第六章 名物妖魔との戦い

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6-2-2 とらわれの姫君

 女は立派な着物を身にまとった、どこか気品のある美人だった。柱に縛り付けられている三蔵をそっと見ている。
「あなたこそ何をしているのです」
 と、三蔵は自分で言ってはたと気がついた。この女性はあの妖怪の后なのかもしれぬ。金色の宝塔を造らせるほどの財力がある者の妻としてふさわしいなりをしているじゃないか。絹織物の上品な艶と、帯に施された金がまばゆいばかりで、髪には翡翠のかんざしを挿している。三蔵の様子を見に来たに違いなかった。
「わたしを食べるのなら早くお食べなさい。あの妖怪の機嫌を損ねぬうちに、わたしをまんじゅうにでもしてしまったらどうです?」
「いえ、そんな! 私は人の肉など食べません。私のほうこそ、法師さまに助けていただきたいのです」
 女はかけよって三蔵の縄をほどいた。
「どういうことです。こんなことをすれば、あなたがあの妖怪に何をされるかわかりませんよ」
「大丈夫です。あの魔物は今、豚の姿をした妖怪と戦っております」
「豚……それはわたしの弟子です」
「まぁ!」
「今では仏門の道に帰依し、わたしのお供をしているのです。それより、あなたも囚われの身なのですか」
「私の故郷はここから西へ三百里ほどのところにある、宝象国というところにあります。その国王の娘で、名は百花羞<ひゃっかしゅう>と申します。13年前のことですが、お月見をしながら団子を食べていると暴風が吹き荒れ、私はこの洞窟へと連れ去られてしまったのです。無理矢理妻にさせられ、息子と娘ができました。両親とは会ってません。手紙を書くことすら許されないのです。どうか、この手紙を持って私の父へ届けてもらえないでしょうか。せめて生きていることだけでも伝えたいのです」
 そういって姫は三蔵に手紙を差し出した。三蔵はそれを受け取らず、
「あなたも一緒に行きましょう」
 といった。
「いえ、私がいなくなると、騒ぎになってしまいます。どうかあなた方だけでお逃げ下さい。今なら裏の門が薄手です。あなたが抜けたあと、私はあの魔物をそそのかしてお弟子さまもあなたのところへ向かうように申し伝えます。私なら大丈夫です。こうやって13年生きながらえたのですから」
 三蔵は手紙を受け取ると袖の中に入れた。
「かならず国王にお会いします。それまでの辛抱です。お父様が助けをよこしてくれるでしょう」
 三蔵は安らいだ表情を見せてその場をあとにした。

 百花羞は表門へと急いだ。黄袍怪はふたりを相手に互角にやりあっていた。他の者たちは固唾を呑んで見守っている。生半可に加勢をすると黄袍怪が機嫌を損ねることを承知しているのだ。我らが王が一人で敵を倒す。これこそ意義のあることだった。百花羞はそんなごっこ遊びのような戦いに水を差した。
「黄袍さま! 黄袍さま!」
 黄袍怪は妻の声を聞き分け、手下どもに八戒らの相手をさせると自分は百花羞のもとへ駆けつけた。彼にとっては我が子よりも大事な存在なのだ。子供は何人いようがひとくくりとしてしか考えられないが、百花羞はただひとつのかけがえのないものだった。
「どうしたというのだ。危ないから下がってなさい」
「私、怖い夢を見たんです」
「夢だって?」
「ええ、子供たちにお昼寝をさせていたらつい眠ってしまって。そうしたら、ここへお坊さんがやってくる夢を見たんです。それで、黄袍さまがそのお坊さんを食べてしまわれると、子供たちが突然苦しみだして、手もつけられないうちに皮膚がただれ、身がそげ落ち、ミイラのようになって……ああ、私、もう、恐ろしくて。どうかここへお坊さんがいらしても手出しはしないと誓ってくださいまし」
「ただの夢に怯えるとは、お前もかわいいな」
「ただの夢ではございません。黄袍さまもご存じではないですか。私は予知夢を何度も見ています。どうか、お願いです。もしそんなことにでもなったら、私も子供たちのあとを追って――」
「馬鹿なことをいうんじゃない。お前がいなくなったら、わしだって生きてはいけぬ。よし、わかった。みなのもの! 引き上げろ! それから唐僧の弟子ども! 坊主を放してやるからとっとと失せろ!」
 みな、呆気にとられた様子で洞の中へと入っていく。
「おい、誰か唐僧を放してやれ」
 と、黄袍怪がいうので何人かの手下が三蔵のところへといってみたが、もぬけのからだった。きっと誰かが逃がしてやったのだろうと気にとめることはなかった。
 一方、取り残された八戒と悟浄に姫がこっそりと近づいた。
「お弟子さま。あなたがたのお師匠さまはもう裏口から出て西へ向かわれてます。ここは気をお鎮めになって、お師匠さまを追ってくださいまし」
「あなたは?」
 八戒は思いがけぬ美女の登場に、危うく師匠のことを忘れそうになりながら尋ねた。
「私のことは法師さまにお話ししてあります。どうかご無事で」
 姫は早口で伝えると手下の妖怪に混じって洞の中へと消えた。
「くぅうう。師匠のやつ。いつの間にあんな美人と仲良くなったんだ。わしが捕まりたかったぐらいだよ」
 地団駄を踏む八戒に悟浄はあきれていった。
「なにをいってるんだ。馬を連れて師匠を追いかけよう」
「なぁ、悟浄よ。妻をめとってはいけないとしても、恋ぐらいはしてもいいんだろ?」
「馬鹿な。恋ほどあらゆる欲望を生み出す物はない」
「ははーん。さては悟浄、女に泣いたことがあるな?」
 悟浄は珍しく動揺し、
「だ、だからなんだというんだ。師匠だって女なんかにうつつを抜かすものか。悟空の兄貴だって――」
 ふたりは不意に悟空を思い出し黙りこくった。先に口を開いたのは八戒だった。
「ったく。兄貴はどこで何をしているんだか。のんきなもんだよ」
「誰が破門にさせたと思ってるんだ」
 ふたりはぶつぶつ文句を言いながら三蔵を追いかけた。悟浄はあまりに頼りない八戒に、自分が三番弟子であることもすっかり忘れて、喧嘩腰になってしまっていた。

 ようやく弟子たちが三蔵に追いつくと、三蔵は再会に喜んだ。
「よかった。心配していたのですよ。わたしは助かっても、あなたたちがどうなったのか気が気ではなかった」
「よくいいますよ。それにしてはずいぶんと身軽に遠くまで歩いているじゃないですか」
「よさないか」
 やけにつっかかる八戒をなだめ、悟浄はいった。
「師匠、兄貴は魔物のところにいた女性に軽くあしらわれて嫉妬してるんですよ。あの女性はなにものです? なぜ私たちを助けたりしたのでしょう」
 三蔵は預かった手紙を見せながら事情を説明した。すると八戒はますます口惜しそうに歯ぎしりした。
「王女か。どおりで品格が違うはずだぜ」
「とにかく。この恩義はうやむやにはできない。どうせ通行証もいることだ。国王に謁見せねばなるまい」

 しばらく行くと開けた街へとやってきた。唐の国境を越えて以来、これほどのにぎわいのある国は久しくなかった。三蔵は少しばかり故郷を思い出し、懐かしい気持ちに浸った。
 宮殿はことに立派で、隣接する御殿の数も並ではない。いくつもの楼閣に囲まれ、内庭にある竹林や蓮池も贅の尽くす限りで、この国の財力がうかがいしれた。
 三蔵は門番に声をかけ、通行許可の捺印を願い出た。門番は承諾し、唐の皇帝の勅令が書かれた通行証のみを持って入ろうとするので、「実は行方知れずになっている姫君のことでもお話し願いたいのですが」と申し出たら、しばらく待つようにいわれた。そうして何分も経たぬうちに王の間へ通された。
 国王はきらびやかな錦を羽織って玉座に座っていたが、娘をなくしたせいか、老け込んで見えた。あの娘の年齢なら、父の国王とて、それほど年はとっていないはずだった。
「唐の僧侶と伺いましたが」
「左様でございます。わたくしは唐より旅をしてきた者で、天竺へ経典を取りに参るところです。そして国へと持ち帰り、教えを伝えることがわたくしの使命です。その途中、わたくしは魔物につかまり、洞穴の中で女性と出会ったのです」
「それが私の娘だと?」
 三蔵は百花羞から預かった手紙を文官に渡した。文官は広げて読もうとしたが、王はそれをよこすようにいい、自ら目を通した。そこには確かに娘の名前、百花羞と書かれてあった。
 13年前のことが思い出される。まだ百花羞も幼く、ようやく姫君としての自覚が持てるようになったころであった。どれだけ成長しただろうか。王には想像もつかなかった。つたない文章を目にしながら涙した。今頃は王女としての教育も受け、婿ももらって幸せな生活を送っていたはずなのに。
「いや、しかし、生きているだけでも――」
 王は涙で声を詰まらせた。
「姫君は生きていることだけでも伝えたいとおっしゃってました」
 三蔵がいうと、王は何度かうなずき、そして立ち上がった。
「百花羞をさらった魔物をなんとしてでも捕らえる! なにかよい知恵はないか」
 何十人といる周りの者たちは、皆一様に顔を見合わせるだけだった。これだけの財力をどのようにして蓄え、そして守り続けたのか不思議なのだが、この国の者は戦いに不得手だった。
 そのとき、入り口の方から騒がしい声が聞こえ、先陣切って八戒が乗り込んできた。兵士たちが止めようと必死になっているのを薙ぎ倒している。
「なんと! あれが娘をさらった魔物か!?」
「いえ、違います」三蔵は慌てていった。「あれはわたくしの弟子で、八戒と申します。これ、八戒。なにをしてるんです。みなが怖がるから外で待つよういったではないか」
「師匠があんまりにも遅いんで、魔物の遣いに間違われたんじゃないかと心配して来たんじゃないですか」
「失礼なことをいうんじゃない。――王さま、あの者は怖い顔つきをしておりますが、前世は天界の将軍で、軍を率いて戦いをしたこともあると聞いております」
「それはすばらしい。みなのもの、引き下がりなさい。そのお方はこちらの僧侶のお弟子さんだ。八戒どの。娘をさらった魔物を捕らえてはくださらぬか」
「おやすい御用です」
 八戒は大きな気になっていった。
「それは頼もしい。姫を救い出した暁には思う存分褒美をとらせよう!」
 思いどおりの展開に浮かれた八戒は宮殿を飛び出し、雲に乗って魔物が巣くう洞へ向かった。それを悟浄が追いかける。
「なんだ、悟浄、お前も褒美が欲しいのか」
「その前に死んでしまったらなんにもならないだろう? さっきだって2人で戦って互角だったんだ。兄貴一人で打ち負かせるとは到底思えないよ」
「うーん、どうしたものかな。あいつをどうやって倒そう」
 八戒は思案しながら、もう褒美をもらったつもりで、正面切って乗り込んでいった。

 門番をしていた妖怪を突き飛ばすと、八戒はまぐわで門扉を叩き、大きな穴 を開けた。
「おーい、大将! さっきのケリはまだついてないぞ。早く出てこい」
 中で眠っていた黄袍怪は不機嫌そうに目を覚ました。
「何の騒ぎだ。さっきのケリとはなんだ。豚野郎とひょろひょろの青っちろい 和尚のことか? 唐僧を逃がしてやったというのに、図々しい野郎だ」
 即座に黄金の鎧を身にまとうと門の外へ飛び出した。血走った眼球で八戒と 悟浄を捕らえると空が割れんばかりに吠えたてた。
「礼儀知らずめ。お前らの師匠はどこだ。もう食わないと腹の虫がおさまらん ぞ!」
「わあああ、違う、違う、さっきのことはさっきのことだ。今は違うことで来 ている」
 少々怖じ気づいた八戒は威勢をなくして、国王の後ろ盾があることをほのめ かした。
「お前は宝象国の姫君をさらい、無理矢理妻にしたそうじゃないか。13年も そばに置いておけばもう充分楽しんだだろう。わしらは姫君を連れ戻しに来た。 これは国王の命令だ。おとなしく手を後ろに回して縄で縛られろ」
「無理矢理だと? お前ごときに、わしの気持ちのなにがわかる!」
 黄袍怪はいきりだち、気を高めると、轟々と大地を揺るがした。
「なんだよ、こいつは」悟浄は警戒して宝杖を構えるが、ニヤリと笑った。 「意外と純愛じゃねぇか」
 八戒はその隣でこそこそと「死刑だぞ」と叫んでいる。
「大罪を犯したつもりはない」
「姫の操を奪っただけでも充分死に値する。それも、13年も拘束しておいて。 身の程を知れ! お前に宝象国の姫君は不釣り合いだ」
「わしが亭主だと宝象国王の面子を潰すとでも?」
「わかってるじゃないか」
「ふん。それならお望み通り、叩きつぶしてやる! 使いっ走りどもめ!」
 黄袍怪は大刀を真一文字に切った。八戒は動きが遅れて、出っ張った腹に巻 かれた帯がすっぱりと切れてしまった。
「ひぇ!」
 着物がはだけ、まぐわを振るうのを妨げる。二人は必死に黄袍怪の攻撃を受 け止めるが、反撃には出られない。このまま体力の続く限りやり合ったとして も、やはり勝機はなかった。
「おい、悟浄。わしは帯を結びなおしてくる。しばらく持ちこたえてくれ」
 いうが早いか八戒はその場から逃げ出して草むらに隠れた。
 悟浄と黄袍怪の勝負になり、両者の動きがぴたりと止まった。
「どうした妖怪」
 悟浄は牽制するようににじり寄る。
「たかが僧侶の護衛のくせに、強がりはそのくらいにしておけ」
 悟浄が振りかざした宝杖をあっさりと受け止めると、力任せに押し返し、は じけ飛ばされた後ろに回り込んで首根っこをつかみ、ギロチンのような大きな 刃を首に当てた。
「よぉ、どうだい。兄弟に裏切られた気分は?」
「あいつは助けを呼びにいったんだ」
「ほぉ。唐僧のところでも行ったか? こっちから迎えに行ってやる。来い!」
 悟浄を捕らえて黄袍怪は洞窟へと戻っていった。

 細君が眠る部屋へやってくると悟浄を投げ飛ばした。百花羞<ひゃっかしゅ う>は目を覚まして驚きのまなざしで黄袍怪を見上げた。
「どうなさったのです」
「よくもわしをそそのかしたな。あの僧侶と仕組んだだろう。逃してやった弟 子がわしを捕らえにやってきた。宝象国へ行き、王に助けをよこすようにいっ たな?」
「わ、わたしは、ただ……」
 おびえるばかりの百花羞に悟浄は身を立て直して黄袍怪の前に立ちはだかっ た。
「待て。彼女は私の師匠に会ってなどいない。私たちは西へ経典を取りにいく ため旅をしている。その途中でたまたま宝象国を通りかかったところ、行方知 らずの姫がいることを知ったんだ。私と八戒はお前と戦っているときに洞窟か ら出てきた姫君の顔を見ている。だから国王に所在を伝えた」
「嘘ばかり言いおって。会ったばかりの女にどうして情けなどかける?」
「おぬしこそ、少しは妻を信じたらどうだ」
「お前こそ人間なら人間らしく、浅ましいところでも見せたらどうだ」
 またしばらく睨み合ったが、黄袍怪は刀を握りなおしていった。
「わしは宝象国へ行って来る。お互いを見張り合っていろ。どちらかを逃がし たら命はないものと思え。どちらも逃げたときは、百花羞、お前の父を殺し、 国を滅ぼしてやる」
「はじめからそのつもりで行くんだろうが」
「国を滅ぼすのと、乗っ取るのとでは意味合いがまるで違う」
「やはり、そのつもりで姫を」
「見くびるな。そのつもりなら、とおの昔に出向いてる」
 そう言い残して黄袍怪はひとり宝象国へ向かった。
 姫はベッドにひれ伏し、さめざめと泣いた。
「わたしはお父様に無事を伝えたかっただけなのに。わたしは国へは帰れなか った。あの人が怖いんじゃなくて、あの人を、心のどこかで……。こんな親不 孝者が父を懐かしんではいけなかったのです」
 悟浄にはかけてあげる言葉も見つからず、ただ姫君が泣きやむのを見守るこ としかできなかった。

 黄袍怪はひとまず様子を見るために術を使い、身なりのいい美男子に成り代 わった。どこかの王子と見間違うほどに、凛とした勇ましさで、物怖じしない 堂々たる態度で宮殿の前にやってきた。
 門番の兵士に「三番目の婿がやってきたと伝えてくれ」と言付けた。二人の 婿しかいないのにおかしなことを言う奴だと思ったが、兵士はその旨を告げた。
 それを聞いていた三蔵は百花羞を軟禁している妖怪だと思った。王に相談さ れ、三蔵は「妖怪はいくつも術を持っているものです。断っても、いずれは入 ってくるでしょう。癇癪<かんしゃく>を起こす前に話を聞いてみるのはどう ですか。はじめから国王に刀を向けるつもりなら手順は踏まないはずです」と いった。
 王はもっともだと思って黄袍怪を通した。娘が逃げ出せぬほどの恐ろしい妖 怪を想像していた王は、術を使って姿を変えていた黄袍怪に目を丸くした。目 の前にいるのは、どこの社交界に出しても恥じぬほどの立派な青年だったので ある。
「そなたはどこの国の者です。娘をさらってここへ帰そうとしないというのは、 本当にそなたか?」
 黄袍怪は一礼してうやうやしく答えた。
「わたくしはここより三百里東の山にある碗子山波月洞の者でございます。 13年も音沙汰がなくては、さらわれたと思われても仕方のないことです。で すが王様。わたくしに事情を説明させてください。わたくしは弓道や馬術を得 意とし、狩りを生業<なりわい>としております。ですから三百里も離れた場 所へ遠出することはざらにあるのです。そこである娘が虎に襲われていたので す。着ている物がぼろぼろになり、引きずり回されておりました。わたくしは ようやくのことでその娘を助け、連れ帰ったのですが、あまりのショックで記 憶をなくしてしまっていたのです。失礼ですが、王様、その娘は着ぐるみはが され、襦袢しか身につけておりませんでしたゆえ、まさか一国の王女であると は知る由もなかったのです」
「なんということじゃ……」
 王はすっかり信じ込み、言葉をなくした。
「もうそのことは忘れさせ、わたくしはその娘を嫁にし、仲むつまじく暮らし ていました。そうしたら先ほど豚の妖怪と人相の悪い和尚がやってきて、わた くしに襲いかかって来るではありませんか。話を聞けば、わたくしが嫁にした 女が、一国の王女で、行方知らずになっていることを王が嘆き悲しんでいるこ とを知りました。それでわたくしはピンときたのです。王様のおそばでそその かしている者こそ、わたくしが取り逃がしてしまった虎の妖怪であると!」
「まことか!」
 王は立ち上がり、三蔵から一歩後じさった。
「いえ、違います、王様。この男こそ妖怪です」
 と、三蔵はつたない口調でいうが、黄袍怪も切り返す。
「いえ、違います、王様。この男こそ妖怪です。経典を取りに行く僧侶を襲い、 持ち物を奪い去って入れ替わっているのです」
 王も混乱してわけがわからなくなり、黄袍怪にいった。
「どちらのいうことが本当なのか、証拠を見せてくれ」
「はい、王様。それでは一杯の水をいただけませんでしょうか」
 王は一杯の水を運ばせると黄袍怪に渡した。黄袍怪は水を口に含み、術を唱 えてブッと三蔵に水を吹きかけた。すると、三蔵は虎の姿に変えられてしまっ たのである。
 虎の姿に変えられても正気だった三蔵は、何とか王に弁明しようと口を開く が、王に向かって吠えたてる格好となってしまい、王は怯えて立ちすくんでし まった。
 黄袍怪はそれ見てすかさず三蔵に飛びかかり、素手で押さえつけた。家来ど もに鉄の鎖を持ってこさせ、外の小屋に縛り付けておいた。

「まったく、そなたにはなんとお礼をいったらいいものか」
 王と黄袍怪は酒をくべ交わしながら談笑していた。
「わたくしのほうこそ、知らなかったとはいえ、13年もの間、姫の故郷を探 そうともせず、失礼なことを」
「いやいや、娘の命を救い、危うく乗っ取られるところだったこの国まで救っ たのだ。そなたのことは頼りにしている。私には二人の婿がいるが、どちらも 貴族出身でいざというときにあてにならん。どうだろう、末娘の婿であるが、 この国を継いでもらえぬだろうか。品行といい、手腕といい、またとない逸材 じゃ」
「光栄なことです」
「して、娘は元気かね?」
「ええ。今は身ごもっておりますゆえ、三百里の道中、連れ帰るわけにはいき ませんでしたので、信頼できる部下に守護をさせています」
「ほう、そうか。めでたい、めでたい」
 しばらく二人は酒を飲んでいたが、王は先に休ませてもらうと床についた。 黄袍怪は多くの女中を侍らせ、夜中まで宴を続けたが、酔いが回り、見境がな くなって部屋にいる女たちをぺろりと平らげてしまった。
 宴の間でなにが起こってるとも知らず、宮殿の者たちは噂し合った。三蔵と 名乗る男が本当は虎の妖怪で、行方不明になっていた姫の婿があばいたと。
 納屋でそれを耳にした白馬の姿をした龍は心中、穏やかではなかった。確か、 八戒と悟浄がその妖怪を捕らえにいったはずだった。しかし、こうやって妖怪 がやってくるということは二人とも無事ではないのかもしれない。三蔵も虎に 変えられて捕らわれているというし、明日にでも処刑が行われてもおかしくは なかった。
 こんな時に悟空がいたらなんとかするのだろうが、悟空はこの事態を知らな い。自分が何とかしなければと、白龍は術を使って女に化けた。線が細く、あ でやかで、こんな女なら気を許さぬ男はいないだろうというほどに美しかった。 実際、廊下ですれちがった家来に「顔を見ぬ者だが、なにをしてる?」と呼び 止められても「三番目の婿殿にご奉仕を。どちらの部屋におられますか」とい えば愛想良く道案内をしてくれた。
 黄袍怪のいる部屋に入ると、長い裾を引きずってそばへすり寄った。
「おひとりですの?」
 白龍はあぐらをかいている黄袍怪の膝の上に手を載せた。
「おまえは誰だ」
「わたくしは男を喜ばせるためのあらゆる技巧を身につけていますの」
 そういうと、白龍はさかづきに酒をついだ。
「おい、こぼれるぞ」
 酒はなみなみとつがれたが、白馬はなおも酒をついだ。不思議なことに酒は こぼれず、飯を盛るように酒が高く盛られた。「逼水法<ひつすいほう>」と いう、白龍得意の水を押さえる術を使ったのだった。
「ふうん。他には男を楽しませるどんな技巧が?」
 と、黄袍怪はやらしい目つきで白龍をなめるように見定めた。
「踊りを」
「やってみろ」
「素手ではおもしろくありません。腰に差した剣をお貸しください」
「いいだろう」
 黄袍怪は女の腕ほどの長さがある細い剣を渡した。白龍はそれを手に持つと 舞うように踊り、自ら着物の裾を切り、袖を切り、帯を切り、胸があらわにな るのもかまわずに腰をくねらせた。
「おい、もういい、近くに寄れ」
 白龍はさっと近づき、剣を振り上げて黄袍怪の首へ刃をおろした。しかし、 その寸前のところで素手で止められた。白龍が剣を抜くと手のひらからは血が 流れた。
「おまえは誰だときいている」
 黄袍怪は滴った血をなめて白龍に吹き付けた。普通の女なら焼きただれて苦 しみあえぐところだが、龍王の息子には通用しなかった。黄袍怪はそのことに 驚き、立ち上がった。
「ただ者じゃないな。さては……唐僧にまだ弟子がいたのか?」
「おれは三蔵法師がつれていた白馬だ」
「そんな奥の手があったとはな」
 黄袍怪は脚の長い燭台を手にとって白龍に襲いかかってきた。剣でもってそ れをかわすが、やはり歯が立たない。力任せに殴りかかられ、剣を持つ手がし びれて剣を落としてしまった。剣を拾い上げた黄袍怪は斬りかかり、よけきれ なかった白龍のくるぶしをかすめた。
 勝てないと思った白龍は外に飛び出し、池に飛び込んで龍に姿を変えて逃げ ていった。
「もう邪魔者はいないだろう。あの豚野郎も逃げて正解だ。わしに勝てる者な どいるものか」
 黄袍怪はひとり、また酒を飲み直した。

 一方、草むらに逃げ込んでいた八戒は、悟浄が捕まるのを見ていて、このま までは師匠に合わせる顔がないと思っていた。
「ここはひとつ……頭を下げるのはいやだけど……」
 八戒は助けを呼びにいったふりをして、逃げたことをうやむやにしてしまお うと考えた。
 向かった先はもちろん、悟空の故郷である。

 悟空を破門にしてしまったのは他ならぬ八戒なのだから、当然気が重かった。これでも兄弟子である悟空に対して後ろめたく思っており、正面切って訪ねていくことができなかった。
 八戒はこそこそと周辺をかぎ回って様子をうかがった。悟空は混沌としていた花果山を平定し、王の座について近辺の獣や妖魔たちを従えていた。
「悟空のやつ、山をひとつ手中に収めて暮らしているのか。坊主の護衛をしながら旅をするよりずっと居心地がよさそうじゃねぇか。こりゃあ失敗した。早く連れ戻して、戦力にしたほうがずっといい」
 とは言ったものの、なんと切り出したらよいかわからない。口のうまい八戒もこのときばかりは妙案が浮かばなかった。
「なんだよ、なんだよ。兄貴だって結局はお釈迦様の手のひらから逃げられなかったくせに。師匠に破門されたからって、どうして兄貴だけ自由にいられるんだ。わしもこのまま逃げてしまおうか……」
 妖怪豚がうろうろとしていることは、花果山のサルたちに気づかれていた。まさか悟空の兄弟とも思わないので、花果山を偵察にきたこわっぱだと勘違いしたサルたちは八戒の周りを取り囲み、隙を見て捕らえてしまったのである。
「なにをするんだサルども! わしはおまえさんたちの王の親戚だ。放せ!」
「寝ぼけたことをいうんじゃない。豚のくせに大王と親戚とは」
「いいから悟空にあわせろ! 師匠が危機にさらされてるんだ。見殺しにする気かと伝えてくれ」
 サルたちは皆、一様に顔を見合わせた。悟空の師匠とは、いかほどの人物なのか。とりあえず、捕らえた者の始末をつけるべく、大王に報告することにした。

 縄で縛り上げられた八戒は玉座に腰掛けている悟空の前に投げ出された。
「大王様、この者がお話があるというのですが、面識がおありなのでしょうか」
「ふん。このような者は知らんなぁ。お前たちの好きにしていいぞ」
 冗談ともつかぬ顔でいうので八戒は慌てた。
「お、おい。なにをぬかしてるんだ、兄貴。ずっと三蔵法師のお供をしてきた八戒じゃないか。まだ幾日も経っていないのに忘れるはずがないだろう」
「奇妙なことを言いやがる」
 悟空がいうと、八戒を捕らえたサルは、
「先ほども森をうろうろとしながら、大王様の悪口を申しておりました」
 と、悟空をあおる。
「ううう、嘘言え! 兄貴、そんなことわしが言うはずないじゃないか」
「おまえなら言いかねないなぁ」
「ほら、兄貴、わしのことを知ってるじゃないか」
 八戒のいうことなどまるで耳に届かなかったように、悟空は立ち上がった。
「よし、おまえたち、みんな棒を持ってきて20回ずつ叩け。そして最後におれさまの如意棒であの世へ送り出してやろう」
 サルたちは棒を握りしめ、悟空の合図を今か今かと待ち受けていた。すっかり怯えあがった八戒は頭をこすりつけてわびた。
「待ってくれ! 兄貴、許してくれ! わしが悪かった。この通りだから許してくれ。わしがここで死んでしまったら、師匠はどうなっちまうんだよ。わしはどうなってもいいが、師匠は天竺へお経を取りに行かなくちゃならないんだろう?」
「本当に自分はどうなってもいいと?」
「兄貴、意地悪だな。それは言葉のアヤじゃないか。本当に師匠が危ないんだよ。機嫌を直してくれよ」
「お師匠さんになにがあったんだ。魔物に襲われそうになったらおれの名前を出せといっただろう」
 このとき八戒はようやく妙案を思いついた。兄貴はプライドがひどく高い。自尊心を傷つけられるようなことをいえば、怒り出さないはずはなかった。
「もちろん、言ったさ。ところが師匠をさらった黄袍怪というやつは、悟空という名前を聞いたとたんに鼻で笑ったんだ。やつが一番弟子ならたいしたことないなと、兄貴のことを馬鹿にして、もしそいつに勇気があるのならかかってくるがいい、皮をはいで骨抜きにして、骨の髄までしゃぶって平らげてやるなんて、ゲラゲラ笑いながらほざいていた」
 それを聞いた悟空は頭のてっぺんにまで血がのぼり、いてもたってもいられなくなった。
「兄貴のこと、こうも言ってたぜ。破門なんてうそっぱちだ。一緒に旅を続けないのは、妖怪に出くわすのが怖くて逃げ出したんだろうって」
「冗談じゃねぇ。破門されたあげくにそんなこといわれたんじゃ、孫悟空の名がすたる。お師匠さんがなんと言おうと、おれは戦う。おれは自分自身のために戦うんだ」
 心を決めた悟空に、寂しそうな顔をするサルたちが問いかけた。
「大王様、行ってしまわれるのですか」
「すまないが、おまえたちでこの花果山を守ってくれ。おれの仕事が終わったとき、またここで遊んで暮らそうじゃないか」
 こうして八戒は釈放され、悟空と共に三蔵を助けに向かった。

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