【 観用少女りん 3 】
待たせていた黒塗りのセダンに乗り込み、駅へと向かうご母堂を見送る。殺生丸の脳裏には、ご母堂が残した言葉が響いていた。
「……どういう意味だ、あれは」
自分と何の役にも立たない人形とが同じ? つまり、自分の存在もほんの一時の戯れに過ぎない存在と言う事かと、あの時感じたざらっとした心象はさらに険悪なものに変わっていた。
「殺生丸様……」
そんな主の不穏な気配を察知したのか、小声で執事の邪見が声をかけた。
「なんだ、邪見」
「あの…、ご母堂様がこちらにおいでになった本当の訳は、殺生丸様との関係を良くしたかったのではないかと思うのです」
「何をいまさら……」
「ええ、ですがご母堂様とりんを見ていて、ご母堂様はこんな時を殺生丸様と過ごされたかったのではないかと」
短い間ではあったが、ご母堂とりんとの暮らしぶりや、ご母堂がりんにかける言葉の端々からそんな思惑を感じていた邪見が代弁する。そんな邪見を冷たい眼で見ながら、一言殺生丸が吐き捨てた。
「らしくもない! あれが、あの母がそんな殊勝な事を考えることはあるまい。どちらにしろ、過ぎてしまった時は取り返せるはずもない!!」
もうそれ以上は口出しするな、と言わんばかりの語調ではっきり言い切る。
「では、その……、りんの取り扱いはどういたしましょう?」
今までの遣り取りの一部始終を見ていたりんが、その邪見の言葉にぴくっと身じろぐ。邪見の言葉は自分も感じていた事。ご母堂様はりんに優しかった、でもそれは殺生丸にそうしてやれなかった昔の自分を悔いての事とも知っていた。あの優しさは本来、殺生丸にこそ向けられるべきもの。そしてりんが見せた笑顔にご母堂様は、殺生丸の幼い頃を重ねようとしていた。
……りんは自分が
【観用少女】だと、よく判っている。どれほど見事なものであっても、自分で動き飲んだり食べたり眠ったりしたとしても、所詮は『人形』。決して、生身の人間の代りにはなれない。
―――― そんな、存在。
りんの胸に、またもそんな思いが湧いてくる。
そんなりんが思い出したのは、別れ際のご母堂の言葉。
( りんはここで待っていておくれ )
( 必ず戻ってくる。だからお前は何も心配せずとも良い )
りんは、その言葉を信じたいと思った。
もう一度、ご母堂の優しい笑顔を見たい。
だから、もし殺生丸が自分を邪魔だと、もうここに置いて置けないと言い出したら……、そんな恐ろしい予想でりんの顔は曇っていた。
「……お前は何か聞いているのか」
「は、はい。あの、何か入用な事があればと、ご母堂様より小切手帳を預かっております」
うやうやしくご母堂から預かった小切手帳を殺生丸に差し出す。ご母堂のサイン済みの白紙の小切手帳。これ一冊でどれほどの資産が動かせる事だろう。使い方はそれを手にしたものの胸一つ。
「そんなにこの人形が大切か」
りんは自分が言葉を喋れたら、どんなに叫びたいと思ったか!
そうじゃない! そうじゃないんだ!!
本当に大事に思われているのは、あたしじゃない! 貴方の方なんだ!!
伝えたい!!
あの優しいご母堂への恩返しに、この思いを伝えたい!
りんの心は決まった。
自分がここにいるのは、きっとその為。
ご母堂は言われた。
( お前の笑顔にはそれだけの力があるのだから )
あの人が誰も愛さないのは構わない。
でも、あたしはあの人を愛そうと思う。
自分に出来る、この笑顔と心一つで。
それがご母堂への、りんの思い。
そしてご母堂がお戻りの時に、少しでも柔らかな気持ちで二人が向かい合えたら、それだけでりんのいる意味がある。
忌々しげに吐き捨てられた言葉と共に、殺生丸がりんを見る。りんは今まで殺生丸の前では見せた事のない優雅な仕草でお辞儀をし、上げた顔にはその場に相応しい上品な笑みを浮かべていた。
その様子に、一瞬殺生丸は虚を突かれたような気がした。なにしろりんへの第一印象は、気の強い自分への反抗心を露わにした可愛くない人形、だったからである。虚を突かれたような気がしたとそう思うこと事態、
【観用少女】の魅力に触れた事にほかならない。しかし、それはほんの一瞬の事、さらに殺生丸は表情を険しくして言葉を続けた。
「……計算高いのは生身の女だけではなく、人形もか。主が変わると察して早速媚を売るところなどは、人間も人形も変わらぬな」
その一言が、気の強いりんの癇に障った。かちーんと来たその感情のままに、上品な笑みを浮かべていた顔が一瞬にしてぷぅと膨れた。それはあまりにも自然で、そして素直な無邪気さで。
生き生きとしたりんの表情、それは小さな小さな石ころのように凍て付いた殺生丸の胸の中にころんと転がり込んだ。その小さな小さな石ころは、ほんの少し温かいようなざらっとした感覚にも近いような違うような、不可解な感覚を殺生丸に与えた。
「邪見、これの世話はお前にまかせる。私の手を煩わせるな」
これ以上の面倒は御免だと、殺生丸は自分のオフィスへ引き上げた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
1930年代初頭、大英帝国の植民地である香港は東洋の金融の中心地でもあった。その香港から程近い上海は、植民地とは別に租界と言われる土地を他国が租借すると言う制度でイギリスやフランスなどの外国勢力が実権を握っていた。
親の影響を厭うとは言え、だからと言って南米諸国やロシアやアフリカ諸国との貿易は殺生丸には博打すぎた。ある程度商業基盤の整った、金融インフラのある所でないとと考え上海で事業を起こしたのだ。
殺生丸の若さで新規進出となれば、まずはその地で信用を作ることから始まる。殺生丸は事業そのものの取引に、一切為替取引を組まなかった。年に似合わぬ金払いの良さが、売り手側には魅力的な取引相手と評価され、次第にその名は知れるようになっていった。
商品の仕入れっぷりも見事なもので、老舗の貿易業者が二の足を踏みそうな高額かつ大量の商品でも、ぽんと現金で仕入れ、それを短期間で全て売りさばく。売りさばき側にも現金支払いが条件であったが、運送中に何らかの事故で商品が欠損した時の保障をつけていたので、殺生丸の取引先は安心して取引に応じた。そうやって、確実かつ手堅い商売で少しずつ信用と業績を積み重ねてきていたのだ。
自分の手元だけを見ていれば、この恐慌の影響は少ないと思われた。しかし、殺生丸との取引に用意する相手側の現金が、銀行側の凍結措置で動かなくなると取引そのものが成立しなくなる。
事業を続けるには今、この金融不安な時期に回収が不透明なまま為替取引に踏み込まなくてならないのかと思案していた。
オフィスの入っているビルの高層階から下の街の様子を見下ろす。色んな人種が、それぞれの不安や思いを抱えて、あくせくと街を行き交っている。今にも破産しそうで悲壮な表情で駆けずり回っている者もあれば、その日一日分の生活費になれば良いと、街角で客を引く女もいる。アヘンの作る夢の世界に逃避するものも少なくない。
その一方で、農村部から出てきたような田舎臭い野菜売りの老人の長閑な様子が、現実離れして見える。自分の食べるものを作り、余ったものを売りに来る。ほんの僅かな小銭を手に、またとぼとぼと崩れそうな古い家に戻るのだ。一日は日の出と共に泥に塗れ、日が落ちれば眠ってしまう毎日。ぽつりと殺生丸の口から言葉が零れる。
「……地に根を張った、雑草などの方が今の時代は生きやすいのかもしれん。足蹴にされようが振り向かれる事はなかろうが、ただそこにある。そんな生き方」
自分にそんな生き方が出来るとは、毛頭思わない。むしろ、絶対出来ないだろうと、そう確信さえしている。それでも、そんな考えが頭を過ぎるのは時代の波が持つ重苦しさ故だろうか。
ほとんどオフィスで寝泊りをし、着替えなどは邪見に持ってこさせ屋敷に帰る事をしなくなっていた殺生丸が屋敷に戻ったのは、流石に自分の疲労がピークに達してきたのを自覚したからだった。
経営者たるもの、健康管理は必須。無理をすれば良いという物ではない。休める時に休んで、いつでも闘えるようにコンデションを整えておく。執務中に倒れるなど、経営者としての責任に欠けるとまで思っている。
久しぶりに戻ってきた屋敷内の空気がこの不安に包まれた世相と反し、ふわっと和やかな穏やかなような気がした。普段ならそんな事など気にも止めない殺生丸だが、疲れていたのもあったのかもしれない。なぜか、それがとても気になってしまった。
その穏やかな明るい気配は庭の方から感じる。無言のままその様子を伺うと、庭の木の上にりんの姿。木の下には邪見がいて、何やら叫んでいるようだった。周りはそれを楽しそうに眺めている。
「り〜ん!! お前、ご母堂様が居られる頃はそんなお転婆ぶりは見せなかったのに! 猫を被っておったのか!!」
頃合の太い枝に寝そべり、気持ち良さそうに早春の日差しを浴びている。プランツなので、同じ植物の側で日差しを浴びたいと思うのは本能に近いのかもしれない。
んん〜と枝の上で伸びをしたりんが、自分を見上げる殺生丸の視線を感じた。この前に見た不機嫌そうな表情とは違い、どこか呆れた様な顔。その表情が変わる前にりんは、ぱっと身軽に枝から下り、早春の日差しに負けない明るい笑顔で殺生丸を迎えた。
「りん? なんじゃ、その笑顔は……」
りんの笑顔と視線に邪見が自分の背後を見ると、主である殺生丸がこちらを見ている。主が帰宅したのも気付かずにいたとは、と邪見は慌てた。
「せ、殺生丸様! 申し訳ありません!! お出迎えが遅れまして……」
焦った邪見の声に、はっと殺生丸はいつもの自分に戻る。
「お前は人形と遊ぶほうが忙しいようだな」
務めて普段どおりの言葉をかける。それでも、ほんの一瞬であったが間違いなく殺生丸は、りんの笑顔に気を取られていたのである。それに気付き殺生丸は、殊更不機嫌な顔で屋敷の中に戻っていった。
あの母が嵐のように通り過ぎた後も、屋敷の中はいつもと違う気配が消えることはなかった。その原因の第一が、
【観用少女】のりんの存在にある。無機質な建物の片隅に根付いた雑草が、日に日に暖かくなる日差しを浴びて伸びてゆく様子を楽しむような、そんな雰囲気に包まれているのだ。自室に戻った殺生丸はネクタイを緩め、ワイシャツのカフスボタンや第一ボタンを外しながら一人ごちる。
「……観用とはよくぞ名付けたもの。確かに普通の美しいだけの人形とは違うようだ」
オフィスでは見せた事のない表情で、どこか気を許したような声音と共に殺生丸は自分のベッドに横たわった。肉体的な疲れより精神的な疲れ、とにかく今は休めと自分に言い聞かせ目を閉じる。瞼の裏に白いモヤのような眠りの帳が下りてきた。
どのくらい眠っていたのか? 毛布も掛けずに寝入っていた自分の顔や手に当る日差しはまだ明るく、そう長い時間ではなかったらしいと推測する。まだ瞳を開く気にはならず、夢と現との狭間を漂う浮遊感を味わってみる。
子どもの頃の、昼寝から目覚めた時の感覚に近いような、そんな懐かしさを覚えた。耳を澄ますと静かな屋敷内をとことこと小さな足音が駆け抜けてゆくのが聞こえた。その音は騒がしさと賑やかさと紙一重の差。静まり返った不安感よりも、その小さな足音に不思議な安堵感を感じる。あの頃、目覚めた時の誰もいない静けさが嫌いで、いつの間にか昼寝をしなくなっていた自分を思い出すのと同時に。
( ……よほど疲れているらしいな。あんな事を思い出すとは )
だんだん意識がはっきりしてくる。その足音を追う、邪見の声も聞き取れるようになってきた。
「こりゃ、りん! お前はまたドレスを汚して!! どーしてそんなにお転婆なんじゃっっ!!」
とことことこと軽快な足音の後に、同じ歩幅でもどこかどたどたどたとした身軽ではない足音が続く。その二つの足音が遠ざかり、しばらくして殺生丸は起きだした。寝室の隣にある浴室でシャワーを浴び部屋着に着替え、そして居間へと下りて行った。
居間へ向かう途中、扉の開いた食堂にちらりと視線を向けた。木の枝に居たときとは違うドレスに着替えさせられたりんがピンクの小花を散らしたカップを口元に運んでいる。微かに漂う温められたミルクの匂いが場違いのような、この屋敷らしくないような気がした。そんなりんの横には邪見が小言顔で立っている。きっとこの様子では、この騒動は毎度の事なのだろう。
「……あのドレスは母上の趣味だな、豪華で必要以上に華美なのは。母上の前では、おとなしい振りをしていたのは間違いないな」
美しく着飾らせて見ているだけで良いのなら、それも悪い選択ではない。しかし、どうもあの人形は、そういう手合いとは一風違うようだ。母が屋敷を去って、本性を現したと言う事だろうが、むしろそちらの方がより自然。お飾り人形よりも面白いと、殺生丸は感じていた。居間のソファーに落ち着いた所で、慌てて邪見が数誌の新聞の束を持ってきた。
「邪見」
「はい、殺生丸様」
「お前は随分とあの人形と馴れ合っているみたいだな」
どうしても口をついて出るのは、そんな冷ややかな言葉ばかり。
「……殺生丸様、『あの人形』ではなく、『りん』です。殺生丸様はそんなにりんが邪魔ですか?」
恐る恐るだが、邪見の言葉には明らかにりんへの擁護めいた思いが見えていた。
「母上と言い、お前と言い、屋敷の使用人たちと言い…、どうしてたかが
【観用少女】一つに、そこまで肩入れするか判らん」
そう言った殺生丸の背後に感じた、小さな視線。振り返るとそこにはりんが立っていた。殺生丸の言った言葉を理解したのか、その表情は硬くなったように感じたが、それも一瞬の事。またもあの笑顔を向けると、元気に庭へと飛び出して行った。
「……知らされてなければ、まるで人間の幼女と変わらんな。とても人形とは思えん」
「殺生丸様…」
「ああ、『りん』だったな」
邪見の言葉に促されたと言うよりも、りんの一瞬見せた悲しげな顔にたかが人形の名前一つに拘るのも大人気ないような気がし、状況に流される事にした。
りんはよほど庭の緑が好きなのか、植え込みの陰や花壇の側や庭木の根元などで遊んでいる。ひらひらとしたドレスがまるで春の蝶のようだ。あちらからこちらへ、邪見がお転婆と言ったのが間違いではない証明に、植え込みの樹木の小枝などにドレスのレースやリボンをしょっちゅう絡めては、悪戦苦闘しながら解いている。今まで、こんな存在と一緒に過ごした体験がないのでなんとも掴みどころがないが、まぁあの母が迎えに来るまでこのままでも良いかと思い始めていた。
殺生丸の屋敷の居間と食堂は廊下を挟んで向かい合っている。りんが開け放した居間の扉の向こうで、食堂を片付けているメイドの姿が見えた。ふと、りんはいつも何を食しているのかと好奇心から、母に代わって世話をしている邪見に尋ねる。
「……間違ってこちらに届いた請求明細にやたらと高価なミルク代があったが、それがりんの主食なのか?」
「あ、はぁ…。何でもああ見えてもりんは『プランツ』ですから、水の代りにミルクが主食になるとか。肌や毛並みの色艶を良くするために特製の砂糖菓子を週に一回肥料として与えれば、良いそうです」
「ふ…ん、そういうところは
植物なのだな」
庭で遊ぶどこからどうみても人間の少女のようにしか見えないりんを、どこか遠い目で殺生丸は見やる。
「ご母堂様がりんのいた店の店主から渡された飼育方法には、こうも書いております。特性のミルクと砂糖菓子のみで育てる事。他の物を与えると変質して取り返しの付かない事になる。また、あまり大きくさせないために、服や靴、下着などは小さめの物を着用させること。そしてなによりも大切なのは飼い主の……」
そこで、はっと気付いたように邪見は口ごもった。
「大切なのは…、なんだ? 邪見」
「あ、あの…、その、愛情だと……」
気まずい空気が流れる。殺生丸は何も言わずに立ち上がると自分の部屋に戻った。スーツに着替え出かける準備し、オフィスへと戻っていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
オフィスに戻ってもこの不況の波の影響か、少し前までの活気はない。時折かかる電話は、殺生丸に商品を買ってもらいたい卸関係の業者からのもの。売り急いでいるのか、品質に対しかなり言い値になってきてはいた。しかし、今度はそれを売りさばく現金取引の相手がいない。不況の波が収まるまで、このまま静観するかとひそかに溜息をついていた。
デスクの引き出しを何気に開き、そこに母の宛ての請求明細書と領収書がそのままになっていたのを思い出す。
「こんなものが……」
本来ならここに届く筈ではなかったそれ。これが届かねば、あれの存在に気付くのはもっと遅かったかもしれない。いっその事、何も知らぬまま母とりんがここを立ち去ってくれていたら、こんな不可解な思いを抱かずにすんだものを。
「それにしても、とんでもない暴利だな。一体どんな商売をしているのか、この店は」
殺生丸の標的が、母にりんを売りつけたその店に店主に向くのは八つ当たりと言っても仕方がないが、当然の流れでもあった。領収書に書かれた住所と店名を元に、下町のその店を探し出す。古めかしい造りの店構えはそう大きくはなく、その代わり奥行きのありそうな感じだった。
店の扉の呼び鈴を揺らし、店内に入る。奥の帳場で商品の手入れをしていたらしい若い店主が、眼鏡越しの商売っ気に満ちた笑顔を見せた。
「いらっしゃいませ。本日は母上様のご依頼ですか?」
「母上様? ああ…、どうしてそう思う?」
手入れしていた商品を帳場の横のガラスカウンターの上に置き、改めて殺生丸に向かい合う。
「いえ、そんな気がしまして。際狛有限公司の社長様でいらっしゃいますね? お美しい母上様と良く似ていらっしゃる」
「……あまり嬉しい事ではないが」
ぶすっと苦虫を噛んだような表情で殺生丸が返事をした。
「それよりも、お前のところはこんな暴利な商売をしているのか」
「暴利…、ああ
【観用少女】のことでございますね。はぁ、そう言われましても、あの娘達はこの世に二つとは無い逸品ばかりですし、飼って長らく楽しむ為にはそれ相応の環境を整える必要もございますから、どーしても経費はかさむかと」
店主のそんな言葉を聞きながら、店内の奥に展示されている
【観用少女】達を眺める。りんと違い、それこそ繊細なレースやリボンなどに飾られた絹のドレスが良く似合う、本物の宝石を身に着けていても見劣りしない人形達ばかり。
「……母の好みだと、こちらの方のような気がするが」
「相性で御座いますよ。母上様があまりにもお美しい方でしたので、この子たちには居心地が悪かったようです。なんせワガママな娘達ですから」
店主の『ワガママ』と言う言葉は、あの気の強そうなりんの態度を見ていたので納得する。
「それで、あんな地味な人形を売りつけた訳か」
「地味だなんて! あれはそれはとても良いものなのですよ!! おそらくりんと同じタイプの
【観用少女】はあれより他にはないでしょう」
「他の人形達もそうだろう」
「ええ、どの娘も同じもものは一体としてありませんが、その中でもりんは特別なのです」
「特別?」
「りんを見ていて、何かお感じにはなりませんでしたか? もしそうなら、貴方様とりんの相性違いと言う事で、ご説明するのも無駄ということになります」
その店主の言い草に、少なからず気分を害する。
「気の強い、可愛げのない人形だな」
「それだけでございますか?」
「ああ、それ以上の何がある」
そう答えた後で、殺生丸はなにか自分の胸の中に小さく引っかかるものを感じたが、あえてそれを封殺した。店主はそれは残念と言わんばかりの表情を見せ、小さく息をつく。
「……母上様は、そのなにもない素のりんをお気に召したようでした。お互い、心に思うものを持っていたのが響きあったようでもございました」
「まぁ、いい。どちらにしろあの母の戯れだ。こちらに戻ってくるのが遅いようならば、りんを本国に送りつけるか」
「えっ? あの母上様はいま、こちらにはおられないのですか?」
「急ぎ本国に戻る事になった。今はまだどこかの鉄道の中だろう」
「では、りんの世話はどなたが?」
「執事の邪見が見ているようだが、他にも屋敷の者がその時その時に手伝っているみたいだな」
「はぁ、そうですか……」
得体の知れぬ掴みどころのない店主のこの言葉に、殺生丸は不安の匂いを嗅ぎ付けた。
「何かあるのか?」
「……りんは他の
【観用少女】達と違い、野の花のプランツですから、環境への適応力も丈夫さも比べ物になりません。それでも愛情が不足すれば、枯れてしまう事もありますし ―――― 」
「枯れる?」
りんがプランツと言う事を認識しておきながら、それでもこうして改めて『枯れる』と言う言葉を聞くと、何か大事な事を見落としていた気になる。
「こんな事を申し上げますと、こちらとしては商売にならないのですが、プランツを育てるのには必ずしも特製のミルクや砂糖菓子や高級なドレスなどなくとも良いのです。普通のミルクやケーキ、木綿の服であってもそれを補うだけの飼い主の愛情さえあれば、立派に健康に育つのです」
「では、それがなければ?」
「枯れます。それも、ほんの一瞬で。何年も同じ姿を保っていたプランツが、その愛情を失った途端、枯れて何も残らないほど粉々になって散ります」
「そんな…、あれは人形だろう!」
「……
【観用少女】です。ただの人形ではありません。長い年月を変わらぬ姿のまま過ごす人形とは違うのです。その時その時の思いのままに、泣き笑い喜び悲しむ、そんなモノなのです」
「………………………」
「あの娘達がどうして高価なのか、どうして相性が大事なのか判って頂けたでしょうか」
人形であって、人形ではない。少女のようであって少女ではない。感情を持ち、少女の姿のまま長い時を渡る事が出来る存在、それが
【観用少女】。
「……枯れそうな場合の前兆は」
「そうですね…、まず元気がなくなります。ミルクや砂糖菓子を欲しがらなくなります。髪や肌の色艶が褪せ、傍目にみても荒れた感じになります」
「そうなったら、どう対処する?」
「早い時期でしたら、そのプランツを作った名人のもとでメンテナンスを受ければ再生は可能です。ただし、りんの場合はその名人がもう亡くなっていますので……」
「亡くなった?」
「はい。りんを奪おうとした強盗からりんを守るために、りんの目の前で殺されてしまったのです。りんはここに来た時は、笑顔を忘れたプランツでした。心を閉じていましたので」
「今は笑っているぞ」
「母上様と、きっとお屋敷の皆様との相性がよろしいのでしょう。母上様も、心を閉じていたりんだからこそ、お屋敷に連れ帰ったようにお見受けしたしましたし」
「そうか……」
「もう、どうしようも手の打ちようがない場合は、手遅れになる前に休眠させます。心を枯らしてしまう前に薬で強制的に眠らせて、時間を掛けて栄養を与え続け温室で保護します。プランツが自分で起きてくるまで、どのくらいかかるか判りませんが枯れる事だけは避けられます」
店主の言葉にある意味、殺生丸は飲まれていたといってもいい。最初はクレームの一つでもと足を運んだ店だが、りんの事を詳しく知った今、その気持ちはどこか薄らいでいた。
「でも今、りんが笑っているとお聞きして、私の取り越し苦労だと判りました。商品としてお求め頂いたとしても、やはり幸せであって欲しいと願うものです。あ、ところで何かご入用の物は御座いませんか? 今なら、マヌカハニー入りの砂糖菓子が入荷しておりますよ」
いかにも商売上手なやり手の顔を見せて、そう勧めてくる。殺生丸としても貿易商の、いわば商人の端くれ。そのまま、その口に乗るのは不本意だ。ふと、視線を他に向けた時に、鮮やかな色彩が殺生丸の目に飛び込んだ。
それは子供用のスラックス付きのチャイナドレス。りんには少し大きめな気がしたが、あんなビラビラ飾り立てたドレスより、よほど動きやすそうに思えた。淡い金色に薄く朱を混ぜたような色合いが、店内の照明に映えて殺生丸の眼を引いたのだ。ゆったりとした上着を締める帯の濃い緑が尚の事、りんに似合いそうな気がした。
「おや? これにお目を留められるとはさすがですね。これは絹の本場のこの国でも、特に貴重な黄金天繭から取った金色の絹糸から織り上げたものです。絹織物の中ではとても丈夫で元気なお子様をお持ちの方に、お勧めしています」
「悪くはないな」
「それでは、こちらはどうでしょう? 同じく天繭から作られた物ですが、こちらは天繭特有の薄緑色を生かした特殊な染めがセールスポイントとなっています。光の当り方で、薄緑色から薄金色、仄かな桜色にまで変化いたします。あちらはどちらかと言えば男の子向きのデザインですが、こちらは女の子向きになっております」
確かに先のチャイナドレスより、後から見せられたほうがよりドレスに近いデザインだが、どちらでも上着とスラックスの組み合わせが、あのお転婆なりんにはぴったりだろうと両方を買ってしまっていた。買った後で、それを自分が持って帰ることの面映さに、店側に届けさせる事にした。
らしくない事をした、と言う訳の判らない気持ちのまま数日間をオフィスで過ごし、半分以上の気まずさと共に屋敷に戻ってみる。屋敷に戻ってみると、この前帰った時よりも、なおも雰囲気が明るく和らいでいる。主の帰宅に気付いた邪見が、嬉しそうな顔でまず出迎えた。主と使用人の関係でしかなかった他の使用人達からの控え目で溝のあるように感じていた視線も、どことなく柔らかい。
何よりも、殺生丸の帰宅を知ったりんが買って貰った男の子っぽい方のチャイナドレス姿で、転げまわる子犬のような勢いのままそれこそ満面の笑顔で飛び出してきた。
言葉はなくとも、どれほど嬉しいのか。
それを、全身で表して。
その光景は、殺生丸には初めての体験。
こんなにも自分の帰宅を、自分の存在を喜んでくれるものがいることが。
だが ――――
戸惑い、今まで知らずに来たからこそ口に出してしまった、その言葉。
「……次は何が欲しい。お前の笑顔は高くつくな」
余りにも冷たい、心にもない一言。一瞬にしてりんの顔から笑顔が消えた。立ち止まり、小さな拳をぎゅっと握り締め、それからきっとした表情で殺生丸を見上げた。
りんのその表情に、殺生丸は僅かに動揺した。
しかし次の瞬間には、りんはまたぱっとにこやかな笑顔を浮かべて深々と頭を下げ、贈られた服の礼をした。そして、また元気に庭へと駆け出す。その後ろ姿に、殺生丸の胸で騒ぎ出しかけた動揺はなりを潜める。
そんな殺生丸の胸の中とは裏腹に、りんの胸の中には、ある強い決意が秘められていた。
4へ続く
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