした。ぼうっと手のひらの間の空間が銀白色に光り、うっすらと卵のようなものが浮かび上がった。そしてそれは見ている前でむくむくと大きくなり、やがてめりめりという音と共にカッと光り弾け飛んだ。
そしてその光が収まった時、サミュエルの手には飾り気のない質素な竪琴が握られていた。
「アルフ、これを試して御覧なさい。」
サミュエルはその竪琴をアルフォラードに差し出した。
「これは誰にでも音が出せるというものではありません。私と、1人の竪琴弾きと、その竪琴弾きにとって大切な人の3人だけ音を出す事が出来る物。」
サミュエルは弦を軽くはじいてみせた。ぽろん、という微かな音が響いた。しぶしぶ出た音の様にも聞こえる。そしてそれをアルフォラ−ドに差し出した。
「さ、もしあなたにこの竪琴の音が出せるなら、これをお受け取りなさい。」
アルフは手を伸ばし、それを受け取ろうとした。その瞬間、誰も弦に触れていないのに、ひとりでに竪琴の音が響いた。
ぽろぽろん…。
その音色は心の奥底まで震わせるほど澄んでいて、儚げで、力強かった。まるで何かに感動し、喜びを表現しようとしているかの様に。
「これは!?」
アルフォラードは目を見開いてサミュエルを見つめた。
「やはり音が出ましたね。ならばこれをあなたに差し上げましょう。もう分かったでしょう。あなたはこれからアルフォラード・ミスティリディとお名乗りなさい。」
「ミスティリディ!」
アルフは驚きの余り震える声で繰り返した。
「そんな滅相もない!」
ミスティリディ…その名前は唯一無二の腕を持つ竪琴弾きにのみ与えられる最高の名前なのだ。
「僕が、こんな駆け出しの僕がどうしてそんな名前を受け取れましょう?」
「駆け出しかどうかは問題ではないわ。あなたはこの竪琴に選ばれたのです。この竪琴は私がどんなに素晴らしいと思っても、自分の意にそわない竪琴弾きには決して音を出したりはしません。聞いたでしょう?この竪琴は私にすら申し訳程度の音しか出さないわ。でも、今あなたは弦を触れる事すらせずに、これを鳴らす事ができたではありませんか。あなたがこの竪琴の持ち主になるべきです。それが竪琴の幸せでもあるのだから。」
「サミュエル様!」
アルフはサミュエルの前に跪いて、その竪琴を恭しく受け取った。
「ここであなたが受けた仕打ちは本当に申し訳なく思う。しかしそれを昇華するのが吟遊詩人に課せられた使命だと思うのです。手伝ってもらえるかしら?」
「はい!」
アルフォラードは嬉しそうにサミュエルを見つめた。
「何か弾いてちょうだい、アルフォラード・ミスティリディ。」
「なに?お前にしか音が出せない竪琴?」
アルフは久しぶりに楽士処を出て、天使処に来ている。毎日顔を突き合わせていたサンディに久しぶりに会いに来たのだ。苛められていたとはとても言えないが、サンディには何でもしゃべってしまいそうになる。ミスティリディになった事も、本来は誰にも言いたくはなかったのだが、サンディの顔を見たらすぐにしゃべってしまった。
「まさか!貸してみろよ。」
アルフがいいと言う前にサンディはアルフから竪琴を奪っていた。
ぽろ…ん。
「なんだ、出るじゃねえか。」
何ごともない様にサンディは言う。
「本当だってば!だって、楽士処では誰がやっても音が出なかったんだ。」
半分むくれながらアルフはいい、ハッと気がついたような顔をした。
「そう言えばサミュエル様が僕以外にももう1人出せるっておっしゃっていた。」
「ふーん。」
「僕の大切な人にだけ、もうひとり…。」
「大切な人!?」
2人は顔を見合わせて、何故か大きな声で笑った。
「本当は俺が竪琴弾きの息子だからじゃないかなあ。」
サンディは笑いが収まったあたりでそう言った。
「そう言えばサンディのお父さんは竪琴弾きだっていってたっけ?」
「うん。シェルレム・ミスティリディ。」
何ごともないふうにサンディは言う。
「俺が小さい時に母ちゃんと一緒に人間界に行っちまってまだ戻ってこない。もっとも俺に竪琴の才能がなくて、母ちゃんががっかりしてたけどね。」
サンディはソファにごろん、と横になった。学びの舎にいた時のような気持ちになったのだろう。すっかりくつろいだ気持ちになった。こんな気持ちになったのは久しぶりだ。
「俺、本当は何に向いているんだろう?」
「サンディ?」
実はサンディは退屈な毎日に嫌気がさしていた。憧れの剣天使になったのはあのヴァカンスの旅の途中だ。それ以来こうやって天使処に入り、修行する日々をとても待ち遠しく思っていた。
だが…。
実際来てみると何と退屈な毎日だろう。憧れのミカエルはほとんど天使処にはいない。サミュエル様のそばに付き従っているのだ。このまま月日ばかりが経つ事にサンディは得体の知れない焦燥感を感じていた。
皆はどうしているのかなあ。
そんな事をぼんやり考えたりもしていた。きっと皆それぞれの場所で楽しくやっているのではないか。それに引き換え自分は…。自分は昔ミカエルの片腕とも言われる剣天使だったのだと言う。その頃はきっと重要な役を任され、充実した毎日を送っていたのではないだろうか?こんな下っ端のつまらない訓練なんかではなく…。
「だけどさ。ここも似たようなもんだよ。」
「似たような?」
「毎日毎日単調な訓練ばかりだ。剣術も魔道もみな学びの舎とやっている事は余り変わらないや。」
「ふうん。」
「何のためにここに来たか…。」
そう言いかけてサンディは言葉を飲み込んだ。本当は分かっているのだ。
確かに天使処でも基本的に学びの舎とやっている事は変わらない。剣天使はその剣の腕前を磨くべく日々精進しているのだ。もちろん魔道も使えないといけない。だが、体力、知力共に要求されるレベルが今までとは格段に違うのだ。その中にあって、サンディは自分のふがいなさ、力の無さを思い知らされていた。もともと魔道はへたくそだ。しかし頼みの綱の体力すら、この天使処にあってはとても自慢できる代物では無かった。
辛い、逃げ出したい…。
本当はそれだけなのだ。何も出来ないダメな自分と向き合う勇気が無い。正直なところここでうまくやっていけるのか不安で不安でたまらない事がある。いつもなら相談できる友達がいた。だがここには誰もいない。
「ね、サンディ…。」
黙ってしまったアルフはサンディが何かに悩んでいる事をすぐに悟った。だてに長年ルームメイトをしていた訳では無い。それが何なのかは、わかるようなわから無いような気がするが。
「時々こうやって会おうよ。ヴェスも誘ってさ。あいつもきっと同じだよ。この環境になれるまで一緒にいようよ。」
「そうだな、うん、そうしよう。」
サンディはただこれだけの会話の中で、自分の気持ちが静まっていくのを感じていた。1人でいてはいけない…。1人でいるとどんどん闇に引きずり込まれてしまいそうだ。
「次の休みの日、一緒に魔道処に行ってみよう。」
サンディは明るい顔で立ち上がった。
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