「じゃあオマエ、試合が怖くて逃げてきたのかよ?」
ここはヒカルの部屋の中、二人は向かい合って座っていた。
「だって相手はあの仏鳥シノブですよ!?ヒカルは私が殺されてもいいのですか!?」
仏鳥シノブとは数年前、男性レスラー相手に血みどろのどつきあいをしてのけた、命知らずの女子プロレスラーのことである。女子プロレスに詳しくないヒカルでも知っているくらい有名なレスラーだった。
病院で二度目に意識を取り戻した後すぐやってきたのは、『クラッシャー・エリザベス』の専属マネージャーだった。
佐為はこの男から今の身体の主の名前や経歴、素性といったものを聞いたのだ。
そして同時に一ヶ月後に仏鳥シノブと試合をせねばならないことも。
初め佐為は”女子ぷろれす”も”仏鳥シノブ”もなんのことやらさっぱり、だったので、ひたすらのんびりと現世に戻った喜びを噛締めていた。身体が女性なのは問題だったが、碁を打つのに支障はなかろうなどと思っていた。
ところがエリザベスの言動が以前と違うのを、交通事故の後遺症による記憶喪失と考えたマネージャーに
「敵状視察とリハビリをかねて仏鳥シノブの試合を見にいきませんか?試合を見れば記憶も戻るかも知れませんよ」
そう誘われてつい行ってしまったのだ。
有刺鉄線に電流を流して行う、女子プロにあるまじき壮絶な試合を。
試合を見た佐為は震えあがった。
「私にはぜったい無理ですっ〜〜〜!!」
泣き喚く佐為にマネージャーは困惑しながら言った。
「何を弱気になってるんです。電流じゃ生ぬるい、ダイナマイトを仕掛けるべきだ、なんて言ってたくせに。大丈夫、アナタには仏鳥シノブ以上のパワーと、華麗なテクニックがあるじゃありませんか!」
マネージャーは思った。
よほど強くアタマを打ったんだな、これは。
以前はこっちが恐ろしくなるほど好戦的で性格もイカレ気味だったのに…。
あのしっかりすわった三白眼で睨まれると、さすがのオレも何度チビりそうになったことか…。なまじ綺麗なだけに余計凄みがあって怖かった。
それが、なんというか…すっかり…あれだ、”しとやか”になっちゃって―。
よく泣くし、言葉使いも以前とまるで違うエリザベスを彼は気の毒そうに見た。
しかし気の毒がっている訳にはいかないのだ。
エリザベスと自分は、二人して女子プロ界の頂点を極めるのだから!
すでにアメリカに敵はない。残るは”仏鳥シノブ”のみ。
ヤツを殺し…ちがった、倒せば世界の頂点なのだ!
(記憶喪失なんて、ほんとは病院に連れていくべきなんだろうが、なに戦っているうちに思い出すさ。それに記憶がなくても身体に別状ないんだから何がなんでも試合には出てもらうぞ!)
まるで取り合ってくれないマネージャーに対して佐為が出来ることは、現世で唯一自分が頼ることが出来る存在、ヒカルに助けを求めることだけだった。
幸い佐為はヒカルの自宅の電話番号を覚えていた。
すでに一人暮らしをしていたヒカルは母親から携帯に電話をもらった。
「あのね、なんかヘンな電話だったのよ〜。”お母さんですか?お久しぶりです”なんて言われちゃったんだけど、あたし『フジワラノサイ』なんて名前に心当たりないのよねえ。急いでアンタに連絡取って欲しいって言うからアンタの携帯の番号、直接教えちゃったんだけど、よかったわよね?」
「……!!お母さん、それいつの事!?」
「いつって、ついさっき…」
最後の”よ”まで聞かずにヒカルは通話を切った。
番号教えたんなら、すぐに掛け直してくるはずだ。それを全く、お母さんのアホ!
果たしてすぐに電話が鳴った。
まさか、という思いがあった。通話ボタンを押す手が震える。
「もしもし…」
「もしもしっ!ヒカル!?助けて下さいっ!私、殺されてしまいます〜〜〜っ!!」
―感動も何もない。
ひたすら泣き喚く佐為をなんとか宥め、居場所を聞き出す。
そして土地カンのない佐為を迎えに、言われた場所に急いで走った。
切る寸前、「あの…私、以前とちょっと変わってしまってますけど…驚かないで下さいね?」
そう言った佐為の言葉も気にならなかった。とにかく一刻も早く佐為に会いたい!
戻って来たんだ、オマエ!
会って言いたい事がいっぱいあるんだ!!
佐為!!
息を切らしてヒカルは走りつづけた。幸いその場所は棋院からそれほど遠くない。
ところがそこにいないのだ、佐為が。
あたりを見回しても、サングラスのでかい外人の姉ちゃんが一人いるだけだ。
(マイクロミニっていうんだよな、あれ。パンツ見えそうじゃん。どういう神経してんだろ?)
その外人に「あの…ヒカル…?」と、声をかけられヒカルは卒倒しそうになった。
そういえば電話の声が高かった…と気付いたのは、タクシーを飛ばしてようやく部屋に帰ってきてからだった。
「マネージャーに追われてるんです」という佐為の言葉に意味はわからなかったが、念のため、マンションから少し離れた場所でタクシーを降りた。
しかしそこから数十メートルを歩く間に、塔矢アキラに姿を見られているとは思いもしない。
そして今、やっとヒカルは佐為と二人きりで部屋にいた。
あらかたの事情を聞き終えたヒカルは、こめかみを押えながら言った。
「…それで、その試合っていつだよ?」
「2週間後です」
「2週間!?」
ヒカルはまじまじと目の前の”佐為”を見つめた。
ヒカルは女子プロレスに興味がないので『クラッシャー・エリザベス』を知らない。
黒のボディコンマイクロミニを着て、かつてのように床にきっちり正座している”佐為”。
豊かに流れる長い髪は金色でその瞳は青かったけれど、サングラスを取った顔はまさに記憶の中の佐為そのものだった。
あれほど探して、会いたくて会いたくてたまらなかった佐為が今、やっと目の前にいるのだ。
切れ長の瞳をうるませて「助けてください、ヒカル」と、今にも泣きそうな顔だ。
―なんとかしてやりたい。ヒカルはそう思った。
「マネージャーに追われてるって言ってたな?」
「ええ、連れ戻されたらおしまいです、私。有無をいわさずアレを着せられて…うぅぅ」
佐為はとうとう本当に泣き出してしまった。
佐為のいうアレとはリングで着るコスチュームのことである。
ムネと背中が大きく開いていて、布の部分はちょっぴりだ。しかもエリザベスは股の角度が浅すぎると言って、ハイレグを超ハイレグに作り直させたのだという。
”はいれぐ”が何かわからない佐為でも、それが何か想像できそうな切れ込み方だった。
(アレを着るくらいなら、死んだ方がマシですっ)佐為は本気でそう思っていた。
「本当にこのイカレポンチ!首しめてやる〜〜っ!」
「(イカレ…?どこで覚えたんだよ、そんな言葉)…やめとけって佐為、自分が苦しいから」
しかし、あと2週間…どうする?
その時、窓ガラスをコンコンと叩く音がした。
見るとベランダにあやしい二人組みが立っているではないか。
「ああ〜〜〜!!あなた方は!私をこんな目にあわせたkagaとtutui!!」
佐為が叫んだ。
「え!?、あ!加賀…筒井さんも…。な、なんで?ここ6階だぞ!?」
「話は後だぜ。”フジワラノサイ”と”シンドーヒカル”、二人ともいっしょに来てもらおうか」
kagaが相変わらず、強引かつエラソーに言った。
|