再会

 〜1〜

ヴェスタルトはドキドキと胸を高鳴らせながら、霧に霞むような淡い光で包まれた天宮の廊下を1人で歩いていた。ここに来たのは初めてだ。ときおり前の方から天使や魔道士達が通り過ぎ、すれ違う。だが皆一様にヴェスタルトには目もくれず、まるでそこには誰もいないかの様に振る舞っていく。それがこの廊下を通る時の礼儀なのだと言う事を、以前ラファエル先生から聞いてはいた。が、そのよそよそしさは緊張したヴェスタルトにはやはり辛いものがある。

彼は今日学びの舎を晴れて卒業し、サンディ、アルフ、アシルと共にこの天宮に住む事を許されたのだ。そしてあの日の約束…その時が来たら訊ねていらっしゃい、と言う言葉を頼りにヴェスタルトはスラ・マリサナ サミュエル様のいらっしゃるという『黎明の間』に向かって歩いていた。

学びの舎を出る事が決まった時、ラファエル先生は全員に成績表代わりにこれからの配属先を知らせてくれる。アルフは竪琴の腕をかわれて『楽士処』へ、サンディは剣天使になるべく『天使処』へ、そしてアシルと自分は魔道の腕をかわれて『魔道処』へ行く事になった。今までの様に頻繁には会えないかも知れないが、いずれも天宮の内部、会おうと思えばいつでも会えるところだ。

いや、サミュエル様のお眼鏡に叶えば、一緒に組んで一つの仕事に携わる事もあるだろう。そのためにはとにかく腕を磨かなくてはならない。

そんな事をぼんやりと考えている間に、ヴェスタルトは『黎明の間』に辿り着いた。辿り着いたのはいいけれど、とヴェスタルトは困った顔で呟いた。どうやって入ったらいいだろう?ノックをすればいいのだろうか?それとも声をかけるべきか…?

そんな事を思った瞬間、扉は鈍い音をたててゆっくりと開き始めた。とても重そうな、豪華な鈍い金色の飾りがついた扉だ。軋む音すら荘厳な響きがあるような気がする。

ヴェスタルトは半ば呆然と扉が開き終わるのを突っ立ったまま待った。
「待っていましたよ、ヴェスタルト。おはいりなさいな。」
その声は紛れもないサミュエルの心の奥底から沸き上がるような声だ。部屋の遠くの方から聞こえてくる。部屋の中は薄暗く、青白い光の包まれ、中が霞んで見えた。ヴェスタルトは意を決して中に一歩足を踏み入れた。

目が慣れると、そこは一面に霧のようなものが立ち篭め、ところどころに揺れる明かりでかろうじてどこに何があるのか見える程度に明るかった。そして、正面の祭壇の上には、後光に包まれサミュエル様がゆったりと腰を掛けているのが見えた。そして、その両脇には大天使ミカエルとガブリエルが跪いてかしづいている。

「さあ、もっとこちらまでいらっしゃい、ヴェスタルト。」
親しみの籠った声に惹かれる様にヴェスタルトはおずおずと足を踏み出した。そして、ちょうど足下まで辿り着いた時、ヴェスタルトはゆっくりと跪いた。
「本日、学びの舎を卒業して、この天宮の魔道士処にやって参りました。」
「待っていましたとも。まあ、すっかり立派になって。」
ヴェスタルトはゆっくりと顔をあげ、サミュエルを見つめた。こんなに美しかったか?まばゆそうに目を瞬かせながらヴェスタルトは思った。

濡れる様に煌めくとび色の瞳、床まで伸びた金属のような黄金の髪。実際揺れる度に微かな金属音がする。この世ができた時からおいでになると言うのに、ほんの少女の様にも見えるし、したたかな大人の女性でもある様にも見える。半ば恍惚とした表情で、ヴェスタルトはサミュエルを見つめていた。これだけで満足だった。

その時、サミュエルはそっとミカエルに目配せをし、ミカエルはおもむろに立ち上がった。そして両手の手のひらをあわせると何やら小声でルーンを唱えた。
ぼうっと手の内側が光ると、そこには何かの液体がなみなみと入っている銀のワイングラスが現れた。
「ヴェスタルト。」
サミュエルも立ち上がると、ゆっくりと祭壇を降りて来た。
「はい。」
「そなたを今日よりイアンの魔道士に任命する。今を境にそなたはヴェスタリアン・ナーシアンスと名乗るがよい。」
「え!?」
驚いた顔でヴェスタリアンはサミュエルを見つめた。
「ち、ちょっとお待ちください!」
半ば怯えた表情で、懇願する様にヴェスタリアンはサミュエルを止めた。
「イアンの称号なんて!私には荷が重すぎます!」

サミュエルはくすりと笑った。
「そんなことはない。そなたなら十分にやっていけるはずだ。」
「しかし、イアンと言えば魔道士の最高位、私の様に学びの舎を卒業したばかりの若造がなれるものではありません。」
「なれば、その名に恥じぬような魔道士におなりなさい、ヴェスタリアン。」
サミュエルはミカエルの持つグラスにそっと右の指先を浸した。
「ヴェスタリアン・ナーシアンス、そなたをイアンの魔道士に叙する。」
サミュエルは有無を言わせない力強い声で、そう宣言をした。
「これから一日に一回は私の所に顔をおだしなさい。」
「は…はい!」
緊張でこわばった表情ながら、ヴェスタリアンの顔が輝いているのをサミュエルは見のがさなかった。

「アザリアン、アザリアンをここに。」
「おそばに。」
祭壇の向こうから、アザリアンが現れた。イアンの魔道士の長だ。
「アザリアン、この子をお任せしました。一日も早くイアンの魔道士に相応しいだけの力を身につけさせてちょうだい。時間が余りないわ。」
「わかりました。」
「さ、ヴェスタリアン、アザリアンの後をついていらっしゃい。」

「あ、あの!」
ヴェスタリアンは思いきって口を挟んだ。
「僕はここにそんな話をしに来たのではありません!」
サミュエルは厳しい顔を少し緩めた。
「そうだったわね。」
サミュエルはヴェスタリアンに手を差し伸べた。
「こちらにいらっしゃい。」
ヴェスタリアンが手を伸ばすと、その瞬間あたりは見知らぬ空間になった。今までかしずいていたはずの天使や魔道士は見当たらず、ただぼんやりと青い光に満たされている空間だ。
「ここなら誰も来ないわ。」

あらためて、サミュエルはヴェスタリアンに語りかけた。
「ようこそ、ヴェスタリアン。我が天宮に。」
「サミュアさん…、いえ、あの…。サミュエル様…。」
「サミュアさんでいいわ。」
「いいえ、いけません…。でも、あの、でも…、会いたかった!あの、あの今まで、たくさんの魔道を教えていただきありがとうございました。」
何やらしどろもどろになりながらも、ヴェスタリアンはサミュエルにそう言い、深々と頭を下げた。そして、そのまま顔をあげゆっくりとサミュエルの近くに歩み寄り、いきなり抱きしめた。
「本当に会いたかった!」

全くこの子ときたら…、とサミュエルは微笑んだ。振払う事もできたし、彼以外の者だったらそうしていただろう。だが、サミュエルはヴェスタリアンを振払おうとは思わなかった。自分でも不思議な気持ちがする。もし、彼が本当にナーシアンスの生まれ代わりだと言うのなら、このまま目を閉じてしばらくじっとしていたいとまで思う。

例の痛ましい闘いの起こる前、まだサミュエルは自らの分身であり、恋人であるシルヴィルムと仲睦まじかった頃の事だ。シルヴィルム付きの魔道士ナーシアンスは、サミュエルに対していつも礼儀正しくいつも好意的であった。そして時には慎ましやかな小さな花を作っては、そっとそれをサミュエルに置いていったりもした。それを手に取ると、その花は恥ずかしげに震え、甘い香りを残して消えた。

眩しげに自分を見つめる瞳は、諍いが起きてからも続いていた。そして彼は何とか闘いを終わらせようと自分に進言に来る途中、仲間のマリエルに命を奪われたのだと先日ガブリエルの調べて来た資料で聞いた。もし自分が和平を聞き届けなければ、彼は自分の方に寝返るつもりだったのだ、と言う噂もあった。他の大天使達と違い、彼だけはシルヴィルムを裏切ろうとしてまだ闘いが終わる前に殺されたのだという。

それを聞いた時、サミュエルは深く後悔した。もし、彼に諌められたら、きっと闘いを終わらせていただろう。彼の進言なら聞いてもいいと思ったかもしれない。だが、その機会は来なかった。

そしてまもなくシルヴィルムは死んだ。

笑顔が暖かいところはヴェスタリアンとよく似ている。恋しいと言う気もちとは違うけれど、その暖かい笑顔を見ると心が休まる思いがした。そして、今この若い魔道士に自分はそれを期待しているのだろうか?この世を統べるものとして君臨する自分が、こんな子供を心のよりどころに?

サミュエルはハッと我に返った。いったい自分は何を血迷っているのだ?シルヴィルム亡き後、強くあらねば、と自分をあれほど律して来たのではなかったか?そして、サミュエルはそっとヴェスタリアンの腕を振払った。

「あ…。」
ヴェスタリアンは自分の行動を急に恥じた様に真っ赤になり、サミュエルの足下に跪いた。
「申し訳ありません!あの、俺、い、いえ私はあの…。」
しどろもどろになったヴェスタリアンはそれでもはっきり言った。
「愛しています、主なるスラ・マリサナ。お気を悪く為さったら謝ります。でも、愛しています。」

サミュエルは慈愛の籠った目でヴェスタリアンを見、そのまま微笑んだ。
「私もですよ、貴方に我が恵あれ。」
サミュエルは右手を静かに差し出すとヴェスタリアンの額のあたりを人さし指でそっと撫でた。
「さ、時間がないわ。そろそろ戻らないと。」
「あ、すみません!」
あわてて立ち上がったヴェスタリアンは、ふいに悔しそうな表情になった。
「あの…。もしかして、サミュエル様は私をお試しになったのですか?」
「試すとは?」
「この空間には、時間が流れていません。急ぐ必要はないです。それとももしかして、私とここにいるのがお嫌なのですか?」
ふふ、っとサミュエルは声をあげて笑った。

「さすがです、ヴェスタリアン。よく見抜きましたね。先ほど時間シールドを張りました。でもあなたを試したつもりはないし、嫌ではないわ。」
「なら、なぜ!?」

何故だろう?サミュエルは自問自答する。そして思い当たる理由がない訳ではない事も認める。恐いのだ。こんな子供を前にして、弱くなって自分を保てなくなりそうで、こんな子供に甘えてしまいそうで…。

かつて大天使の長ミカエルが求愛した事がある。これは皆が知っているほど有名な話だ。だが、あの時はあの頼りになる大天使に頼ろうなどとは微塵も考えなかった。だが、何故今この魔道が少しばかり得意な少年にこんなにも心惹かれるのだろう?

そしてちょっぴり腹をたてた様に頬が膨らんだ少年をじっと見つめた。
「怒ったの?」
「あたりまえです。心底腹が立ちました。」
このひたむきな目、無垢な瞳、己の心を包み隠さぬ謙虚な癖に強引で正直な魂…。それに触れる度に心が騒いで沸き立つ思いがする。

「そう。それはいけないわね。」
サミュエルはすまなそうな表情になった。
「一つお願いごとを聞いて下さい。」
ヴェスタリアンはサミュエルにそう言った。自分からそう申し出た天使や魔道士は未だかつていない。
「…いいでしょう。誰の迷惑にもならないことなら…。」
「きっとこれは大それた事なんだと思います。でも、言わずにいられないんです。」
サミュエルは困ったような顔でヴェスタリアンを見つめた。ヴェスタリアンはそれを強い瞳で見返す。
「あの…。僕を…いや、私を貴女の恋人にして下さい。」



ヴェスタリアンは、アザリアンの後ろを宙を舞うような気持ちでついて歩いた。実際自分の体重はほとんど感じられなかった。

〜…いいでしょう。ときどき私のプライベートルームを訊ねていらっしゃい〜

まさかそんな返事が返ってくるとは夢にも思わなかった。もしかしたらからかわれているのかも知れない。でもそれでもいい。嬉しくて嬉しくて叫びだしそうなのを懸命にこらえた。こんなことを誰にもしゃべれまい。

「…アン!おい、ヴェスタリアン!」
「は、はい!」
ヴェスタリアンはいきなり現実に引き戻された。
「全く!呼ばれなれてないのはわかるが…。」
「す、すみません。舞い上がってしまって。」
「無理もない、か。」
アザリアンはヴェスタリアンに笑ってみせると、部屋の扉を指さした。
「ここが君の部屋だ。どうやら夢見心地でここまで来てしまったらしいから、きちんと扉に魔道を掛けて道に迷ったら導いてもらうんだな。」
「は、はい。」
「魔道処はわかるか?」
「はい。大丈夫です。」
「では、明日会おう。」
「はい。よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げたヴェスタリアンは早々に部屋の中に引っ込んだ。
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