Mājan talk 雀話

    (172)台中麻雀


 ゴールデンウイーク、台湾へ行ってきた。今回、麻雀はいっさいお預けの予定。ところが或る朝、台中ホテルで当日の観光予定をチェックしていると、エスコートしていただく邱さん(60歳くらいの女性)が「よろしければ午後は麻雀しましょうか?」と言い出した。
 数日前に雑談したとき、「むかし、台北で16枚麻雀をしたことがある」と話した。と云ってもσ(-_-)はすっかり忘れていたが、相手の女性は覚えていたらしい。「え?....いや、あの、その...」などと曖昧な返事をしながら女房の顔をチラッと見る。女房は「別に....私はいいけどぉ....」と云いながら氷の微笑...(>_<) さすがに ちと迷った....

 しかし久しぶりにやってみたい。それに麻雀は地域によってルールが違う。台中地方と、昔 よくゲームした台北で どれほど違うか興味もある。迷っていると、さらに邱さん
「午後1時くらいから2ゲームほど どうですか」
でも2ゲームだと どれくらいの時間が?....
「そうですね、1ゲーム2時間くらいですから2ゲームで4時間くらい」
そうですか....」と返事しながら、(4時間くらいなら ほっといても大丈夫かな?...)などと胸算用(^-^; すると(4時間では不満?)と思ったのか、「4ゲームでもいいですよ」
いや、さすがにそれは...では.2ゲーム....」 ということで、2ゲームに決定(^-^;

 レートは、主婦仲間(邱さんの麻雀友達)の遊びゲームなので「50エン、10エン」だという。アガリ50エン、1台10エンだということは分かったが、元も円も発音が同じ。そこで50元(エン)なのか、50円(えん)」なのか分からない(1元は、\30-強)....しかし元だとしても、ここで「日本円にしてくれ」と交渉するような話ではない。そこでどっちだか分からないけど、それで決定。※元だった

 その日の午後 女房をホテルに置き去りにし,タクシーで邱さんの友人宅に向かった。友人宅では主婦仲間に紹介され さっそく雀卓がセットされた。雀卓はおなじみの組み立て式であったが、卓に縁(へり)があった。ヘリがあれば、洗牌のあと 牌山を作るのが楽。
 むかし台北で麻雀をしたころ、どこでもヘリ無い雀卓ばかりだった。もちろんヘリつきの雀卓もあったかもしれないが、σ(-_-)が麻雀をしたた家ではどこもヘリ無しばかりだった。ヘリが無ければ、牌をヘリに当てて まっすぐな列を作るのがむずかしい。そこで台北では、各プレーヤーは30センチくらいの物差みたいな牌尺サッシを使っていた。このサッシで積み上げた山をまっすぐの一列にしたり、和了したあと手牌をパタンと倒したりする。

 今回も各プレーヤーの前にサッシが置かれていた。しかし卓にヘリがあるので、牌山を一列にするために使う必要はない。和了したあとも、利き手で手牌を倒してオープンするので、そのときも使わない。結局、起家が誰であったかを示す役割を果たしていたくらいのことで、まったく使われなかった。使われなかったどころか、どちらか云えばジャマくさかった。(^-^;

 到着する前、「16枚麻雀をしたのはずいぶん前なので、ルールなんかすっかり忘れてます。ゲーム前に教えてください」とお願いしておいた。「はい、分かりました」という返事だったが、じっさいは着いたとたん、ゲームが始まった。(^-^;

 ゲームは始まったが、主婦仲間は久しぶりに逢ったらしい。ゲーム前からから楽しそうに話していたが、始まったら台湾語の嵐。もう 黙った方が負けじゃないのかと思うくらい。(^-^; おまけに何のルール説明もナシにゲームが始まったので、細かい設定が分からない。内心 焦りながら、とにかくゲームが始まった。もう プレーしながら いろいろ思い出すより仕方がない。当然、麻雀の方はボロボロ(ノд`)

 しかしゲームが進むうちに,いろいろ思い出してきた。それとともに台北麻雀との違いなども分かってきた。と云ってもルール的なことではなく、配牌後の花牌交換とかゲーム中のチーポンやアガリ表明のときの手順的な問題。そういう手順的な細かい相違を文書で説明するのはムズカシイ。一言で云えば親睦を目的としているので、台北麻雀のときより何事も なぁなぁムードだった。
 そのうちに台湾語の嵐にも慣れてきて、麻雀の方も順調になってきた。最初はボロボロだったけど、すべてが終わったときは収支トントンになっていた。(^-^)v

以前へ  以降へ  目次へ