第六章 名物妖魔との戦い

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 八戒は碗子山波月洞へやってくるまでに、これまでのいきさつを悟空に話しておいた。抜かりのない八戒であるから、昼寝をしているうちに師匠が捕まってしまったこと、悟浄を置いて逃げ出してしまったことは、当然ながら誤魔化した。
「それじゃあ、お師匠さんは宝象国にいて、無事だというんだな?」
「そう。今は悟浄が捕まっている。妖怪をこてんぱにやっつけて姫を救い出し、国へ戻してあげよう。その国はえらく富を蓄えてるんだ。人参果よりも珍しい物が食えるかもしれないぞ」
「おまえはどこまでも間抜けだな。おれが黄袍怪なら宝象国に乗り込んで一暴れしているところだ。お師匠さん、もう食われちまったんじゃないだろうな」
「兄貴、縁起でもないこというんじゃないよ。きっとやつは師匠を人質に兄貴が来るのを待ってるさ」
「だといいんだが……」
 急にしんみりとなってしまった悟空は、それと悟られぬよう虚勢を張って付け加えた。
「おれが一番弟子でありながら、お師匠さんを天竺まで送りとどけることができなかったら、それこそ天界へも出入りできないほどの恥さらしになる。生きていてもらわなきゃ、困るんだよ」
「そうか、師匠がいなくなればこの旅も終わるんだな」
「おい、まさかそれを望んでるんじゃないだろうな」
 悟空は雲に乗ったまま八戒に近づき、胸ぐらをつかんだ。
「やだな、兄貴。そんなこと思ってるわけないだろ」
 悟空を呼び戻したのは良かったのか悪かったのか、八戒はすっかり悟空に頭が上がらなくなっていた。
「兄貴、よそ見してないで、あれが黄袍怪のいる洞窟だ」
 悟空が下を見おろすと、外では小さな坊やと娘が鞠<まり>で仲良く遊んでいるのが見えた。護衛の者なのか、手下と思われる妖怪が2匹うつらうつらと、うたた寝をしている。
「ふたりの子供ってのはあいつらのことか」
 悟空がいうと八戒は悔しそうにいった。
「あんな美人をモノにしやがって。ガキを見ているだけで腹が立ってならないよ」
 悟空は地上へと降り立って、子供二人の首根っこを乱暴につかんだ。悲鳴を上げる子供の声で眠気が吹き飛んだ手下たちは「しまった」と舌打ちしたとたんに青ざめた。親分の顔が頭に浮かんだのだ。
「兄貴は本当に女子供にも容赦のない人だなぁ」
 悟空のあとに続いて降りてきた八戒を見て、手下はますます慌てた。
「何しに来た!」
「主<あるじ>に孫悟空が来たと伝えろ。すぐさまおれさまの弟分の沙悟浄を返さなければ、子供の命はないものと思え」
 取り乱していた二人の手下は、洞の中へ引っ込んでいった。
「おい、ちょっとまてよ。大王は今、出かけているじゃないか。どうするんだよ」
「どうするもこうするも、子供が殺されてしまったら、おれたちは生きてはおられぬぞ」
「当たり前じゃないか。自分らどころか、親も、子供も、親戚も、一族みんな根絶やしにされるぞ」
 想像を絶する地獄絵にすくみ上がった二人は、悟空から子供を奪い返す度胸さえなくしていた。
「とにかく、お后に相談しよう。人質の命を預かっているのもあの人だ」
「うん、そうだな。あの人が人質を逃がしてやったと言ったら大王も納得されるに違いない」

 百花羞<ひゃっかしゅう>に報告すると、彼女は母親らしく、気丈な態度で門の外へと飛び出した。
「わたしの子供を放しなさい。正々堂々と戦わず、恥ずかしくないのですか」
「妖怪はどうした。女を対応によこすとは大した奴ではないな」
 悟空がいうと、百花羞はひるまずににじり寄った。
「あの人はわたしの祖国へ出向いています」
「やっぱりそうか。それなら話は早い。悟浄をここへ連れてきてくれ。おれは三蔵法師の一番弟子、孫悟空だ。敵ではない。妖怪を倒し、一気にケリをつけてやろう」
「それならどうして子供を放してくれないのです」
「あんたがあの妖怪に寝返ってないことをまずは証明してくれないとな」
「わかったわ」

 百花羞は洞内に戻り、悟浄の縄をほどいてやった。情の深い悟浄は一人で立ち去ることができなかった。
「姫、私を逃がしてどうするのです。あの妖怪は激情してあなたを傷つけますよ」
「あなたには借りがあります。わたしをかばってくれたんですもの」
「しかし……」
「外に兄弟子の孫悟空とやらが迎えに来ています」
「本当ですか!」
 悟浄の喜びぶりに、百花羞は少々たじろいだ。
「あなたの兄弟子は情けもなく、あなたよりもずっと小さくて細く、とても黄袍怪を倒せるようには見えないのですが、ケリをつけてやると息巻いています」
「師兄<すひん>は様々な術の使い手でもあって、あなたがお望みなら山よりも大きな姿に変わることだって出来るのですよ。もっとも、師兄ならば、『黄袍怪なぞ無闇にでかいだけ』というでしょうが」
 と、いいながら悟浄がにっこりと微笑むので、思わず百花羞も頬がゆるんだ。
「あなたがそこまで悟空さんを慕う理由が、わたしにはわかりかねますわ」
「確かに、あの人は無鉄砲だから、敵も多いですよ。でもね、人っていうのは深くつきあってみないとわからないものです。私にいわせれば、あなたこそどうしていつまでも黄袍怪そばにおられるのか、それこそ謎です」
「それは……逃げられなかったから」
「そうでしょうか」
 なんだか、百花羞は悟浄を正視できなくなってうつむいた。
「失礼。余計なことをいいました。……姫、あなたは親不孝者なんかじゃないですよ」
「そういってくださると、少し、心がやすまりますわ」

 二人そろって洞の外へと出ていくと、悟空は「遅かったじゃないか」と不満をあらわにした。
「兄貴が帰ってくるなんて信じられなかったんだ。ひょっとしたら、誰かが兄貴に化けてるんじゃないのかい?」
「アホいえ。それなら悟浄を釈放しろなどというものか」
 お互い、無言で見つめ合って、再会の喜びを確かめ合った。
 悟浄は八戒に向かっていった。
「てっきり逃げたと思ってぜ?」
 悟空もニヤリと笑って、「だろうと思った」といった。
「なにいってんだ。わしが兄貴を呼びにいったんだぞ。そうじゃなかったら、今頃みんな捕まってお陀仏だ」
「ま、いい。ことはトントン拍子に進んでる。あとは黄袍怪をとっちめるだけだ。だが、宝象国の城でそいつと戦うわけにはいかないな。よし、八戒と悟浄は子供を囮に奴をここへおびき寄せてくれ」
「ちょっと待ってください。子供たちを連れて行ってどうするのです」
「庭にでもたたき落とせば、きりきり舞になった奴が飛び出てくるだろう」
 卒倒しそうになる百花羞を悟浄は支えて、「姫、冗談ですよ」といった。
「兄貴は術が使えるといったではないですか。あそこに落ちている手頃な石を身代わりにするんですよ」
 悟浄がこっそりと睨むように訴えかけてくるので、仕方なしに悟空は子供たちを放してやった。子供たちは泣きながら母の胸に飛び込み、必死にすがりついていた。
 悟空と悟浄は子供と同じ背丈ほどの石を運んできて、
「さ、これに上着を掛けてくれ」
 といった。姫も手伝いながらそのようにすると、悟空は毛をむしり取り、ブッと息を吹きかけて呪文を唱えた。すると、姿がそっくりの子供に成り変わった。
「八戒、悟浄、頼んだぞ。おれはここで待ち伏せてるから奴をおびき寄せてくれ」
 八戒はそのうちの一人を抱きかかえて根を上げた。
「ひぃ。重たい」
「その石を黄袍怪の上に叩き落としてやれ」
「まったく、人使いがあらいなぁ」
 ぶつぶつ文句を言いつつ、八戒はそれを抱えて雲に乗り、悟浄と二人で宝象国へ向かった。
「さて、お姫さん、あんたたちはどこか奥の方に隠れていてくれ。ついうっかり主人を助けようと思って飛び出してしまいましたわ、なんてことになったら困るからな」
「そんなこと、いたしません」
「わからないぞ。もう、十数年も一緒にいるんだろ? 情が移ってしまっているとも限らない。おれはてっきり、あんたがやつれきってみすぼらしい格好をしているのかと思ったよ。一国の王女であることが信じられぬほどに、気品まで失われているんじゃないかってね」
 悟空の言葉がちくりと胸を刺した。百花羞は子供を抱きしめたままなにもいえなかった。
「本当は駆け落ちでもしたんじゃないのか?」
「……そう思われても仕方がありません。わたしは、親不孝な娘です」
「好き勝手に生きられないというのも可哀想なものだね。おれには親がいないから、あんたの気持ちはわかんないよ。おれにも親がいたら、如意棒を振るうたびに親の顔が思い浮かんだりするのだろうかな」
 百花羞はハッとさせられた。自分が親不孝だと嘆くのは、もしかすると、心のどこかではこのまま黄袍怪とずっと一緒にいたいと思っているからではないだろうかと。そのような後ろめたい気持ちが、自分は被害者であるということよりは、親不孝者であると思わせているのかもしれなかった。
 悟空は体をふるわせて百花羞に化けた。
「さぁ、奥へ行っててください」

 一方、八戒と悟浄は宝象国までやってきていた。都で一番立派な楼閣の上空 から大声で「黄袍怪、出てこい」と叫んでいる。朝廷の者たちがなんだ、なん だと、駆けつけ、にわかに騒がしくなってくると、酒に酔いつぶれていた黄袍 怪も外へと顔を出した。すると、逃げたはずの八戒と、捕らえたはずの悟浄が えらそうに自分のことを呼んでいるではないか。
「よぉ、大将、えらく美男子じゃないか」
 八戒が呼びかけると、黄袍怪は自分の役割を思い起こし、正義感あふれる婿 になったつもりで「悪党め成敗してやる!」と、腰に手をかけたが、刀は部屋 に置いてきたままだった。
「そう慌てるな。三蔵法師の一番弟子、孫悟空がおまえの城で待っている。最 後になるだろうから、義父に別れの挨拶でもしておくことだな」
 カッカッカと笑う八戒に続いて悟浄はいった。
「ほれ。土産だ」
 抱えていた偽物のせがれを放り投げた。八戒も娘を投げ捨てる。それが何な のかしばらく目を凝らしていた黄袍怪も、自分の子供だと気づいて慌てて降っ てくる二人を受け止めた。ずっしりと、石のように重かった。
「なんだ、これは」
 不審に思った黄袍怪がブッと息を吹きかけると、元の石に戻ってしまったの である。
「畜生め。ふざけたことを。せがれをどこへやった!」
 空を見上げると、もうすでに八戒と悟浄の姿はなく、怒り狂った黄袍怪は宝 象国王への挨拶もなしに帰っていった。
 そんなものだから、周りの者たちも礼儀のない婿をいぶかしく思った。さら に、婿を世話した女中が一人も出てこないので、部屋を覗いてみると、中は生 臭い血のにおいで満ちていた。黄袍怪が食べ残した女中の骨やら指やらが散乱 していて、瞬時には何が起こったのか理解できないほどであった。一夜明けて みてようやく婿のほうが妖怪だと気づいた次第で、僧侶の格好をしていた虎も 災いをもたらすとして、処刑されようとしていた。
 八戒と悟浄は三蔵のことが気になっていたので、黄袍怪に気づかれぬようこ っそりと宝象国にとどまっていた。そして、三蔵が虎の姿に変えられてしまっ たことを知ったのである。
 悟浄は今まさに殺されようとしている虎の前に飛び出した。
「おやめください! 妖怪の術で虎に変えられているだけです。私の師匠は釈 迦如来の詔により、天竺へお経を取りに参る途中です。それをどうして殺すこ となどできましょう」
「ならば、早く術を解きなさい」
「残念ながら私はもとに戻す術を会得しておりません。兄弟子があの妖怪を倒 したら、この術も解けるでしょう。それまでもうしばらくお待ちください」
「しかし、虎の姿に変えられ、正気を失っているのではないか。もし暴れ出し たら、そちが止めてくれるのか。まさか、師匠に対して乱暴などできるはずも なかろう。結局のところ、遅かれ早かれこちらの手に掛かってしまうのだぞ」
「いいえ。師匠は正気を失ってません。きっと、虎の姿になってから何も口に していないでしょうから、虎の本能に犯されているのなら、もうすでに私は食 われてしまっているはずです。師匠は生まれてこのかた、肉を口にしたことが ないのです。人肉なんてもってのほかです。それでももし、師匠が私を食べて しまったときには王様のご判断にお任せいたします。それまではどうか、見守 ってください。八戒も、こっちにきて頼んでくれ」
 いきなり名前を呼ばれてたじろいだ八戒も「早く」とせかされて、しぶしぶ 三蔵の隣にあぐらをかいて座り込んだ。虎になった三蔵は大きな舌で八戒の頬 をぺろりと舐めた。身が凍る思いで八戒は引きつった笑みを浮かべた。
「師匠、冗談がきつすぎますぜ」
 それを見て、宝象国王はもうしばらく様子を見ることにしたのであった。

 そんなことが起こっているとはつゆ知らず、悟空は百花羞の姿に化けて黄袍 怪が帰ってくるのを待っていた。腹を立てた黄袍怪は自分の洞をめちゃくちゃ にしてしまう勢いでやってきた。黄袍怪がものを言う前に、悟空はさめざめと 泣いた。
「お許しください。人質が奪われてしまいました。あの汚い顔をした豚の妖怪 が子供たちをさらってしまったんです。子供たちと引き替えにといわれたので、 人質を放してしまうと、卑怯なことに、妖怪たちは子供たちをさらってどこか へ消えてしまったんです。ああ、きっと子供たちはもう……。わたくしは胸が 痛くて、生きた心地がしません」
「よしよし、それは怖い目にあったな。大丈夫だ。わしがやつらを八つ裂きに してやろう。なにも心配することはない。わしの宝物をやろう」
 そういうと黄袍怪は腹に手を当て、上半身をくねらせると、玉のような物を 吐き出した。それは鶏卵ほどの大きさの内丹だった。
「これで痛いところをさするとたちまちにして痛みが治まる」
 悟空はそれを受け取って胸に当ててみた。ちっとも胸が痛くなかったので、 嘘だか本当だかわからないが、悟空は泣くのをやめた。
「楽になっただろう? だが、扱いには気をつけてくれよ。親指で弾くとたち まちにしてわしの本性がばれてしまうからな」
「それはいいことを聞きましたわ」
 ぽかんとする黄袍怪をよそに、悟空は玉を親指で弾いた。
「ぐわああああ。なにをする!」
 奪い返そうとする黄袍怪をかわして、悟空はその玉を飲み込んでしまった。
「あっ!」
「お遊びはここまでにしておこうか」
「なんだって?」
 悟空は元の姿に戻った。
「おおお、おまえ、いつからそんな姿に!」
 腰を抜かしそうになっている黄袍怪を笑い飛ばしていった。
「なにいってんだ。おれさまは三蔵法師の一番弟子、孫悟空だ」
「孫悟空……どこかで見たことがあるような……」
「寝ぼけてるんじゃない。さんざんおれの悪口をいっていたそうじゃないか。 おれは逃げたんじゃねぇぞ。故郷のことがちょっと心配になったから様子を見 てきただけだ。おれさまの如意金箍棒を受けてみろ。貴様も孫悟空にやられた と、たちまちにして有名になれるぞ」
「おまえなんぞ知らぬ。その減らず口を二度とたたけぬようにしてやる!」
「のぞむところだ! 久々に大暴れできるぜっ!」
 如意棒を手に持ち、くるりと身をひるがえして三面六臂に成り変わった。三 本の如意棒で阿修羅のごとく襲いかかる。それを見た黄袍怪は口笛を吹いて家 来どもを呼び集める。
「やろうども! かかれ!」
 一斉に襲いかかってくるが、悟空が如意棒を振るえば、羽根が舞うようにし て吹き飛ばされ、瞬く間に妖怪を一掃した。気づけば黄袍怪だけとなった。
「準備運動をさせてくれるとは気が利いてるじゃないか」
「ふうん。二番弟子よりは腕が立つみたいだな」
「貴様も、もっと腕の立つ家来を持っておくべきだったな!」
 悟空が襲いかかると黄袍怪も大刀で弾き返す。黄袍怪は怪力であるから、も う一本大刀を拾い上げると両刀遣いで斬りかかってきた。大刀を振り上げると ブゥンと唸り、刀と棒が混じり合えば轟音が響き渡った。
 両者互角の戦いで、一瞬の隙も油断ならなかった。ところが悟空は如意棒を 高く挙げ、「高探馬」の構えをとった。黄袍怪はしめたとばかりに懐へ飛び込 んで斬りつけようとする。悟空はすかさず「大中平」の構えに転じて刀をはた き落とし、「葉底偸桃」の構えから脳天に一撃を食らわした。その刹那、黄袍 怪の姿が見えなくなった。
「消えた!?」
 確かに手応えがあったはずなのに、黄袍怪は跡形もなく消えてしまった。き ょろきょろとあたりを見回すが、どこかに潜んでいる様子もない。斛斗雲に乗 って空からも探索してみるが、黄袍怪はどこにも見あたらなかった。
「あいつめ、どこへ身を隠してるんだ。何の気配もなく消えることが出来るな んて、ひょっとすると下界の者じゃないのではないか? そういえば、おれの ことをどこかで見たことがあるといってたな。噂で名前を耳にしていたとして も、姿まではわかるまい。だが、天界で会っていたとするなら……」
 悟空ははたと思いつき、腹に手を当て、上半身を揺すった。黄袍怪がやった ように、飲み込んだ玉を吐き出したのである。
「本性を現せ!」
 悟空が親指でピンと玉を弾くと谷底の方からうめき声が聞こえてきた。
「観念しろ!」
 またピンと親指で弾くと、川の中から黄袍怪が転がり出て、河原でばったり と倒れた。
「何者だ!」
 またピンと親指で弾けば、黄袍怪はとうとう本性を現した。
「おまえは!」
 悟空は雲をおろして本性を現した黄袍怪の身を起こした。黄袍怪が悟空のこ とを見たことがあるというのも当然のことだった。彼は天界の二十八宿の奎木 狼<けいもくろう>だったのだ。
「西方の星にいるはずのあなたが、なんでまた下界なんかにやってきたんだよ」
 すっかり正気を取り戻した奎木狼は悟空を見て「ああ」とうなずいた。
「見覚えがあると思ったら、弼馬温じゃないか」
 天界で馬の世話をしていたころの名前を言われてムッとしたが、すぐに取り 直して聞いた。
「だから、こんなところでなにやってんだよ。へまでもして玉帝に下界へ落と されたのか?」
「いや、違うんだよ」
 奎木狼はその場にぼんやりと座ったまま話し始めた。
「私は自らの意思で下界へくだってきた。というのも、私は披香殿で香を焚く 侍女と恋仲になってしまったんだよ。でも私は深い関係になることをはばかっ て、もじもじと煮え切らない態度をとっていた。そうしているうちに彼女は宝 象国の王女へ転生してしまったんだ。私が下界へ降りて妖魔となったのも、王 女と結ばれるため。こんな方法でしか、恋を成熟させることができなかった。 こんな、荒々しい方法でしか……」
「一国の王女だもんな。どこの馬の骨ともわからぬ、そんじょそこいらの男と 婚姻関係を結ぶはずがない。と、なると、無理矢理に、ということになるか。 しかし、人騒がせなことだよ」
 そのとき、天界から使いの者がやってきた。
「ああ、こんなところに」
「こんなところに、じゃないだろ。二十八宿を野放しにしていたのはあんたか」
 悟空がいうと、苦笑して使いの者はいった。
「申し訳ない。三日に一回点呼をしているのだが、奎木狼が四回も姿が見あた らなかったもので、それでこうやって探しに来たわけで」
「なんだよ。ずぼらだな。天界ではたった数日かもしれないけど、下界じゃ十 三年もたってるんだぞ。そりゃ子供だってできるはずだよ」
「あっ」と、奎木狼は大声をあげた。
「子供たちはどうしてる」
「無事だよ。姫と一緒に洞窟の奥へ避難してもらってた」
「そうか。百花羞にはなんていったらいいのか」
 奎木狼は沈んで目を伏せた。
「もう会わない方がいい。姫様もへんな気を起こしたらいけない。おれから黄 袍怪は死んだと伝えておくよ。姫様には忘れ形見がいる。おれが思うに、姫様 はあなたのことは悪く思っちゃいないよ。前世の因果だとは気づいてはいない だろうけど、不思議な運命を感じていたと思うね」
 奎木狼は、はらはらと泣きながら天に帰っていった。彼は罰としてしばらく 太上老君のもとで火焚きの仕事をしていたが、ことにまじめに働いていたとい う。

 悟空は碗子山波月洞を焼き払っておこうと戻ってくると、百花羞が子供と一 緒に様子をうかがいに外へ出てくるところだった。百花羞は悟空の姿を見るな り駆け寄ってきた。
「悟空さん、あの人は」
「姫様を無事に国へ送りとどけるよう頼まれたよ。最後まで、あなたと子供の 心配をしていた。あいつにも少しはいいところがあったらしい」
「そうですか……」
 百花羞は子供と抱き合いながら、涙を流した。
「それはどんな涙です?」
 悟空が尋ねると、「いえ……」というだけで百花羞は何も答えなかった。

 悟空が百花羞と子供たちを連れて宝象国に姿を見せたとき、悟浄はことの成 り行きがわからずにいた。
「兄貴、黄袍怪はどうしたんだ」
「おれさまが葬ってやった」
「けど……」
 と、悟浄は虎の姿のままの三蔵を見た。
「おい、もしかしてこれがお師匠さんじゃあるまいな?」
「そのまさかだよ」と八戒がふてくされたように言う。「いつ食われるんじゃ ないかと思うと、生きた心地もしなかったよ」
「ったく。世話が焼ける人だ。水を一杯持ってきてくれ」
 悟浄が持ってくると、水を口に含んで吹きかけた。すると三蔵は元の姿に戻 った。
「悟空……」
 いろんな思いが押し寄せて、それ以上の言葉にはならなかった。
「やめてくださいよ。お師匠さんにまで泣かれてはかなわない」
 百花羞が十三年ぶりに帰ったとあって、王をはじめ、国中が歓喜の涙であふ れていた。ただ一人を、除いては――。

続く……


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(C) Sachiyo Kawana