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《 史跡 奥の細道むすびの地 碑 》 |
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隠居はしても、庭にはきれいな菊が咲いていて 美しいお月様もよく見える 食べる為の田もある 木因の優雅な暮らしを芭蕉がたたえています |
江戸・深川村での 芭蕉が最も清貧の頃の句です |
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芭蕉は1689年(元禄2年)、江戸・深川村を出発 約5ヶ月(150日、旅程600里)に及ぶ漂白のたびを大垣で終えました これが世に名高い『奥の細道』の旅です (芭蕉3回目の来垣) 当時、大垣の俳諧は 城主戸田公の 『文教奨励』 もあって 谷木因の指導のもと 大垣藩士らを中心に盛んでした 『 芭蕉の来垣は、大垣俳壇に新風を吹き込みました 』 |
住吉燈台を詠んでいます 美濃の俳人近藤一鴻の句です |
木因(66才の時)が病癒えて ひげをそった時の心境を詠んだ句です |
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竹を植える頃(梅雨)は雨が降ってなくても 蓑と笠を持ったほうが良いですよ |
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『ここは伊吹おろしの寒いところですので着物を一枚着てください』 という木因の謙遜の句に対し 芭蕉が木因の住まいを褒めています |