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【 観用少女プランツ・ドールりん 1 】




 1930年代初め、上海の外国人居留地。

 本国では資産家で実業家でもある両親の影響が大きすぎる。そうでなくともなにかと要らぬところで干渉したがる性格、それをを嫌がり物理的な距離を取る為にも殺生丸はここ上海を自分の事業拠点にしていた。親元にいたころからその優れた才覚で財を成し、親の援助無しで事業を起こすことも出来た。人を見る目、先を読む判断力、必要であれば冷酷にもなれる企業のTOPに相応しい人物として上海の経済人の中で、その名を知らぬものはいない。
 
 その有り余る才能や手腕に反し、あまりにも若い実業家である殺生丸にはそれこそ絢爛な華に群がる無数の蝶のような、きらびやかな若い女性の姿が纏わり付いていた。しかし殺生丸はそんな女性達をビジネスでの取引商品のような冷めた目でしか見ない。実力のある者の周りには、その旨味のおこぼれを頂戴しようと浅ましく群がってくる者か、あるいはそれそのものを掠め取ろうと目を光らせている者が多かったからだ。

 殺生丸の両親は今世紀稀なる美男美女と讃えられた二人だけに、スキャンダルの種や愛人候補の男女の姿が絶えることはない。実際に殺生丸の父には母以外にも自分の子どもを産ませた愛人がいるし、母にしても若いツバメを何羽も飼っている。さすがに殺生丸の両親が仮初とは言え『選んだ』相手はそれなりの者ばかりであったので、その関係が切れたとしてもさっぱりとしたもの、父や母に直接危害が及ぶ事も恨まれる事もなかった。しかし、選ばれなかった者達の嫉妬や恨みは半端ではなかった。選ばれなかった者が恨みから屋敷に放火しようとした事も度々あったし、両親のとばっちりで幼い自分が誘拐されそうになったのは片手の指の数では足りない。出くわした者同士がみっともなく殴りあう姿もまた ――――

 しょっちゅう身近でそんな連中の痴話事や修羅場を見せつけてこられれば、幼かった殺生丸の情感が凍てついてしまうのも仕方がない。なぜ争うのかと言う根本を見据え、それは父なり母の寵を得て自分の得にしたいと言う計算からだと気付いた時には、男女事の全ては煩わしいものでしかなくなり、争うその姿に浅ましさしか感じられなくなっていた。
 その思いは殺生丸が長じて成人した今でも変らない。女を抱く事があってもそれは生理的欲求からであり、それ以上のなにものでも無かった。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 一人の女がオフィスの奥に設えられた寝室の鏡に向かって、紅の落ちた唇に赤いルージュを引き直している。触れられる事のなかった唇は女の喘ぎで乾き、枯れかけた花の様な色を隠すために。黒髪を結い上げた襟足はまだほのかに赤く、豊満な肢体を薄く柔らかに包むドレスは余韻が残っている女の肌に張り付くように纏わり付く。先ほどまで自分を抱いていた男の姿はもうない。女は軽く溜息を零すと、部屋のドアを開いた。
 そこは、その男のオフィス。自分を抱いた時と同じ冷たい顔で手元の書類を見ている。時刻は午後の一時を少し過ぎたぐらいだろうか。デスクの片隅に置かれたカップから、淹れられたばかりのコーヒーの香りが漂ってくる。

「……あんたに取ってあたしは、ほんのランチ代わりにしかすぎないんだ」
「それ以上の、なんだと言うのか」

 手元の書類を捌きながら、こちらに視線も向けずにそう冷たく言い放つ。

「少しは脈があるのかなと思ったんだけどね。声をかけてさえもらえなかったあのお嬢様方と比べてさ」
「どうしてそう思う」
「だって……」

 淡々と言葉を発する相手に、女は少し口ごもった。

「あの部屋はあんたの私室だろ? そこに女が入るのはさ……」
「お前がその気だったから、乗ったまで。深い意味は無い。あの部屋は仕事の効率を上げる為の休息所。私室なら屋敷にある」
「じゃ、あたしを抱いたのも仕事の効率を上げる為? そんな理由で、あたしを……」
「……あの部屋に入った女がお前だけとは思ってはいまい? 私は『ビジネス』と割り切れる相手としかここでは話をしない」
「あ、あたしがそんな女だとでもっっ…!」

 男は怪訝そうな目で女を見やる。

「お前とはそんな話もしなかったはずだが…。お前がそう思うなら、それでも良い」

 女の顔が怒りで赤く染まる。婀娜っぽく斜な口を聞く女だが、それでもそれなりの家柄のれっきとした令嬢であり幾つかの劇場を持って事業も起こしていた。それを街の商売女と同じように言われては、女のプライドはずたずただ。

「あたしがいつあんたに金をくれなんて言った!? あたしをそこらへんの娼婦と同じに見ていたんだね!!」
「違う。高級娼婦の方が仕事は上手い。満足度も高いし、苦情も言わん」

 話している間に一仕事片付けたのか、また別の書類の山を引き寄せる。

「じゃ、なんであたしを……」
「遊び慣れている女だから、世間知らずな娘達のような事は言うまい。私に抱かれただけで、私の妻になれると信じているような娘達と違って」

 非情な言葉を投げつけつつ、男は仕事を続ける。

「……殺生丸」
「お前もあの娘たちと同じか、見込み違いだったな。私は誰とも結婚をするつもりはない。しかし、男である以上女は必要だ。金を払って娼婦を雇っても構わんが、たまには自分と同じ側の女でも良いと思ったのだ」
「あたし、あんたの言っている事が判らないよ……」
「お前は実業家としての才もあり自立もしている上、男慣れもしている。普通の女のように貞淑さや従順さを売りにして、男の庇護を受ける契約でもある結婚などという形は必要ないだろう」
「契約…? 結婚が……」
「夫を必要としない女と妻を必要としない男…。『必要』と言う事は需要と供給、つまりビジネスだ。たまにはビジネスから離れた計算のない男女関係も悪くないかと思っただけだ」

 淡々と、新しい事業の説明でもするかのように言葉を続ける。有能な実業家の顔で冷ややかな瞳で。そこで女は、この男との致命的な価値観の違いを痛感した。つまり、この男にとって結婚を含む男女間の恋愛やら感情の動向は、なんらかの損得勘定の上でなりたつものだと結論つけてしまっていたのだ。
 力が抜けるような、どうしようもない脱力感を女は感じた。

「ああ、そりゃあんたの大見込み違いさ。あたしだって好きな男と結婚したい。好きな男の妻になりたいって気持ちがあるんだからね。それをあんたは『欲』って見るんだろ? 損得に置き換えて見ちまうんだろっ!? きっとあんたには、『無償の愛情』や『好意』ってのはまやかしなんだろうね」
「……裏を読むのは、ビジネスの常套手段。相手の言葉を鵜呑みにして信じるほうが愚かしい」
「そんな考え方のあんたには、生身の女じゃ付き合いきれないよ。せいぜい綺麗に着飾った心のない人形みたいな女に相手してもらうんだね!!」

 オフィスのドアを開け放し、女は叫ぶように言った。それだけを言うと、振り返りもせずそのままオフィスを立ち去る。
 それはこの女の精一杯の捨て台詞。それが案外、的を射ていたことに気付かずに。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 殺生丸のオフィスが入ったビルのエントランスで二人の女がすれ違う。
 勝気な瞳に涙を滲ませた若い女と、輝くようなプラチナブロンドの髪が印象的な上品で贅を凝らした身なりの妙齢の貴婦人。高貴な面持ちでありながら、金色のダイヤモンドを思わせるような瞳には鋭い光が浮かんでいた。
 その貴婦人はアールデコ調の飾りの付いたエレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。そこには――――

 まだ開いたままだったオフィスのドアを、外側の廊下からコンココンとノックする。

「……なんの用だ。こんな東の果てにまで」
「今日、港に着くと電報を打っていたはずだが? 母の迎えにも来ぬとは薄情な息子よな」
「物見遊山な暇人の相手が出来るほど、こちらも暇ではないのでな」

 殺生丸の母と名乗った貴婦人が、ふとオフィスの中に残る香水の匂いに気がついた。この香りは、あのエントランスですれ違った若い女が付けていた物と同じ。瞳に涙を滲ませていた、あの女性。

「母の迎えに来る暇はなくとも、女を泣かせる暇はあると見える」
「泣くのは向こうの勝手だ。私が誘った訳でもない」
「お前は……」

 ここまでの冷血漢というか、情感の無さは自分たちの育て方が悪かったのだろうと今なら思える。それでも、この年齢で親と同じく世界を相手の貿易関係の仕事を起こしたのなら、腹芸の一つでもこなさねばいつかそんな女達の恨みで刺されてもおかしくはない。そういう不器用さが、このご母堂には甘く見えていた。

「……女は泣かすな。あとが恐ろしいぞ」
「ふん。それは嫌と言うほど知っている。あれは例外だ、普段は後腐れの無い高級娼婦しか使わん。それも一度きりのな」
「女は道具ではないぞ? しかし、その様子だとまだ身を固めるつもりはなさそうじゃな」
「無駄な事を……。私は結婚するつもりも子を設けるつもりも無い。跡を取らせたいならあの異母弟の所から養子でも取ればいい」
「仕事と結婚するつもりか? 何を考えている」

 よほどご母堂との会話が煩わしかったのか、不機嫌な様子も露わに手にしていた書類から目を外し、やはり良く似た金色の瞳で冷ややかに見つめ返す。

「父の事業を追い越す。今の目標はそれだけだ」
「父の…、あの世界の金融王の闘牙をか!?」
「もう話す事はない。そうそうに引き取ってもらおう」

 あまりにもつっけんどんなその態度。もうこれ以上、この息子は口を開くまいとご母堂は思った。

「では、そうしよう。ああ、そうじゃ。こちらでの滞在中はお前の屋敷に世話になるからの」

 手にした書類を殺生丸は机の上に叩き付けた。

「宿くらい、ペニンシェラか錦江飯店にでも泊まればいいだろう!」
「ホテルは人の出入りが多い、今回は静かに過ごしたいのじゃ。ああ、お前からの手配はしなくても良いからな。もう屋敷の邪見には言いつけてある」

 殺生丸の怒りのオーラを背に受けて、それでも泰然とそしてあくまで優雅にご母堂はオフィスを後にした。
 ビルの前に待たせていたロイス社製のリムジンに乗り込むと、南京路から横道へと入ってゆきチャイナタウンの下町の雑踏の中へと消えて行った。しばらく走ると運転手が困ったようにご母堂に話しかけてきた。

「大変申し訳ありません、奥様。この先は道が細くなっておりまして、この車では入る事が難しくなっています。お申し付けのその店はここより少し先になるのですが……」
「ならば、歩こう」
「あ、でも! なにせ下町ですから、奥様のような高貴な方が一人で足を踏み入れるのはっっ……」
「心配せずとも良い。妾を襲うような暴漢がいれば、そやつらはとんでもない不運に見舞われようぞ」
「奥様……」

 その言葉に偽りは無かった。貴婦人然としているご母堂だが、荒事もこなせる女丈夫でもある。そのしなやかな手から繰り出される鞭や短剣の鋭さ正確さは、それを生業としているものと比べても遜色がないほどである。何よりも戦闘態勢になった時のご母堂の気迫は、その辺りの暴漢やヤクザくらいでは太刀打ちできない。まるで蛇に睨まれたカエル状態になるのがオチだった。
 ご母堂の美貌と気迫に、通りかかった街の者は振り返り賞賛を込めた溜息で見送るばかり。ご母堂は運転手に教えられた路地の奥へとその優美な姿を消した。

 ご母堂の目的の店は、古色蒼然とした佇まいのアンティークショップ。店の造りに相応しく、おいてある商品はどれも年数を経てもなおその価値を損なわない本物の良品しか置いていなかった。中国の古い王墓から出土されたような景徳鎮の青磁の香炉や梅瓶、あるいは唐時代からの伝統を受け継ぐ紫檀製の唐木家具などが店内の壁に沿って並べられている。ペルシャ織りの絨毯がタペストリー代りに壁を飾り、十六世紀頃の製作と思われるベネチアングラスが唐木家具の上で、店内の薄暗い照明を反射していた。その店の重たい扉が開かれ、扉につけられた呼び鈴がカランとなった。

「ほぅ、これはたいしたものだな」

 ご母堂はさっと一瞥しただけで、その店の商品の確かさを実感する。

「ようこそ、いらっしゃいませ。今日はどんな商品をお探しでしょう?」

 店の奥から出てきたのはまだ年若い店主。柔らかな癖のある色の薄い長髪を一つに束ね眼鏡をかけ、おだやかに話す様は店の店主と言うよりもむしろ学者か音楽家のようにも見える風貌。

「ああ、ウィリッジ卿夫人がこちらに滞在中に、それは素晴らしい人形を手に入れたと自慢されてな。私も欲しくなったので買いに来たのだ」
「ウィリッジ卿夫人の…。お子様のおられぬご夫婦でしたから、子どもの代わりにしたいとお求めになった【観用少女−プランツ・ドール−】でございますね。ええ、あの少女はそれは名高い名人の手による作品でしたから、それはもう良いものでございます」
「夫人の話ではなかなか手に入らぬモノと聞いているが、今この店にそれはあるのか?」
「ございますよ。ただ、相性がございますので当店におります少女が奥様と合わない場合もご考慮いただけますと幸いです」
「ん? それは私が欲しいと言っても、相性が合わなければ売らぬと言う事か?」
「はい。なにぶんにも少女はデリケートな生き物ですから。無理にご購入されても相性の合わなさで枯れてしまう事もございます。そうなりますと、双方共に不幸なことでございますし」
「ふむ……」

 ご母堂はその言葉に、少し言葉を途切らせた。

「お急ぎでなければ、奥でお茶でもどうでしょう? お話を良く伺えば奥様のご希望の少女をお探しする事もできますし」
「そうか、ではそうしよう」

 店主が案内した奥まった場所には、何体かの観用少女達が静かに椅子の上に座っていた。ボビンレースの襟飾りやフリルのついた白絹のドレスにシフォンの造花が付いた羽帽子。ピンクパールのイヤリングをつけたその少女は流れるような金髪とサファイアのような深く青い瞳を持ち、透き通るような白い肌には少女らしい頬の桜色が愛らしく、例え人形であると判っていても微笑を返さずにはいられない気持ちになる。
 髪の色も瞳の色もそれぞれ違う、着ているドレスはそれこそ百花繚乱。そんな観用少女達がこの自分達の飼い主になるかもしれないご母堂を、密やかにしかし興味深げに見ていた。
 ご母堂の前に、高麗の白磁のテーカップが差し出される。立ち上る香りは、芳しい花の香り。

「良い香りだな。これは金木犀か?」
「いえ、黄金桂と言う安渓(あんけい)地区でごく少量生産される烏龍茶です。花茶ではないのですが、香りが金木犀に似ているのでこの名がついていおります。奥様の美しい瞳の色を讃えまして」
「ふふ、口の上手い男だ。さぞ商売上手なことであろうな」
「少女達もそう思っているようですよ。興味のないお客様でしたら寝ているような娘たちですからね」
「しかし、すばらしいものだな。これが人形だとは」
「奥様、人形ではありません。【観用少女】プランツ・ドールでございます。生きている人形と思われている方も多いのですが、【観用少女=プランツ】ですから、むしろ名人や匠が丹精込めて育て上げた名花のようなものだと思っていただけたらと……」
「名花…、なるほど。それで『枯れる』こともあると」
「はい、さようでございます」

 不思議な緊張感が漂っている。胡散臭くはあるが長身で美形の部類に入る店主と、艶やかさと迫力で他を圧倒する貴婦人、その二人を澄んだ硬質な瞳で見つめている可憐にして絢爛豪華な観用少女達。
 ふと、店主がいつもと違う少女達の様子に気が付いた。

「おや、これは……」
「どうした、店主?」

 少女達の表情を見ながら、少し困った風に腕を組んでいる。

「奥様があまりにお美しい方ですので、少女達が怖気ているようなのです」
「ほぅ、そんなことがあるのか? 感情があるのか、これには」
「もちろん御座いますとも。同じ種類の花でも特に愛情深く世話をしてやった花は、他の花よりももっと美しく長く咲き続けることが出来るのは、良く知られたことです。少女達も飼い主の愛情で、より美しくなる事が出来るのです」
「しかし、私に怖気るとは……。なにも取って喰いはせぬものを」

 観用少女達の特性を知り、ますます興味が深くなる。面白げにご母堂は、そこに据わっている少女達を見回した。

「まぁ、なんと言いますか…。少女達はワガママなんです。自分たちが最高級なモノだと自覚してますから。美しさも愛らしさもそれが見るものを幸せにする事を知っています。自分に愛情を惜しげなく注いでくれる者だけに、その笑顔を見せるのです」
「なんと、扱い難いもののようじゃな」
「はい。もともとこの少女達は貴族の隠された風雅な趣味として伝わってきたものですから、そこはそれなりにと――――」
「では今、ここにある観用少女達と私では相性があわぬ、と言う事か?」
「はぁ、まぁそのようです。奥様を自分たちより上の存在と見ているようで、そこがワガママな少女達には居心地が悪いようです」

 そんな商売上、不利になりそうなこともさらっとこの店主は言ってのける。その飄々とした様が、さらにこの店主の食えなさぶりを感じさせた。

「……そうか。この娘達に無理強いは禁物か。娘のような観用少女に私の憂さを晴らして欲しかったのだがな」
「奥様もウィリッジ卿夫人と同じでございましたか」
「いや、私にはもう成人も済ませた可愛げのない息子がいる。だが息子では女親の気持ちなど判ってはくれぬからのぅ」
「それがお寂しいと、それでプランツをお求めに――」
「息子は幼い頃から可愛げがなくてな。愛らしい笑顔などとんと見た事がない。この頃無性に、そんな笑顔に癒されたくなってきてな」

 殺生丸の可愛げの無さは親である自分達のせいである事は半分棚上げにし、それでももうあの頃のような若さだけで無茶も無理も通すだけの無分別な事が出来なくなった分、この大変な時期、ふと子どもの無邪気な笑顔や仕草で心を和ませたいと思ってしまったのだ。そんな折に見かけたのがウィリッジ卿夫人が上海から連れ帰った観用少女。
 夫人に屈託無く微笑みかける少女の笑顔を純粋に羨んでいる自分に気付き、こうして商用でもないのに海を渡って上海までやってきたのだった。

 ご母堂ほどの実力者なら、店主がどう渋ろうと手に入れると思ったものを手に入れることなど容易かった。しかし、それでは自分が本当に欲しいモノは手に入らぬとご母堂は悟っており、茶の礼だけを述べて店を後にしようと店頭のショーウィンドウの隅に目を向けた時だった。古めかしいぬいぐるみやビスクドールの中に隠れるように紛れていた少女と目が合う。黒い髪黒い瞳、顔立ちも東洋人めいたこじんまりとした作りで先ほど見た観用少女達の派手やかしさや華やかさとは対照的な少女だった。

「店主、これは…」
「ああ、しばらく姿が見えないと思ったらこんなところに」
「これもプランツなのか? にしては、えらく地味な感じだな」
「ええ。このプランツを育てたのは名人の中でも、粋人として名高い方でした。プランツに東洋の侘寂を取り入れたのでございます」
「侘寂…?」
「まぁ、なんといいますか……。ものの哀れとか、季節の移ろいに心を震わせるとか、そんな境地の事ですね」
「ふむ、それで?」
「先ほども申しましたように、プランツ達は言わば艶やかな名花揃い。花に例えればバラや百合や牡丹や芍薬など。それに対し侘寂の世界では、あまり人の手の入っていない野の花の一輪を愛でます。この少女はその野の花のプランツなのです」
「それはかなり珍しいプランツではないのか? それがどうしてこんな店の片隅に……」
「珍しくはあっても、需要がないのです。誰にも笑いかけませんから」
「うん? 笑いかけるのは相性の合う飼い主に対してではないのか?」
「そこはプランツ達も心得ていますよ。愛想笑いくらいは見せないとですね」
「なぜ笑わぬ? 出来損ないなのか?」

 黒い瞳の少女は店主と貴婦人の会話を、じっと聞いている。

「出来損ないなどではありません。想いの深いプランツなのです。このプランツを育てた名人は不幸な強盗事件で命を落としたのです。その時、このプランツも奪われる所だったのですが、その名人が自分の命に変えて守り抜いた。その事を、この少女は今も心に抱えているのです」
「……………………」
「自分を慈しんでくれた人間と、欲の為に人を殺す事も平気な人間。それを目の前で見せ付けられては、心を閉ざしても仕方がありません」
「心を閉ざす……」

 その言葉はご母堂の心にちくりとした痛みと共に、このプランツへある種の思いを抱かせた。

「店主、この少女を連れて帰りたいのだが……」
「しかし、相性の方はどうでしょうか? 私としては商売ですからお売りするのは当然ですが、それでも――」

 ご母堂の金色の瞳が強い輝きを見せて、店主を正面から射抜いている。今まで何人もの客を見てきた店主は、この貴婦人の要望を断る事はできないと即断した。

「それでは、まずはお試しと言う事ではどうでしょう? 何日間かお手元に置いてみて様子を見てみると言う事で。もし奥様の手に負えないような事態になりましたら、すぐ当店にお持込くださいませ。問題が無いようでしたら、改めて観用少女の御代を請求させていただきます」
「世話はどうする?」
「はい、観用少女の飼育法はそう難しくはございません。日に三度、専用のミルクを飲ませ、週に一回肥料として砂糖菓子を与えれば大丈夫でございます。こちらのプランツは他のプランツと違い野趣味に育てられていますので必要ないかと思いますが、もしご入用でしたら特別配合された総合ビタミン剤入りの肥料もございます。後は普通に、子どもに与える快適な環境とたっぷりの愛情、それだけでございます」
「……難しくない、か。そうであろうな、普通の母親であれば。だからこそ、私にはこれが必要なのじゃ」

 ご母堂がその隠れていた少女をぬいぐるみ達の中から抱き上げる。見た目は四・五歳くらいの大きさだがその身はとても軽かった。黒目がちな大きな瞳は少しつり上がり気味で、本来の性格はとても快活な少女だろうとご母堂は思った。

「恐ろしい思いをしたのだな。安心せよ、今日から私がお前の母になろう。そして急ぎはせぬから、いつか私に笑いかけておくれ」

 少女の黒い瞳は、その者が抱く本質を映し出す。
 かすかにその少女は頷いた。

「この【観用少女】プランツ・ドールには名があるのか?」
「侘寂を愛した名人らしい名がついております。秋の夜長、耳を楽しませてくれる虫の音を取り、『りん』と言う名が」
「そうか、りんか。では、りん。屋敷に帰るぞ」

 もう一度、りんは確かに頷いた。

 その後、必要だからと一通り観用少女飼育セットのような物を購入させられ、ご母堂は殺生丸の屋敷に戻った。屋敷を預かっている執事の邪見がその買い物の豪華さにもともと大きな目玉を更に大きくさせる。

「お、奥方様! これは一体どうした訳でございますか!? この山ほどの商品の数々、それに……」

 ご母堂の影に隠れていたりんに気付き、もしやと思いで恐る恐る言葉を続ける。

「あの、その娘は何者なのですか? まさか、奥方様の……」
「ん? ああ、これか。これは私の娘じゃ」
「む、娘っっ!? そ、それでは、奥方様の隠し子……!!」

 本国にいる闘牙の隠し子の事を知っている邪見にすれば、ご母堂が自分の『娘』と言った段階でその言葉が飛び出してくるのも仕方がなかった。

「……邪見、お前ここにはどのくらい滞在しておる?」
「は? 滞在期間でございますか? そうですなぁ…、もうかれこれ五・六年にはなりましょうか」
「ならば上流階級の者達の間の密やかな嗜みとして【観用少女】プランツ・ドールの名くらいは聞いた事があろう?」
「【観用少女】…? ああ、あの生きている人形とかいう奴でございますな。大層で贅沢で愛らしく扱い難いモノで、本体もその付随するあれこれにも目の玉が飛び出るほど高価なモノとか」
「ほぅ、良く知っているではないか」

 にっこりとご母堂は微笑みながらぴらりと手にした請求書を邪見に見せた。請求書に書かれている内訳は市価の三十倍はするプランツ用の特製ミルク代とか、モーゼルのクリスタル容器に入った宝石のような砂糖菓子の代金とか、なによりも邪見の目玉を飛び出させたのは、プランツの衣装代を含む装身具代の総額。その桁数は七桁を下らない。

「お、奥方様……」
「まだこの娘はお試し期間中なので、本体の代金は入ってないがな。幸いこの屋敷ならシルクのシーツやミルク用の高級カップなどはあるから、買わずに済んだがな」
「で、でも! たかが人形でございましょうっっ!! それに、こんな請求書とは……!」
「何をそんなに驚いておる? お前が払う訳でなかろう。さぁ、車の中の荷物を運んでおくれ」
「はぁ、今まで親子として暮らせなかったその埋め合わせに、高価な人形を遊び相手にさせようと言うお考えも判りますが、それならそれでこの屋敷に奥方様の隠し子と言うか、異父妹を置いておくのはまずくはありますまいか?」
「邪見?」
「殺生丸様はあのような性格でございますゆえ」

 ご母堂の後ろに立っている黒髪の娘を見ながら、そう邪見は言った。確かにどこをどうみてもご母堂の面影もない、むしろせいぜいこざっぱりとした普通の娘にしか見えない。ご母堂の美貌も派手やかさも少しも遺伝しなかったというなら、この娘の父親になる男はどんなに地味な男だったのだろうとさえ勘ぐってしまった。こんな普通の娘と美しさと愛らしさで噂になる【観用少女】を並ばせようと言うご母堂も、ある意味酷なことをなさるとちらりと邪見は考えた。

「なぜ殺生丸の機嫌など伺わねばならぬ? 邪見、お前もなにやら思い違いがあるようじゃな。本日よりこの【観用少女=りん】を私の娘とする、と言う事なのじゃが」
「へっ? あ、あれ…、ではその黒髪の娘がプランツなのですか? いや、噂に聞くプランツとは違い、随分地味だな〜と」

 りんはますますご母堂の影に隠れるように身を縮こめた。
 こうして、殺生丸の屋敷でご母堂とりんとの暮らしが始まった。




2へ続く


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