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塔矢アキラには趣味がある。
もちろん囲碁以外の趣味である。囲碁はすでに趣味とはいえない。
彼は『それ』に小学校低学年の頃からハマっていた。
親にも友達にもぜったい内緒だ。
彼は『それ』関係の雑誌を、おこづかいをはたいては、せっせと買い集めていた。
雑誌はきれいにスクラップされ彼の本棚に並んでいる。
参考書の表紙をはいで作ったアキラお手製のスクラップブックは、一見しただけでは絶対バレないところもぬかりはない。
塔矢アキラは、女子プロレスおたくだった。
幼い頃から囲碁ばかりでひ弱だったアキラは強い女性に憧れていた。
それもぜったい年上がいい。
なぜ男じゃなく女子プロなのか、などとは訊いてはいけない。
趣味とはそういうものなのだから。
昔は暇を見つけてはこっそり試合を見に行ったりしたものだった。
しかし、プロ棋士になってからはスケジュールが忙しすぎて、ほとんど行く時間がとれない。
アキラはたまったストレスを碁にぶつけた。
おかげで同年代では、向かうところ敵なし。ライバルといえば進藤ヒカルくらいのものだった。
そのアキラが恋をした。
彼女の名は『クラッシャー・エリザベス』。クォーターである。
日本人の血が4分の1入っているせいか、金髪碧眼なのにどことなく日本人的な顔立ちで、アキラ好みの非常な美人だった。身長は180cmを超えている。
またエリザベスはアメリカの市民権を持っているが国籍は日本だった。
たしか日本名は『藤原砕』。『クラッシャー・エリザベス』というのはもちろんリングネームだ。
1年前アメリカで彗星のようにデビューした彼女を知って以来、アキラは毎日が幸せでたまらない。
彼女の記事が載ってる雑誌は全てチェックし、専用のバインダーに閉じるのがアキラの楽しみだった。
そういえば来日直後、交通事故にあったらしいが大丈夫だろうか?
二週間後の『仏鳥シノブ』との試合も予定通り行われるみたいだから、幸いケガは軽かったという記事は本当なのだろう。(安心したよ、マイハニー)
アキラの部屋にはエリザベスの等身大ポスターがある。
しかし、もちろん壁にも天井にも貼ってはいない。では、どこにあるかというと
畳の下だ。
アキラは毎晩、この畳をはぐって愛しい人に会うのだった。
(ああ、エリザベス!!ボクに卍固めをかけてくれっ!逆エビぞり固めでもいいっ!)
愛の煩悩が高まるに従って、近頃アキラは切実に一人暮らしをしたいと思うようになった。
毎晩畳をはぐるのは大変だし、何より堂々とポスターを壁に貼りたい!
(そういえば進藤はしばらく前から一人暮らししてたな)
ヒカルは18歳になったのを機に家を出て独立していた。
アキラはヒカルと同じ年なのだから、彼の事を持ち出せば両親も反対はすまい。
(だがとりあえず一度、進藤に話を聞いてみるか)アキラはヒカルのマンションに行ってみることにした。
住所は知っている。急に訪ねて留守でも別にかまわない。
どんなところに住んでいるのか参考にしよう、くらいの軽い気持ちだった。
1時間後、アキラはヒカルのマンションの駐車場にいた。
思ったよりこじんまりとしていたが、閑静な住宅街にあって悪くない。
ただ新築なのに完成時期が悪かったのか、「入居者募集」の看板が未だ立てられていた。
しかしもちろんヒカルと同じマンションなどごめんだった。
一局打とうなどと部屋に訪ねて来られでもしたら、何のための一人暮らしかわからない。
(誰にもジャマはさせないよ、エリザベス!)アキラはこぶしを握りしめた。
「とりあえず進藤の部屋へ行ってみようかな」そう呟いて歩き出した時、道の向こうから声がした。
当の進藤ヒカルの声である。出かけていたのが帰ってきたらしい。
ちょうどよかったと出て行きかけて、アキラはすばやく物かげに隠れた。
ヒカルのすぐ後ろで女性の声がしたからだ。
直後に現れたヒカルと声の主を見たアキラは目を剥いた。
(クラッシャー・エリザベス!!)
「早く歩けっサイ!人に見られたらマズイだろっ!?」
「だ、だってこの靴、歩きにくくて…」
あろうことか愛しいエリザベスが、進藤ヒカルに手を引かれて歩いていた。
着ている黒のワンピースはおそろしく丈が短くパンツが見えそうだ。それに10cmはあろうかというピンヒールを履いてコケそうになっている。
180cmを超える身長に10cmのピンヒール…前を行くヒカルは彼女の肩ほどもなかった。
おかげで前かがみになっていっそうコケそうなのだが、ヒカルにはそれを気付いてやる余裕はない。
「ヒカルってば、そんなに引っ張らないで下さい〜っ!」
そうして二人はマンションに吸い込まれていった。
アキラは当然知らないが、エリザベスの中身は佐為である。
佐為はもちろんこんな服着たくなかった。ところが彼が強引に押し込まれた身体の持ち主『クラッシャー・エリザベス』こと『藤原砕』の持っている服は皆とん
でもないシロモノばかりで、これでも一番丈が長くマトモそうなのを着てきたのだ。
後に残されたアキラはしばらく呆然としていた。
(何故、”ボクのエリザベス”が進藤と…これはいったいどういうことなんだ!?)
しかも二人は名前で呼び合う仲だった。ぜったい何かある!
アキラの心は嫉妬の炎に狂った。
一瞬ヒカルの部屋に乗り込んで問いただしてやろうかと考えたが、かろうじてこらえた。
彼が女子プロオタクなのは、なんとしてもバレてはならない。
ここは知らんふりして、さりげなく探る手だ。
アキラは「入居者募集」の看板をちらりと見た。
やがて番号を控えると意を決したように背中を向け去っていった。
進藤、君はプライベートでもボクのライバルになる運命らしい。
しかしエリザベス!君に相応しいのは、このボクだ!
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