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 石田巍のコンサート/演劇見聞録

 

     目次

                  ●2003年8月   東京バーバーズ モントリオールで歌う

           ●2003年7月   ロードウエイで観たミュージカル

                        「MAN OF LA MANCHA」

                ●2000年7月          バーバーショップの熱い風

                                     (東京バーバーズ、カンサスに行く)

             ●2000年9月          さいとうキネンフェスティバル松本

             ●2001年6月24日   ナタリーショケット(サントリホール)

             ●2001年9月     東京バーバーズ、メルボルンで歌う

 

 

東京バーバーズ「モントリオールで歌う」

                                             2003年8月24日

                                                  石田巍

 もし「日本の民謡・世界大会」なんていうタイトルのコンサートが開かれて、アメリカ人が参加して、歌はこぶしなんか利かせて、三味線や尺八なんかも結構上手く弾いたり、吹いたりしたとしたら、会場の日本人達はどんな反応をするのだろう。きっと大方の観客は大喝采をすると思う。そして一部の専門家達は「日本の民謡の心がわかってない」などと、異文化に馴染もうとする外国人に対して反発するに違いない。

東京バーバーズが「バーバーショップ」というアメリカの音楽スタイルを引っさげて、アメリカで歌うということはこんな状況だと思う。しかし、観客の反応は日本のそれと比べて(実際に比べた事はないが)大きく異なる。一つの曲が終わるごとに立ち上がり、3曲を歌い終わった時には、会場のほとんど全ての人がスッと立ち上がり、拍手を惜しみなくして、遠来の私たちに敬意を表した。

また、観客席で聞いていた私たちのサポーター達は前の席、後の席に座っていたアメリカ人たちに握手を求められ、肩をたたかれ、「good job」と声を掛けられた。一方、歌い終わった私たちが舞台から降りると、スタッフから「good job」と声を掛けられ、それは観客席に戻るまで続いた。そして、町を歩けば、ホテルに帰れば、同じバーバーショップに参加していた様々な人達から、これもまた「good job」と声をかけられ、握手を求められた。翌日、同じ会場で他のコンサートを聞いたとき、ドアに立って会場整理をしている女性がスッーと寄ってきて、小声で「昨日は良かったよ」とささやいた。こんな歓迎ができる日本人は多分いない。

 

●2003年のバーバーショップ世界大会

アメリカの独立記念日(7月4日)を中心に、毎年行われるバーバーショップ世界大会。世界大会といっても、野球のワールドカップと同じで全世界を対象にしているわけではない。ここらへんがアメリカ人らしいけど勘弁して欲しい。ちなみに参加している国は、アメリカ、イギリス、カナダ、スウェーデン、オーストラリア、ニュージーランド、日本。去年は中国から参加していたけど今年は見なかった。

さてその世界大会が、2003年は7月1日から6日まで、カナダのモントリオールで開かれた。おりしも年初に発生した「サーズ」がカナダのトロントでも発生して、東京バーバーズのモントリオール遠征は決行が危ぶまれたが参加することになった。

 

●バーバーショップコーラスとは何ぞや

 聞いたことがない音楽を言葉で伝えるのは至難の業である。

よく聞かれる。バーバーショップってどんな歌を歌うの? 

バーバーショップスタイルは音楽的には編曲の技法の一つだから、どんな曲でも編曲でバーバーショップスタイルになる、独特なハーモニーを中心にしている音楽である。ここで「音楽的には」とあえて言ったのは、バーバーショップにはもうひとつ重要な要素がある。それはプレゼンテーション。音楽を音楽と身体全体を使って表現する。これが普通の合唱団とは大きく異なる。身振り、手振り、表情、フォーメーション等が舞台で行われる。興味がある方は、東京バーバーズのホームページをお尋ねいただきたい。もう一つ言い忘れたがバーバーショップは床屋、つまり男声合唱団である。女性には同じスタイルで「スイートアデライン」という団体がある。東京にも2つのコーラスグループがあるので、これも興味のある方も東京バーバーズのホームページにお知らせいただきたい。ご案内する。

 

●モントリオールという都市

さて、本題に戻る。モントリオールは一口で言うとコンベンションで成り立っている街だ。毎年6・7月には「モントリオール・ジャズ・フェスティバル」(ちょうど私たちが滞在している時、ジャズフェスティバルは2週目に入っていた)があり、8月には「映画祭」がある。その他にも色々なお祭りが毎年スケジュール化してある。そして、もろもろのコンベンションも誘致している。今年もバーバーショップの後に「手話の世界大会」があった。

モントリオールから200キロ位車で走ると、そこは軽井沢・清里の原型ではないか思うような、言ってみればオモチャのようなリゾートに出会う。しかし、モントリオールはそれらのリゾートの玄関口。はっきり言って何にもない。カナダの中都市のイメージとしか私には受け取れなかった。

そして問題は言語だ。英語が聞き取れない。フランス語中心の都市だから、英語の発音がおフランスしている。レストランのメニュー、案内表示板、みんな英語とフランスが並列表記。それもどちらかというとフランス語優先。300kほど離れたケベックではもうほとんどフランス語だそうだ。道路標識がフランス語は大変困るらしい。

 

●モントリオール・ジャズ・フェスティバル

 毎年同じように行われるのかは分らないが、今年は街角やグランドに仮設ステージ(それそれのステージにはスポンサーの名前が入っている。たとえばパナソニックステージ、ラジオ・カナダステージという感じ)を10箇所くらい作ってあった。

 たとえば、草野球のグランドみたいな広場があるすると、対角のコーナーに各々ステージを作り、1時間おきにライブが実施される。片方がライブ中にもう一方が準備する。効率的。街角でも同じで100メートルごとに仮設ステージを作り、交代でライブを行っている。これらが全て無料だからすごい。

 この他に有名なミュージシャンは、ライブスポットで有料のコンサートを開いている。これが高い。カナダドルで70ドルだから6300円くらいする。

 有料のコンサートは聞きに行かなかったが、無料の街角コンサートには幾つか足を運んだ。無料だから仕方がないとも言えるが、その内容はあまりにも玉石混合。8月に東京で行っている「東京ジャズフェスティバル」や富士の「マウントフジジャズフェスティバル」をイメージすると、とんでもないことになる。ただ、業界人は新人を発掘するには良い場所だと思う。私は5グループ位しか聞いてないが、これはと思うグループが一つだけあった。日本人の女性のグループもいた。沖縄っぽい音階の音楽を中心に演奏していた。

 この人たち、国に帰ったら「モントリオールジャズフェスティバル参加」なんてチラシに書いて演奏会をするんだろうな。

 

●演奏会場は、なんとアイスホッケー場

 ジャズフェスティバルで会場が取られているためかどうか知らないけど、全ての演奏会はベルセンターというアイスホッケー場で行われた。

通常、コンテストはほとんどの参加者(約10000人)が入場するので、大きい会場(今回のようなスタジアム)が使用される。しかし、東京バーバーズが招待演奏するような演奏会は2000名位収容する(それでも大きいが)コンサートホールで行われる。しかし、今回は、私たちもそこで歌った。

収容人数、約20000人。東京ドームか?武道館か?横浜アリーナか?舞台の左右に大きなスクリーンが作られ、ライブ演奏の映像が流される。自分の歌っている顔がアップになる。しかし、大きな会場で歌うのはなんと気持ちのよいことか。これはまたとない経験であった。

 

●ワールド・ハーモニー・ジャンボリー

 世界大会は大きく3つの演奏会で構成されている。

1. コンテスト 

●カルテット(男声4人よる演奏)のコンテスト。(3晩にわたって行う)

  ●コーラスのコンテスト(これは1回だけ)

2.過去のカルテット・コンテストで優勝した人たちが一同に会して歌うショー

3.ワールドハーモニージャンボリー

女性のコーラスグループ、女性のカルテット、過去優勝した男声コーラスグループ、遠来のコーラスグループ(私たちはここに入る)等が歌うショー。

 このワールド・ハーモニー・ジャンボリーで私たちは3曲歌った。

 

●東京バーバーズが参加に当たって用意した曲は次の3曲。

1. I Can’t Give You Anything But Love

私はあなたの誕生日に何かプレゼントするだけのお金はもってない。でも愛だけは人に負けない。だから結婚して欲しい。という歌。

2001年、メルボルンで行われた「バーバーショップ環太平洋大会」に出場するために東京バーバーズが用意した、初めて本格的な振りがついた曲。最初、楽譜を見たとき「こんな難しい曲は歌えない」と思い、また初めて振り付けを指導されとき「こんな大変な振りができるのかしら」と戸惑った。でも今では東京バーバーズの十八番の一つになっている。

そういえば、メルボルンで演奏したときも同じ反応だった。イントロの部分が終わってメロディーが始まり、私たちが歌いながら横にステップを踏み始めると、聴衆は大きな歓声を上げて拍手をする。そして終わるとスタンディング。気持ちのよいこと。

2. You’ll Never Walk Alone

ミュージカル「回転木馬」の中の代表的なナンバー。娘がくじけそうになったとき、天国にいる父親が「お前は一人ではないよ、私がいつも見守っている」と感動的に歌う、いかにも家族思いのアメリカ人が好みそうな内容。私は自分の娘を頭に描いて歌った。でもこれをやると、歌っている途中で涙が出てきて困る。涙をとめる余計な努力が必要になる。

3. 今日の日はさようなら

前々回のカンザス遠征、前回のメルボルン遠征でも歌った。ハワイのトロピコードのメンバーがバーバーショップスタイルに編曲した。外国人に評判が良い。途中、英語に訳した歌詞をはさみ2コーラスを3コーラスにして演奏するのが東京バーバーズの定番。今回は今まで東京バーバーズと関係のあった外国人も一緒にステージに出てもらい一緒に歌った。これは非常に良かった。.私たちは一人ではない、たくさんの仲間たちと一緒に日本でバーバーショップを歌っている、というメッセージになり、大きく共感をえた。そして歌い終わるとあわせたように全員がスタンディング。

※一緒に歌った人たちは、前回の東京バーバーズのショーに出演してくれた、ハワイのカルテット「トロピコード」(ベースはカナダにきてなかったので三人)。東京バーバーズで2001年まで参加していたトロントのジョンのカルテット。そして、私たち東京バーバーズの指導者ゲイリーのカルテット「フィナーレ」の4名。総勢30名強。

※時代がかわった事例をひとつ。私たちが歌っているライブを東京でインターネットで観ていた人がいた。真夜中の多分3時頃、バーバーショップの公式サイトでは会場の画面をそのままイン−ネットで流していた。

 

●おわりに

 4年前、私はバーバーショップスタイルのハーモニーに出合った。それは非常に新鮮で驚きであった。しかし、この4年の間つき合ってみると、単純で飽きてくる。どんな曲も同じハーモニーに聞こえてくる。

今回モントリトールに出かけて思った。アメリカ人も今後の方向性を探っている。

コーラスコンテストの前にマイクテスト(日本でいう前座・失礼)でニューヨークのビッグアップルというグループが歌った。土地柄か、バーバーショップスタイルにとらわれない自由な編曲であった。新鮮だった。観客はアンコールを要求した。マイクテストにアンコールなんか聞いたことがない。そして1曲追加になった。このグループはコンテストでは決して上位に入ってこない。バーバーショップスタイルから外れているからだ。しかし観客には受けがよい。

今回のコンテストでは多くのコーラスグループが振付けに凝り、衣装に凝った。これは音楽以外のところでアピールする方法を模索している。ともいえる。

アメリカ本国のバーバーショップはある到達点に達した。これからはどちらの方向にそれぞれのグループが動き出すのか。バーバーショップ協会はどうするのか。

さて、日本では。

6月30日(日曜)東京文化会館で関東・関西4大学合唱祭が行われた。プログラムの最後に4大学合同演奏として、バーバーショップ世界大会で常に優勝している、ボーカルマジョリティというコーラスグループが歌っている「ジェリコの戦い」「ユーネバーウオークアローン」が演奏された。ボーカルマジョリティーの「ジェリコの戦い」は、歌の出来も良いのだが、特出しているのは振り付けである。「バーバーショップの歴史に残る振り付け」だと私は思う。4大学はこの振り付けをそのままコピーして演奏した。観客からお付き合いではない盛大な拍手をもらったと聞いている。

ようやっと入り口にたどり着いたというところか。しばらくアメリカのコピーの時代が続く。

 

 

 

ブロードウエイで観たミュージカル

         「MAN OF LA MANCHA」

        (ラ・マンチャの男

                              2003年7月20日

 

   舞台の世界に「show stopper」という言葉があります。よく出来た音楽、感動的な歌唱等に対して、観客が拍手で舞台の流れを止めてしまう事で、ブロードウエイの楽譜屋さんに行くと「BROADWAY SHOWSTOPPER SONGS」なんてタイトルの本がたくさん出ています。さて今回紹介するミュージカルは「non stop emotion」とでも称しましょうか、止まる事の無い感動を私たちに与えてくれました。

   舞台が終わり、間髪をいれずに観客が総立ちになり、隣のアメリカのオバサンは私の涙を見ながら自分の目に指をさして自分の涙を見せ、その涙は劇場を出てからも止まらず、お腹が空いていたのでレストランに入って注文をして、もくもくと食べ、その間、一緒の仲間たちはほとんどしゃべらず、一言でもしゃべるとまた涙が出てくるのは必定で、そのままホテルの部屋に戻り、一人お酒を飲みながら、舞台を思い出してまた涙したのでした。

   6月中旬、2003年のトニー賞が発表されました。その1週間後、NHKのBS2でその中継が行われました。最優秀ミュージカル作品賞は「HAIRSPRAY」、最優秀ミュージカルリバイバル作品賞は「NINE」。この中継を見ながら、今回のニューヨーク行きで「HAIRSPRAY」とリバイバル賞にノミネイトされていた「MAN OF LA MANCHA」(ラ・マンチャの男)の2つの作品のどちらか一つは見ようと心に決めたのです。「HAIRSPRAY」は太った若い女性の動きが魅力的だったし、「MAN OF LA MANCHA」は主役の男性の歌がセクシーでありました。

    ニューヨークについて直ぐにホテルのカウンターで劇場案内「WHERE」を見つけ2つの劇場に走ったのであります。しかしさすがにトニー賞をとった新作「HAIRSPRAY」のチケット売場はずらっと人が並んでおり、すでに滞在日内のチケットは売り切れていました。それに比べて「MAN OF LA MANCHA」のチケットは劇場の真中の良い席がとれました。

※ 7月1日(火)午後8時開演、前から8列目(H列)の真中、1枚95ドル

※ 公演は、火曜日から土曜日まで8時開演。水曜日と土曜日は2時の回もある。日曜日は午後3時。月曜日は休演。タイムズスクエアで売っている当日半額チケットはまだなかったが劇場での当日券はある。席は1階のオーケストラの真中をお勧めする。

※ 劇場はAL HIRSCHFELD THEATRE(45ST 8TH -9TH AVEの間)。ブロードウエイからちょっと外れている。

    「MAN OF LA MANCHA」は約40年前、1965年11月に初演、2328回(約300週・約6年間)の公演が行われたと記録に残っています。残念ながら私はニューヨークの初演を見ていません。ただし、日本の帝国劇場で市川染五郎(現松本幸四郎)の舞台をみています。市川染五郎はブロードウエイで世界各国の主役を呼んで行われた「世界のドンキホーテ・フェスティバル」で1970年3月から10週間、主役を演じているので、多分私が見た日本の公演はブロードウエイ初演と同じ演出であったと推測しています。

 

    感動した舞台を文章に残すという暴挙を許して欲しい。できっこない。それをあえて残すのは、もし読者がブロードウエイに行くチャンスがあるなら観て欲しい、という私の願望であります。

 

再演の考え方の差

   評判の良かった舞台を再演する時、日本とアメリカでは考えかたが違うと思います。日本では劇場のスケジュールで長期間の公演ができないために次の年に再演をしたりする。従って、再演の舞台は演出家も変わらないので初演とほとんど同じ舞台になるのが普通です。2002年に日本で再演された松本幸四郎と松たか子の公演も、私は見てないから確信して言えませんが、初演のものと同じだと思います。

   それに比べてアメリカでは、とりあえず観客が入る限り公演が続くので、再演は初演からかなりの年月がたってからになります。従って、初演のスタッフは現役を引退しています。今回のラ・マンチャの男の初演は40年近く前ですから、もちろん演出家も振り付けも初演とは全くの別人がしています。また初演と同じ演出で公演するのはブロードウエイのプライドが許さない。同じ演出なら再演する意味がない、と思っているのかもしれません。これは近頃再演されて評判になったボブ・フォッシーの「CHICAGO」や「CABARET」も同じで、初演とは全く違う舞台になっていいます。

   余談になりますが、ボブ・フォッシーの再演版「CABARET」は、ニューヨークの本当のキャバレーを劇場に改造して公演しました。客席はキャバレーのまま。各席にはテーブルがあり、灯かりが点り、劇場に入るやもうそこはキャバレー。もともとキャバレーだからオーケストラピットなんかない。また演奏者そのものがキャバレーの従業員という想定だから、舞台の2階に作られた特設のオーケストラピットで、観客から丸見えの状態で演奏する。女性奏者などはスケスケの衣装をまとい、時には楽団員だけでラインダンスすら踊る。もうキャバレーの従業員になりきっている。ようやる。

   この再演版キャバレーは近年、日本の赤坂アクトシアターで公演がありました。劇場がキャバレーに変身しているのを期待していきましたが、残念ながら客席はアクトシアターそのままでがっかりでした。また「CHICAGO」の再演は初演であった装置は全く無く、楽団は舞台の中央に位置して、芝居より音楽を中心に作り直してありました。近頃上映している映画「シカゴ」は、舞台の雰囲気を少しでも伝えようと努力していて、ほほえましい。

 

初演との違い

「MAN OF LA MANCHA」もまた初演とは全く違いました。

● 序曲が無い。

   突然、囚人のギター弾き語りとダンスから始まる。序曲は舞台に観客を引き込む前の導入剤みたいなものだが、再演では、そのような感傷的な部分を排除して、いきなり始まり観客を引き込む。力強い。

● 装置

    舞台が開くと、ものすごく高い舞台の天井まで使って、鉄製の大きな丸い井戸をイメージさせる地下牢を作り、舞台全体は圧迫された閉鎖空間になっています。丸い壁面にそって螺旋の階段があり、主役の役者はその螺旋階段の途中の扉から壁面の階段を下りてきます。時折、階段に沿った中間部が、螺旋状に隙間を空けて外界を見せます。その外界を見せた時のつかの間の開放感は、意外性も含めて涙が出るほど素敵です。

   さて初演では、記憶によると、中央の奥の中段から観客に向かって真っ直ぐ階段が出てきて、いかにも主役登場という感じで奥から染五郎が召使を従えて出てきました。

● 休憩がない。

    初演では休憩が確かあった。再演では2時間15分ノンストップ。と書いて、文献を読んだらニューヨークの初演でも休憩がなかった。日本の初演だけに休憩があったらしい。小藤田千栄子氏が書いた「ミュージカル・コレクション」(講談社)によると、

「東宝は帝劇地下のレストラン街との関係からか、幕間休憩をとり、ニ幕ものに仕上げた。食堂経営が芸術性に先行する日本の大劇場の特殊性である。このときは、だいぶ非難の声があがったが、私はむしろ、後に同じく帝劇において、幕間なしで上演した時のほうが驚いたくらいである。あの東宝の英断に驚いたのである」だって。

   さて、これ以上は初演の記憶がないので分らない。文章を残しておくべきだった。

 

物語

    なかなか複雑。頭が狂った老人キハーナが自分は騎士ドン・キホーテであると錯覚して、従者サンチョパンサを連れて旅に出る話を、作者セルバンテスが牢屋の囚人に聞かせるという三重構造。セルヴァンテス、キハーナ、ドン・キホーテの3役を一人の役者が演じる。そしてこの三重構造つなぐのが大ヒットした「見果てぬ夢」という歌。

簡単に物語を紹介しますと。

 16世紀のスペイン。今で言う税務署に勤めていたセルヴァンテスは、税金を払わない教会の財産を差し押さえた。怒った教会は宗教裁判にかけようと、セルヴァンテスを地下牢に入れた。ここから舞台は始まる。彼は自分の罪の申し開きを囚人達にするために、自分の作品「ドン・ホーテ」を劇中劇の形で演じる。

 ラ・マンチャの住人、キハーナという老人は本を読みすぎて頭が狂ってしまい、この世の諸悪を滅ぼすため、今はなくなってしまった中世の騎士となり、従者サンチョ・パンサをつれて旅にでる。ドン・キホーテは風車を大魔王の化身と信じて戦ったりしながら、ある城へたどり着く。(城はラバ追い達が泊まる木賃宿)そこで働いている女給アルドンサを一目見るなり、麗しのドルシネア姫と思い込む。

 一方、キハーナの家では、老人が発狂して旅に出たので、世間体を考えて連れ戻す事にする。

 ドン・キホーテは床屋の持っていたひげそり用の鉢を「黄金の兜」と思い込み取り上げる。ドン・キホーテは黄金の兜を手に入れたので、この功により城主から騎士の称号を得られると大喜びする。アルドンサはこれを見て「なぜ得にもならない事をするのか」と聞くと、「これは騎士道精神で、見果てぬ夢を追うのだ」と答える。

◆ここで、1回目の「見果てぬ夢」がドン・ホーテからドルシネア姫に向かって歌われる。

   そこにラバ追い達がやってきてアルドンサを口説くので、ドン・キホーテはラバ追い達を叩きのめす。騒ぎに驚いた宿(城)の主人(牢名主役)はドン・キホーテに「騎士の称号」を与えて宿を追い出す。追い出されたドン・キホーテは強盗にあい、身包みをはがれて城に戻ってくる。力を無くしたドン・キホーテの前に鏡の騎士が現れ、自分の姿を見せられ、キハーナは現実の世界の引き戻される。正気になった、でも気力が無くなったキハーナは家に連れ戻され寝たきり老人になってしまう。

   そこにアルドンサが現れ、「見果てぬ夢」について語る。

◆2回目の「見果てぬ夢」はアルドンサからキハーナ老人に向けて歌われる。

   歌を聴きながらドン・キホーテはよみがえる。しかし、すでに力を出し尽くしたキハーナは死んでしまう。祈りの中でアルドンサはドン・キホーテが不滅である事を確信する。

   即興劇が終わると同時にセルヴァンテスは宗教裁判に召還される。牢を出て行くセルヴァンテスに対して牢名主と囚人達は「見果てぬ夢」を歌って送る。

◆ 3回目の「見果てぬ夢」は牢内の囚人達からセルヴァンテスに対して歌われる。

   セヴァンテスは歌を聞きながら、天井まで伸びている螺旋階段(本当にびっくりするぐらい高い、だから階段がとても長い)をゆっくりと登って行き、幕が下りる。

 

役者達

● BRIAN STOKES MITCHELL (セルヴァンテス、キハーナ、ドン・キホーテ)

   彼の声はセクシーだ。声の質を変えて使い分けて、3つの役をそれぞれの個性を明確に表現していた。たいしたもんだ。最後のスタンディングは彼の歌と演技に対しての評価だと思う。

● ERNTE SABELLA(サンチョ・パンサ)

  小柄で太った彼の演技と歌はかわいい。特に主人であるドン・キホーテに対する想いを歌う(T Really Like Him・「だって、好きなんだもん」)はサンチョの人柄がにじみ出て記憶に残る。

● DON MAYO(牢名主、宿屋の主人、城主)

   すごいバス。記憶に残るのはドン・キホーテに対して、騎士の称号を与える時の音程の低さ。艶やかな音で、下のドの下のラあたりを連続音でだす。お−ツと思っていると、次に2オクターブ上のラあたりから歌い出す。その無理のなさ。

● MARIN MAZZIE(ドルシネア、アルドンサ)

   とにかく美しい声と顔の持ち主。高い声から低い声まで上品で美しい。ダンスの切れも良い。これは出演者すべてにいえる事だが、皆嫌味がない。私の気持ちでは、アルドンサはもう少し野性味があった方が良い気がする。(肉体、演技、歌において)だって、スペインの田舎の宿屋のおねえちゃんなんだから。

 

以上で「ラ・マンチャの男」の報告は終わりです。

   やっぱりね、感動は伝えられません。この文章を書いた私のテンションを信じて、もしニューヨークに行くことがありましたらぜひご覧ください。

   また、松本幸四郎は「ラ・マンチャの男」を生涯のレパートリーとして位置付けているようなので、きっと再演があると思います。私は新しい演出で再演される事を望みますが、はたしてどうでしょうか。楽しみではあります。

 

付録 THE IMPOSSIBLE DREAM「見果てぬ夢」 歌詞・日本語訳

 

    夢がみのるのは難しい。

  敵がたくさんいたとしても、胸に悲しみを秘めて、私は勇気をもってすすむ。

  道は大変険しい。しかし、たとえ腕が疲れきったとしても、

  遠い星をめざして私は歩き続ける。

  これこそが私のさだめなのだから。

 

  汚れきったこの世の中から、正しさを救い出すために。

  どんなに望みが薄くても、どんなに道が遠くても、やがていつか、光は満ちてくる。

 

  永遠の眠りにつくその時まで、

  たとえ傷ついても、力を振り絞って、私は歩みつづける。

  あの星に向かって。

 

 

 

 

●バーバーショップの熱い風

〜2000年カンザスシティ・バーバーショップ大会に参加して〜これまで、仕事や観光では

何度も訪米したことがある。しかし、アメリカの文化を持ち込んだ時の彼らのフレンドリー

さは想像を絶した。真夏の6日間のカンザスシティは、過去の経験にないアメリカだった。

 img1.gifオヘア空港での最初の熱い風

成田発シカゴ経由、そのシカゴはオヘア空港の待合室。何人かが「Tokyo Barbers」の

ロゴ入りTシャツで時差ぼけで座っていると、アメリカ人が寄って来た。ナンダ、コイツラ。

「えっバーバーショップを知ってるの」「何か歌える」「じゃ一緒に歌おう」てなわけで日米合

同空港コンサートが始まってしまった。バーバーショップには協会が決めた定番12曲 が

あり、それさえ覚えれば誰とでも歌える。

一緒に歌う人の輪が広がる。通路の人達が立ち止まる。カウンターの空港係員まで、

変な顔をするどころか一曲毎に拍手して、モウ一曲ドウゾ。一気にアメリカ文化の懐に

入ってしまったようだ。

 img1.gifホテルはもうBarbershop World

流石にカンザスシティ行きの飛行機の中は大人しくしてホテルのロビーに入れば、アメリカ

各地から集まったバーバーショッパーの歌声。ヤットル、やっとる。チェックインで行列して

いると、待ち構えていたホスト役がやってきて、早速歓迎のMy Wild Irish Rose を分ち合い、

バーバーショップ・ワールドの洗礼を受けた。

レストランで並べば「パートはどこ?」「何が歌える?」「それでは」ってんで4人集まりカルテッ

トが始まる。公園に行けば4人が向き合い円陣を組み、お互いの声を確かめながらハー

モニーを楽しむ。これが何と夜中まで続くんだから、ハーモニーを楽しみたい連中に はコ

タえられない時間と空間が流れていく。

img1.gif そしてジャンボリー

東京バーバーズは「ワールド・ハーモニー・ジャンボリー」という大会のメイン・イベントの一

つで歌った。どのグループも巧い。それに比べれば私たちの演奏は拙い。しかし、遠来の

日本人グループの、目一杯の演奏に対してアメリカ人は温かかった。歌い終わるや、スタ

ンディングの大拍手。客席で聞いていた同行の友人の話では、演奏が終わるや、前から

後から「お前の仲間だろ」「Good JOB!!」と握手を求められ肩をたたかれ、大変だったらし

い。こうして、アメリカ人の心の中に入り込んでしまうと、私たちを取り巻く空気も更に変わ

った。

バーバーショッパーは殆どが白人。東洋人がいないから私たちは目立つ。終わってホテ

ルに帰ると、またまた声が掛かり、ロビーで握手攻め、名刺の交換、一曲歌え、一緒に

歌おう等々。

それからは、街を歩けば「ハーイ東京バーバーズ」と手を振られることに、私たちも慣れ

てしまった。

1 ポールキャット・ソングと呼ばれている

2ポールキャット・ソングの中の一曲

 3正式名称は第11回World Harmony Jamboree。世界各国の有力バーバー

ショップ・グループが招待される。

 img3.gif

  

 img1.gifタフだね、アメリカ人

コンベンションの期間中、最大イベントのコーラスとカルテットの各コンテストの他、様々

なバーバーショップのコンサートが、ホテルのボールルームや近くの劇場で開催される。

過去に優勝したグループ、混成コーラス、親子コーラス、学生コーラス等々。その殆どが、

コンテストの終ってからの午後11時スタートで、終了は午前1時前。それからホテルのロビ

ーでビールを飲む、歌う。また飲む、そしてまた歌う。タフだね、アメリカ人。私たちも、

結局一緒に3時頃まで飲んで歌って、一体いつ寝たんだろう。

今回のカンザスシティは、過去に経験したことのない大変なアメリカだった。熱に浮かされ

た6日間だった。

 ※ 東京バーバーズについて、詳しいことをお知りになりたい方は、

  ホームページをご覧ください。

 http://www.geocities.co.jp/MusicHall/7921/tbjmain_001.htm


 

 ●さいとうキネンフェスティバル松本

 

□日時:2000年8月26日(土曜日)〜9月10日(日曜日)  16日間

□演奏会数:全部で12回

□私が聞いた日:2000年9月7日(木曜日)

□会場:長野県松本文化会館(収容人数・1400名位)

□7日のプログラム・ベートーヴェン プログラム  

序曲「フィデリオ」、交響曲2番、5番「運命」

 

■サイトウ・キネン・フェスティバル松本(ディレクター・小澤征爾)

□他のプログラム   ・バッハ プログラム「ミサ曲ロ短調」

・バーバラ・ボニー ソプラノリサイタル

・武満徹メモリアルコンサート・5

  ・ふれあいコンサート 1〜3

□価格   ・オーケストラはS席/19000円、A席/16000円、B席/13000円、C席/8000円

・ その他は6000円。(会場が違う)

□パンフレット・全公演が入った物で2000円。(厚い。100ページ以上ある)

 

■会場の松本文化会館は、松本の駅から結構遠い。タクシーで1300円位。バスもある。

会館の前にテントが4つ。飲み物・食べ物やタバコスペースがある。テントが何となく松本。

入ると先ず、帰りのタクシーやバスの予約のスペース。そして記念品の販売スペース。

記念品は多彩。Tシャツ(デザイン3種類、色それぞれ2種類、サイズ4種類(立派))、ストラッ

プ、ワイングラス、日本酒、時計、扇子、ピン、ポスター、記念切手、この他に、来年のチラ

シを送ってくれるサービスもある。(500円)

※このチラシも立派で、8ページもある。

このコーナーには斉藤秀雄の著作、過去の演奏CDも売られている。ほとんどの人が

パンフレットを買い、ほとんどの人が何らかのグッズを買っていた。

私も「オーケストラのメンバーの名前が全部印刷されているTシャツ」を買った。

 

■演奏については印象のみ。

1. 小沢征爾は楽団のメンバーと一緒に登場する。普通の演奏会のように、まず

メンバーが登場、音を合わせてから、指揮者が登場という手順は踏まない。

皆斉藤門下、立場は一緒と言う意味合いか。この態度は全てに及んでいる。

演奏が終わった後、小沢征爾は全てのメンバーと握手する。(チラシにも、私の買った

Tシャツにもすべてのメンバーが印刷されている)

2. 3曲ともコンサートマスター、トッププレイヤーが変わる。つまり席を移動する。

ソリスト集団、面目躍如ですね。

3. 小沢征爾の指揮は丁寧、親切、明確。手の表情が出したい音の全てを語っている。

私は演奏中にディズニー「ファンタジア・魔法使いの弟子」のMickey Mouseの手を思

い浮かべてた。

4. メンバーはみんな楽しそう、弦楽器のメンバーは踊り出しそうな感じで演奏している。

気持ちが良い。

5. 一緒に行った音楽関係者の話。出番の少ない奏者(例えば3番・4番の金管楽器や

木管楽器の奏者)は、自分の出番を待っている間、結構ダレるのが普通だけど、それ

が無い。みんな緊張している。また、バイオリン奏者も 指揮者から離れる(指揮者と

の距離が遠い)ほど、緊張感が薄れるのが普通だけど、それもない。小澤征爾の求

心力か、メンバーの集中力か。

6. 良い意味でフェスティバル(お祭り)。演奏が終わった後、アンコールは無く、小沢征

爾とメンバーがゴチャゴチャになって手を振りながら再登場、観客に応えている。中に

は踊りながら登場してくるメンバーもいた。

7. 音の印象は一言。メンバーの息づかいが一緒。澄んでいる。透明。

 とにかく、クセになりそうな気持ちのよい音楽会。

 

■しかし、チケットを取るが大変だね。予約電話は予約開始日は朝から不通。即日売り

切れ。今回は知り合いが何処かの音楽事務所を通してようやっと買えた。そして入場料

が高い。なんでこんなに高いんだ。オーケストラのS席で19000円はないだろ。パンフレント

も高い。グッズも総じて高い。Tシャツ3000円。ストラップ1000円。

 

■演奏会が終わって行った飲み屋の話。

1. サイトウ・キネンにくるお客さんは仕入れを狂わせる。お盆に帰ってくるお客さんは、

馬刺しを大量に仕入れておけば事足りる。信州って言えば馬刺し。しかし、サイトウ・

キネンのお客さんは海魚の刺身を注文する。ここは山奥なんだ、魚が新鮮であるわけ

がないでしょ。うちは横浜から取っている。発注してから中1日かかるんだ。だから、あ

の人たちがくると明日の刺身が無くなっちゃう。仕入れが狂っちゃうんだ。

2. それに、うちは一応飲み屋なんだ。でもあの人たちはお酒をほとんど飲まないで、

食べる食べる。売上げが上がらないね。

※この二つの話は、何となく聴衆のイメージを彷彿とさせるね。

3. 松本の人は「サイトウ・キネン」には行かないね。ほとんど外の人だね。チケットを買

うのに並ぶんだ。あれが大変。地元でもチケットをとるのが大変なんだよ。ホテルとか

は潤っているのかも知れない。でも、お盆や夏休みに松本にくる人は100万人、マツモ

ト・キネンは5000人。これで松本における経済効果は期待できない。イメージだね。

 

■ 時間と予算

7日の朝、10時に家を出て、中央高速道路をひた走って、松本に着いたのが午後1時。

ホテルにチェックインして、さて飯でも食うかと名物の蕎麦を食べて、食後に名曲喫茶(古

い言い方だね)でコーヒーを飲んで、松本の市内を見学して、5時にホテルに帰って服を着

替えて(一応ね)コンサート会場へ。翌日は9時に松本を出て、東京に帰ったのが12時。

2時間のコンサートに26時間の旅。贅沢な時間を過ごさせていただきました。

ついでに使ったお金。

高速代 往復  10000円

ガソリン代    4000円(東京・松本の往復の距離・440キロ)

ホテル代     10000円

チケット代   16000円(A席)  

この他     飲み代(??)

以上でした。

 


 

●ナタリーショケット

 ディーバの微笑

 “歌姫” ナタリー・ショケット

  (Natalie Choquette)

 

2001年6月24日 サントリーホール

指揮・曽我大介

東京フィルハーモニー交響楽団   

六本木男声合唱団

   サントリーホールは開演時刻までのアプローチが良いホールだ。例えば7時開演の

場合、恋人と6時にホールの前で待ち合わせて、天気が良ければ、前のリトル・マーメイド

やサブウエイのオープンテラスでサンドイッチとコーヒーで軽い食事をしながら開演まで

おしゃべりをする。ホールの横にある滝の音が遮蔽効果となって、隣の人の会話を適度

に遮る。開場の6時30分になると、ホールの入口の上にあるラッパがファンファーレで開場

を知らせる。 今までお喋りを楽しんでいた人達はホールに入っていく。この時間は私たち

聴衆の気持ちをゆったりさせてくれる。

  さて今回紹介するナタリー・ショケット。「こんな人が世の中にいたんだ」という歌手である。

クラシック出身の本格、正統、そして美しい「ソプラノ」の声を持った歌手である。

 

  開演は7時、インターバル20分、終演はアンコールも入れて、なんと10時。延々3時間の

演奏会。でも厭きなかったのですよ。もう頭がぐるぐると回ってとっても疲れたけど、これは

「心地のよい疲れ」というもので。  昔、上海で上海雑技団を見たことがあります。その時

に感じたのは「彼等の演技には必ず次がある。予想を越えた次がある」です。ショケットの

コンサートも同じ事が言えて、予想を超えた次があったのです。「ここまでやるか」という驚

きがあったのです。

まず、スタッフの紹介。

指揮者・曽我大介

  はっきり言ってこのコンサート(ショーと言ったほうが良いかもしれない)では彼が大活躍

する。ショケットと舞台で踊る、通訳のまねをする、体操の選手のまねをする。ショケットと

目で会話する等々、大きく、細かく様々な演技をして、ナタリー・ショケットを助ける役が与

えられている。この人の演技が無かったらこのコンサートの面白みはかなり減っていたか

もしれない。

1965年生まれ。桐朋学園大学卒。93年、ブザンソン指揮者コンクール1位等々、きら星の

如く賞を取っている。大変な人なんだ。私は知らなかった。

合唱・六本木男声合唱団

  団長・三枝成彰(作曲家)、団員に政治家(当日も都議選の開票日なのに鳩山氏が出て

いた)、文化人(よく分からない分類だけど)、タレント(ダニエル・カールが頑張っていた)、

経済界等の人が集まった合唱団である。ハッキリ言って巧くない。しかし、恥ずかしいこと

でも物おじしないでやる思い切りのよさがある。カンカンを踊る。羊のぬいぐるみを着て舞

台を這いずる。カルメンの衛兵をする。これらは照れちゃだめだ。というわけで良い人選

だね、これは。

舞台の中央、指揮者の横に、ふたが閉まったコントラバスのケースが置いてある。この中

から登場するのか。なんたってナタリー・ショケットは何をするか分からない。

 

「SOUND OF MUSIC MEDOLY」

  導入の音と同時にマリア(映画と同じ服装をしている)が出てくる。コントラバスからは出て

こなかった。普通の導入だね。途中、コントラバスからはギターが出て来てドレミの歌が歌

われた。中程で、指揮者はトラップ大佐に扮して、ショケットと踊り、エーデルワイスを一緒

に歌った。エンディング、ショケットは尼僧に衣替えをして「全ての山に登れ」で終わる。

「ロイド・ウェッバーの[ピエ・イェズ]よりレクイエム」

  ショケットが日本語のメモを見ながらしゃべっている。何かよく分からない。そこで指揮者

が通訳をする。「この舞台の上で私の葬式をしたい」というのだ。曲がレクイエムだものね。

  死に装束になったショケットはコントラバスのケースに入る。上手から神妙な面持ちで会

葬者が入ってくる。(多分このメンバーは六本木男声合唱団だ)。花を自分で千切って観客

に、オーケストラのメンバーに、指揮者に、会葬者に、観客に投げる、やがて蓋が締めら

れ柩は退場する。ショケットはこの間、歌いつづける。柩の中でも歌い続ける。柩から出て

こなかったが、柩で退場した。

  こんな風に書いていくとダラダラして長くなるし、私も全部覚えてないし、というわけで、こ

れから先はさわりだけのご紹介。

ラ・ボエーム」より,私の名前はミミ

  観客席から1人舞台に上げて(これはサクラだね)、画家に仕立てあげ(服装を画家らしくして)ショケットが歌っている間に、彼女の肖像画を書かせる。歌いながらバストを大きく、ウエストを細く、鼻はもっと高い等々、身振り手振りで画家に指示する。出来た絵を観客に披露して終了。

フレンチカンカン」

  六本木男声合唱団のメンバーと一緒にフレンチカンカンを踊りながら歌う。

「ホフマン物語」より、生け垣には小鳥たち

  フレンチカンカンを踊った直後に、超高音(上のミ位の音の連続)を歌う。それが正確で奇麗なんだ。びっくり。

「カルメン」より

  六本木男声合唱団のメンバーを衛兵に仕立て上げて、その中を妖艶に誘惑しながら歌う。ついでに、指揮者やコンサートマスターも誘惑する。このコンサートマスターも結構出たがり。

  これで1部が終わり。時刻8時20分になっていた。※全曲を紹介してない。(休憩20分)

「トスカ」より  歌に生き恋に生き

  日本の大工さんの服装をしている。頭に豆絞り。ハッピ。

  実は、前の曲「椿姫」の一幕間奏曲をオーケストラが演奏している時、この大工スタイル

で出て来て、金槌を叩いて作業して、演奏のジャマをしていた。指揮者と喧嘩していた。

  さて、指揮台に置いてあった西洋の鋸を取り出して演奏をし始める。正確には演奏の

「マネ」を。音は自分の声。演奏のスタイルは本格的でかつコミック。声がとてもきれい。

「映画・炎のランナー、カリンカ、(椿姫)より “さようなら、過ぎ去った日よ”」

  この脈絡のない3曲を、ショケットはオリンピックというコンセプトで歌う。

  「炎のランナー」の曲と共にオリンピック選手の衣装を着て出て来たショケットは、指揮者

に重量挙げの演技させ、自分は「カリンカ」をバックにロシアンダンスを踊りながら歌う。

そして「椿姫」では指揮台の上で柔軟体操をしながら歌う。そして何とエンディングでは、

観客に背を向けて(お尻を向けて)逆立ちに挑戦。3点頭立をしながらエンディングを歌い、

終わる。

  他に、客席の中頃の通路まで出来て客席の空いている所で歌う、観客を誘惑しながら歌

う。オーケストラからかなり離れているから指揮者が大変。ほとんど客席を見ながら指揮し

てたね。演歌によくあるパターンだけどね。他に2〜3曲歌って、そろそろ9時40分。

「アンコール」  ※アンコールは全部で3曲(六本木男声合唱団もアンコールに参加)

  客席にいたNHK交響楽団の常任指揮者シャルル・デュトワ氏を舞台の上に呼び出して、

レストランの用意を指揮台の横に作らせ、給仕にワインを抜いてもらい、スパゲッティを

注文した。

そして、歌う曲は「レハールのメリーウイドウのワルツ」

  途中、ワインでうがいをしながら飲み、最後にはスパゲッティを口に入れ、歌いながら

退場。

デュトワ氏もちゃんと舞台の上で食べていた。ここら辺が、こののりが日本人に欲しい。

デュトワ指揮モントリオール交響楽団で、ショケットのビデオが出ているらしい。

 

なぜ、ナタリー・ショケットはこんなことをするのだろうか

  500円で売っていたパンフレットには次のように書いてある。

  『私は「オペラが退屈だ」とおっしゃる方々が多いことを残念に思っていました。アリアの

素晴らしさを伝える為にはどうしたら良いか、と考えた末、子供の頃から好きだった「笑い」

をアリアへの導入としたのです。笑いは人々の心を開かせ、許容する幅を広げます。そこ

にアリアを響かせる「アリアってこんなにきれいなのか、感動的なのか」と抵抗無く心に滲

みていくのです。オペラでふざけるのではなく、オペラで楽しみ、感動していただくこと。

これが私の目標です。』

 

ついでと言っては失礼だが、もう一人の個人芸をご紹介する。

  過日、ニューヨークに行ったおり、土曜の午後の時間が余ったのでタイムズ・スクエアの

半額チケット売場に立ち寄った。一応私はバーバーショップのメンバーなので、バーバー

ショップカルテットが出てくる「ミュージックマン」でも観ようかと思った。

  並んでいる時「ガーシュイン・アローン」というタイトルが目に飛び込んで来た。フト、気が

変わってこの舞台を見ることにした。

 

  内容は単純。ジョージ・ガーシュインの生い立ち、「パリのアメリカ人」等、有名な曲が出

来た時のエピソード等をつなげながら、ショーにしているのだが…。

  舞台は中央にピアノが一台あるだけ。出演者はパンフレットを見ると一人。一人芝居だ。

途中、役者は必要に応じてピアノを弾き、ガーシュインの歌を歌う。そして芝居は進む。

ピアノの技術も中々で、達者な役者がいるもんだと感心して見ていた。

  そして約1時間強ほど過ぎた頃、かれは「ラプソディ・イン・ブルー」を弾き始めた。なんと

全曲すっかりと演奏して芝居は終わった。

役者の名前は HERSHEY  FELDER

  この原稿を書くためにパンフレットを見直したら、なんと脚本も本人が書いていた。経歴

書には役者としての経歴と、ピアニストとしての経歴が併記されていた。世の中には、とん

でもない人がいるんですね。

 


 

「東京バーバーズ、メルボルンで歌う」

 

  この文章は2001年9月13日から16日までの4日間、メルボルンで開催された「第3回・環

太平洋バーバーショプ・コンベンション」に東京バーバーズが参加した時の模様を書いた

ものです。

 

□2001年9月11日

  アメリカ人に「貴方は1980年12月8日、どこで何をしていたか」と問うと即座に答えられる

人が多くいると聞く。その日、ジョン・レノンが凶弾に倒れた。そして約20年後、また新たな、

記憶に残る日が出来てしまった。2001年9月11日。アメリカの各地で起こった同時多発テ

ロ。その日、私たち東京バーバーズの一行はメルボルンを目指して成田空港を出発した。

何も知らずに封鎖直前の太平洋の空を渡っていたわけだ。

 

□緑に囲まれたメルボルン

人口300万人のオーストラリア第2の都市は、

いたるところに公園があり、というより公園の中に街があるといった風情の街である。そし

て時は9月(日本で言えば3月)、まさに花見の季節だった。また、街並みや建物にはイギリ

ス植民地時代の面影が多く残っており、碁盤の目に作られた道路は歩きやすい。同行し

た女性たちは、滞在中にすっかりこの街を気に入ってしまい「老後住むならメルボルン」と

まで言うまでになっていった。しかし、到着日、政府関係の建物の旗は全て半旗になってお

り街全体で弔意を表していた。

 

□指揮者「ゲイリー・スタインカンプ」

  着いた当日の夕方からコンテストに向けた練習が始まった。今回は私たちが絶大の信

頼をおいているコーチ、ゲイリーに指揮をお願いしていた。彼の練習はコンパクトで密度

が高く、私たちに練習のイメージを変えた。着いた当日(水曜日)は約2時間。次の日(木曜

日)は午前中に1時間30分、夕方に1時間。その他はフリータイム。金曜日も同じ。本番当

日は練習場所がとれなかった事あるが1時間。このコンパクトな練習は私たちにたくさんの

自由時間とリラックスする気持ちを与えてくれた。

 

□始めてライザーの上で歌った、動いた

  「ライザー・Riser」この耳慣れない物はバーバーショップのコーラスでは当たり前に使わ

れる、3〜4段組まれた合唱団専門のやま台である。ここメルボルンの大会でも当たり前

に使用している。しかし日本では見た事がない。少なくても私はライザーの上で歌った事

はないし、ましては動いた事もない。本番の前日、ゲイリーはライザーを使った練習を希望

した。そうだよね、ほとんどの人がライザーを使って歌った事なんかないもの。

  これが歌ってみると気持ちが良いんだ。指揮者はよく見えるし、声は前に通る感じがする

し、台の上で回転しても安定しているし。これは日本に1つ持って帰らなくては……。

 

□メルボルン コンサートホール

  コンテスト会場は、岩城宏之が常任指揮者になっているメルボルン交響楽団の本拠地、

3000人くらい収容できる大ホールである。1階が3階席の入口、地下3階が1階席。ちょっと

他のホールとは異なって戸惑った。しかし、外国のホールはなぜこんなに楽屋が沢山あっ

て立派なんだろう。カンサスのホールも楽屋は広くて立派だった。ひるがえって日本の大

ホールは悲しい位に小さいし部屋が少ない。日本は長い事スター主義で、数人のスター+

わき役+その他大勢で芝居が出来上がってきた。その他大勢に対する軽視が楽屋に現

れている。

 

□コングラチュレイションズ

  「ダウン・ザ・タイル、ビッグ・スマイル」この言葉は今や東京バーバーズの合言葉になっ

た。「満面の笑みを浮かべて、観客に向かう」とでも訳せばよいか。合宿で覚え練習で絶

えず皆で繰り返した言葉。本番では出来たのだろうか。それはさておいて、本番の幕は上

がり、幕は下がった。その間の出来事で覚えている事と言えば、2曲目のバースが終わっ

てメロディが始まりメンバーがサイドステップを始めた時、拍手と歓声が起こった事。そして

歌い終わった時のスタンディングオベーション。すべてあっと言う間の出来事だった。

  歌い終わって、別室で記念写真を撮ってから、観客席へ。そして観客席で迎えてくれた

言葉は「コングラチュレイションズ」と握手。日本の感覚では何か賞をいただいた時の言葉。

あちらの感覚では演奏に対するお祝いの言葉。戸惑った。でも嬉しかった。しかし、表彰

式ではとうとう「東京バーバーズ」とは呼ばれなかった。

※ 歌った曲。○Moon-light brings  memories ○ I can’t give you anything  but love

 

□8位、でも1位

コンテストが終わって化粧を落とす為にホテルに帰った。

  ここで化粧の話をしなければなるまい。初めてドーランを塗り、アイラインを入れ、眉を書

いた。これは人格が変わる。全体的に妙に色っぽくなる。新宿2丁目に出ても通用する御

仁も現れる。言葉つきも変えて笑わせる方もいらしゃいましたねえ。化粧すると男の集団

も華やぐ。

  さて、ホテルに帰って食事にでもと思って、ホテルのロビーに出てみると、ゲイリーの友人

クリスが会場から帰ってきた。紙を1枚見せながら「1位だぞ!」って。そんな事はない。

  つまりはこういう事だった。コーラスは20名以下の小グループと、それ以上の大グループ

に分けられる。大きいグループと小さいグループは本質的に出せる音が違うから別の物と

考える。東京バーバーズは全体では8位だが、小グループでは1位である、と言う事だった。

そして会場で発行されていた点数表を見せてもらった。しかしビックリした。コンテストが終

わって1時間もしないのに各グループの点数表がコピーされて会場で配っているなんて。

  そしてクリスは続けた。「スタンディングオベーションを受けたのは君たちだけだ」そして

「点数表を見ると、評価項目の中でSinging・歌唱力は全体で6位だ、大きい合唱団を抜い

ている」

 

□ショーケースとアフター・グロー

コンベンションの夜開催された、去年の優勝者今年の優勝者、女性のカルテ

ット、ゲスト等が一同に集まって繰り広げるショーケース。東京バーバーズも遠来の客の

一つとしてゲストのグループとして招待された。

※ 歌った曲 ○Hello mary lou

○ Over the rainbow

○ 今日の日をさようなら

  ショーケースの全てが終わったのが11時、それからアフターグロー(打ち上げ)が始まった。

ビールを飲ながら:近くにいた4パートのメンバーが適当に集まって歌うアフタ・グローはバ

ーバーショップ特有のお祭ではないだろうか。最初は4人で歌っていたのが、たちまち大

合唱に変身。こんな即席合唱団があちこちで発生して、会場は歌の洪水になるのはいつ

も事。

  今回、記憶に残る事は協会SPEBSQSA の1996年のカルテット・チャンピオン「ナイト・ライ

フ・Night life」の歌を目の前で聞いた事であろう。ナイトライフのメンバーが指揮者ゲイリー

の友人である事から、私達のために歌ってくれた。私達も「今日の日をさようなら」で返歌

した。その歌を聞いてナイトライフのメンバーの目に涙が見えたのは忘れられない。そして

また返歌。素敵な時間が経っていった。

 

□オープンなシステム、審査員と面談

最終日・日曜日。お別れパーティーが開催された。その途中で昨日のコンテ

ストの審査員と面談する時間が大会サイドで設定されていた。

  そこでは昨日の演奏において、採点の根拠、今後の課題等が審査員から提示された。

審査員とメンバーが質疑応答もできる。この日本ではとても考えられないオープンなシス

テムは、どこかで取り入れて欲しいものだ。

 

  このようにして、メルボルンの5日間は終わった。至福の時間を与えてくれた「バーバーシ

ョップ」と「東京バーバーズ」に感謝する。

 

□ 最後に

コンテストでも普通の演奏でも、心構えを改める必要は全くいらない。どちらも聴衆に何か

を与え、自らもそれを楽しむ場である事は変わりはない。得点は、一部の聴衆(審査員)に

よって与えられるだけであるが、これは聴衆をいかに楽しませたかの副産物にすぎない。

演奏にとって大事な事は、聴衆に心に残る想いでをプレゼントでき、その見返りとしての

感謝の言葉を受けとることである。これが得られれば、あなた方はコンテストを勝ち取った

のである。

 

これはバーバーショップ協会のPR担当理事が書いた文章である。

私たちはメルボルンからトロフィーを持っ帰る意気込みで行った、しかし結

果は8位。この順位を良いとするか悪いとするか分からない。でも確かに言える事は、

いつもの練習のようには歌えなかった。平常心でなかった。普段の実力を出せばもう少し

は順位があがったのでは無いかとは思う。

  しかし、この文章を読んでから考えが変わった。私たちは参加グループ中、唯一スタン

ディング・オベーションを受けたグループだった。そして演奏後コングラチュレーションと声

をかけられた。私は、順位は8位でも十分だったと思っている。

 

※ 東京バーバーズについて、詳しいことをお知りになりたい方は、

  ホームページをご覧ください。

 http://www.geocities.co.jp/MusicHall/7921/tbjmain_001.htm