「東郷ビール」なんてありませんを掲載して以降,これを見た多くの方々から「『東郷ビール』はいつ生まれたのか」というご質問をいただきました。このページは,手元の資料と私の嘘,偽りのない実体験を元にその疑問に応えるものです。
注:「東郷ビール」とは1970年〜1992年の間,フィンランドで製造販売されたAmiraali(提督)ビールのことで,24人の提督の中に東郷元帥の肖像画のラベルが貼られていたことからこれのみを取り出してそういう。実際にはこういう名のビールは存在しない。
提督ビール発売前 |
私がフィンランド行きを決めた66〜67年頃フィンランド関係の資料を探していた時,偶然神田の古本屋で外務省発行の大使館員現地レポートのような小冊子を見つけた。 |
1964(昭和39)年(第2次世界大戦敗戦から19年)日本経済が安定し,一般人の観光旅行が外貨500ドルを上限に自由化されました。当時1ドルは360円の固定相場制で大学生のアルバイトは時給40〜50円程度でしたので昼食代を差し引くと1日稼いでやっと1ドルという時代でした。 |
---|---|---|
1970(昭和45)年 |
提督ビール発売 |
|
1971(昭和46)年 |
東郷のラベル付ビール発売 |
|
提督ビール発売後 |
1972(昭和47)年,私は日露戦争と提督ビールを結びつけた話を初めて聞いた。 |
私が再びフィンランドに行ったのは東郷ラベルのビール発売の翌年,1972(昭和47)年の夏でした。勿論,このビールのことなど知らずに行ったのでした。ある日ヘルシンキ西方にあった「Feng Kan(飯館)」という中華料理店に行き,ここでウェイターをしていた放浪組の一人に会いました。
「フィンランドで『東郷のビール』(『東郷のビール』と言ったか『東郷の絵のついたビール』と言ったか判然としないが少なくとも『東郷ビール』ではなかった)が売られているが,これはフィンランド人が日露戦争の時の東郷の活躍を称えて売られたものだ」と。
この時私には否定も肯定もする材料を持っていなかったので眉に唾しながら聞き流していました。 |
1985(昭和60)年 武田龍夫氏著「白夜の国ぐに −米ソ対立の谷間で−」(中公新書)が発売。 こちらをご覧ください。 |
| |
1986(昭和61)年 樋口清之氏著 NON・BOOK-愛蔵版「うめぼし博士の逆・日本史1 ―庶民の時代・昭和→大正→明治―」が発売。 こちらをご覧ください。 |
| |
日本の首相とゲイシャさんをめぐるニュースが世界を駆けめぐったが,昔からある懐かしい食べ物として,フィンランドに「芸者」印のチョコレートがある。ピンクの地に着物を着た芸者さんの,包装デザインは今もなお変わらない。フィンランド人の日本びいきの理由の一つに,両国が互いに同じ強国と向き合っているという地理的要因を挙げる人もある。 |
レーナさんの下町日記は朝日新聞第3社会面に連載されていたもので,この記事は1989(平成元)年7月13日(木)のものである。レーナさんとは日本人をご主人に持つフィンランド女性で,フィンランド人のお墨付きを貰ったと考えた人々の出版物がこの記事以降,陸続と世に出るのである。現に「法則化小事典シリーズ 社会科読み物資料活用=小事典」の著者,渡辺尚人氏に直接出典を尋ねたらその答えに「昔のことなので資料は手元にありませんが,文献やパソコンネットの新聞記事検索で得たものを使った」との返事であった。
(なお,私は左記の文章はレーナさんとご主人との合作かと推測していたが,2004年3月,ご主人に聞いてみたら多分に新聞記者の手が加わっていたようである。)
| |