第六章 名物妖魔との戦い

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 もう少しいてはどうかと名残惜しそうにしている宝象国王らに別れを告げ、 三蔵一行は西へと向かった。悟空も何事もなかったかのように馬を引き、先頭 をゆく。
 悟空を旅へと掻き立てるのはなんであろうか。釈迦如来の導きにより果報を 得るためなのか、それとも単純に逃げ出したと思われるのが癪なのか、それと も百花羞のようにすっかり三蔵に情が移ってしまい、一人では心許ない三蔵を 助けたい一心であるのか。悟空に問えば、まだ見ぬ敵を打ち負かしたいだけだ と答えるのかもしれない。
 確かに、悟空が三蔵のお供をしていることは下界でもかなりの噂になってい た。一行がさしかかった険しい山にも三蔵の命を狙う者がいた。

 森林の息吹が感じられぬ、どんよりとした空気の漂う山だった。やけに胸騒 ぎのした悟空は気を引き締めて歩いていると、樵夫<きこり>が背中にどっさ りと薪を担ぎ、山から下りてきた。樵夫は見慣れぬ奇妙な旅人に目をとめ、興 味を持ったのか怯えもせずこちらの様子をうかがっていた。すれ違いざま、三 蔵を盗み見るように視線を送り、なにかもの言いたげに脇を通り過ぎていった。 気になった悟空は「見間違っちゃいけねぇよ。きれいなお顔をしているけど、 こちらのお方はれっきとした男で、天竺まで経を学びに行く出家僧だぞ」とそ れとなく話しかけた。
 すると樵夫は立ち止まり、
「ええ、それはもう存じ上げておりますよ。唐の国より参られたえらいお坊さ んでしょう」
 初めは半信半疑に見ていた樵夫も、確信めいた口ぶりで言った。
「なんでこんな山奥にいる樵夫がそんなことを知ってるんだ?」
「この平頂山<へいちょうさん>周辺に居住を構える者なら誰でも知ってることですよ。山の中に ある蓮花<れんげ>洞に恐ろしい魔王がふたり住んでいるのだけど、やつらはそのお坊さ んの似顔絵を描いてばらまいているのさ」
「なんだってそんなことを」
「馬鹿だねぇ。つかまえて食っちまうためじゃないか。汚れを知らない僧侶は 魔王たちの格好の餌食だ」
「おまえもやつらに報告をたくらんでいるわけだ」
 悟空に睨まれ、樵夫は大きく首を振った。
「冗談じゃない。まともに近づこうものなら、おいらの命もない。あそこの周 りには手柄が欲しくて仕方のない雑魚どもがうようよとしている。情報だけ聞 き出して、あとはポイだ。死人に口なしってやつだな。戻ってこなかった友人 をおいらは何人も知ってるよ」
「蓮花洞というのはこの先か?」
「ああ。たぶんな。探し回らなくたって向こうからやってくる。気をつけた方 がいい。ふたりの魔王は5つの宝を持っていて、どんな強者でも逃れることは できないってもっぱらの評判だ」
「ふうん。やつらもおれさまの評判を聞いていたなら尾っぽを巻いて逃げ出し ていただろうにな」
 悟空はしっぽをくねらせ、余裕を見せた。
「それはどうかわからないけど……それじゃ、おいらはこれで」
 大口をたたく悟空を心配しながらも、樵夫は三蔵に一礼して家路へと急いだ。
「困ったことになりましたね」
 三蔵が嘆くと八戒も同じようにため息をついた。
「どうやら避けては通れないようですよ。どこから手下が現れるかわかりゃし ない」
「よし、じゃあ八戒、先に行ってちょっくら様子を見てきてくれよ」
 悟空が顎で指図すると八戒は不平をたれた。
「ええ? わしが? なんで。兄貴、人使い荒いよ」
「ぞろぞろと行ったら目立つじゃないか。大丈夫、お師匠さんのそばにいなけ れば仲間だとはわからないさ。かえって一人のほうが安全だぞ」
「はぁ、そうか……。ふんふん、そうだな。わしが行ってこよう。師匠! わ しにお任せを!」
 悟空の言い分に納得してしまった八戒はまぐわを担ぎ、はりきって山を登っ ていった。残された面々はあきれて顔を見合わせた。
「それじゃ……昼ご飯にでもしようか」
 三蔵はそういって馬から降りた。
「待ってました!」
 悟空は荷物をほどいて宝象国王から頂いた弁当を食べることにした。

 一方、悟空らを待ち受ける魔王は蓮花洞にいた。金角大王と銀角大王である。 金角は似顔絵師に三蔵の他、悟空、八戒、悟浄の絵も書かせていた。ときどき 銀角にこの絵を持たせて山の見回りをさせていたのだが、半月ぶりにまた銀角 を呼びつけて様子を見てくるようにいった。
「そろそろ来てもいい頃なのだがな。あの荒くれ者の孫悟空がついていれば、 食われてしまったということはあるまい。一行を見つけたら馬もひっくるめて 捕らえてこい」
「でも兄貴、人が食いたいのなら手っ取り早くつかまえてきますぜ」
「わからねぇやつだな。三蔵法師の肉が食いたいんだよ。聞くところによると、 やつは“こんぜん”(*3漢字表記)長老の生まれ変わりで、十代に渡って修業に勤しみ、 女さえも抱いたことのない体だ。たとえまずくても不老長寿間違えなしだ」
「兄貴、そいつはすごいじゃないか。何十年も修業なんかしなくたって、ただ 食っちまえばいいんだろう? それならすぐにでも行ってくるよ」
 銀角は俄然やる気になって家来を連れて山を下りていった。
 そんなわけだから、ふらふらと八戒がひとりで歩いているところを見つけた 銀角は、小躍りしそうなほどうれしくなって家来と共に八戒を取り囲んだ。
「お前は八戒だな。ひとりでなにしてる。坊主と一緒じゃないのか」
 八戒はこれが例の奴らだと気がついていたので「さぁ」としらを切った。
 銀角は似顔絵の一枚と八戒を見比べて、
「このとがった鼻はまさしく絵の通り」
 というので、八戒は慌てて変化の術で鼻を引っ込めた。まさか自分の似顔絵 まであったとは。そうと知っていたらひとりで出歩かなかったのにと、悟空を 恨んだ。
「よく見てくれよ。わしの鼻はそんなに出っ張っていない」
「それじゃ、鉤針で鼻を出してやろうか」
 銀角は術を使って手のひらをフックに変えた。
「わわわわ、わしだよ。八戒だ。鼻もここにある」
 情けないかな、八戒は樵夫の評判を聞いていたので、ひとりでは戦う気には なれずにおとなしく捕まった。

 銀角は蓮花洞に八戒を連れ帰り、意気揚々と金角の前につきだした。だが、 金角にしてみれば手ぶらであろうが、舎弟を一人捕まえてこようが、三蔵がい ないことには変わりなかった。
「おとうとよ、こいつだけ連れ帰ってもなんの役にもたたぬじゃないか。三蔵 はどうした。一緒にいるはずだろう」
「おい、どうなんだ」
 銀角は悪びれずにそのまま八戒に受け流した。
「どうなんだっていわれても、貴様と同じでわしは偵察に出ていただけだ」
 と、銀角に向かって言った。
「と言ってるけど?」
 と、銀角はまた金角に向かって言う。
「聞こえているわい。この豚を捕まえたってことは、三蔵は近くまで来てるっ てことじゃないか。ぼやぼやしてないで早く行ってこい。今ごろ弟子が帰って こぬと騒いでいるだろう」
「この豚はどうしよう?」
「重石をつけて池に放り込んで、塩漬けにでもしておけ」
「だけど兄貴、こいつは三蔵の仲間だぜ。いざってときに人質になる」
「そう思っているならいちいち俺に聞くな。さっさと行け!」
 金角に怒鳴られ、未だ抜かりはないと思っていた銀角は、小首をかしげなが ら八戒を吊し上げた。八戒は銀角に親近感を持ち、愚痴るように話しかけた。
「兄貴分ってのはえらそうにするもんだ。文句つけるぐらいなら自分で行けば いいのに。結局いつも兄貴がおいしいとこ取りだ。だからわしも無駄な抵抗は やめるとするよ」
「それがいい。どうあがいたってアンタは酒のつまみだ」
 ヒッヒッヒと笑い、銀角は再び三蔵を捜しに洞の外へと出た。そのろこ悟空 は八戒の帰りが遅いので、また昼寝でもしているのだろうと、歩みを先へと進 めていたところだった。
 銀角は木々の間から瑞雲が揺らめいているのを見つけた。
「おい、子分ども、三蔵はあそこだ」
「ええ? どこです?」
 ずいぶんと遠くの林の中を指さすので、何を血迷ったのかと思ったほどだ。
「三蔵法師は“こんぜん”長老の生まれ変わりで、何度輪廻に入ろうとも、そ のたびに仏に仕えてきた身分だ。そういう者はオーラのようなものをまとって いるもんだ。お前たちには見えないのか」
「へぇ、見えません」
「そうか。ならよい。俺に一計があるからお前たちはここで待ってろ。へんに 警戒されるのはよくない。ただでさえひとりいなくなっているのだからな」
「大丈夫ですか?」
 子分の一人は、どこかいつも抜けている銀角につい本音を漏らしてしまった。
「なんだと?」
「いえ、なんでもありません!」
 銀角に睨まれ、こわっぱは分相応に訂正をした。金角より頭のキレでは劣る というものの、神通力ではとてもではないがかなわないというのは、誰もが知 るところである。

 策略があるといっても、たいしたことではなかった。年老いた道士に化け、 足を痛めたふりをして三蔵たちが通りかかるのを待っていた。三蔵なら放って はおくまい。
 いぶかしく思ったのは悟空であったが、前のことがあるので相手の出方を探 ることにした。
「お坊さま、助けてくだされ。この先の道観に戻る途中、虎に襲われましてな。 弟子は食われてしまうし、わたくしは転んでこの有様です。どうかそこまで送 りとどけてはくださらぬか」
「ええ、それは、難儀なことだったでしょう。わたしの馬に乗ってください」
 三蔵が譲ろうとすると、悟空はそれを手で制した。
「お師匠さん、おれがおんぶしましょう。足を痛めているのであれば、馬に乗 ることもままならぬでしょうから」
 そういって悟空はひょいと道士に化けた銀角を背負った。
「兄貴、珍しいじゃないか。また如意棒でたたき殺してしまうんじゃないかと ヒヤヒヤしたよ」
 悟浄は悟空に代わって手綱を引き、先頭をゆく。
「おれだって学習するんだよ」
 悟空もこれといって策略があるわけではなかったが、どうにかしてこの怪し げな人物を葬ろうと考えていた。
 その背中ではやはり銀角が虎視眈々と機会を狙っていた。どうやらこいつが 兄弟子らしい。しかも僧侶にお供していながら、荒々しいことを平気でやって ようだ。そういえば金角も小さなサルがやっかいだといっていた。こいつを先 に封じ込めればあとはちょろいもんだろう。
「じいさんや」
 悟空は老人に話しかけた。
「なんですかな」
「さぞかし、うちの師匠はうまいんでしょうなぁ。似顔絵を描いて行方を捜す ぐらいだから」
「なんの話しかね」
「どうせ食うのならおれにも半分くれや」
「お前にあげられるものか。俺の獲物は兄貴の物、兄貴の獲物は俺の物。お前 にやる分はない」
「それみたことか。貴様は蓮花洞の妖怪だな」
「ほぉ。わかっていながらなぜ俺をおぶっている? 悠長に構えている間にこ れをくらえ!」
 銀角は山を移す術を唱え、須弥山<しゅみせん>(仏教の世界観における山) を頭上に落とした。悟空は首をひねって交わし、左の肩にのしかかった。
「重身法というやつか? 山ひとつでおれさまを押しつぶそうっていうのか」
 銀角はまた術を唱え、峨眉山<がびざん>(四川省に実在)を落とした。こ れも交わし、右肩に大山が乗っかった。それでも悟空は三蔵たちのあとをつい て歩いていく。
「こやつ、山担ぎができるのか。でも、これはさすがに無理だろう」
 銀角は泰山<たいざん>(山東省に実在)を呼んで脳天に叩き落とした。悟 空の小さな体に3つの山が重なり、押しつぶされてしまった。哀れ、悟空は釈 迦が落とした五行山の下敷きにもなり、またもや3つも重なる大山の下敷きと なってしまったのである。
 地響きがしてようやくことの次第に気がついた三蔵と悟浄は、振り返って悟 空が身動き取れずにいるのを目撃することになった。本性を現した銀角は5つ の宝のうちのひとつ、七星剣を手に襲いかかってきた。悟浄は降妖杖で応戦す るが手強い奴だった。悟浄も身のこなしが早いのだが、七星剣は流れ星のごと く悟浄を斬りつけてくる。
 打ち負かされた悟浄は小脇に抱えられ、三蔵は腰ひ もをつかまれて宙づりにされ、白馬はたてがみを噛みつかれたまま、銀角は人 さらいの術で一陣の風を巻き起こし、悟空の見ている前で洞まで連れ去ってし まった。
 最後、不敵に笑って消えていった銀角の顔が、悟空には悔しくてたまらなかっ た。


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(C) Sachiyo Kawana