第六章 名物妖魔との戦い

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 悟空がいなくなってから、八戒は三蔵を乗せた馬の手綱を引き、一行を先導 した。悟浄は荷物を担いであとからついてくる。平穏な道中だった。
 三蔵にとっての一番弟子でもあり、この旅の最初からお供をしてきた悟空が いないことに、どこか寂しく、頼りない感じがしていた。だが、そんなことは ふたりの弟子を前にして言えなかった。そもそも、悟空が殺生を繰り返し、仏 門に帰依しないのは自分の導きが甘いからなのだと、三蔵は己の力のなさも実 感していた。
 丸一日歩き続け、気づけば日が暮れていた。悟空が視察してきたとおり、歩 けども全く人の気がない。
「八戒や、今日はこのへんで休もうか」
 野獣が襲いかかってきそうな森の深いところだったが、仕方なしに三蔵は言 った。
「そうしましょう。腹が減って死にそうです」
 悟空が桃をとってきて以来、何も口にしていなかった。この辺りは松が多く、 食べられるような物はなにもない。一行は腰を下ろして休んでいたが、空腹に 我慢できなくなった八戒は立ち上がって荷物から鉢を取りだした。
「どこへ行くんだね?」
 三蔵が問うと、
「托鉢してきます。兄貴が……いえ、悟空が殺してしまったけど、人が歩いて るのだからこの近くに人家があるはずです。飯をもらってきますよ」
 と、八戒は短い足でスタコラと森の中に入っていった。
 きっとすぐ近くに集落があるはずだと早足で進んでいったが、その気配は全 くなかった。歩き疲れてこれ以上先に進む元気もなくなった。だからといって このまま引き返せば、大した距離も探さぬうちに戻ってきたと思われてしまう。 第一、戻ったところで師匠に飯を食わしてやることも出来ないのだから、ここ で少し時間をつぶしてから帰ろうと思った。そう決めるが早いか横になるなり 眠りに落ちてしまったのである。

 待つ方の身は時間が長く感じるものである。八戒が眠っているとも知らない 三蔵は、何かあったのではないかと心配していた。
「お師匠さまは心配しすぎですよ。八戒の食い意地をご存じでしょう。きっと 鉢一杯で3人分は足らぬと、自分は腹一杯ごちそうになってるに違いないです。 私がちょっと様子を見てきましょう。酒でも飲みながら一服しているかもしれ ませんしね」
 悟浄は三蔵を置いて八戒のあとを追いかけた。しばらく待っていた三蔵だが、 ふたりがこっちへ戻ってくるのを待つよりは追いかけた方が少しでも先へ進め るだろうと、荷物をまとめ、馬に載せると手綱を引いて歩き始めた。
 ところが三蔵はふたりの行った方とは違う方へと歩いてしまった。もともと 道なんてものはないから、西へ進んでいるつもりでも違う方へと行ってしまっ たのである。
 しばらく行くと金色に輝く光が木々の間から垣間見えた。なんだろうと近づ いてみると、それは月明かりに反射する宝塔であった。塔というのは仏舎利を 納める意味合いの物であり、その近くには仏像をまつるお堂や僧侶が住まう家 があるはずだった。
 弟子たちもここへやってきたに違いないと三蔵は迷いもなく塔へとやってき た。他にはなにもなく、三重の塔がぽつんと立っているだけだった。塔の入り 口には簾<すだれ>がかかっており、人の気配がしたので三蔵は声を掛けた。
「どなたかおられますか。わたくしの弟子がお世話になってると思うのですが」
「待ってましたよ、和尚さん」
 不気味に笑って出てきたのは醜い妖怪だった。ハ虫類のように血色が悪く、 顔から手足から疣<いぼ>だらけだ。
「おい、野郎ども、かかれ!」
 妖怪が叫ぶと一斉に塔の中から様々な妖怪が飛び出して、腰を抜かす間のも なく捕らえられてしまった。
「あなた達は何者です。どうして宝塔にいるのです。住職はどうしておられる のです」
「うるさい坊主だな。この塔は見かけだけだ。仏などクソくらえだ。この塔を 建てておくだけで、森で迷い込んだ僧侶やなにやらが安心して訪ねてくる。い わば、人間を捕まえるための囮<おとり>だ」
「なんてことですか。釈迦如来を馬鹿にするにもほどがある」
「知ったことか。我々は現世にも来世にも期待はしてない。醜く生まれた者は 醜く生まれた者同士、こんな辺境地で醜いことをして生きるしか術<すべ>が ない」
「今ある姿は前世の行いを現しています。こんなことを繰り返していては何年 かかっても解脱出来ませんよ」
「悪いが、こういう生活もまんざらじゃないんでね」
 表情一つ変えずにハ虫類男は手下の者に「連れて行け」と命令して、自分は また塔へと戻っていった。

 三蔵が連れてこられたのは、近くにある気味の悪い洞窟だった。
「わたしの弟子もここにいるのか」
 と、尋ねれば、妖怪どもは顔を見合わせて首を傾げるだけだった。
 中ではひときわ不気味な妖怪が手下どもを侍られて酒を飲んでいた。
「大王さま、一人僧侶を連れて参りました」
「上物じゃないか」
 ぎらついた金色の目で三蔵を見ると、舌なめずりをした。とがった大きな口 をしており、獣を食いちぎって血が滴っているように髭が赤く、顎を撫でた拳 は己の顔よりも大きかった。黄色の袍を片方の肩だけに羽織り、見事な胸の筋 肉を見せつけていた。
「どこの者だ」
「わたしは唐の皇帝に使わされ、天竺へ経を取りに参るものです。先ほど塔へ も立ち寄りましたが、あれはあなたが造らせたのですか」
「崩れかかっているのを建て直してやったんだ。すると、今までは見向きもし なかったのに、金ぴかの塔を見つけると人は助けを求めてやってくる。この醜 い容姿におののきながらも、食べる物を分けてやるとすっかり打ち解け、一晩 泊めてやるとこの恩は一生忘れぬといいながらも、無事里へ帰ればここのこと はすっかりと忘れてしまう。人間というのは身勝手な生き物だ」
 三蔵には返す言葉もなかった。自分が食われてしまうことが、とんだとばっ ちりだとしても、三蔵にはそれを受け入れる覚悟が出来ていた。
「わたしはここで命を落としも、また修行に勤しむでしょう」
「おもしろい。そうしたらまたわしが食ってやろう」
 挑戦的な態度で大王は言った。どうせこいつもいざとなれば命乞いをするだ ろうと思っていた。
 三蔵を捕らえた妖怪の一人が一歩進み出ていった。
「大王さま、この者は弟子とはぐれたようです。森の中にまだいるかもしれま せん」
「そうか。ヤツらも残らず引っ捕らえろ。宴はそれからだ。この和尚は身がき れいそうだから刺身にして食おう。それまでどこかに閉じこめろ。決して傷を つけるでないぞ」
「ははっ」
 また別の妖怪が頭を下げて言った。
「唐僧が連れていた馬はどうしましょう」
「外につないでおけ。弟子が馬に気づいて、のこのことやってくるかもしれん からな」
「かしこまりました」
「夜明けまでには必ず唐僧の弟子を連れてこい! 他の者たちは宴の準備にか かれ!」
 蜘蛛の子を散らしたように、手下の妖怪は直ちに取りかかった。

 三蔵が死の覚悟をしたとき、ちょうど悟浄が八戒を見つけたところだった。 「まだ足りぬ、まだ足りぬ」と寝言をいいながら、いびきをかいて眠りこけて いた。
「おい、兄貴! 八戒! 豚! 起きろ!」
 悟浄は襟ぐりをつかんで八戒を揺すり起こした。
「ナニ。今、わしのことを豚といったのか」
 寝ぼけ眼で八戒はつかみかかった。
「ああ、そうだとも。早く起きてくれよ。師匠が心配しているというのに、な んでこんなところで寝ているんだよ」
「食う物がなくて、情けなくて、申し訳なくて、帰れなかったんじゃないか。 そうしたら、泣き疲れて寝てしまったんだよ」
「まったく、兄貴の嘘には呆れるよ。さぁ。師匠のところへ戻ろう」
 悟浄は八戒の袖を引っ張ってもとの場所へと戻ってきた。
「おかしいな。師匠はどこへ行ったんだろう」
 悟浄がいうと、八戒はまだ眠たそうにあくびをしながらいった。
「道を間違えたんじゃないか。師匠が一人で歩いていくはずがない」
「いや、あれを見ろよ」
 悟浄が指さす方を見ると、草がほのかに青白く光っていた。
「馬の小便だ」
「馬の小便だって? 小便が光るなんて聞いたことがない」
 八戒は目の錯覚だとでも言いたげに目を擦った。悟浄は興奮して光る部分に 見入っていた。
「忘れたのか。あの馬はもとは西海龍王敖閏のせがれだぞ。龍の小便から瑞草 も生えるって話しだ。白馬は私たちに印<しるし>を残していったんだ。追ってみよう」
「まだ歩くのか?」
 うんざりとしながら八戒は悟浄のあとをついていった。
 ほどなくして金に光る宝塔を見つけた。ふたりは顔を見合わせて走り出した。 あそこなら師匠が立ち寄ったとしてもおかしくはなかった。
 塔へとやってきたが、誰もおらず、ひっそりと静まりかえっていた。妖怪ど もは三蔵の弟子を捜すためにみんな森へと出払っていたのだ。
「どこへいったんだろう」
「近くには寺院があるはずなのだけど」
 ふたりが辺りを探すと、洞窟の外につながれている白馬を見つけた。入り口 の上には「碗子山波月洞」と彫った白い石版が掲げてあった。
「ここか。しかし、なんだってこんな陰気くさいところに僧侶が住んでるんだ ろう」
 悟浄が不思議に思っていると、聞き慣れぬ声をききつけ、中から妖怪が出て きた。宴会の準備をしていた気の小さい妖怪だった。ふたりを相手に戦えない ので、機転を効かせて中へ連れ込もうと思った。
「あなた方は三蔵法師のお弟子さんですか」
「そうです」小僧らしからぬ容姿だったが、好意的だったので八戒が進み出た。 「師匠が先に来てると思うのですが」
「ええ、いま、人肉のまんじゅうを召し上がっているところですよ」
「そりゃあいい。わしもひとついただきたいですな」
「おい。何をいってるんだ」悟浄は慌てて八戒を引き留めた。
「兄貴ならともかく、師匠が人肉を口にするはずもないだろう。ここは寺院な んかじゃない。師匠は怪物に捕らわれてしまったに違いない」
 まずいと思った妖怪は中にいる者に声を掛けた。
「唐僧の弟子が来たぞ!」
 中にいた妖怪たちはこぞって飛び出し、八戒と悟浄に殴りにかかった。しか し、ふたりの腕前は大したもので、次々とこわっぱを薙ぎ倒していく。
 とうとう大王自らが八戒たちの前に姿を現した。黄金の鎧に身を包み、鋼で 出来た分厚い刀を持っている。背はあまり高くないが、手足が異常に大きかっ た。
「三蔵法師の弟子はそなたたちか」
「ああ、そうだ。ここは寺院じゃないようだなお前は誰だ」
 と、悟浄が問う。
「黄袍怪だ。巷ではわしの名がはびこっているだろう」
「知るか! 命が惜しければ師匠を返した方がいいぞ」
 八戒はまぐわを構えた。
「おぬしら、弟子はふたりだけか」
「ふたりいれば師匠の護衛は充分!」
 八戒と悟浄は同時に打ちかかった。意外にも黄袍怪の動きは俊敏だった。一 本の刀で同時にふたりとやり合い、八戒が一歩進む間に黄袍怪は二歩進んで動 きをかわす。二対一で互角の戦いだった。

 そんな騒々しさは捕らわれている三蔵の耳にも入った。せめて弟子たちは無 事でいて欲しかったのに。悟空がいない今となっては負けることしか頭に浮か ばなかった。
「わたしを捜すことをあきらめてしまえばよかったのに……」
 三蔵が嘆いていると、
「法師さま……」
 三蔵の耳に、女性の声が届いた。いや、そんなはずはない。こんなところに 捕らわれていて無事でいるはずがないのだから。
「どうされたのです、法師さま……」
 三蔵が声のする方を向くと、確かに、そこには若い女性の姿があった。(*2脚色について)


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