――私はこの時、最大の「真実」を知りえた。

                 だが、その「真実」は、あえて記さずにおこう。――


                     (王立学院大学図書寮所蔵「トマス・ノーウッドの手記」より)



序章




 「停船せよ。然らざれば攻撃する。」

 この警告が通信水兵によって打たれる時、その巡洋艦「イエーガー」は第一級臨戦体制に入
っている。

 …はずであった。
 実際には、突然の艦長の命令に艦内は完全に混乱していた。
 それもそのはず、ここは戦場ではない。しかも任務は単なる大型客船「悠久の宴」号の護衛
である。
 兵士達は完全に油断していた。

 「ったく、何の騒ぎだ。戦争は二年前に終わったろうに…」

 本来は当直で、既に持ち場で待機していなければならなかった最古参のウーロン兵曹長は
水兵の白い軍服を肩に引っ掛け甲板に出ると、頭をガリガリ掻いてそう独白した。
 長い間海に携わる男らしく、赤子なら誰でも泣き出しそうな厳つい男だ。筋肉質な肌は潮と昼
間の太陽で真っ赤に焼けている。黒髪と黒髭には多分に白髪が混じっている。

 「あ!兵曹長殿。ここでしたか。」

 そう言ってウーロンの部下の水兵が、空は新月で海も真っ黒という光源の殆ど無い中、危な
っかしく駆け寄って来る。胸の階級章は一等兵曹を示している。
 こちらはウーロンと対照的にヒョロリ、とした若い二十代の金髪の男だ。激務で知られる海軍
にいるのが不思議としか言いようが無い。主計下士官くらいしか勤まりなさそうな繊弱そうな男
だ。
 だがこんな男でも、港町の若い娘達からは非常に人気がある。どうも女性側にとって保護欲
をそそられる男らしい。
 ウーロンはこの男をうざったく感じていた。

 「キシタム一曹。何だこの騒ぎは」

 ウーロンは自分にぶつかって来た下士官を邪険に払いのけると、キシタムに露骨に渋面を
作り聞いた。彼はキシタムのことが生理的に嫌だった。
 キシタムはそんなウーロンに馴れ馴れしく「ナハハ」と笑顔を作った。

 「さあ?艦長が考課表を付ける為に抜き打ちテストでもしたんじゃないですかね?」

 「何だと?!」

 ウーロンは思わずのけぞった。任務中に眠りこけていた事はかなりの失態である。降等の対
称になっても仕方が無い。
が、そんな表情を見てキシタムは更に唇の端を吊り上げた。

 「嘘ですよ、嘘。」

 ぬけぬけとキシタムは言った。
 本来、軍内において下位に位置する者が、上官に対してこのようなふざけた発言をする事は
厳に戒められたものである。
が、キシタムはそれを極自然にやってのけた。
 ウーロンはあっという間に真っ赤になって唾を飛ばす。

 「き、貴様〜!止めろと言ったろ!そういった…。」

 「まあまあ、良いじゃないですかそれくらい。それよりも国籍不明の不審船が接近しているよう
 ですよ。ほら。」

 キシタムはまるで「雨が降ってるみたいですよ」というような口調で船尾を指差した。
 その方向を見てからようやく、ウーロンは不自然なまでに甲板が暗い理由が分かった。本艦
のサーチライトの全てが船尾よりも更に後方に向けて照射されているのだ。他の周囲に展開し
ている艦船も同様である。
 ウーロンとキシタムは甲板を後方へ駆け寄る。そしてその照射された先に、ポツン、と一隻の
船が浮かんでいるのが見えた。ポンポンポンポンと間抜けな音を立てて煙が吐き出されている
のが分かる。

 「なんだありゃ。」

 「漁船みたいですね。」

 「んなこたぁ分かってる!何でこんなところに漁船がいるんだ?」

 「さあ、鮪でも捕ってたんですかね?」

 「…。」

 苦々しい表情でウーロンはキシタムの横顔を睨んだ。
 現在この海域は海軍が行動中である為、一時的にだが軍管区になっている。いくら魚場とは
いえ、そんな海域に自ら進んで侵入してくる漁船があるはずが無い。
 ウーロンは海軍軍人として当然知っていなければならない知識を持っておらず、上官である
自分をどうも小馬鹿にしているような態度をとるこの男が、ますます嫌いになった。

 「この男、いつか俺の配属から追い出してやる」

 と、ウーロンは心に決めた。
 当海域では、すぐさま漁船を取り囲むようにして駆逐艦と快速艇数隻が包囲網を展開しつつ
ある。もう漁船は逃げられないだろう。

 「あ、なんだかあの船、照明を点滅させてますよ。信号みたいですね。しかし、ボロイ船です 
 ね〜。今時無線すら無いなんて。」

 ウーロンの苦々しい表情にまるで気付かず、キシタムはのほほんとそう言った。

 一方、イエーガーの艦橋では…。

 「国籍不明船から照明信号により通信が入りました。」

 艦橋に飛び込んできた通信兵が、海軍式の敬礼をしつつ艦長に伝えた。

 「内容を報告せよ。」

 と言ったのは艦長の横に控えていた艦長付副官である。
 キシタムに「考課表をつけているのでは」と言われた艦長は、通信兵が飛び込んで来ても指
揮卓の席に座ったままじっと身じろぎしない。時々鼻息で真っ白になった口髭が鼻息で僅かに
震えている。いかにも「歴戦」を感じさせる重厚そうな姿である。

 「はい、それが…。」

 通信兵の歯切れが急に悪くなった。

 「どうした?早く報告せんか。」

 通信兵は周囲に目だけを走らせる。そこには幕僚数名がいる。

 「…了解しました。報告いたします。国籍不明船の照明信号は『友軍である』と通達してきて 
 おります。」

 そこまで通信兵が一息も付かず言うと、一人の若い幕僚が口を差し挟んだ。

 「領海内を航行している事と、暗号を知っている事から友軍に間違いは無いのではない   
 か?」

 すると艦長は外見通りの耳障りなくらい濁った声でその先走りを諌めた。

 「早計過ぎる。我々の護衛する『悠久の宴』号は我が国の要人が大勢乗船しておるのだ。結
 論を導き出すのにはまず慎重を期するべきだろう。…それに…。」

 艦長は軽く通信兵のほうに首を動かした。

 「未だ報告は終わっとらんようだが?」

 バツが悪そうに若い幕僚は軽く頭を垂れた。
 二人の会話が収束してから、通信兵は続けた。

 「…『我等の内、五名は総務官府所属武官である。シュタミッツ侯爵への面会を請う。』…以 
 上です。」

 その言葉と共に艦橋内の空気は完全に一変した。思わず幕僚同士は顔を見合わせ、艦長
ですら、いつも瞑っているように見える目を見開いた。ざわめきを見せなかったのはさすが、と
言うべきものだ。

 「…総務官だと?」

 搾り出すようにつぶやいたのは副官である。

 「事実か?」

 「わ、分かりません。しょ、小官は通信の内容を報告しているだけでありまして…。」

 当然のことを当然のように言う通信兵に副官は顔をしかめる。自分が馬鹿な質問をしてしま
ったことに気づいたのだ。
 再び降りた沈黙を破ったのは、艦長だった。

 「…真偽を確かめるべく偵察班を派遣する。キム少佐。」

 「はっ。」

 先ほど口を挟んでしまった若い幕僚は一歩進み出て敬礼する。

 「貴官は二十名ばかりの兵士を連れて国籍不明船に乗り込み、真偽を確かめよ。事実、総 
 務官であるならばなら丁重に本艦に迎え、事実でなくば、これを制圧せよ。」

 「はっ。」

 「制圧する場合、なるべく殺害はするな、少佐。前後の事情が分からなくなるからな。…グリ 
 ーン中尉。」

 「はい。」

 副官は、名を呼ばれ敬礼する。

 「貴官は事の次第を『悠久の宴』号に報告せよ。…命令は以上だ。」

 「了解いたしました。」

 そう二人の答礼が和した。



第一章 1へ続く


               
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