第 6 章 二十二麻雀
昭和初期の結成以来、麻雀界をリードし、指導的役割を果たしていた日雀連も戦時中は自然消滅していた。やがて第2次大戦が終了し、新時代を迎えた1947年(S23)に再結成された。しかし戦後は立直麻雀が台頭し、現在も日雀連が採用する二十二麻雀※はまったく少数派となってしまった。
※アガリの最低点は、鳴き平和型をロンアガリしたときの20点(符底のみ)。しかし第2次大戦前の麻雀には、鳴きピンフの一翻があった。そこで得点は20X2(鳴きピンフ)X4=160点(子の場合)となる。
これをツモアガリしたとするとツモの2符を取得するので、連底(小符合計点)は22点となる。その代わりに鳴きピンフの一翻を失うので無翻のアガリとなる(戦前の麻雀に一翻縛りはなかった)。無翻の場合、連底はその時点で四捨六入する。すると22点無翻のアガリの得点は、20X4=80点(子の場合)となる。
これは戦前の麻雀の最低得点のアガリである。そこでこの特徴を捉え、戦前の麻雀は22点麻雀、すなわち二十二(アルシーアル=アルシャール)麻雀と通称される。
もちろん24点無翻のアガリでも、四捨六入された結果は同じ得点(80点)となる。しかし22点無翻のアガリの方が格が低い(インパクトが強い)。そこで得点結果は同じであっても、二十二麻雀と通称される(26点無翻のアガリは、四捨六入されて30X4=120点の得点となる)。
戦後再建された日雀連では、急速に普及したリーチ麻雀に対抗する為、一時期「門摸和二翻、門栄和一翻プラス加10符」というルールを採用した。その計算法に従えば、ピンフ・ツモのアガリは下記の通りとなる。
表32 1948年・日雀S24ルール
門摸和 |
(20+2)×2×2= 90×4=360 |
門栄和 |
(20+10)×2×2=120×4=480 |
副摸和 |
(20+2)≒20 ×4= 80 |
副栄和 |
(20) ×2×4=160 |
このルールは、単に「リーーチに対抗する」というだけの理由で採用されたもので、他役とのバランスなど、それに関連した問題はまったく考慮していない。そのため四翻満貫が頻発し、他役とのバランスは壊れ、摸栄逆転の度合いは更に大きくなるという結果となってしまった。
そこで1950年(S26)、当時の日雀連ルール委員であった榛原茂樹氏が摸栄逆転を是正するため、榛原私案を発表した。これは門栄和から門前加符10符をはずすとともに「門摸和二翻、門栄和一翻」としたものである。
表33 1950年(S26)榛原私案
門摸和 |
(20+2)×2×2= 90×4=360 |
門栄和 |
(20) ×2×2 ×4=320 |
副摸和 |
(20+2)≒20 ×4= 80 |
副栄和 |
(20) ×2×4=160 |
確かにこの方式であれば門前アガリに限るとはいえ、摸栄逆転が是正される。しかしこの方法も「門摸和二翻、門栄和一翻」というルール自体に普遍性がなかったため採用に至らなかった。
いずれにせよ、このようなリーチ麻雀への対抗法を模索した日雀連であるが、リーチ麻雀の騰勢は一時的ブームではなく時代の流れであった。二十二麻雀のルールがどのように変更されようと、一般麻雀がそれに影響されることはなかった。そこで日雀連の二十二麻雀ルールは摸栄逆転を内包したまま、元の「門摸一翻、門栄加10符」に戻された。そして現在も、そのまま行われている。
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