猫 〜 ネ コ 養蚕、蚕神、保食命(ウケモチノミコト)の猫 |
明治から昭和初期にかけて養蚕が盛んだった。
養蚕農家はネズミによる蚕の被害に手を焼いた。 ネズミの天敵である猫が、蚕の起源神 保食命(神)などの蚕神の神使とされた。 |
蚕神(保食神など)と猫
かつて養蚕は、比較的短期間に現金収入の得られる副業として、日本全国の農家で盛んに行われていた。 ところがネズミは、蚕の卵、幼虫、蛹(繭玉)、いずれ構わず食べてしまう。 一晩で、大きな損害となった。 一度被害にあうと、それが繰り返された。 養蚕農家はネズミの被害を恐れて、ネズミの天敵の猫を飼ったりして防御に努めた。
加えて、養蚕農家は、神社などに参拝して、蚕神に祈り、「蚕病、鼠除けのお札」や「猫絵」「猫石」などを頂いたりして、豊蚕と養蚕守護を願った。 |
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木島神社は、「丹後のこんぴらさん」と呼ばれる金刀比羅神社の境内にあって、
養蚕の神、機織の神として信仰を集めてきた。 蚕の起源神「保食神」を祀る。 この社に、蚕を害するネズミの天敵である、猫像が一対奉納されている。 京都府京丹後市峰山町字泉、金毘羅神社内 |
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拝殿前
左 奉献 江州外村氏 石工 鱒留村 長谷川松助 右 奉献 当所絲屋中 |
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この丹後・峰山は、丹後ちりめん発祥の地である。
周辺の村々では機織が盛んで、農家は絹を生産するため養蚕が盛んだった。 「丹後ちりめん」用の原料生糸を扱っていた江州(滋賀県)商人と 当地の糸屋が、蚕の守護として、猫像を寄進したものである。 「木島神社」の本社は、京都市太秦森ケ東町の「木島坐天照御魂(コノシマニマスアマテラスミタマ)神社」で、秦氏ゆかりの古社だが、境内にある摂社、かいこのやしろ(蚕の社)、「蚕養神社」で知られる。秦氏は養蚕、機織、染色の技術に優れていた。養蚕や機織に因む社である。 参照:「最古の猫」三遊亭円丈 |
日本書紀に載るこの保食神(女神)は、古事記の大宜都比売神(オオゲツヒメノカミ)、さらに、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ=稲荷神)と同一神とも言われ、食物を司る神で、五穀や牛馬、養蚕の起源神とされている。 保食命(神)の所に、天照大神に命じられて、月夜見命(月読神 ツキヨミノミコト)が高天原から訪ねてきた。食物を司る神である保食神は、最高のもてなしをしようと、陸に向いて米飯を、海に向いて大小の魚を、山に向いて種々の獣を、口から吐き出して、いろいろなご馳走を机の上に盛り上げた。これを見ていた月夜見命は「口から吐き出した穢いものを私に食べさせる気か」と、色をなして怒り、剣を抜いて保食神をその場で斬り殺してしまった。 その後,天照大神が、天熊人(アマノクマヒト)を遣わすと、殺された保食神の頭に牛馬が生まれ、額に粟、眉の上に蚕、目の中に稗、腹の中に稲、陰部に麦、尻には大豆・小豆が生じていた。 このような神話に因み、保食神は五穀や牛馬、蚕の起源神とされる。 また、五穀の起源神でもあることから、広く稲荷神社の祭神ともされている。 |
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神社の入り口に、大黒天と彫られた碑を真中に置いて、その左右に猫の像が眼光も鋭く控えている。養蚕農家の村人が、蚕を鼠の害から守ってもらうことを願って、猫像を奉納したものである。 | |
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明治40年(1907)
栃木県那須塩原市黒磯・赤坂 |
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長野県の修那羅峠(安宮神社)の石仏群には、江戸末期から明治にかけて、庶民によって奉納された多種多様な石神・石仏像がおよそ1000体もある。 そのほとんどが、作者、奉納者、奉納年は不明だが、素朴で力強い像である。 安宮神社ではその一つ一つの像を摂社・末社と呼ぶ。 これらの像の中に「猫」の像もある。 蚕の大敵となる鼠除けを願った猫像で、養蚕の守り神(蚕神)の神使ともされる。 この地方でも豊蚕を願って、また豊蚕に感謝して奉納された。 参照〜狛犬紀行17(三宅稜威夫) |
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養蚕大神と猫 (養蚕大神祠)
すさまじい形相の養蚕大神を真中に、左右に控える猫像 長野県東筑摩郡坂井村真田、修那羅峠 |