(4) 森の月

カンカンカン!

初めて聞くその音に、裏庭で洗濯物を干していたハルは首を傾げました。
魔法使いはいつもどおり書斎の中でかび臭い本をめくっている筈でしたし、石像はここしばらく姿を見せていません。
風に飛ばされないようシーツを確りと留めて、彼女は音の聞こえた方、正面玄関へと向かいました。

黒い。
黒い服の裾を引きずる。
黒い帽子を目深にかぶって。
黒いフードで顔が見えない。
黒い帽子は宙に放り出されどこかへ消える。
黒いフードは振り落とされる。
黒い服の上には白い顔と黄金色の髪。黒い靴で開かない扉を蹴り上げる。

そこには黒い服を着た二人の人間がいて、扉を開けようとしていました。
そして、扉を蹴った青年と、ドアノッカーを掴んでいる青年の、二人の顔はくっきりと大きな水色の瞳も、赤味の強い金髪も何から何までそっくりでした。

そしてハルは、ノッカーがこのドアに付いているところなど今の今まで見たことがありませんでした。
ハルに声を掛ける時間を与えずに二人は大声で話し出します。
「おや、そう言えば今日はあの姦しい門番はどうしたんだい?」
カンカンカン!とノッカーをうるさく叩きつけながら、その音に負けない声で。
「ああ、仕方がないんだよ。アレはね自分より美しいものが気に入らないのさ。石の癖に」
ドンドンと、尖った靴の先で扉を蹴りつけながら、その音に負けない声で。
「なるほどそう言う訳かい。私はまたアレは、自分の主人と親しくする者なら誰であれ気に入らないのだとばかり思っていたよ。石の分際で」
どうやらこの二人は歌う石像が気に入らない様子です。
「そうだね。何しろアレは主人にイカレているからね。君、知っているかい?あの男を」
急に首を回して男はハルに問いかけました。
「え、え?」
突然のそれにまごつくハルには構わず二人はすぐに会話を再開します。
「黒い髪に黒い目に暗い顔をして」
「黒い服を着て暗い呪文を唱える辛気臭い男さ」
「まったく、あんな男のどこがいいのやら」
「魔法が使える以外に何があるんだろうね」
「しかし、まあ私たちに会いたくないのは仕方がないことかもしれないね。アレは石の身でいながら虚栄心が強いから」
「「私たちの美貌を羨むのも当然さ」」
二人の声がぴったり重なったときには、ハルはなんだか目眩がしそうな気分でした。
その時。
「揃いも揃って何をしているんだい君たちは、まったく。煩いよ」
まるでいつかと同じように、低い不機嫌そうな声がして、いつの間にか魔法使いが立っていました。
「あの、お客さまが、」
何とかそれだけ、ハルは告げました。
彼は良く見なければ分からないほど、ほんの僅かに表情を緩めて答えました。
「ああ、ありがとう。これらの相手は私がするから下がっていてくれ」
魔法使いの言葉に二人は揃って文句を言います。
「これら!これらとは何だ?失礼じゃないか!」
「そうだよ!大体紹介もなしか?私たちがこの子に何かするとでも?」
一人が人差し指に黒い帽子を乗せてくるくる回しながら言えば、もう一人は馴れ馴れしくハルの肩に腕を回す始末です。
「……もう、してるじゃ、ないか」
「確かに」
途切れ途切れに呟く声と、朗らかに同意する声と。
振り向けば後ろにもまた黒尽くめの二人組み。
服と対照的に真っ白い顎鬚を蓄えた老人と、背の高い、地味な顔の青年。
「おお、これはこれはお美しいお嬢さん!私は西の三日月。以後お見知りおきを」
老人は大げさな身振りで帽子を取ると胸に当て、腰を折り曲げました。
「み、かづきさんですか?」
きょとりと繰り返すハルを一瞬不思議そうに見て、それから彼は楽しそうに言いました。
「三日月さん!ああ、そう呼んでくれても構わんよ。なかなか出来ない経験だ」
笑顔の三日月を押しのけるようにし、そっくりな顔をした二人がハルの手をとりました。
「はじめましてお美しい方。私は北の上弦」
右手を取ったほうが手の甲に口付けます。
「あのっ」
「私は南の下弦。どうぞこの名を記憶の片隅にでも。ああ、それからそこの無口で無駄に大きいのが東の朔」
同じように口付けたもう一人が、空いている方の手で老人の隣の青年を指差します。
その横で三日月はハルを無遠慮に眺め回した後くるりと回れ右をして魔法使いに詰め寄ります。
「我らが長にはいつの間に妻を娶られた?守りの月にも報せて下さらぬとは水臭いのでは?」
「よ止さないか。今日は、そ、そそんな話をする暇っ、など、な、い」
朔 が止めに入りましたが少々遅すぎました。
「いったい誰がそんな戯言を、」
苦虫を噛み潰したかのような魔法使いに、上弦と下弦はパッとそろってハルから離れました。
下弦は笑顔で人差し指を立てて見せます。
「それは勿論、ここの姦しい石っころだよ」
その言葉に上弦も頷き、大きく腕を広げます。
「そうそう。『ああ愛しい主はもはや私を省みてくれません。美しい奥方と仲睦まじく、寄り添う姿はまるで鴛鴦の番いの様!』」
朗々と語る彼を遮ったのは、ハルの小さな小さな声でした。
「あのう、私は、ただのメイドです」
「…へえ、メイド?」
「はい。あ、お茶の支度をしてきます」
小走りに屋敷の中へ入るハルの背中を、上弦は眉間に皺を寄せてにらみました。
下弦は魔法使いに振り返り、わざとらしく首を傾げて見せました。
魔法使いはそ知らぬふりをして屋敷の中へと戻ります。
勝手知ったる他人の家とばかりに魔法使いを追い抜いて先頭に立つ上弦と、それに続く三日月と朔。
魔法使いは溜息をついて、動こうとしない下弦に振り返りました。
「何をしている?入らないのか?」
尋ねられて、下弦はにやりと笑いました。
「守りの月を知らないメイドとは、ね」
「…何が言いたい?」
「さあて。ああ!君!お茶にはクリームを忘れないでくれ!」
廊下の奥の曲がり角に消えかけていたハルは下弦の大声に振り向き、大きく頷いて見せます。
「イチジクのジャムも頼むよ!」
負けじと怒鳴った上弦にもう一度頷いて、ハルはパタパタと台所へ向かいました。

BACK NEXT NOVEL