1988年に愛媛汽船と因島汽船の今治-因島航路を引き継いだ3セク会社芸予観光フェリー。そんな同社のフェリーたちの、1999年のしまなみ海道開通までの日常の姿をとりとめもなく撮り集めた写真集をここに紹介しよう。
センスも腕も機材もない、何となくシャッターを切ったものばかりだ。
物置をひっくり返せばまだまだ出てくると思うが、とりあえず、すぐに出せるものだけ展示したから、まあ、気楽にご覧頂きたい。
芸予観光フェリーの時代になってからは通常今治桟橋にて自社船が2隻並ぶことはなくなっていたが、航路に出ていた予備船と入れ替わるために本務船が桟橋にて待機する形となり、このような場面が実現した。
佐島にて。因島行第七芸予が佐島を出港する向こうを佐島に寄港しない便である今治行第三愛媛が通過してゆく。
木浦より出てきた今治行第三愛媛船上から入れ違いに木浦に入港して行く因島行第二愛媛を撮る。
弓削港から出てきた第三愛媛と、これから入港する第七芸予。
第三愛媛船上より。向こうは第五愛媛。佐島沖。
第三愛媛船上より。向こうは第二愛媛。木浦沖。
今治港でのフェリーみしまと第七芸予の並び。手前の高速船は第十二かもめ。
佐島に到着した第三愛媛の沖を第十二かもめが通過してゆく。
夕暮れ時、今治に帰る第七芸予が弓削港に向かって接近して来る。
高速船の中から。先行していた第二愛媛を追い越す。
自宅より、夕焼けの中を土生に向けて航行する第七芸予を撮る。
第三愛媛車両甲板から、向こうは第五愛媛。
第二愛媛がチャーターでやって来た土生商船第十かんおんと弓削沖で出会った。
1999年、第七芸予にとっての最後の正月。マストには日章旗と松。
佐島沖、今治行第七芸予より因島行第三愛媛を撮る。共に佐島には寄港しない便である。
自宅沖を土生方向に航行する第五愛媛の横を第十一かもめが追い越して行く。どちらも、しまなみ開通後も生き残った同士である。
夕暮れの佐島に向けて第七芸予が入って来る。
濃霧により出港できず、なかよく並んで土生の長崎桟橋にて本社からの出港の指示を待つ第五愛媛と第三愛媛。
弓削港に到着した第七芸予の後方から魚島から来たニューうおしまが入港して行く。ニューうおしまは無知な上島町の役人がたった950万で神戸のブローカーに売却してしまい、その業者は関門汽船にすぐに転売し労せず大きな利益を上げた。
今はなき弓削汽船第七青丸が、現在は廃港になっている明神港に着岸している沖を第三愛媛が弓削港に向けて通過して行く。
佐島港に到着した第三愛媛が早く立ち去るのを、沖で岩城汽船第十親交丸が待っている状態。
今治行第七芸予船上より。向こうは土生行第五愛媛。
紅葉の季節、生名沖を第五愛媛と第三愛媛が離合する。
今治港で並んだ第二愛媛とブルーラインのフェリーみしま。
第二愛媛車両甲板から。今まさに弓削の桟橋に到着するところ。
今治行第七芸予船上より。土生行第五愛媛とすれ違う間を今治高速船第八かもめが追い越して行く。この日は予備船である第八かもめが稼動していた。
今治港の第二愛媛。穏やかな日差しの中で船員たちと共に出港の時を待つ。
第二愛媛車両甲板にて。ランプを上げてこれより因島に向けて出発するところ。
弓削から生名に向かう第三愛媛の向こうを弓削汽船第拾青丸が行く。どちらも今はこの海域に現われることはない。
1989年弓削に入港する第十愛媛と第十二はぶ丸がすれ違う。
弓削桟橋に同時に到着した第二愛媛と第十五はぶ丸。一足早く第二愛媛が出港を開始する。
弓削汽船第一青丸を第五愛媛が追い越して行く。
佐島から弓削に向かう第十二はぶ丸。
弓削沖にて、今治行第三愛媛。
ブルーラインみしま丸と共に第五愛媛が今治港を出港して行く。
芸予観光フェリーに移行したばかりの頃の第二愛媛が土生に向けて弓削沖を行く。
今治港。ブルーラインきのえ丸と並んだ第三愛媛。
第十愛媛が弓削を出港して行く。芸予観光フェリー移行時から予備船だった本船はたった2年のみの新会社在籍だった。本船売却後は第十二はぶ丸が予備船となった。
弓削に入る第二愛媛と同じく出てゆく第五愛媛がすれ違う。
因島行最終便の第五愛媛が弓削に到着した。
弓削に到着した第七芸予がゴースタンをかけて黒煙が上がる。その横を今治高速船第十かもめが出港して行く。
1990年、内海造船田熊工場にて艤装が進む新造船二代目第五愛媛。1981年以来の新しい仲間の誕生だった。芸予観光フェリーとして初めて造る新造船だったが、それも今年2005年で船齢15年をむかえた。
第七芸予と第十五はぶ丸が佐島沖で離合する。第十五はぶ丸は第七芸予の買船により予備船へと転落した。
今治第三桟橋に並んだ各航路のフェリーたち。少しだけ昔の華やかし頃を思い出させる場面だった。
工事が進捗する弓削大橋の前を第七芸予が通過して行く。
1988年10月。第十五はぶ丸のブリッジ。
今治第三桟橋にてきのえ丸と並んだ第五愛媛。その両船の後方を内港から出てきたみしま丸が通過してゆく珍しいシーン。
第十二かもめと共に弓削を出港して行く第三愛媛。
自宅裏の丘より。光の中を第三愛媛が行く。
第十二はぶ丸が弓削入港態勢に入る。
佐島港にて。出港する第五愛媛と入れ違いで第三愛媛が入港して来る。
弓削を出港する第十五はぶ丸。
山陽商船最後の片頭船フェリーだったさんようと今治第三桟橋で並んだ第五愛媛。
第三愛媛のブリッジを見上げる。
弓削港における第七芸予と第二愛媛の離合。
強風を突いて第十五はぶ丸が弓削港に入って来る。
佐島から岩城に向かう第七芸予から対航して来る第二愛媛を臨む。
弓削に入港して来る今治高速船第十かもめと入れ替わりに第二愛媛が出て行く。
土生港で出港の時を待つ第三愛媛。その沖を岩城汽船快速船しんこうが出港して行く。
弓削に到着した第七芸予。
弓削に到着した第三愛媛が車両を搭載する。
真冬の小春日和の2月のある日、第七芸予が弓削に向かって走って来る。
1999年5月1日までは弓削の港に当たり前のように出入りしていた第三愛媛だが、今は夢の彼方の風景となった。
夕刻、今治に向かうべく乗客の乗船を待つ第三愛媛。ダブルになったマストのレーダーが目を引く。
弓削小学校の沖を第三愛媛が行く。
夕刻の弓削沖を第五愛媛が今治に帰るべく進む。
船舶所有者の部分には芸予観光フェリーと後から貼ってあるのがわかる。貼ってある下は無論、愛媛汽船である。
第七芸予より。燧灘で第五愛媛と離合する。
埋め立てが進む新弓削港の前を第三愛媛と第五愛媛がすれ違う。
第二愛媛のブリッジ。
自宅裏の丘より第七芸予をキャッチ。
とりあえず今回はここまでということで。
第二愛媛もどこに行ってしまったんだろう。
第五愛媛と第二愛媛が弓削港沖ですれ違う。このように僚船フェリーがすれ違う姿も過去のものとなった。現在は第五愛媛がたった1隻でフェリー航路としての伝統を細々と守っている状態で、もはやこのような離合シーンは起こりえないのだ。
まさに世紀末といった空の下、第七芸予が最後の時が刻一刻と迫る中進む。
弓削港にて。第七芸予を待たせていた第三愛媛が桟橋を明け渡し出て行く。
第三愛媛車両甲板後部監視開口より。航跡の向こうにすれ違った第十五はぶ丸が小さく見える。
第三愛媛船上より。朝日の方向に第七芸予がすれ違う。
第七芸予が弓削港から離脱すると同時に沖で待機していた第二愛媛が前進を再開する。
弓削沖で活躍する第五愛媛(左)、第十二かもめ(中央)、第七青丸(右)の遠映。現在唯一生き残っている第五愛媛だが、他の2隻は既にこの地を去って久しい。、
弓削から生名に向かう第七芸予のシルエット。
佐島-岩城間を対航する二隻の愛媛。下前が第二愛媛で向こうが第五愛媛。
佐島-岩城間、今治行の第三愛媛から光の中をすれ違い去って行く第五愛媛を臨む。
今はなき弓削旧港沖を第五愛媛(左)と第三j愛媛(右)がすれ違う。
今治第三桟橋に集合した旧愛媛汽船航路船たち。奥から熊口瀬戸航路のニューはなぐり、大三島木江航路ニューみしま、因島航路第三愛媛、尾道航路第十一かもめ。
木浦沖、今治行第三愛媛より。向こうに小さく見えるのは対航の因島行第二愛媛。
弓削沖。弓削旧港に接近して来る因島行第二愛媛(手前)と入れ替わりに佐島方向に姿を消しつつある第七芸予(奥)の姿。
弓削沖。対航する第二愛媛(手前)と第五愛媛(奥)。とにかく現在はこうした僚船フェリー同士の離合が完全消滅したのが本当に悲しい。
弓削沖を生名に寄港しない便の土生行第十五はぶ丸の後姿をキャッチ。現在は生名を通過するフェリー便は存在しないので、このように芸予観光フェリーの船がこの写真のポイントの海域を航行することはない。
第二愛媛客室右舷後部客室入り口。