日蓮聖人御遺文より


清澄・千年杉


刑部左衛門尉女房御返事(ぎょうぶさえもんのじょうにょうぼうごへんじ)

                                                  弘安3年・59歳(於身延)



父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども、

母の御恩の事、殊に 心肝に染みて 貴く をぼえ候。

飛ぶ鳥の 子を やしなひ、地を走る獣の 子に せめられ候事、 目もあてられず、魂も きえぬべく をぼえ候。


其れにつきても 母の恩 忘れがたし。

胎内に 九月の間の苦しみ、腹は鼓を張れるが如く 首は針をさげたるが如し。

気は 出るより外に 入ることなく、色は 枯れたる草の如し。臥せば 腹もさけぬべし。

座すれば 五体やすからず。かくの如くして 産も既に近づきて、腰は破れてきれぬべく、眼はぬけて 天に昇るかと をぼゆ。

かかる敵を 産み落としなば、大地にも踏みつけ 腹をもさきて,捨つるべきぞかし。

さはなくして、我が苦を忍びて 急ぎ いだきあげて 血をねぶり 不浄をすすぎて

胸に かきつけ 懐きかかへて 三ヵ年が間 ねんごろに養ふ。

母の乳をのむ事、一百八十石 三升五合也。 この乳のあたいは 一合なりとも 三千大千世界にかへぬべし。



口語訳

父母の御恩の高大であることは、いまさら改めて言うまでもないことであるが、

母の御恩の事は、ことに心肝に染み込んで貴く思います。

空を飛ぶ鳥ですらその雛を養い、地を走る獣でさえその子を養う事に苦心をしている事は

目も当てられぬほど、気も遠くなるばかりです。

それにつけても、母の御恩は忘れ難いものです。

胎内に、子供が9ヶ月いる間の苦しみは、腹は鼓を張ったように張り切れ、頚は針を下げているように細ります。

息は吐くばかりで吸うことは無いといってもいいほどで、体の色は枯れ草のようです。

伏せれば、腹が裂けるかと思われます。

座れば体が楽ではありません。

このようにしていよいよ産期が近づいてくれば、

腰は破れて切れるかと思われ、眼の玉はぬけて飛び出すかと思われます。


こんなに母を苦しめる敵であるから、産み落としたならば、大地に踏みつけて、腹を割いて捨ててもいいほどでしょう。

しかし、そんな事はしないばかりか、自分の苦痛を忍んで、急いで抱きあげて、血を拭い、不潔なものを洗って、

胸にかき上げ、抱きかかえて、三ヵ年の間、心をこめて養うのです。

生まれてから母の乳を飲む事は、一百八十石と三升五合で、この乳の値は

たとえ一合でも三千大千世界とかえられるほどに尊いのです。



お祖師様(日蓮聖人)の残された、女性信者へのお手紙の一部です。
男性であるのになんとこまやかに、女性(母体)についてご存知なのでしょうか

産前産後(もちろんお産の際中も)の苦しみ,母親になった喜びを如実に表されていることに
驚きを禁じえません。

お祖師さまは、フェミニスト.女性にお優しいのです。
きっと母上がお優しい方だったのに違いありません。 



      
身延・バス停


土牢御書


                                              
文永8年・50歳
(於寺泊)


日蓮は明日 佐渡へまかるなり。

今夜のさむきにつけても、牢のうちのありさま、思いやられて いたわしくこそ候へ。


あはれ 殿は、法華経一部を 色心二法ともにあそばしたる御身なれば、


父母六親一切衆生をも たすけ給うべき御身なり。

法華経を 余人の読み候は、口ばかり 言葉ばかりは読めども 心は読まず。

心は読めども身によまず。

色心二法 共にあそばさたるこそ 貴く候へ。

天諸童子 以為給仕 刀杖不可 毒不能害と説かれて候へば 別の事はあるべからず。


牢をばし 出させ給ひ候はば とくとくきたり給へ。

見たてまつり 見えたてまつらん。恐々謹言


口語訳

日蓮は明日佐渡へ参ります。

今夜の寒さにつけても、牢の中の有り様が思いやられていたわしく思われます。

天晴れあなた様は、法華経一部を、身口意(身と口と心)の三業、行いと心の二法に読まれたのだから、

父母とその六親(伯・叔・兄・弟・児・孫)、一切衆生を救うべき行者です。

法華経を、他の人の読む事は、ただ口ばかり、言葉ばかりは読みますが、その心まで読んでいません。

心で読んでも実行はしません。

それなのに、あなたが心で読み、実行された事は、まことに貴いのです。

法華経第五の巻『安楽行品』には

「天の諸々の童子が、法華経の行者に給仕をなし、たとえ敵があってこの行者に刀杖等の危害を加えんとしても

能はざらしめ、毒をもって害せんも能はざらしむ(できない)」と説かれてありますから、この先如何なることがあっても、

あなたに別条はあるはずはありません。

牢から出られたら、はやくはやく来られるがよい。

互いに会いたいものです。



このお手紙は、ご自身は、鎌倉幕府に『立正安国論』を出し、念仏・禅宗等の讒言により「龍ノ口処刑」、

首の座から下ろされたものの、『佐渡流罪』となり、

明日いよいよ佐渡へ発つという時に、やはり捕らえられて土牢にいる、弟子の日朗上人にあてられたお手紙です。

ご自分は、流罪になると言うのに、土牢にいる弟子を心配し、思いやり、励ました何という暖かいお手紙でしょうか。

そしてこんなお手紙を頂いた日朗上人は、どんなにか感激なされた事でしょう。


南無妙法蓮華経


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