今月号の特集: ●ジョージ・ナオペ師とフラの歴史 ●女神ペレはどんな神さま?
●ALOHAに込められた本来の意味 ●ハワイは人種のるつぼ
エフラニ先生とジョージ・ナオペ師とフラの歴史 (文化・歴史)
クムフラ・エフラニ先生もおっしゃっていたように、今から半世紀前のハワイではフラは死んだも同然の状態でした。
←2011年メリーモナークポスター
クムフラ・エフラニ先生は、同じハワイ島ヒロに拠点を構えていたメリーモナーク創始者の一人であるジョージ・ナオペ師(1928~2009)のハラウで長年アシスタントティーチャーを務め、師没後の2010年・2011年メリー・モナークのオフィシャルポスターには先生のハラウ("Halau hula Ka Makani Hali 'Ala o Puna")が描かれているほど、多くのものを受け継いでいますが、(先生自身は競争主義ではないため、メリー・モナークコンペティションには出場していません)その師であるマスター・オブ・クムフラ ジョージ・ナオペ師の歩んだ道は、ハワイの近代文化史がたどったそのままの道といえることでしょう。それではここで、簡単にその歴史をご紹介しましょう。
●18世紀後半にキャプテン・クックがハワイ諸島を訪れハワイの西洋化が進む中で、19世紀初頭にフラの禁止令が発布され、19世紀後半カラカウア王がフラ禁止令を解除するまでの50年余りの間に、ハワイの伝統文化は徐々に衰退して行きました。
1893年にハワイはアメリカ合衆国に併合、1901年にはハワイ語が禁止。
そのような中で開かれたパナマ・太平洋国際博覧会(1915年サンフランシスコ)では、観光地ハワイのプロモーションとしてフラとハワイ音楽が紹介され大人気を博したのです。
1930年代からはハリウッド映画でも楽園ハワイをイメージした映画が多数制作され、1960年には絶頂期を迎えました。(エルヴィス・プレスリーの大ヒット曲「ブルーハワイ」もこの頃リリースされています)
しかしこれらで使われた音楽はネイティブのハワイアンが、「パパ・ハオレ音楽(半分白人音楽)」と呼ぶもので、ハワイの伝統音楽を利用して新たに制作されたハリウッド・スタイルの音楽だったのです。
音楽がこの調子ですから、当然踊りもアレンジされて、素人受けする観光用のものになっていました。
1960年代に入るとハワイの人々は自分たちのアイデンティティに目覚め、ハワイの伝統文化の復興を目指すハワイアン・ルネッサンスの時代を迎えます。
そして、1964年にはハワイ島ヒロでハワイアンの伝統文化普及、継承に大きな役割を果たすことになるメリー・メリーモナーク・フェスティバルが生まれました。
(この年はちょうど日本では「水不足騒動」と「東京オリンピック」に沸いていた年に当たりますね。そして同じ頃、映画「フラガール」の舞台になったいわき市のスパリゾート・ハワイアンズ/旧名:常盤ハワイアンセンターが誕生しています)
●このフェスティバルは地元ハワイのハラウしか出場できないハワイ人によるハワイ人のためのフラの祭典で、フラ・カヒコとフラ・アウアナを明確に分けた厳しい規則を持つハワイ人のための祭典として現在まで続いているのはみなさんもご存知の通り。
そして、ハワイの伝統文化の継承と、伝統文化が受けてきたつらい過去の歴史が繰り返されないよう、正しく理解され、守られ、伝承されることを望み、このフェスティバルを実現し、一生をかけて育ててきたのがマスター・オブ・クムフラ(クムフラの総代)ジョージ・ナオペ師なのです。
その功績を称え、師は2006 年に全米芸術部門で最高位の賞である「National heritage Fellowship of Award」(日本の文化勲章に相当)が授与されました。
現代のフラの隆盛は、こうした先人達の努力と多くの担い手が行ってきた文化普及運動が礎(いしずえ)になっているのですね。
師は日頃「アロハの心の中身は「愛」だ。自然を理解すればフラはうまくなる」と語っておられたそうですが、とても意味深いお言葉ですね。
女神ペレはどんな神さま?(文化・神話)
ペレ(Pele)は、ハワイに伝わる火山の女神さまです。(住んでいる所は聖地 キラウェア・ハレマウマウ火口です)
ほかに、ペレホヌアメア(「聖なる大地のペレ」の意味)、ペレアイホヌア(「大地を食べるペレ」の意味)、ペレクムホヌア(Pele-kumu-honua、「大地の源」の意味)などと呼ばれることもあるそうです。
ハワイの神々の中ではもっとも有名で、炎、稲妻、ダンス、暴力などを司るとされています。(ちょっと、コワ~イ神さまですが、フラはペレの管轄。フラダンスを学ぶ者にとっては関係深い神さまでもあるんですね)
美しく情熱的ですが気の荒い女性で、嫉妬や怒りから人々を焼き尽くすとして畏怖の対象とされています。
またペレの好物とされる特定の食物(オヘロと呼ばれる野苺の一種など)を食べることはカプ(タブー)として固く禁じられているそうです。
ペレの誕生についてはいろいろな説があるようですが、一般的には大地の神ハウメアと天の神カネホアラニの間に生まれた子とされていて、鮫の王カモホアリイ、海の女神ナマカオカハイなどの、数多くの兄弟が居ます。
もともとは南の島(タヒチともサモアともいわれる)に生まれ、そこで育ちましたが、天からの啓示によって海を渡りハワイの最西端にあるニイハウ島へとやってきました。
ペレと一緒に海を渡ったのは長兄のカモホアリイ、弟のカーネ・ヘキリ、カーネ・ミロハイらでした。
またペレは父に命ぜられ生まれたばかりの卵を持って来ましたが、その卵から生まれたのが妹の女神ヒイアカでした。
また別のエピソードでは、水の女神でペレの姉にあたるナマカオカハイが、旅立った兄弟を追いかけて、彼らへの嫉妬心から島々で彼らが掘った火口を水浸しにして破壊することを繰り返したため、ペレはマウイ島のハナで姉と対決しましたが、その戦いはペレの死で終わったとされています。
そして死後、ペレの魂はさらに南のハワイ島へと渡り、キラウェア山のハレマウマウ火口に安住の地を得ました。
ペレが故郷からハワイ島にたどり着く旅の壮大な物語は、太平洋の大陸移動でハワイ諸島の島々が誕生した過程と一致しているため、古代の人々が自分たちの民族移動の歴史を後世に伝えるために残した神話ではないかと考えられているそうです。
それでは次にまるで、ワグナーの楽劇に登場する北欧神話のような、いくつかのエピソードをご紹介:
●ペレはある夜に魂となってカウアイ島に行き、美貌の王子ロヒアウと出会った。
2人は互いに一目惚れした。ペレは妹のヒイアカを差し向けてロヒアウを迎えに行かせたが、ヒイアカの進むのが遅く、到着したのは、ペレを待ち続けたロヒアウが死んだ後だった。
しかしロヒアウの魂がまだ近くにいたため、ヒイアカはロヒアウの父王が催したフラの宴を継続させ、その間にロヒアウの蘇生を図り、彼の魂を肉体に戻して生き返らせた。
この過程でロヒアウとヒイアカは互いに惹かれ合うようになっていた。 ハワイ島に戻ったヒイアカとロヒアウはペレの怒りの炎を浴びたため、ヒイアカは無傷だったがロヒアウは焼死した。
その後ヒイアカはロヒアウを再び蘇生させ、カウアイ島で暮らした。
●マウナケア山に住む雪の女神ポリアフはペレとは対立関係にあり、2人はしばしば争った。
ある時の戦いでは、ペレの流す溶岩をポリアフが雪を降らせて冷やしたため、溶岩が固まって火口を覆ってしまい、海へ流れ出す溶岩の量も減って海水で冷やされた。
こうして溶岩台地のラウパーホエホエが形成された。
●ペレたちが暮らすキラウエア山の火口に豚神カマプアアが現れると、2人は戦いを始めたが、ペレの流す溶岩をカマプアアは呪文の力で止めてしまった。
ペレらは和解して彼を家族として迎え入れ、ペレとカマプアアは夫婦となった。
しかし2人はしばしば火山の噴火と海水による洪水によって争った。
カマプアアは海水でペレをキラウエア火山の火口に追い詰めたが、ペレの叔父である地底の神ロノマクアが種火を彼女に与えたため、再び噴火を起こして形勢を逆転した。
その後、2人は和平を結び、ハワイ島を分けて支配した。
風上の湿ったコハラなどの地域がカマプアアのものとなり、プナ、カウ、コナなど風下の乾燥した地域がペレのものとなった。
2人の間には息子オーペル・ハアア・リイがいて、彼はハワイの王族と平民の祖先とされるが、別の説では幼い頃に死んだとも、魚のムロアジ(ハワイ語で「オーペル」)になったとも言われている。
また、その後カマプアアが海の底の国の王女と結婚したため、ペレは彼に戻ってきてほしいと歌を唄ったと言われている。
喧嘩ばかりしていて、今にも別れそうな夫婦が、本当は愛し合っていたなんてことがありますが、ペレとカマプアアもそんな夫婦だったのかも知れませんね。
●ある日2人の少女がパンの実を焼いていると、飢えた老婆が分けてほしいと懇願してきたため、年下の少女だけが老婆にパンを分け与えた。
去り際に老婆は年下の少女に、山で間もなく異変が起こることを告げた。
帰宅した少女からこのことを聞いた祖母は、老母の正体がペレだと考え、老婆の言ったとおりに10日間タパの切れ端を玄関に掛けておくことにした。
数日後、山が炎を吹き上げ、その噴煙の中には若い美しい女の姿があった。
少女は女の目が老婆の目とそっくりだと気付いた。
村は流れ出した溶岩に覆われたが、少女の家だけは溶岩が避けていったため、少女と家族はペレに感謝した。
こうやって、ペレのいくつかの神話に触れてみると、少しですがペレに近づいたような気がしますね。