(19.12.28)

 我が家のB/S(バランス・シート)その2 



 2015年6月16日にアップした我が家のB/Sの続編です。

 このB/Sで取り上げた資産及び負債は、私以外の家族が「個人」として管理する ものは含まれていません。 例えば、家内も株式投資をしていますし、その上結構な額の「ヘソクリ」を持っているようですが、 詳細は分からないのでここに含まれていません。子供達の預金、親の資産などももちろん含みません。





 ※B/Sには慣例どおり「千円」単位で記載しましたが、分かりにくいので以下では「万円」単位で話を進めます。



 4年半ぶりに作成したB/Sによると、資産合計は前回約7.900万円から今回約7.200万円に減りました。 これは後でふれるように、1.000万円近くあった負債をゼロ円としたことによるものです。

 流動資産は5.900万円と前回より若干減りました。 1.000万円近くあった負債をゼロ円としたことによるものです。 これ以外に将来もらえる保険や年金がありますが、何歳まで生きるのか分からないのでここには含まれていません。

 固定資産は前回とほぼ変わりません。 土地も買った当時からいくぶん下げていますが、 数年前に近くに大規模な商業施設や駅などができたため不動産価格は反転上昇し前回1.000万円から今回1.200万円となっています。

 前回は1.000万円近くあった住宅ローンを中心とした種々の負債は今回まったくなくなりました。 前回80%台後半だった自己資本比率は今回100%になりました。



 年金は70歳からもらうと約+40%増し、75歳からだと約+80%増しになるようです。 私は最低70歳まで年金なしで頑張りたいと思いますが、できたら75歳までと思っています。 「早死にしたら損」という方もいますが、 その場合「早死したこと自体が損」なのであって「国に頼らず生きたことは誇り」と私は考えます。

 70歳までテニスができる、
80歳までジョギングができる、
90歳まで犬と散歩ができる、
死ぬまで株式投資ができる(もちろん利益を得る)、
それが肉体および頭脳の目標です。



 音楽、映画、読書、海外旅行、絵画、スポーツ、園芸の他に地域活動をしていますが、 将来それ以外にもう一歩踏み出したいと思っています。 今考えているのが、近ごろ増加してきた外国人に日本語を教えるボランティア活動です。

 お金は目的ではなく、それらを支える重要な手段です。







(16.07.31)

 投資専業へ 



 定年にはまだ間があるのですが勤め先を辞し、 明日8月1日から私は投資専業になります。

 これまでよりも投資に力を入れ、真摯に取り組んでいきたいと思います。 そして、やるからには成功することを必然として、 退路を断ってそれに向かって知力を尽くしたいと思います。



 目標とする数値は、
「2020年東京オリンピックまで投資資産5.000万円」
とします。

 この数字は現状からしてそんなに過大な目標ではないと思います。 というのは、場合によっては口座から出金することもあるからです。 なぜなら、お金はそれ自体が目標ではなく、 人生を楽しむための手段だからです。

 アウトラインとしては、 出来るだけ早いうちに5.000万円まで増やし、 そこを越えた分は余剰利益として出金して旅行やら何やらに積極的に使う、そんなイメージです。







(17.09.06)

 残り時間 



   私の両親は今80歳代後半、介護を覚悟する時が迫り、 またそのすぐ先の「その時」が刻々近づいています。 そう思うと、私も残りの時間をどう過ごすかと、その時をどうのように迎えるかを意識します。



 老いた両親がどう考えているかは別として、 私自身は介護されてまで生命を維持したいとは思いません。 自分で歩けて食事ができて、着替えや、風呂に入れる、ここが私の「レッドライン」です。

 そのレッドラインを越えた時が60歳だろうと90歳だろうと、私はそれ以上生きていたくありません。 命の尊厳よりも、人間としての尊厳の方が重要だと私は考えているからです。 そういう意味で、私は「尊厳死」や「安楽死」を否定しません。

 ただ現在の法では安楽死はともかく、医師や家族が尊厳死に協力するのは本人の同意があっても殺人ほう助罪になります。 ですから、レッドラインを越えそうになった時は、自らが自らに尊厳死を執行しなければなりません。 その準備も今から始めようと思います。



 また、自分がいつ「レッドライン」に到達するのかわかりませんので、 その前に今やりたいことをできるだけ多く、悔いのないようにしなくては、と思っています。

 わずかな年金や資産を当てにしてチマチマ長生きしても、この先たかが知れた人生です。 これからは、もっと刹那的に生きてもいいと思います。

 年寄こそ刹那的でいいのです。 晩節を汚すなんて考えなくていいでしょう。

 一番よい死に方は、80歳を過ぎてから坂登りのトレーニングをしていてコロッと行くことですね。 旅の途中で逝くのも悪くないです。病院のベッドは最悪です。









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