■5
 三軒町の三神屋。そこが、沓杷が春枇を担ぎ込んだ宿だった。食事は悪くない、風呂は狭くない、宿賃は安くない、そういう宿だった。宿主からなの干渉も少ない、狩人には利用しやすい宿と言える。金を持っていれば、だが。
 春枇がもはや無言のまま部屋を出て行く。上機嫌で沓杷が手を振っているのを視界の隅にとらえて、柚はこっそりとため息をついた。今朝からもう四回目だ。梅治の形見の刀を探しに行ったのは。問いつめるたびにどこに売ったかなととぼけられ、嘘の店を教えられて、半ば嘘だとわかっているのだろうに、懲りずに宿を出て行くのだ。
 あの傷で泣き言一つ言わないのは賞賛に値するが、春枇のことだから手遅れになって倒れるまでやめないだろう。どうにかやめさせる方法を考えなければならない。
「いい加減、からかうのはおよしなさい」
「なんじゃ、儂が嘘でも言っておるというのか?」
「嘘でしたでしょう、今までの三回は」
「四度目の正直じゃ」
「嘘おっしゃい」
 ため息。刀を返す気は全くないらしい。うすらとぼけた様子に、昨晩の泣いていた姿さえ嘘だったのではないかと思えてくる。
 せっかく玄武がいなくなり、刀も近くにあるというのに。白虎の存在が事を難しくしてしまった。柚は空蝉の言葉を思いながら考える。思うに、白虎が真に探しているのは春枇ではなく、沓杷を使役する狩人だろう。それを、過去に殺した。だから、なぜ沓杷は死なないのかと言ったのだ。そうすると、沓杷は誰かに使役されていたことがある、ということになる。この、限りなく奔放な物の怪がいったい誰に使役されていたというのか。
 いったい誰が使役できたというの?
「なんじゃ、難しい顔をして。ため息ばかりついておるぞ」
「誰のせいですか」
 なにから言うべきなのか、柚は伸ばしていた背を丸めて、その場に伏せた。この女を逃がしてはいけない。状況によっては一緒にいた方が春枇を守りやすい。
「かわいいな、あの小僧は」
 外に向かって正座していた沓杷は柚を振り返ると、そのまま腹這いに寝そべった。片方頬杖をついて、片方の手を柚の頭に伸ばす。
「おやめなさい、みっともない格好」
 沓杷の撫でる手に押されるように顔を伏せて、柚はつぶやく。沓杷は中庭で見つけてきたらしい竜胆を、いたく気に入った様子で襟の合わせに差している。珍しい花でもないだろうに、柚は思うだけで口にはしなかった。
「かわいいかわいい」
 満面の笑みで、沓杷は柚の頭を撫でる。まるで自分がかわいいと言われているようで、柚はさらに憮然とした表情になった。
「のう、あの刀、なんでそんなに大切なのじゃ?」
 しつこく撫でてくる手の下から、女を見上げる。何気ないふうを装っているが、思うより真剣な瞳がこちらを見ていた。なるたけ、視線を冷たくするよう努力して。
「あなたこそ、なぜあの刀を気にするのです。なにか理由でもあるのですか」
「いや、ないが」
 撫でていた手が止まる。黄金色の瞳が宙を泳いだ。
「あの刀、見知ったものなのではないのですか」
「知らぬ」
「見知らぬ狩人につきまとうのはなぜですか」
「理由がいるのか」
「白虎という物の怪をご存じですか」
「白虎? ……知らぬが」
「あなた、嘘が下手なのですね」
 言ってやると、沓杷は笑みを深く、いたずらの色を濃くして見せた。
「わかるか」
「少しは悪びれなさい」
 沓杷の笑んでいるのは変わらなかった。ただ一度息を吸って、たたずまいを正すと、胸に手を当てて言った。
「わかった、これより嘘は言わぬ。なんでも聞くがよい」
 柚も背を伸ばすと、まっすぐに沓杷を見上げる。
「春枇さまから奪った刀、あなたが持っているのでしょう」
「儂の持ち物は今この身につけているもののみ、じゃ」
 練り色の大振り袖、帯に帯留め、狐の面、襟に挟んだ竜胆、まあ、下駄は大目に見よう。上から下まで姿を確認して柚は目をすがめる。
「そういう言い方をしては、持っているのを認めたも同然ですよ」
 持っていないといえばよいのだ、真実ならば。「そうか?」と、沓杷は腕を組んで首をひねってみせる。
「白虎とは、どういう関係ですか」
「白虎と逢うたのか?」
「追い返しましたが」
 空蝉だったとは、あえて言わないが。沓杷はわずかに目を伏せると、気合いを入れるように小さく息を吐いた。
「もう少し小僧とも遊んでみたかったのだがな」
 笑みを乗せたまま、言葉を吐く。それは半ば予想していたとおりの言葉。
「おまちなさい」
 逃がしませんよ。挑むように相手を見る。自分の予想が正しいのならば、この言葉は彼女を縛る。
「これから梅治さまのお墓に参りますが、一緒に行かれますか」
 立ち上がった女は笑みを収めてきょとりとした表情を見せた。その表情が次第に引きつった笑みへと変わっていく。
「まあ、関係ないとおっしゃるのならそれでも結構ですが」
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