「まあ、今日はなんて賑やかなんだい?」
森の中から奇妙なキ−キー声が聞こえた。
「うるさくて眠れやしないよ。誰だか知らんが少し遊んでやるかえ。」
ゴゴゴゴ…、という地響きのような音が聞こえたと思ったとたん、地面からボコ、ボコ、と何かが沸き上がって来た。それと同時に、晴れているにも関わらず、濃い霧がどこからともなく流れ込んでくる。
あたりはさほど深い森ではない。日の光が十分に差し込む程度の明るさで、木の茂っていない小さな広場のある空間だ。霧は森の奥の方から流れて来ているようだった。
「あの霧は嫌な気がする。」
思わずヴェスタリアンが言う。森の中の霧と言えば、前に一度見た事がある。あの時はサミュエルが道筋を指し示すために用いたキラキラと光る霧であったが、今回は分厚くたれ込めた、不愉快な霧であった。それが足下を覆い、身体を這い登ってくる。
「息が!」
顔まで霧が迫って来た時に、そう言って咳き込んだのはアルフだ。
「ひっ!」
続けてそんな叫び声をあげる。
ボコボコと沸き上がって来たのは、地面に埋もれていた骸骨だった。それが生命を宿した様に、赤い燐光を放ちながらゆっくりと立ち上がり、頭を上げた。そしてよろよろとしながらゆっくりと向かってくる。骨と骨の擦れあう乾いたカツン、カツン、という音があちこちから聞こえてくる。
「気持ち悪…。」
サンディは全身に鳥肌が立った。
「メディータイか。」
サミュエルが小さな溜め息まじりにそう言った。
「こんな明るい時間から御苦労様だこと。」
「さあ、行きましょうか。」
サミュエルがそう言おうとした時、サンディはすでに刀を抜き、今にも骸骨に向かって斬り込みそうになっていた。アルフはすでに竪琴を取り出し、今にも奏でそうになっている。そして…。サミュエルはすでに暗くなっている大空に、大きな渦を巻く蔓ウサギの塊が出来ているのに気が付いた。
「放っておきなさい…。」
そう口にしようとした時、何体かの骸骨はサンディの脇をすり抜け、サミュエルに飛びかからんとした。サミュエルはその動きを止めようと、軽く指を鳴らそうとした。
アルフがゆっくりと竪琴に指を滑らせた。先日サミュエルにもらったミスティリディの証の竪琴だ。ぽろ…ん、とその音が響いた瞬間、骸骨はカタカタ、と震えた。アルフの指の動きが早くなる。それに合わせて骸骨達はくるくる、くるくる、と踊った。
「なんと、天宮の竪琴弾きかえ?」
驚愕の声が聞こえる。
「地に帰れ。」
サンディは剣を振るった。骸骨を切り裂くというよりは、地に返す還元のルーンを唱えながら。
「ああ、鬱陶しいねえ!どこかに行っておしまい!」
キーキーと癇癪を起こした声が響く。
「さあ、帰りましょうよ。」
もう一度サミュエルが促した。
森が赤く鈍い光を発した。
「あらら、怒らせちゃった…。」
森から再び骸骨の集団がゾロゾロと出て来た。その数は数百といったところか。皆口々に呪の言葉を呟きながら、まっしぐらにサミュエルに向かってくる。
その瞬間…。
『荒れよ、怒れ、我が同胞よ…』
ヴェスタリアンの口からこぼれ出た、彼すらも無意識のルーン…。その言葉がとぐろを巻き、大空でどろどろと解け合い狙いを定めている。そして正確に骸骨の数と同じだけ分裂した。そしてその一つ一つがまるで龍の様に咆哮し、牙を剥き、稲妻の勢いで襲いかかった。
瞬時にカタがついた。身構えていたアルフとサンディは拍子抜けしたような、そして呆れ果てたような顔でヴェスを見ていた。
「まったくなんてことだろうねえ!とんでもないコワッパが紛れこんどるわい。」
森の奥からキーキーとそう言う声が聞こえたかと思うと、バサバサと羽音がして黒い大きな烏が飛び立って西の空へと飛んでいった。
「見事な蔓ウサギでした。」
サミュエルは何ごともなかった様に、静かに微笑んで言った。それにヴェスも静かに微笑み返した。
「さ、帰りましょう。」
「サミュエル様、御無事で。」
「大事無い。」
「よろしゅうございました。」
天宮の入り口で、心配そうに駆けつけたミカエルとアザリアンが待っていた。
「蔓ウサギを2つ感じましたので、何ごとがと思ってお出迎えに上がりました。」
アザリアンが恭しく言った。
「特に今し方の蔓ウサギは巨大で大変な事が起きたのではないかと。」
「ああ、あれはそなたの手本が良かったのであろう?」
「とおっしゃいますと?」
「あれは余ではない。」
「では!?」
信じられない、といった表情で、アザリアンはヴェスタリアンを見た。ヴェスタリアンは恥ずかしそうに頬を染めて俯いた。
アザリアンは嬉しそうに手を伸ばし、ヴェスタリアンと軽く挨拶代わりにぱちんと手を合わせた。
天宮の黎明の間。3人の子供達は疲れ果てていた。特にヴェスタリアンの意識は混濁している。このまま床に伏して寝入ってしまいそうだった。
「この部屋の奥に3人分の休息所を設けたから、そこでしばらく休んでいらっしゃい。」
この言葉に3人は嬉しげに微笑もうとした。だがかろうじて微笑めたのはサンディだけ。そして3人はよろよろとよろけながら、奥の間に消えていった。
「この旅はいかがでいらっしゃいました?」
ミカエルは気遣わしげな瞳をサミュエルに向けた。この優しげな眼差しに包まれれば、大抵の女はうっとりとしてしまうのだが、サミュエルは気がついているかどうかも定かではない。
「メディータイと遭遇した。」
サミュエルは淡々と言った。
「では!?」
「何の準備もしていかなかったので、闘うつもりは無かったのだが、見事な蔓ウサギで蹴散らしてくれた。彼が余とともにイアンとして同行する日も近いかも知れないな。」
「お怪我がなくて何よりでした。」
「メディータイも余が降臨していたとは思わなかったのだろう。根城の近くに侵入してしまった我々を、虚仮威しの操り人形で追い返そうとしたようだ。余だとわかっていたら、もう少しましな技をかけて来ただろう。だが…。こちらに力ある天使や魔道士がいることがわかってしまったな。できる事なら、まだあの子達のことを知られたくは無かったのだが。」
「それは致し方ありませんでしょう。」
「そうだな。」
サミュエルはふいに小声で空間に問いかけた。
「ラファエル。」
「はい、おそばに。」
ラファエルは今度はすぐに姿を見せ、目の前に静かに跪く。
「キルデリクはどうしている?」
「疲れたと見えて、休んでいます。」
「そう。」
「これからいかがいたしましょう?」
「あの子達と一緒に政を学ばせられないかしら?いずれあの3人をフランクに降臨させる事になるでしょう。その時にある程度の信頼感があった方がお互いのためになると思うのです。」
「なるほど…。では即刻手配をいたします。」
ラファエルは恭しくサミュエルに礼をした。
「アザリアン。」
「は。」
「ヴェスタリアンの教育を今まで以上にお願いします。」
「わかりました。」
「キルデリクがフランクに戻ったあたりで、ヴェスタリアンをまず降臨させる。」
「恐らく彼なら今すぐにでも御期待に沿う事が出来ましょう。」
「それにしてはまだ内なる力が不足している。蔓ウサギは見事だったけれど、それで何日も寝込まれては困る。頼みましたよ。」
「は。」
サミュエルはヴェスタリアン達の消えた扉をちらり、と見た。人の子の時間で10年くらい後にきっとあの世界に闇が国を築こうとするだろう。それに間に合えば良いが…。
「お聞かせ願えませんか?」
ミカエルが静かに言った。
「今日貴女様が人の子の世界にあの子供達をお連れになった理由を…。」
「そうね…。」
サミュエルはゆっくりとまわりを見回した。そこには心配そうなアザリアンとラファエルもこちらを見ている。
「ここに来て、お掛けなさいな。話は長くなる。」
サミュエルは皆を手招くと、ぱちん、と指を鳴らした。するとその部屋の中央に円卓が現れた。ぴかぴかに磨かれた木製の卓だ。サミュエルがこの卓を用意する時は遠慮なく意見を言ってもいい時なのだ。皆それぞれ自分の席につく。
「まず、異変に気がついたのは、『生まれいずるところ』で人々の話に耳を傾けている時であった。遠くの方から啜り泣くような、しかし何か耳障りなこすれあう音のような声を聞いた。」
「この前のことでございましょうか?ヴェスタリアンをお連れになった…。」
「そう、まさにその時だ。それは同時にあちこちから聞こえて来た。」
「それで…?」
「不思議に思って教会の礼拝堂を通じて、降臨してみたのだ。」
「お一人でですか!?供の者も誰も連れずに!?」
非難めいた口調でミカエルが目くじらをたてた。そしてそれを見て、サミュエルは愛おしそうにくすり、と笑った。
ミカエルは怒ったような顔で視線を逸らした。
「それは何人もの魔女の祈りの声であった。」
「魔女の!?」
「メディータイとメデッサ、メディア姉妹の。」
皆困ったような不思議そうな顔でサミュエルの顔を見つめる。どう言う事なのか早く聞きたい、と言う顔で。
「彼女達は祈っていた。今にこの世界は闇に覆われる。自分は闇の者ではあるけれど、闇に服従し闇に覆われるのは好まない、と。どこまで本気かわからないけれど。祈りの文句は鼻歌まじりだったから。」
「はあ…。」
「そのうちの1人は言った。この森はワタシのもの。あの城はワタシのもの。王は自分が支配する。だが、自分を無きものにしようとする大きな力がじき蘇る。どうかワタシの為に退治しておくれでないかい。おそらくそれはメディータイ。」
「大きな力…。」
「そうしたらまた別の地からも、同じような声が聞こえて来た。この世は私が司る。ブリテンの地は私の物だ。大いなる力など排除してくれる、と。今度は恐らくメデッサだ。」
「また大いなる力でございますか。」
「最後はブリターニュのあたりから。私こそこのブリターニュに君臨するに相応しい。この地は誰にも渡さぬわ。」
「一時に3人ともの祈りが…?」
「いったい何ごとだろうと思って、その3ケ所をそっと覗いてみたら、3人が鏡を通じて会話をしていた。鬱陶しい闇など神の力で吹き飛ばしてもらいたいものだ、とね。」
「なんて都合のいい!」
少し怒った様子はアザリアンだ。
それにもサミュエルはクスリ、と笑った。
「とにかく、彼らは何か闇の力がやってくるのがわかっている。それが何であるかはわからないけれど、手を打っておくに越した事が無いと思ったから、手始めにフランクに、その後ブリテンに、最後にブリターニュに我々の拠点を作るべく今回その下見に出かけたのだ。」
「そうでございましたか。」
やや難しい顔をしたミカエルは納得した様に頷いた。
「早くあの子達が育ってくれないと…。」
サミュエルは皆の顔を見回した。
「本当に、頼みましたよ。」
「あれ…。ここは?」
ヴェスタリアンが目覚めたのは、眠りに堕ちてから3日後のことであった。ヴェスタリアンは見慣れない天井に戸惑った様にゆっくりと起き上がった。
「おはよう、ヴェスタリアン。目が醒めたかしら?」
ヴェスは緊張して慌てて自分の姿を見た。そして乱れた服を直し、髪を手ぐしで整える。
「サミュ…。僕は何故ここに?ここはどこですか?」
ここに来た時にはほとんど意識は無かった。蔓ウサギで消耗しきっていたからだ。
「顔を洗っていらっしゃい。出かけますよ。」
「はい。あの…、サンディとアルフは…?」
「もう先に行ってるわ。」
「うわ…。」
顔を洗って部屋から出たヴェスは歓声を上げた。そこは天宮内ではあったけれど、魔道処でも天使処でも楽士処でもなかった。そのいずれにもすぐに行く事ができる、天宮の中心に位置する場所であった。そして、そこにヴェスタリアンは自分の名前の札のかかった部屋を見つけたのだ。隣接する部屋にはアルフやサンディやキルデリクの名前も入っている。
「ヴェス〜、いつまで寝てたんだよ!」
間も無くサンディの明るい声がした。
「昔からお前朝に弱かったからなあ。」
くすくすと笑うアルフの声もする。
「今回のお供の御褒美です。初めてなのに、皆よくがんばりました。」
3人は嬉しそうにサミュエルを見上げた。そして皆膝を折ってサミュエルに感謝の礼をした。
「さあ、ヴェスタリアン、仕度をしておいで。今日は『かまいたち』の練習だ。」
ふいに後ろからアザリアンのきりりとした声が聞こえた。
「はいっ!」
ヴェスタリアンはくるりと踵を返すとアザリアンの後について魔道処に向かった。
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