第一章 船上の争奪戦







 彼は「軍人」という職業に誇りは感じていた。
 伊達に十年勤めていた、という訳ではない。二年前まで行われていた戦争では、開戦より四
年間、その殆どを白刃と銃弾が乱れ飛ぶ前線で過ごした。歴戦と言っても良いだろう。
 だが「軍人」は宮仕え体質が非常に強い職であり、自分の意に添わない仕事を押し付けられ
る場合も多い。辞めたくなる事もある。
 特に、今回のような貴族達の護衛といった任務においてはその気持も更に高まる。
 今回、大型客船「悠久の宴」号は、持ち主であるフォルカー・フラン・ロン・シュタミッツ侯爵が
自分の娘の誕生パーティーを海上で挙行する為に出航した。シュタミッツ侯爵家は国内でも有
数の権勢を誇る一門である。
 
 そして彼ら「軍人」は、そんなさして重要ではない貴族達のお遊びの護衛をさせられているの
である。

 「…ったく、いい気なもんだ。」

 と、少し立派過ぎるあまり似合ってない赤毛の口髭を捻った。誰もいない船内の廊下で陰口
を叩くのは、彼だけではなく軍人たちの精神衛生上仕方の無い事である。
 
 自分の職業に疑問を感じる時、いつも彼が思い出すのは、自分の父親の事である。
 父親は考古科学者であり、いつも喜々として遺跡に出かけては、一年以上帰ってこない事が
良くあった。母親が病没してからも彼を父方の祖母の元に預けて出かけて行った。昔は恨みも
したが、今では苦笑と共に父の姿を思い出す事ができる。好きな仕事を死ぬまでやり続けた人
生に彼は尊敬と羨望の気持すら抱いていた。

 「…に比べるとなぁ。」

 そう言って彼はその延々と続く壮麗な廊下を流し見た。
 
 「悠久の宴」号は貴族が所有する遊覧船の中でも最大級の代物である。乗員動員数は五百
名を超え、その五百名が三週間は生活に困る事の無い食料などを積み込む事ができる。
無論、内装においても豪華だ。
 至る所の壁に飾られた絵画や隅に鎮座した彫刻は、髪の毛一筋でも傷をつけると自殺もの
である。彼の上官は耳にタコができるほどそう言っていた。この「悠久の宴」号が、別名「美術
館船」と呼ばれる由来である。
 それ以外にも壁に施された精緻なレリーフ、踏み損ないそうになるほど毛が深くどこまでも続
く絨毯などなど。さすがは王国随一の大貴族の所有する大型客船である。
 中でもこの船の最大の売りは、船内に舞踏会場があることである。舞踏会場を備えた大型
船、というものは、国内においてこの船を入れて後三隻しかない。
 一つは王室専用遊覧船であり、もう一つは政財界におけるシュタミッツ侯爵家のライバル、
ムラカミ公爵家の遊覧船である。
 会場は船内の三階、つまり最上階にあるのだが、そこでは今、シュタミッツ侯爵令嬢の誕生
パーティーが行われている。
 
 「それはそれは豪華である」
 
 と彼の部下であるパウルス上等兵曹が言っていた。その部下とは配属が別な為、彼自身は
舞踏会場には入っていない。入りたいとも思わない。
 別に貴族嫌い、という訳ではないが、自分には別世界の事であり、その空気に不快感を示す
であろうことが彼には予想できるのだ。
 
 と、いう訳で、彼の現行任務は一時間に一回の船内巡回警備である。
 二年前下士官だった頃を思い出すと、天国のように楽な任務だ。あの頃は十二時間立ちっ
放しの任務など当たり前である。
 階段の近くまでくると、にぎやかな舞踏音楽が、三階の方から僅かながら聞こえてくる。パー
ティー会場からの音楽だ。

 「…会場が海だろうと陸だろうとこの船じゃあんまり変わらないだろうな。」

 そう言って彼は、欠伸を噛み殺すと、涙が滲む風景の中に突然階段から駆け下りてくる人の
姿が飛び込んできた。

 「ノーウッド少尉!」

 そう名を呼ぶ。いや、呼ぶというよりは叫ぶ、と表現した方がこの場合は適切だろう。

 「ブラカ中尉殿。」

 ノーウッドは敬礼をするが、オービン・ブラカ海軍中尉は答礼をする間無く噛み付くようにノー
ウッドに詰め寄った。三十代半ばの彫りの深い顔に詰め寄られても嬉しくないノーウッドは、思
わず半歩下がった。

 「少尉、若い女性の姿を見なかったか。貴族の御令嬢なのだが。」

 「若い貴婦人ですか?いえ、小官は見てはおりませんが。」

 「本当か?本当に見てないんだな?」

 ブラカは下から嘗めるようにノーウッドの表情を読んだ。ノーウッドは彼より頭一つ分背が高
いのだ。

 「本当ですって。」

 「そうか…。」

 「一体どうしたんですか?中尉。」

 「…いや、何でも無い、少尉。」

 ブラカは軍帽を取り去り最近薄くなった頭髪を撫で付けると、少しぶっきらぼうに言った。焦っ
た自分の姿を見られた為、少しばつが悪そうだ。

 「いや、何でも無いではないな、こんな姿を見られては。」

 そう頭を振ると再び軍帽を被る。ノーウッドを睨んだその瞳は平静を取り戻した軍人のものと
なっていた。

 「少尉、この際だ、貴官にも手伝って貰いたい。」

 「ええ。人捜し…ですね?」

 「そうだ。とある貴族の令嬢の姿が見えなくなった。」

 「いつから?」

 「不明だ。だが、少なくとも二十分前には三階の舞踏会場にはいなかった。」

 「令嬢の名は?」

 「ロレッタ・ロン・シュタミッツ侯爵令嬢。」

 ブラカは表情を全く変えずそう言った。が、それが努力した結果だ、と言う事は彼が口にした
名前が示していた。

 「…シュタミッツ侯…!」

 そう叫びそうになったノーウッドの口をブラカは塞ぐ。

 「騒ぐな。事は極秘だ。」

 「…驚くなって方が無理ですよ。シュタミッツ侯といえば、この…。」

 そう言って廊下の壁を軽くノックする。

 「この船の持ち主の名前じゃないですか。」

 「その通りだ。」

 重々しい口調で正直に言う。

 「威張って言う事じゃないと思いますが…。」

 彫りの深い顔に威厳がありすぎて堂々としているように見える。

 「別に威張ってなどいない。」

 心外そうに渋面になって更に重々しく言う。

 「と言う事は…いなくなった令嬢は今回の誕生パーティーの主賓じゃないですか。」

 「その通りだ。全く、参ったよ。失態だ。」
 
 「間抜けな話だ」と正直ノーウッドはあきれた。主賓がいない状態でパーティーは今もつつが
なく挙行されている最中なのである。

 「しかし、何で気付かなかったんですか?パーティーの主賓がいなくなったって言うのに。しか
 も天下のシュタミッツ侯爵家の御令嬢ですよ?」

 「貴官、会場を見てないのか?あの状態では人が一人いなくなったとしても誰も気付かない。
 ものすごい人の数だぞ、あれは。それに…。」

 「それに?」

 「名目は誕生パーティーだが、やってる事はシュタミッツ侯がマーケットで手に入れた美術品
 の鑑賞会と、貴族同士の腹の探り合いだな。求婚者以外はだーれも侯爵令嬢には見向きも
 しない。」

 ブラカは呆れたように肩をすくめる。
 それを聞いて、貴族には貴族の苦労というものがあるようだ、とノーウッドは思う。

 「あまり大事にする事もできないので小官とあと部下二名だけで捜索している。貴官にも捜索
 に参加して欲しい。」

 ノーウッドはふんふん、と口髭を震わした後、露骨に渋面を作った。

 「それは命令ですか?もしかして。」

 「なんだ、その顔は。上官の命令には従うのは…。」

 「…それは令嬢にもしもの事があったら、小官にも責任が課せられるって事じゃないんです 
 か?」

 「え、あぁ、ん、まあそうだな。そうかもしれないな。」

 「気付かれたか」という気まずい表情をブラカは浮かべる。

 「もし、海に落っこっちゃいました、なんて事になってたら多分免職もんですよね。それに小官
 は後一時間ほどで仮眠に入るんですが…。」

 二人は押し黙った。ノーウッドは挑発的な笑顔を浮かべ、ブラカは少し引き気味の態勢で心
底嫌そうな表情をしている。
 そしてブラカは諦めの溜息を吐いた。

 「分かった分かった。もし貴官が先に見つけたのなら奢ってやるから。」

 「何杯?」

 「二杯。」

 「三杯。」

 「二杯に干しイカでどうだ?」

 ノーウッドはわざと丁寧に敬礼する。

 「仕方が無い。それで手を打ちましょう。」

 ブラカも答礼すると、わざと尊大に鼻を鳴らし言った。

 「っこの酒好きめ・・・。期待しているぞ、ジュート・ノーウッド少尉。」



第一章 2へ続く



               
ホームへ   目次へ     次へ        前へ