一月七日に七草粥を食べる風習になったのはどうしてか。次のような言い伝えがある。
唐の国に大しょうという、大変親孝行者がいた。両親はとうに百歳を越し、腰は曲がり、目はかすみ、耳も遠くなっていた。年老いた両親を見ていると痛々しく思い嘆き悲しんだ。
大しょうはどうにか両親を若返らせたいと願い、神に祈った。
「両親の姿を再び若返らせて下さい。私に老いを移し替えて下さってもかまいません。どうか、ふたりに若さを」
大しょうは登高山に登って、つま先立って苦行を強い、願掛けをした。祈願の満了する二十一日間それを続けた。
それを御覧になっていた天界の仏たちは集まって会議を開き、大しょうの願を叶えてやることを決定した。守護神の帝釈天王は天から降り立ち大しょうに向かっておっしゃった。
両親を深くいとおしがり、願を掛けていたことは諸天諸仏哀れんでいた。そなたの願い、聞き入れた。
須弥山の南方に白がちょうという鳥がいるが、寿命は八千年だ。毎年春のはじめに七種の草を食べるので長生きをするのだ。おまえたち親子三人に白がちょうの命を授けよう。
正月六日までに七種の草を集めておきなさい。
次の時刻に柳の木の器に載せて玉椿の枝で打ちなさい。
酉の刻(午後五時から七時まで)には芹(せり)、
戌の刻には薺(なずな)、
亥の刻には御形(ごぎょう)、
子の刻には田平子(たびらこ)、
丑の刻には仏座(ほとけのざ)、
寅の刻には菘(すずな)、
卯の刻には清白(すずしろ)、
辰の刻には七種の草を合わせる。
東の方角から清水を汲み上げて煮て食べなさい。
一口で十歳、七口で七十歳若返る。後々には八千年までの寿命を得られるであろう。
神のお告げを忘れないよう何度も復唱して覚えると、登山から引き返した。その日はちょうど正月であったので大しょうはすぐさま七種の草を集めた。
六日の夕刻、帝釈天王のおっしゃるとおり、柳の木の器に芹を載せて玉椿の枝で打った。二時間おきの儀式は魔女にでもなった気分であったが、これも両親のためと夜通し玉椿の枝で打った。
東方から汲んできた清水で煮ると両親に食べさせた。たちまちに若返ったのはいうまでもない。そのことはすぐさま世間に知れ渡り、慣習となった。