ANGKOR WAT アンコールワット


12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世によって建てられたヒンズー教寺院


    

長い参道 (片方は修理中) 左右はお堀 


       

    


  
回廊 壁画のレリーフがびっしり彫られている

ラーマーヤナ物語
古代インドの叙事詩ラーマーヤナ、インドだけでなくカンボジア・タイ・インドネシアなど東南アジア各地に普及
昔コーサラ国の王子ラーマは文武に優れ国民の信頼を集めていたが、老王の第2夫人は自分の息子バラタ王子に王位を継がせたいと
ラーマを追放した。ラーマは妃シータと弟ラクシュマナとともに森林に隠遁していた。
かねてから美しい妃シータを手に入れたいとしていた魔王ラーヴァナは、シータを騙して略奪した。
嘆き悲しむラーマはシータを探しに森へ行くと、王位と妻を兄に奪われた猿の王スグリーヴァに出会う。
自分の境遇と似ているスグーリーヴァーに同情したラーマは、彼に加勢して王位を奪い返してやった。
猿王スグーリーヴァは恩返しに部下の猿軍を率いて、ラーマの悪魔退治に従う。
壮絶な戦いの末、悪魔を滅ぼし、シータを取り戻して城に帰り、パラタ王子は兄に王位をささげる。


戦いの様子


    

                 ↑ 左下方 猿の将ハヌマン


    

                                                                    魔王ラーヴァナ


アンコールの大遺跡群の壁画にもこの物語に取材した場面が多く刻まれている。
猿の将ハヌマンは、中国の孫悟空を想起させるものがあり、ラーマ王が悪魔の住むランカー島を征服するのは、
日本の昔話”桃太郎の鬼が島征伐”と一脈通じるものがある。


   
森本右近太夫の遺筆
ペンキで塗られている下に墨で書かれた日本人の筆跡がある。

「寛永九年正月ニ初爾此処来ル生国日本
肥州之住人藤原朝臣森本右近太夫
一房御堂ヲ志シ数千里之海上ヲ渡リ一念
之胸ヲ念ジ重々世々娑婆浮世之思ヲ清ル
為ココニ仏ヲ四行立奉物也
摂州津西池田之住人森本儀太夫・・・・
O家之一吉O祐道仙之為娑婆ニ・・・・
茲ニ書ク物也
尾州之国国名黒ノ郡後室O・・・
老母之魂明生大師為後生・・・・
茲ニ書ク物也
                    寛永九年正月卅日」

肥州の住人、森本右近太夫一房が、父儀太夫の菩提を弔い老母の後生を祈るため
はるばる海上を渡り寛永九年(1632年)正月三十日この地に到着し仏像四体を奉納した、とある。
父儀太夫は加藤清正の家来。
「清正、臣森本儀太夫の一子ヲ宇右衛門ト称ス。
此人嘗テ明国ニ渡リ夫ヨリ壇特山ニ登リ祇園精舎ヲモ覧ジテコノ伽藍ノサマ
自ラ図記シ携還セリ」(松浦静山「甲子夜話」)
おそらく、彼はアンコールワットを祇園精舎と考えていたものと思われる。

   

中央本殿 
高さ13メートル、傾斜60度の狭くて急な階段を上る 落ちそうで怖い!

    
上から下を見たところ
(首からぶら下げていたデジカメを階段にぶつけながら上ったため、
私のカメラは一時的に撮影不可能になり、みほちゃんより画像を拝借)


    

プノンバケンよりアンコールワットの日の入りを見る


    


                                           プノンバケンより帰り、象に乗る。 坂道で怖い


    
   アンコールワットの夜明け    

    



現地ガイドのチャンヤさんが撮ってくれた 逆さアンコールワット


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