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自然災害と火山周辺の土地利用のあり方を学ぶサテライト

 「火山と共生」するための必要条件の一つは、過去の断層を調査し、その存在を地域住民がよく知り、その再活動の危険を考慮して土地利用を図ることです。この病院は1977年噴火のあと対岸の仲洞爺に移り、2000年噴火の被災を免れました。

○ マグマの貫入で徐々に倒壊する病院の様


火山活動開始から 67日目 1977年10月12日撮影   319日目の1978年6月21日撮影

 
○ なぜ病院の建物は倒壊したか?

 東京帝国大学大森房吉教授の1910年有珠山噴火に関する論文(1911年)には、噴火にともなう地殻変動で動いた主要な断層が北山麓に数本報告されていて、この病院はその一つの北東麓の断層上に建てられていました(下右図参照)。これらの断層は、変動量はさまざまですが、1910年ばかりではなく1943年 - 1945年、1977年 - 1982年、さらに2000年の火山活動でも変動しました。


       1910年有珠山噴火 45個の火口が形成             大森博士の火口列と断層に関する調査図

 1977 - 1982年の有珠山山頂の活動では、火口原内の有珠新山(潜在ドーム)の成長にともなって外輪山北部が約200mも北東方向へせりだしました。この変動は北山麓にもおよび、洞爺湖岸では地盤が約25mも湖側へ動いたのです。
 この病院は噴火開始後、数日でひび割れが始まり、2〜3か月後には徐々に倒壊していきました(倒壊する病院写真参照)

 病院付近の地盤は一本の単純な断層ではなく、多数の小断層で破砕され、全体として右横ずれの断層帯となってその動きが建物を倒壊したのです。一方、北西麓の洞爺湖温泉街の西部では、北東麓とは逆に左横ずれの断層で道路や建物が破壊されました。この断層も大森教授の論文(1911年)に記述されています。

 火山活動が終息して年月が経つと、断層も表面風化が進み、植生やアスファルトで覆われるなどして多くが不明となってきます。火山との共生の第一歩は、このような地域の災害環境を次世代に風化させることなく、伝承していくシステムを構築することが大切です。


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