再会

 〜4〜


「スラ・マリサナ…。こちらでしたか。」
探し回ったと見えるラファエルは、神妙な顔で『黎明の間』に入って来た。
「そんな深刻な顔でどうした?」
心配そうにガブリエルが聞いた。

「子供達の旅立ちの事ですが…。」

サミュエルは数週間前、ラファエルの相談を受けていた。子供達の配属をきめる折、無断で決めない様に指示を受けていたからだ。サミュエルの目論見ではアシルとヴェスタルトはアザリアンの元で、サンディリールはミカエルの元で過ごせる様に手配するつもりだった。
「アシルは一度両親の元に帰したらいかがでしょう?」
ラファエルはかねてから考えていた事をサミュエルに進言した。
「それはいい考えだ。」
サミュエルも即座に同意する。

「ヴェスタルトはアザリアンの元でいいのですか?」
ラファエルは伺うような眼差しでサミュエルに聞いた。
「もちろん、異存はない。余は忙しいからな。」

「ここまではいいのですが、問題はアルフォラードです。」

ラファエルは本当に困った、と言わんばかりの様子で頭を抱え込んだ。
「今この天宮の吟遊詩人達は、それぞれ選んだパトロンと呼ばれる庇護者の元で散り散りになっています。養成するところもなければ、管理するところもない。言わば無法状態と言えます。」
サミュエルは黙って頷いた。
「楽士処が機能してくれればいいのですが…。」

「少し気になる事があるのだ。」
サミュエルは、遠くを見つめるような目をし、ゆっくりと口を開いた。
「どうなさいました?」
「アルフは…、あの子は時々見る者を威圧するような目をする事がある。」
「それなら見た事がございます。」
ラファエルも同意する。
「心を許していない他者を決して受け入れまいとするような、何か頑なものを感じてならないのだ。」
「確かにそうでございますね。」
「それはもしや、竪琴弾きとして余り好ましくないのではないかと思う。」

ガブリエルも思うところがあるようで、相づちを打った。
「余は1人の竪琴弾きを思い出すものがあるのだ。」
「キュリテ…でございましょう。」
ミカエルは思案げな瞳をサミュエルに向けた。サミュエルは肯定する様に小さく頷いた。
「預けてみようか、あの男に。」
「それはかなり危険な賭けでございますね。」



アルフォラードは慣れない環境で、不安な日々を過ごしていた。ここ楽士処は音楽家を目指す者たちが集う所だ。天使処、魔道処とは違い、天宮のはずれのほうにある。だからかつての友達にあう機会も滅多にない。もっとも同じ天宮内なのだから用があれば出向いていけばいいのだ。

「全く、ラファエル様のお墨付きがなかったら、身寄りのない者はここには置かぬものを。パトロンが見つかれば良いが、余り期待はするでないぞ。」
楽士処の長、キュリテは初対面の時に溜め息まじりにそう言った。確証がとれている訳ではないので、アルフが先の闘いの折に亡くなった大天使の生まれ代わりかも知れない事は伏せられているのだ。

アルフは独りで黙々と竪琴を奏でるしかなかった。身寄りがないと言う事はここでは大変不名誉な事で、誰もアルフに声を掛けてくる事はないのだ。

ここでは広間や階段の踊り場などで誰かが竪琴を奏ではじめると、他の者が自分の楽器を手に取りそれに合わせる。いつの間にか小さな輪ができ、皆仲良さそうに演奏を始める。しかしアルフが仲間に入りたくてそこに加わると、皆決まってその輪を抜けてどこかに行ってしまうのだ。いつもぽつん、とアルフだけそこに残った。

新入りだから、へたくそだから…。そう思っては見たが、誰もアルフの演奏を聴くまでもなく席を外してしまう。明らかにアルフを避けているのだ。身寄りの無い自分と関わりたくないから…。

「何故身寄りがないのはいけない事なんでしょうか?」
思いきってここに来た翌日、キュリテにアルフは訊ねた。
『ふん』という鼻で笑って見せて、キュリテは冷徹なしかしどこか寂しそうな目を向けた。
「知っているであろう?楽士はもともと誰かの恩情に縋って生きる性質の者であったのだ。パトロンがいなくては生きてはいけない時代があった。パトロンは身寄りのしっかりした者を選ぶのが常だ。うかつに屋敷に連れていって、悪さをされたら目もあてられまい?」
アルフは怒りの余り真っ赤になり、そして目はそれとは正反対に氷の様に青白く光った。

「ひ…。」
息を飲むような小さな声をあげて、キュリテは一歩後ずさった。その氷のような冷たい瞳の色に恐れをなしたのだ。暖かみの微塵もないその瞳の色…。
「二度とそう言う態度は許さんからな。もっと従順な態度になる努力をする事だ。そうでないと楽士は勤まらぬ!」
言い捨てる様にキュリテはそう言うと、アルフをそこに残して部屋を出ていった。

アルフは冷静になろうと小さく深呼吸した。楽士処に配属になったと聞き、嬉しくて誇らしくてラファエル先生に何度も聞き直したほどだったのに…。楽士処はこんなところだったのか、と心の底から失望した。確かに楽器を奏でる腕はそれなりの者がほとんどだったが、まるで売り物のような扱いをされているこの仕組みに疑問が沸き上がる。

これでは人身売買ではないか?

こんな事が天宮でまかり通っていていいのだろうか?これがあの美しくお優しく賢明なスラ・マリサナがお作りになった体制だというのか?

同じだ。とアルフは思った。少しずつ思い出してくる。両親が何やら怪しいものを屋敷に持ち込んでは、禁断の黒魔術を行っていた事、自分を彼らの信仰する神『獣王ルディリス』に捧げるために性別すら変えられていた事。あの時の黒魔術を操る両親とその仲間達とどれほどの違いがあろう?

自分が生け贄になり、両親と仲間達が魔術を実行していたある日、荒々しい剣天使達が踏み込んで来て、両親の仲間達を捕らえた。

そこでスラ・マリサナに会った。
〜余の元に来るが良い。そしてそこで生を全うする方向を見つけるのだ。道は必ずある〜
信じていたのに…。誰も信じられない、とアルフの氷のような澄み切った水色の瞳は物語っていた。サミュエル様すら…。

キュリテを恐れさせた瞳の色は、この黒魔術によって身についたものではないかと思っている。あの地底で餓鬼の一匹は自分の母と名乗り、自分を『闇天使アルフェラ』と呼んだ。闇に蝕まれているのではないかと思われるこの我が身…。心が頑になった時は特にそう思う。自分の身体には闇が血液の様に流れているのではないだろうか?


「これは、サミュエル様!」
アルフがここに来て一週間、楽士処は騒然となった。
「わざわざこのようなところまでお越し頂くとは、恐縮至極に存じます。おっしゃっていただければこちらから出向いて参りましたものを…。」
キュリテは深く平伏しながら、恭しくサミュエルにそう言った。
「それには及ばぬ。」
サミュエルはキュリテに目もくれず、楽士処の奥に入っていった。そしてその後をキュリテが慌てて追い掛ける。
「今日はどのような御用ですか?」
「楽士を1人所望する。」
「では、さっそく私が…。」
「よい。余が直々に選ぶでな。」
「しかし…。楽器は何がおよろしいでしょう?」
「竪琴に決まっておろうが。」
そんな会話も足早に移動しながらのものだ。

サミュエルがここに最後に足を運んでから、どれくらいの年月がたったであろう?先の闘い以来天宮に楽士が集う事はほとんど無くなっていた。闘いの神に楽士は必要無いとサミュエルは思っていたからだ。式典の時だけキュリテに使いをだし、手ごろな楽士を連れてこさせる。それも本当に稀な事だ。したがって今まで天宮に集っていた楽士達は、みな新たなパトロンを探して旅立たねばならなかった。そしてここ、楽士処は楽士が集い腕を磨くところでは無くなっていった。

吟遊詩人は神の耳との幸せな日々を思い起こさせる。2人で紡いだ歌、2人で奏でた音楽から彼らは生まれた。だから彼らの紡ぐ歌や曲は、かつての幸せだった頃の名残りでしかない。

サミュエルが吟遊詩人達をまわりから遠ざけていたのは、このためであった。そうしているあいだに楽士処は楽士を養成し、管理をするという機能は完全に失われていった。

「ならば、わが楽士処1の竪琴弾き、サラはいかがでしょうか?」
「サラは確かに良い竪琴弾きだが…。」
廊下や広間のそこここに集いながら音楽を奏でている楽士たちを見回しながら、サミュエルは立ち止まりふいにくるりとキュリテの方を振り向いた。
「アルフは?アルフォラードはどこにおる?見当たらぬではないか。近い将来、必ずやこの天宮一の竪琴弾きになるであろうアルフォラードは?」

「サミュエル様!」
自分の部屋に閉じこもっていたアルフは、目の前にいきなり現れたサミュエルを見て、思わず目の前が霞んだ。先ほどまであんなにも冷めた気持ちであったはずなのに、顔を見たとたんじんわりと暖かい気持ちになる。飛びつかんばかりにアルフはサミュエルに駆け寄った。サミュエルは大きく手を広げてそれを優しく受け止めた。
「どうしたの?アルフ。」
「助けて…。僕はもう息がつまりそうです!」
サミュエルは優しくアルフの髪を撫でると、そっと暖かい手のひらをアルフの頬に置いた。

「今のここ、楽士処は楽士を色々なところに派遣する事を生業としているところです。」
「派遣するところ…。」
「腕を磨くところではないの。」
「そうなんですか…。」
「腕に覚えのあるものがパトロンを探して、ここに登録するのよ。」
サミュエルはゆっくりと振り向いた。そして手招きをしてキュリテを近くに呼び寄せる。

アルフはサミュエルに先ほど沸いた疑問をぶつけた。
「楽士には人権と言うものがないのでしょうか?ここに来てから僕は一度たりとも人間扱いされていない気がします。身寄りの無いものは置きたくないと言われて…僕は…!」
「まあ、そんな事を?」
サミュエルは困ったような顔でアルフを見つめた。そして視線をキュリテに移す。
「そう、確かに竪琴弾きにとっては、身寄りがなかったり出生がはっきりしていないと辛い事が多いわね。でも、あなたがこの子を疎んじているのはそれだけではないはず…。」
キュリテはそっとサミュエルから視線を外し、俯いた。サミュエルは黙ってキュリテを見つめた。しかしその瞳はキュリテに語りかけていた。〜あなた自身を見ているようで、恐かったのでしょう?〜

先の闘いが起こる前、2人の大変腕のいい竪琴弾きが天宮に集っていた。1人はシェルレムという名の若者、もう1人はキュリテ。シェルレムは勇猛果敢な剣天使フェルディエルの弟だった。この剣天使はサンディの生まれ変わる前の者と目されているミカエルの片腕だ。父や母もサミュエル付きの天使として、常に天宮に集っていた。一方キュリテは旅の吟遊詩人が父だという事であったが、母だと名乗る魔道士の女はキュリテを顧みる事なく、楽士処に預けたまま姿を消していた。

サミュエルは愛の歌を紡ぐ吟遊詩人を、人の子に貸し与える事を思い付いた。この愛で地上を満たそうと思ったのだ。特別の吟遊詩人を選ぼう、この大任が果たされた時は、サミュエル専属の吟遊詩人として常に召し抱えよう。

そして選ばれたのはシェルレムであった。

キュリテはこの時自分が選ばれなかった事を、心の底から恥じていたようだ。竪琴の腕はほぼ互角であった。キュリテは自分の素性が定かではないのが敗因ではないかと思った。そう思いたかったのだ。そしてサミュエルが楽士を他に所望しないと聞き、パトロンを探すべく自分を売り込んだという。だが、彼を満足させる地位は得られなかった。身寄りがないという理由で雇用を断られる事が多かったのだとも聞く。

そしてしばらく後、サミュエルはキュリテを楽士処の長に任じた。


「近いうちにそなたと話をしたいと思っていた。」
サミュエルは強い視線をキュリテに向けた。

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