第六章 名物妖魔との戦い

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6-3-2 5つの宝物<ほうもつ>

 銀角が三蔵を生け捕りにして戻ってくると、またもや金角は不平をたれた。
「孫行者(*4)はどうした。やつを野放しにしておくとあとがやっかいだ。唐僧を食う前に始末をつけておかねばならん」
「野放しになんかしておくもんか。俺様は命からがら逃げてきたわけじゃないんだぜ、兄貴。やつは俺が呼び寄せた山の下敷きになって身動きがとれずに、師匠が連れ去られるのを指をくわえて見ていたのさ」
「上出来だな、おとうとよ。そうとなれば我々が出向くまでもあるまい」
 金角は簡単な用足しならできそうな精細鬼<せいさいき>と伶俐虫<れいりちゅう>を呼びつけた。
「話は聞いていたな。孫行者は山の下だ。この宝物を持って行けばお前たちにも簡単にやつを封じ込めることができるだろう」
 そういって5つの宝物のうちの、紅葫蘆<べにひさご>と羊脂玉浄瓶<ようしぎょくじょうへい>(*5)を彼らに渡した。
「孫行者を押さえつけている山の頂に登り、底を天に向け、口を地面に向けてから『孫行者』と呼べ。やつが返事をするとこの中に吸い込まれていくからこの札を貼り付けろ。そうすれば一時三刻(約2時間)で体が溶ける。どうだ。簡単だろう?」
「へい」
 ふたりの妖怪は『太上老君 急急如律令 奉勅』と書かれた札を受け取り、洞を出て、平頂山の中腹にそびえ立つ見慣れぬ山へと向かって森をくぐり抜けていった。

 一方、悟空もただ黙って下敷きになっていたわけではなかった。
「おおーい! 山の神、土地の神、五方掲諦<ぎゃてい>! いったいどういうことだ! 妖怪のいいなりになる気か! この孫様は高僧三蔵法師をお守りせねばならんのだぞ。うちのお師匠さんはな、釈迦如来の勅旨を受けて天竺へ向かっている最中なのだ。おれさまを邪魔するってことは、釈迦如来に刃向かうってことだぞ! この山をもとに戻せ!」
 慌てて出てきた神々は「そんなこととはつゆ知らず、我々は山を動かず術を聞いたので、そのぉ……」と口ごもった。
「言い訳なんかいい。早くこの山をどかしてくれよ。山の下敷きはもう、うんざりだ」
 神々は陀羅尼<だらに>の呪文を唱え、山をもとの場所へと返した。
 土埃にまみれた悟空は立ち上がって如意棒を振り回した。
「ふざけやがって!」
「おやめください。我々もあの妖魔にはまいっていたのです。なにしろ腕は立つし、あらゆる術を使いこなすし、5つの宝物を持つので手出しもできず、我々は交代で呼び出されこき使わされていたのです」
「情けねぇな。本当ならこの如意棒をお見舞いしてやるところだが、それはあの妖怪のためにとっておくことにしよう。それより、皆が口にしている5つの宝ってそんなにすごいのか?」
「それはもう、有無を言わさぬほどで。手下がその宝を持ってこちらに向かっているようです。どうかお気をつけて」
 それを聞いて悟空はさらに憤慨した。おれの始末をつけるのを家来に任せたっていうのか?と。いっそのこと子分から宝物を騙し取ってやろうと、悟空は品の良さそうな道士に化けた。
 すると、山が消えたことにも気づいていない子分2人がやってきた。手に持っているのはどうみてもひょうたん。どんな魔力が秘められているのか、悟空は注意深く話しかけた。
「もしや、おふたりは蓮花洞のおかたかな?」
「ああ、そうだ。おれたちは孫行者を始末する重要な役割を命じられて忙しいんだ。じいさんにかまっている暇はないんだよ」
「それは残念。わたしは蓬莱山からやってきた道士だが、金角大王と銀角大王とは旧知の仲なんだ天界を大暴れした孫悟空とやらがついに捕まえられると聞いてやってきたのだが」
 蓬莱山と聞いて子分2人は思わず顔を見合わせた。「蓬莱だって」「神仙か」「大王は全真派の道士とも交流がある」「まずいぞ。邪険に扱うと大目玉だ」
 精細鬼は急にうやうやしく礼をして、
「これは気づきませんで。無礼をお許し下さい」
 と言った。
「いいや、いいのだよ。それより、どうやって孫悟空を始末するのかね? そんな大役を任せられるとはさぞ神通広大なのであろう」
「いいえ、めっそうもございません」
 伶俐虫は手に持った羊脂玉浄瓶を見せた。
「これは金角、銀角、両大王の宝で、相手の名を呼び、相手が返事をするとこの中へ吸い込まれてしまうのでございます。そして出てこられないように札を貼り付けておくわけです。そうしたが最後、やつは溶けて膿になって二度と暴れることはないでしょう」
 そういうことか、それならだれにでもできる、と悟空は宝物の威力を知った。そこで悟空は背中の毛を一本抜き、こよりを作るように指先で揉み、一尺七寸の大きな紅葫蘆に変えた。
「なかなか立派じゃが、わたしの紅葫蘆にはかなうまい」
 悟空の持つ紅葫蘆を見て2匹の家来は「おお」とため息を漏らしたが、
「しかし、小さくともこの宝物は千人の人を封じ込めることができるのですよ」
 と、自慢げにいった。なので悟空も負けじとおおぼらを吹いた。
「わたしの葫蘆は人を吸い込むだけではないぞ。天をもこの葫蘆に吸い込むことができるのじゃ」
「天を吸い込む? それはぜひお見せいただきたい」
 疑っているわけではなく、すっかり信じ込んで精細鬼は願い出た。
「それを見たらこの葫蘆とそなたたちの2つの宝物と取り替えてくれるかな。大きい葫蘆は山ほど持っているのでね」
 2匹の家来はひそひそと相談し始めた「大王に断りもなく交換していいものか」「いや、大王だってよくやったというさ。天まで吸い込めるんだぞ」「そうだよな。とにかく孫行者を捕まえれば問題もない」  どうやら話はついたようだ。
 悟空は印を結び、日遊神と夜遊神、五方掲諦を密かに呼び出した。
「おい、頼みがある。玉帝のところへ行って、天を封じ込めるのに力を貸してくれるようにいってくれ。事情は知ってると思う。おれさま一人なら多少乱暴をはたらいたっていいのだが、お師匠さんがつかまっちまったんだ。素知らぬ顔をするならもう一度天界で暴れてやると脅してくれ」
 日遊神と夜遊神は急いで霊霄殿に行き、玉帝に助けを求めた。
「あのサルめ。こちらが一度手を焼いたのをいいことに好き放題言いよって」
 玉帝が渋い顔をするとナタ三太子は進み出た。
「陛下、おまかせください。わたくしが北天門に出向きまして真武君に黒旗を借りて参ります。それを南天門で大きく振りかざせば、日も月も覆い隠せましょう。さすれば、地上は闇となり天が消えたと錯覚するかと思います」
「よし。それじゃ頼んだぞ」
 ナタ太子は北天門に向かい、日遊神と夜遊神は悟空のもとへ帰ってきた。
「ナタ太子が取り計らってくれます」
「ふぅん」
 悟空は何気なく空を見上げた。すると幼い顔をしたナタ太子が、借りを作ったとばかりにニタッと笑った。
「神仙さま、どうされたのです」
 妖怪どもがせかすので悟空は「黙って見ておれ」と、紅葫蘆を天高く放り投げた。もとは悟空の毛である。その軽さゆえに、空中でふわふわと漂いながらゆっくりと落ちてくる。そのときだった。ナタ太子は黒旗を広げ、日も月も星さえもすべて覆い隠し、地上は夜よりも暗い闇となった。
「おおっ! これはどういうことだ。なんで真っ暗なんだ」
「馬鹿だな。天にある物がすべて吸い込まれたんだから夜が来たんだ」
 妖怪は暗がりの中でぶつぶつ言い合っている。
 悟空はおもしろがって、からかった。
「二人とも動いてはならぬぞ。そなたたちの足下は崖っぷちじゃ。落ちたら這い上がっては来られまい」
「いつの間にそんなところまで歩いてきたんだ!」
「は、早くもとに戻してください」
 慌てこむ妖怪に、笑いをこらえ、悟空は「天よ戻れ!」と仰々しく叫んだ。それを聞いたナタ太子は黒旗を収め、どんなもんだいとでも言いたげに北天門へ引き返していった。
 そうとは知らない2匹の妖怪は大変驚いて、大王から預かった宝物を自ら差し出した。
「どうか交換してください」
「大丈夫じゃ。わたしは嘘はつかんよ」
 悟空と妖怪はお互いの物を交換した。うれしくなった精細鬼は「おい、早速天を吸い込んでみようぜ」と偽物の葫蘆に夢中だ。悟空はその隙に逃げ出して岩陰でその様子を見ていた。
「いくぞ」
 伶俐虫は偽物の葫蘆を天に向かって放り投げた。葫蘆は空中をゆらゆらと風に揺られながら落ちてくる。当然ながら天に浮かぶ日も月も星も変わらずそこにあった。葫蘆だけが地面にコロコロと転がった。
「おかしいな。もう一度だ。天よ葫蘆の中へ!」
 今度は精細鬼が放り投げるが、やはり天は吸い込まれない。それどころが空中で葫蘆がパッと消えてしまった。というのも、悟空がいたずらをしでかして、体を揺すり、葫蘆に変わった毛を自分の元へ戻したのだった。
 驚いたのは2匹の妖怪。天を吸い込まない葫蘆と大王の宝を交換してしまったどころか、その偽物の葫蘆まで手元から消えてしまったのである。ふと気づけば神仙までいない。
「やばいよ」「どうするんだよ」「神仙さまを探そう」「いや、待てよ、おれたち、騙されたんじゃないか?」「なんで神仙さまがそんなこと」
 2匹の妖怪は黙りこくり、そしてひとつの結論に行き着いた。
「孫行者だ!」
「たいへんな神通力の持ち主と聞いているぞ」「やつに化かされたんだ」「ということは……」「奴まで取り逃がしたことになるぞ!」「まずいよ」「逃げよう」「捕まるにきまってるだろう。そのときは絶対に許されない。正直に話をしたらもしかすると……」「そ、そうだな」
 大王をはじめ、大王のお膝元の家来たちは血の気が多い。大王よりはむしろ、自分の手柄をほしがる手下どもにしつこく追われかねなかった。
 足取りは重いながらも、2匹の妖怪は蓮花洞に引き返していった。

 悟空はというと、様子をうかがうために、ハエに変化して2匹の妖怪のあとをついていった。
 2匹の妖怪は金角と銀角の前に進み出だ。
「孫行者は捕らえたか?」
 金角が尋ねても頭を下げたままなにもいわない。
「おい。聞いているのか」
「申し訳ありません!」
 2匹の妖怪は頭を地面にこすりつけたまま叫んだ。
「その孫行者に騙されました。奴は神仙に化け、天を吸い込む葫蘆だといいって、我々の前から天を消しましたんです!」
 と、2匹は必死になって大王に訴え続けた。
「あのサルめ」
 金角は静かに言った。
「奴は天で馬の世話をしていたときがあるというから、やたらと知り合いが多いんだ。山の神でも呼び出したのだろう。おとうとよ、見くびったな」
「兄貴、どうしよう。もうすぐ悟空がここへやってくるだろう。宝物まで奪われて、どうやって捕まえたらいいものか」
「まだ手はある。七星剣と芭蕉扇は俺のところにあるが、幌金縄<こうきんじょう>は圧龍山圧龍洞のおふくろのところにある。それで孫行者を捕まえるのだ。この者たちでは役に立たん。処分はあとで決めるとして、足を縛ってつらさげておけ。巴山虎<はざんこ>と倚海龍<いかいりゅう>を連れてこい」
 洞内の守衛を任せている妖怪を呼び寄せた。
「話は聞いてるな。今度こそ失敗は許されぬぞ。圧龍洞まで行ってこう伝えろ。唐僧の肉が手に入ったので宴にどうかって。それから孫行者を捕まえるので幌金縄を忘れずに持ってきてほしいと」
「御意」
 新たに仰せつかった大柄な2匹の家来は圧龍洞へと向かった。こっそりと聞いていた悟空はまたもやこの宝を奪ってやろうと2匹の妖怪のあとをついていった。しかし、この2匹はのらりくらりとしているので、せっかちな悟空は1匹の妖怪に変化して声をかけた。
「兄貴たち、まだこんなところにいたんですか」
 2匹の妖怪は振り返るが、見覚えがない妖怪をいぶかしく思い、今にも斬りかかってきそうだった。
「ちょっと、やめてくださいよ。わたしは金角銀角両大王の家来で、山の見回りをしてるものです。大王のお言いつけで圧龍洞まで行かれるんでしょう? 大王は幌金縄を早く持ってくるようにいってましたよ」
「おう、そうか」
 内々のことを知っているので、2匹の妖怪はすっかり信用した。
「圧龍洞はもうすぐなんでしょうね」
 悟空が聞くと巴山虎は大きくうなずいた。
「ああ、あそこに見える黒い林の中だ」
「ああ、あそこね」
 悟空は確かめるやいなや2匹の妖怪を如意棒で叩きのめしてしまった。そうして1本毛を抜いて巴山虎に変え、自分は倚海龍に化けた。
 圧龍洞までやってくると門扉が開いていたので「蓮花洞からの使いの者ですが」と言いながら入っていった。門を3つくぐり抜けたところに老婆が玉座に腰をかけていた。髪は白銀で、しわが深く刻まれた顔にはおしろいがべったりと塗られていた。
「誰だね」
 歯が数本抜け落ちているので言葉がはっきりとしなかった。悟空はこんな婆さんにひざまずくのは嫌だと思いながらも、うやうやしく言った。
「わたくしは大王の家来の倚海龍です。こちらが巴山虎と申します。大王が唐僧を捕らえましたゆえ、おばあさまにもぜひご賞味いただきたいとのことです」
「親孝行な子たちじゃのう」
「それから、やっかいな孫悟空をつかまえたいので、おばあさまがお持ちの幌金縄を持ってきて欲しいとの伝言を預かっております」
「よしわかった。すぐに行こう」
 老婆は袖口に幌金縄をしまい、籠持ちを呼んだ。すると化粧箱や鏡台を持つ係までが迅速にやってきた。
「今日は籠だけでいいのじゃ。せがれのところへ行くんでな。向こうで世話をしてくれる者はたくさんおる。お前たちは門に鍵をかけて留守番をしていなさい」
 老婆は籠に乗り込み、籠持ちが前後に担いで蓮花洞へと出発した。悟空は洞を離れ、しばらくすると前の籠持ちを如意棒で叩きつけた。籠が前に突っ込み、老婆が「なにをしておる!」と怒鳴りながら出てきた。その目の前でもう1匹の籠持ちを叩きのめす。
「お前は何者じゃ」
「おれさまが孫悟空だ!」
 悟空は姿を現し、老婆に容赦なくかかっていった。老婆は袖口に手を伸ばすが間に合わず、頭をたたき割られ息絶えた。正体は九尾の狐であった。
 悟空は老婆の袖口から幌金縄を取り出して手に入れた。
「これで5つの宝のうち3つまでがおれの物になった。もう手も足も出せまい」
 悟空は1本の毛を抜いて倚海龍に変え、そして自分は老婆の姿に成り変わった。

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