実戦において徒に順子や搭子のみが多くて麻雀頭たるべき対子が無くて悩まされることが度々ある。双単吊としての如きものでもあれば の聴牌にもなるが、下の如き場合には麻雀頭をこれから作らねばならない。何を捨てたら良いか。
一寸考へると折角が二枚あるのだから、とを捨てを麻雀頭にしたくなる。二,三年麻雀をやっている人々でも、やを捨てて頭にしたがる。併し之は非常な間違いであって、定石としてはを捨つべきだ。
何故か。を捨てれば、必ず は不要になる。二手の遅れである。此の場合の聴牌になるには、 、若しくは が必要である。即ち必要牌は4枚に4枚、4枚に4枚の都合十六枚となわけである。
反対にを捨てた場合は、が来れば の何れか捨てて単吊の聴牌になる。勿論が来ても、同じ様に単吊聴牌となる。
を自摸すればを捨て、を自摸すればを捨てて の聴牌になる。また が来ればかの単吊に、 がくれば の聴牌になる。
故に聴牌に到達すべき牌は、万子十四枚、筒子十四枚の合計二十八枚となる。前述のを麻雀頭とした場合は十六枚であるが、後者においては二十八枚によって聴牌に到達し得るのである。
斯くの如く観じ来るとき、を捨てるのは定石なりと云ひ得るのではないか。我々にしても、例図の如きところへを自摸して来ると、どうしてもを置いて麻雀頭にしたい様な誘惑に駆られるのである。
を捨てるのが定石とは知りつつ、殊更に平和にしたいが為にを置くことがある。勿論其の結果は、何時でも不結果である。戦術の上から云っても、如何にして早く聴牌するかが勝負の分かれ目である。二十二点でも平和の四十点でも、早く聴牌しなければならぬ。故に何うしてもを捨てるべきである。
同じ様のことは、沢山ある。麻雀頭のないのところにを自摸して来ても、勿論を捨てねばならぬ。
以上のことは、一しゃん聴の場合のみならず。二しゃん聴の場合も適用せられるのです。実戦の時はよくよく注意して、損な打ち方は絶対にやらぬ事である。定石通りに打って和れない場合はあきらめられるが、定石はずれに打って和れないことは、非常に残念なものである。
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