霊諍山は明治の中頃に土俗信仰の場として開山され、
ユニークな石仏石神像などが百余体もある |
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「蚕を食す鼠」の天敵の猫像
蚕の大敵となる鼠除けを願った猫像で、養蚕の守り神ともされる。 この地方でも、養蚕が盛んだった。 養蚕農家が豊蚕を願って、また豊蚕に感謝して奉納した猫像である。 長野県更埴市八幡 (大雲寺の裏山) |
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ここの猫像も、蚕を鼠の被害から守り、豊蚕を願って、奉られたと思われる。
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猫像は素朴な造りだが、顔はリアルで迫力があり、阿吽をしている。
前足が欠けているのが残念。 路端や畔など他所にあったのをここに移したのかもしれない。 栃木県河内郡上河内町西の内 |
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この社は、貞観2年(860)に慈覚大師の発願で阿弥陀堂が建立されたのが礎とされ、後三年の役(1083〜1087年)に源義家が戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えられる古刹。
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参道の階段の上に、石造りの猫像の一対が、狛犬のように置かれている。
扁平な感じの猫顔で、阿吽をして、長いしっぽを持つ猫像である。 蚕の鼠害を防ぎ豊蚕を願って、鎮守の八幡宮に奉納されたものと思われる。 通常、台座に載せてこのような位置に置かれる像にみられる銘などは、全く刻まれていない。 境内の片隅にでもあった像がこの表舞台に移されたのかも知れない。 山形県東置賜郡高畠町大字安久津2072-1 |
おまけ:山田さんの「秩父の狛猫報告」はこちらの本家サイトでどうぞ!
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