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【 Petshop 1 】



 秋の新作スイーツを両手に抱え、ついでに体調の悪そうな子たちも回収して店に戻る途中、ふと気になる気配を感じた。その気配の中心にいたのはこの街にはそぐわない風情の少女と、まったくこの街の住人らしい柄の悪い若い男が二・三人。
 私の気を引いたその少女は一言で言えば、まったく普通の少女。同じ年頃でもこの街を徘徊する少女達は過剰に美々しく自分を飾り立て、男の視線を煽り早熟すぎる『女』の顔を見せるのに、この少女はむしろこの街には不似合いな、品の良さのようなものを漂わせていた。

「……迷子? どこかのお嬢様かな?」

 面倒は御免だと思いながらも、つい視線はそちらの方へ向いてしまう。意識を傾ければ、その会話も聞き取れてしまう。

「あ、あの! お願いです。そこを通してください!」
「ん〜、だからさ。お前、迷子なんだろ? この街は昼間でも物騒だからさ、俺達が一緒に連れを探してやるよ」

 ニヤニヤとした下卑た笑いのその裏の、潜む思惑の下劣さに吐き気がする。こんな子をこんな場所に連れてきたその『連れ』の、注意不足さにも軽い怒りを感じた。

「大丈夫です。電話さえかけさせてもらえれば、すぐ迎えに来てもらえるから!!」

( おや? 意外とはっきりものが言える子だ。品の良さの割には、お嬢様らしくない元気の良さがこの子の魅力だね )

「へぇ〜、じゃ、俺の携帯貸してやるよ。そんならいいだろ?」

 意外な申し出に、少女の頑なさが少し緩んだ。私も、これからどう事態が動くかさらに様子を伺うことにする。少女の前に差し出された携帯、それを手に取り少女がボタンを押す。ワンコールしかけた時に、その男は少女の腕にわざとぶつかり携帯を下の路面に落とさせた。

「あ〜あ。俺の携帯買ったばっかりだったのに、落として壊しちまいやがって! どう弁償してくれるんだよっっ!!」
「そんなっ! だって、そっちがぶつかってきたから……」
「い〜や、言い訳なんか聞かないねっ! 壊したもんは壊した奴が弁償するのが道理だろ? お前が壊したんだから、お前が弁償しなくっちゃな」

 無知な少女に難癖つけて、自分達の言う事を聞かせようという腹だろう。この手の輩は狡猾だ。この少女をどこか人目につかないような所に連れ込んで、あられもない映像でも撮るつもりかもしれない。こんな清楚ですれてない少女のモノなら闇で流せば良い値がつく。携帯に少女の連絡先を入力させたという事は、そちらからもそれをネタに強請る算段もしているのか。

「さぁ、こっちに来い! なに、大人しく俺達の言う事を聞けばすぐ帰してやるからさ」

 少女の細い腕を取り、少し先に止めていた車の中へ押し込もうとする。通りがかる者が居ないわけではないけれど、誰も彼もが係わり合いになるのを避けて知らぬ振りをして通り過ぎてゆく。

( ふ…ん、相変わらず利己的な生き物だ )

「いやっっ!! あたしに触らないで!」

 自分の腕を取った男の手を少女は小さな拳で殴りつける。普通の少女のように見えるその子から、野生の獣のような覇気を感じた。まぁ、せいぜいは子猫の中の野生に過ぎないが。

「……うちのお客様がどうかしましたか?」
「あっ? なんだ、お前?」

 気の強い子猫が、薄汚い人間の手で可哀想な目に合うのは腹に据えかねる。軽く溜息をつきながら両手の荷物を片手にまとめた。

「この近所でペットショップを営んでいるものです。こちらのお客様は、先ほど私の店から逃げ出したペットを一緒に探してくれていたのですよ」

 その少女と男達に間に入りながら、相手を睨みつけ後ろ手で少女の手を取る。

「なんだ、お前! 男か女か判らない格好して! その薄気味悪い眼でこっちを見るな!!」

 ドレス様に仕立てた支那服、薄墨と金とのオッドアイ。この歌舞伎町(まち)で、男か女を問うとはあまりにも間抜けすぎる。

「さぁ、お連れ様がお待ちです。店に戻りましょう」
「あ、えっと、ええはい」

 察しの良い子でもあるようだ。差し出した私の手を強く握り返して、私の話に合わせてくる。

「ちょっと待て、お前! そんなこと言って俺たちからその娘を掠めようってつもりじゃないだろうな!!」

 そう言いながら私の胸倉を掴み上げてくる。一見して年若く非力な細身に見えるこの姿が禍してか、よく色んな雑魚どもに絡まれる。この私に絡んだそんな連中がその後どんな目にあったか、もう思い出すのも面倒だ。掴み上げた男の手をスイーツを持った手の甲で下から軽く撥ね上げる。ああ、箱の中身は大丈夫だろうか? 跳ね上げたタイミングで上着の開いた袖口から、礫のように何かがその男目掛けて跳ねてゆく。

「ああ、あなた方が騒ぐからせっかく回収したペットが一匹、あなたの首筋に跳ねてしまいました」
「ああん、何を言って……」

 私の言葉に誘導されるように首筋に手をやる男。その男の掌に乗る最凶の金色。

「なんだ? ただのカエルじゃないか。こんなもの握りつぶして ―――― 」
「それはやめた方がいいですよ。そのカエルは皮膚から猛毒を分泌してましてね、致死量は0.1mgで皮膚から吸収されます」
「うわっっ!!」

 落ち着き払って薄笑いを浮かべ、そう言い放つ。男は条件反射で手を振り、そのカエルを路面に叩きつけるように振り落とした。

「あ〜あ、なんて可哀想な事を! 死んでしまったではありませんか」
「どうせハッタリだろう! ふざけやがって!!」
「嘘は言いません。もう一度、試してみますか?」

 胸倉を掴まれた時に外れた上着のボタン、肌蹴た胸元から覗く無数のカエル達。両生類の黒目がちな表情のない眼に何を感じたのか、男達は口汚い捨て台詞を残し止めていた車に乗るとその場を立ち去っていった。

「あ、ありがとうございました。本当に助かりました!」

 私の後ろにいた少女がその男が路面に落としたカエルをすくい上げ、私の前に差し出した。

「お嬢さん、あなた……」
「大丈夫です。このカエル、まだ生きてます!」

 にっこりと笑うその笑顔に、ふっとこちらもつられそうになる。

「怖くないのですか? そのカエル、本物の毒カエルですよ?」
「毒を持っている生き物がいつも毒を出してる訳じゃないって知ってるから。このカエルもそうでしょ? 危なくないから自分の服の中に入れて運んでたんでしょう?」

 少女の観察眼の鋭さに興味を覚えた。ここまで乗りかかった船だ、最後まで面倒を見るのも悪くは無いかもしれない。ついでにこの少女の保護者に一言厳しく注意しておいてもと。

「……話は聞いていました。お連れの方とはぐれてしまったとか。店の電話をお貸ししましょう。お迎えが来るまで、私とお茶でもしませんか?」
「あの、でも助けてもらって、その上でなんて、図々しいです」
「その方が私も安心できるのですよ。それともあなたの眼には、私も不審な人間に映っているのでしょうか?」

 この街に慣れた人間なら今更だろうが、何も知らないこんな少女には私の姿はやはり異端だろう。あの男達の言葉ではないが、薄気味悪いと言われる事もよくある事。

「ううん、そんな事ありません! だって同じだもの、りんが大好きな眸の色と」

 そう言った少女のほんのり赤く染まった初々しい表情に、とうとう私は負けて微笑みを返してしまった。

「どうしてこんな危ない所に出かけてきたのですか? お連れの方のご用で?」

 店への道すがら、そんな事を聞いてみる。

「……りんのわがままなんです。歌舞伎町にどんな動物でも扱っているペットショップがあるって学校で噂を聞いて。同じペットショップ屋さんなら、ご存知ないですか?」
「どんな動物でも…。あなたが捜しているのは、とても珍しい種類?」
「ええ。そのお店でなら、もう一度逢えるかなって。現代(いま)じゃ昔みたいに一緒にいることは出来ないかもしれないけど――」
「ほぅ……」
「飼っていたっていうより、一緒に暮らしていたの。もうずっと昔々のことだけどね」

 初めてこの少女を見かけた時の、気になる気配が強くなる。この少女の姿にもう一人、この少女に良く似た誰かが重なっている。街路を少し歩き、横道から中華街を模した高層総合商業ビルに入る。他のフロアには眼もくれず十三階のフロアまでエレベーターで上り、人気のない一種異世界風な雰囲気を醸し出している扉の前で立ち止まった。

「あなたは運が良い。あなたの目的の場所はきっとここでしょう。お探しのペットはどんな種類なのでしょう?」

 私はそう言いながらペットショップの扉を開き、少女を招き入れた。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「おおお〜、どうしてこんな時に限ってりんのバカは携帯を持っておらんのじゃっっ!!」

 りんとはぐれた邪見は、焦りを顔に浮かべ小さな体で歌舞伎町の路地を走り回っていた。りんに拝み倒され、またその話に自分も気を引かれたのもあって、昼間ならそう危ない事はないだろうと出かけて見ればこの有様。
 こんな所を殺生丸に見つかれば、きっとただでは済まされない。悪名高いこの街の事、いくらせがまれたからと言ってもりんのような子どもを連れて来るべきではなかった。 りんとはぐれたのもほんの僅かりんから眼を外し、姿を見失って慌てて捜そうとした矢先に言葉のよく通じない外国人の路上販売につかまったせいだった。あれこれ売りつけられそうになったのを必死で断り、どうにかその場を抜け出した時にはもう完全にりんとはぐれていた。

 おまけに悪い事は重なるもので、今日に限ってりんが携帯を屋敷に忘れて来ていたのだ。その事に気付いたのも、何度もりんの携帯に電話を入れた後の事。焦りながら邪見は自分の腕時計を見た。時計の針はそろそろ四時を差そうとしている。暗くなれば本格的にこの街が目覚める。そうなれば、もっと事態は悪化するだろう。

( り、りんの身に何かあれば、ワシは殺生丸様に殺されるっっ!! )

 ……現在(いま)も昔もその点だけは変らない。りんや自分が人間に転生した今でも、あの頃の絆はそのままより強く繋がっている。それだけに ―――
 懐内ポケットの携帯が鳴った時、ドキドキしていた心臓はそれこそ口から飛び出るかと思うほどだった。



 広々としているのに小じんまりとした店内。エキゾチックな装飾や手の込んだ中華王朝風な家具が、非日常的な空間を生み出していた。子どもにも判るような立派な焼き物の花瓶に華やかな花々や花木を生け、細かな細工を施したスタンドに吊るされた鳥かごの中には、見たこともないような綺麗な羽根の鳥たちが美しい歌声を響かせていた。
 その佇まいに相応しいアンティークな電話の受話器を少女が置くのと、私が奥のキッチンからティーセットを運んできたのはほぼ同時だった。

「お連れの方には連絡がつきましたか? さぁ、どうぞ。キーマン紅茶でミルクティにしてみました。お茶受けにはラズベリィパイを」

 少女の前に可愛らしい花柄のティーセットを置く。

「今日は午後から売り出しの新作のスイーツの買出しに出ていたので、あなたに店まで来ていただいていても、門前払いになっていたかもしれませんね」
「あたし、てっきり普通のペットショップ屋さんと同じようにウィンドウの中にゲージを一杯並べているのかと思ってたの。ちゃんとお店の名前を聞いてなかったので、そんなお店ばかり捜してた」
「それではこれからよろしくお願いします、お嬢様。『伯爵D』が店の名前、私もそう呼ばれています」

 つい習い性で、年端も行かない少女にもビジネス用に名詞を差し出す。それを受け取り、名刺に書かれている文字を少女がたどたどしく読む。

「カ、カウント…D? あの、もしかして本物の伯爵様?」
「いえいえ、それは曽々祖父の代までの話です。今では単なるペットショップの屋号です。お茶が冷めてしまいますよ?」

 私に促され少女は軽く会釈をしてミルクティを一口、口にした。少女の正面に座り私もカップを自分の口元に運ぶ。少女の瞳がきらきらと輝いて、店内のペット達を眺めている。女の子に受けのよい子犬や子猫だけではなく、蛇やトカゲやカエルなどにもそれはにこにこと笑顔を浮かべて。

「……動物がお好きなようですね?」
「昔、色々あって今はもう大丈夫だけど、ちょっと『ヒト』が苦手だった頃があるんです。そんな時、あたしの友達だったのが身近にいたトカゲやカエル達だったから――――」

 そう話す少女の背後に立つのは、もうどれぐらい前の彼女なのか赤と白の市松模様の着物を着ている。今、この少女が話している『昔』とは、きっとこの影の少女の記憶なのだろう。

「特にね、カエルが好きかも。なんだか親近感感じちゃって」

 にこっと笑いながら、もう一口ミルクティーを口にする。

「そうですか。あの子たちもお嬢さんを気に入ったようですよ」
「あの子たちって、あの金色のカエルちゃんたち?」
「はい。高名な風水師が金色のカエルは金運UPのお守りです、なんて言ったものですから、それこそ飛ぶように売れてすぐ品切れになるんです。どうですか? 一匹お持ち帰りになりませんか?」
「あの、でも支払いが……」
「あなたなら、きっとちゃんと飼って下さると信じていますよ。もともとこのカエルは南米の暑い地域に住んでいる寒さに弱い種類なんです。この子たちを渡した時につけた取説にもちゃんと書いてあったんですけど、そんなカエル達をエアコンが効きすぎている所で飼うものですから、すっかり冷房病になってしまいましてね。逃げ出してきたのを回収してきたものですから御代はいりません」
「あ、でも、あたしが欲しいのは ――――」

 保温ゲージの中に入れられた、この少女に助けられた子が行きたそうにしているのだが、どうも脈はなさそうだ。

「ああ、そうでした。もうすでにお望みのペットがおありでしたね。どんな子がご希望でしょう?」

 少女が周りを見回し、それからカップの中の揺れる優しい色合いの波紋に視線を泳がせながら、ぽつりと言葉にした。

「あのね、竜なの。首が二つある空飛ぶ竜。うん、もう今じゃ存在しないって判っているんだけどね。変なこと言う子だなぁ、って笑ってもいいよ。自分でもそう思うから」

 ミルクティを無意味にスプーンでかき混ぜて、波紋を大きくする。その波紋の大きさは、この少女の胸のうちか。

「本当…、ここになら阿吽がいてもおかしくないような気がする。なんだかとても不思議な感じのするお店ですね。今のあたしじゃ飼える訳ないんだけど、もしいるのなら一目でも逢いたいなって」
「双頭の飛竜、ですか。難しいですね、三つ首の神龍なら以前いたのですけど――」 

 りんは自分の夢のような話に、この伯爵が話を合わせてくれたのだと思った。
 その時 ――――

「り―んっっ!!」

 店の扉をバタンと大きく開きながら、邪見が飛び込んできた。焦りまくって汗をかいたのか、かなりよれよれの状態で。

「お迎えが来たようですね」

 静かにカップをソーサーに戻しながら、私は立ち上がる。それにつられて少女も立ち上がった。

「この、バカ娘がっっ!! お前に何かあったらどれほどワシが殺生丸様に責められる事か! いやいや、そんなワシの事よりもお前が無事で良かった。本当に良かったっっ!!」
「ごめんなさい、邪見様。迷子になってしまって……」
「ああ、もうこんな物騒な所には二度と足を運んではならん。ワシもお前の話に少し気持ちが傾いたが、所詮現代では無理な話。笑い者になる前に屋敷に帰ろう」

 迎えに来た老人の姿を見て、少女がカエル達に感じた親近感の訳を理解する。迎えが来たら一言注意しようと思っていたのに、その必要はなさそうだ。よほどこの少女は周りの者たちから大事にされているのだろう。ましてこの少女がこの街で迷子になったのも、この店が元凶。ならば、アフターケアも万全でなくては。バタバタと慌しい帰り支度の間に、私はそっと少女の耳に耳打ちをした。

「……ご希望の商品が入荷しましたら、連絡を差し上げます。連絡先はお迎えの方の携帯の方でよろしいでしょうか?」
「え? でも……」
「大丈夫。ちゃんとあなたがこの店に再び来れるようにしますから」

 慌しく訪れたこの興味深い小さな客人達を送り出しながら、私は少女の希望するペットを調達する算段に入っていた。

「それにしてもあの二人、なにか曰くありげですね。少女の方は人間にしてはあなた方の存在を当たり前に受け入れている感がありますし……」

 そう言いながら私は自分の背後に立つ饕餮(とうてつ)や天狐に声をかけた。

「なによりあの迎えに来た老人、あれは前世が人間じゃありませんしね。あのお二人の主人にして保護者でもある『殺生丸様』、残酷で古風かつ雅なお名前をもつお方。久しぶりにワクワクしますねぇ」

 私はこの面白くなりそうな成り行きに何らかの期待めいたものを感じ、零れる笑いを隠す事もしなかった。


   * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 慌ててりんを屋敷に連れ帰った邪見は、本来ならまだオフィスに居るはずの自分の主、殺生丸の姿を居間に見つけ思わずひっと、と小さな悲鳴を上げた。

「殺生丸様、お帰りなさい」
「あ、ああ、お、お出迎えもいたしませんで……」

 冷や汗をたらたらと流しながら、邪見が体を硬くする。あまり物を言わぬ主人の、その強力すぎる眼光に体が石になるようだ。なぜかりんは、そこまでないようなのが邪見としてはちょっと悔しい。

「二人して、どこに出掛けていた」
「あ、あの、ちょ、ちょっとそこまでで ―――― 」

 あわあわと邪見がどうにか言い繕おうと言葉を捜す。そしてわが主人の、りんの異変を嗅ぎ取る能力の高さに改めて脅威を覚える。そう問う殺生丸の手にはりんの携帯があった。この現代で、普通の人間を装う為に薄墨色に染めた殺生丸の眸が、本来の爛々とした金色の獣光を放つ。その凍てついた金の眸で、りんの携帯の着信履歴を眺めている。その履歴には ――――

「学校の記念行事の準備の為、今日は昼までだったな、りん」
「はい、殺生丸様」
「その後、屋敷を出たのか?」
「はい……」

 あの事を言ったほうが良いのかどうか、りんはスカートの端をぎゅっと握り締めながら迷っていた。

「はぐれたのは三時頃か」

 そう言いながら殺生丸が二人に見せた着信履歴には邪見の携帯から短時間内にかけてきた電話の回数が五・六回記録されていた。見抜かれている、りんは覚悟を決めた。いや、それよりも迷子になった事を叱られるより、殺生丸に嘘をつくことの方が嫌だと思った。

「ペットショップを捜しに」
「ペットショップ? この屋敷に動物など飼える訳がないだろう。居つくわけがないからな」
「学校で噂を聞いたんです。どんな動物でも扱っているっていうお店の話。もしかしたら、そこになら阿吽がいるんじゃないかなって……」
「阿吽?」

 りんが俯きながら、そう言葉を続けた。

 殺生丸とりんと邪見と阿吽。
 それはもう遥か過去の、あの短くても幸せだった日々を一緒に過ごした大切なものたち。
 命数の違う者同士、時の砂はさらさらと落ち続けて最初にりんを、それから邪見を、そして阿吽を殺生丸の傍らから運び去ってしまった。多くの人死にや怨念渦巻くあの暗黒の時代を通り過ぎ、魑魅魍魎や妖怪や神異なるモノ達の時代が終っても、戦国最強と言われたその妖力はそれでもなお衰える事はなかった。かつての『孤』に戻った殺生丸は一つの想いを抱いて、あれほど忌み嫌っていた人間の世界の中に身を潜め、永い時を一人で渡り現在に至る。
 
 現在ほど身元が確定される以前から、『人間』としての痕跡を残し拠点と言うべき『家』を興し、妖力を用いて一人で何代もの当主を務めてきた。株取引という表に出ずとも巨万の富を得る術を駆使し、今では経済界の重鎮と目される資産家になっている。そこまでして『人間の世界』に執着した訳は、りんが『人間』であるからに他ならない。いつかまた、この世に戻ってくるその時の為に。

 その殺生丸の想いの深さか、再びめぐり合えたりんは当然としても邪見までが人間に転生していた。

 邪見は殺生丸の屋敷に出入りしていた使用人の子として生まれた。主が不在気味の屋敷にあまり多くの使用人はいらない。家屋敷を大きく保つのは、自分の秘密を隠すためもある。この家の当主は若くして死に、そして母親が誰か判らない当主に良く似た一人息子が次の当主になるのだ。世間には、それで十分辻褄を合わせてきた。邪見は子どものころから屋敷の主人が『殺生丸』である事を知っており、昔と変らぬ忠義さで仕えていた。りんは早くに家族をなくし、福祉施設に入っていたのを殺生丸に見つけ出された。あと足りないのは、阿吽だけ。

 りんに取っては阿吽は本当にあの頃、自分を守ってくれてなにより『友達』でもあった。山の中や暗い森の中で一人留守番をさせられても、阿吽が一緒だったらちっとも怖くなかった、寂しくなかった。殺生丸に寄せる『好き』とは別の『好き』の感情が、りんの中に大きく存在していた。

「……そうなったら、すっかりあの頃のようになれるよねって。そう思ったらりん、どうしてもそのお店に行ってみたくなったの」
「で、その店はあったのか?」
「うん、その…、りんが迷子になって変な人たちに絡まれたところを助けてくださったのが、そのお店のご主人だったの。電話も借りて、お茶もご馳走になって ―――― 」

 ぴく、と殺生丸の眸が怪訝そうに瞬く。少し前から気に入らない残り香は、その店でつけてきたものか?

「りんの話に合わせてくれただけかもしれないけど、お店に阿吽が入荷したら連絡もくれるって」
「……胡散臭い話だな。その男はこちらの連絡先を知っているのか」
「あ、ううん……」
「お前を子どもと見下して、そんな都合の良い返事をしただけだろう。どちらにせよあそこはお前のような子どもが行く場所でない。その店主もどうせろくでもない奴だろう」

 共に出かけてりんを迷子にし、危ない目に会わせた事から注意を反らせようと、邪見も殺生丸に同調する。

「そうじゃ、りん。お前も人間如きの力で阿吽を見つけ出すなど不可能なのは判っておろう? ましてやあの男、胡散臭ささの塊じゃないか! ワシを値踏みするように色違いの眼でジロジロ見おって、そのくせやたら美形なだけに凄みがあって、丁度昔の殺生丸様のように男か女か判らん格好して、あの長く伸ばした爪! 血肉を引き裂きそうな凶悪さじゃ!!」
「あ、邪見様 ――― 」

 ……例えが悪かった。

 すっくと立ち上がった殺生丸の足元に、しっかりと踏み付けられた邪見の姿。あきらかに殺生丸は機嫌を損ねていた。りんを助けたその店の主人がどんな男か邪見やりんの話だけではよく判らないが、それでも自分の第六感というか『本能』のようなものに、ちりちりとした不本意なものを感じる。ましてやそんな胡散臭い者に『借り』を作ったと言う事が、どこか腹立たしげな気分だった。足蹴にした邪見の上着のポケットに入れている携帯の着信ベルが鳴り響く。慌てて邪見が電話にで、さらに顔を顰めた。

「どうしたの? 邪見様」

 りんがその様子を見て邪見の側に寄ってくる。そのりんを邪見が厳しい目付きで睨みつけ、小声で叱り付けた。

「お前、良く知りもしない相手にワシの携帯番号を教えおったのか!?」
「りん、そんな事しないよ」

 かかってきた電話を待たせ、そんな遣り取りを小声でする二人。その様子に、ぴんと来るものがあったのか、有無を言わさず殺生丸が邪見の携帯を取り上げ代わりに出る。

( あの〜、お嬢様をお叱りにならないでくださいまし。私、耳が良いものですからダイヤルを回す音の長さで番号がわかってしまうのです )

「お前か…、家の者が世話になったそうだな」

 腰が低くすぎるほどの丁寧な言葉遣い。その言葉の響きに、強かさと抜け目のなさ、声の若々しさに隠された重さのようなものを感じる。

( いえいえ困った時はお互い様。袖刷りあうも他生の縁と申します。先ほどは慌ててお帰りになられたので、お忘れ物をされておりました。近くにお寄りの際にでもと。それからお嬢様のご注文の商品、三日後には入荷出来そうです。その時にはまた連絡申し上げますとお伝えくださいませ、殺生丸様 )

「その名を何処で!?」

( お嬢様をお迎えに来られた執事さんがそう呼んでおられました。代々継承される、由緒あるお名前と存じ上げますが )

 冷静に丁寧な言葉で淀みなく受話器から相手の声が流れてくる。りんと邪見の話を聞いている時に感じた不本意な何かが、はっきりと不穏なものに形を変えた。

「……りんの希望の品、それが何か判った上でお前はそう言うのだな? 双頭の飛竜など、本当にこの現代の日本で入荷できると」

( はい、私どもの店では普通の犬猫小鳥からW条約すれすれのレア物や、場合によってはそれは珍しい貴重種までご提供させていただいております。ご注文いただいたのはお嬢様ですが、お嬢様は未成年の為保護者の方の同意がなくてはペットをお渡しする事はできません。どうぞ一度、殺生丸様にも当店、『ペットショップ伯爵D』まで足をお運びいただけましたら幸いです )

「お前……」

( それではこれにて失礼致します。どうぞよしなにお取り計らいくださいませ )

 まるで通常のビジネスライクな電話同様、そっけなくその会話は終った。ただ、その内容はとても『普通』と言えるものではなかったが。

「殺生丸様……」

 通話の終った邪見の携帯を手に、しばし空を睨みすえる殺生丸。あの時代から時代を下るに従い、必要性が軽減したこともあり殺生丸もそのありあまる妖気や闘気を潜めさせていた。それが今、数百年ぶりに大きく揺らめいていた。

2008.9.8脱稿


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