ー5ー

 「はいっ!そこまで!」
 その声に、カインは、はっと、我に返る。
 突き出した剣の先では、レジンの代わりに選ばれた騎士が、汗だくになりながら、その切っ先を凝視している。
 「今日は、ここまでだ。・・・以上。」
 騎士長は、ちらりとカインに視線をやったが、カインは、剣を収め、一礼すると、その場に背を向けた。

 春分へ向け、日差しは、ますます力を増し、季節は、一気に温んでくる。
 剣を振る騎士達の額にも、汗が滲む。
 しかし、カインは、汗一つかかなかった。
 ・・・あんなもんで、汗なんかかけるかっ
 謁見の儀まで、あと一月もないのに、剣術の模範演技の相手は、からっきしだった。
 いや、騎士の館で、それ相応の訓練を受けているのだから、決して、素人などではないのだが、この館でも、類を見ない剣の使い手であるカインにとっては、やはり相手にもならない。
 真剣勝負にならないから、つい、考え事をしてしまう。
 そうすると、身が入らないにもかかわらず、手加減すら忘れてしまい、相手を追い込んでしまうのだ。
 双方で打ち合いながら、全く、相手が眼中にない。
 ある意味、危険極まりない。
 ーーーレジンでなきゃ、話にならない。
 カインよりは、華奢な体つきだったレジンの剣は、「技巧のレジン」と呼ばれるにふさわしく、力のあるカインと拮抗していた。
 この二人だったから、王の御前にて、演技が可能だったのだ。
 片方だけでは、バランスが悪すぎる。
 そのことに、いらついているのは、カインだけではない。長も、また、新たに選ばれた騎士とて、同じことであった。
 騎士の結束が揺らぐことは、決して良いことではない。
 こちらに背を向け、森へ歩いてゆくカインの後ろ姿を見ながら、長は、長く重いため息をついた。
 やはり、カインを下げるか・・・。
 そのことによって、騎士達の間に、更に気まずさが広がるかも知れない。
 しかし、今のままでも、それは、変わらないことだった。
 冷静になりきれないカインは、まるで、相手を弄んでいるようにしか、見えないのだ。
 彼の剣の腕が、周囲に沈黙を強いているだけで。
 「さて、これは、何かの兆しなのか否か・・・。」
 長は、難しい顔をしながら、カインの代わりになる者を見繕おうと、騎士達の群に目を向けた。

 ふらふらと無意識のうちに足が向くのは、レジンの泉。
 別に、誰がそう名付けたわけでもないが、騎士の館から幾分離れ、女官達の館に近いこの泉で、レジンは好んで、水浴びをしていた。
 騎士の館の近くにも泉はいくつかあり、騎士達は、温かくなって汗をかくようになると、よく水浴びをする。
 しかし、その泉に、レジンが混じることはほとんどなかった。
 騎士の中でも、意外に切れ者で(それは概ね、悪戯に発揮されていたが)、ユーモアのセンスがあり、誰にも文句を言わせぬ剣の使い手であるレジン。
 彼の、一番大きなコンプレックスが、実は、騎士の館の中でも、最も華奢な体つきをしていることだったのだが、誰ひとりそれを知る者はいない。
 騎士の館に姿が見えないレジンを探すに、先ず、この泉を訪れるカインですら、それは、知らなかった。
 
 芽を吹き始めた緑を抜ける風は、一層甘さを増している。
 木々の間から落ちてくる日の光を浴びながら、カインは、いつものように、レジンの泉の傍らに立った。
 あの日から、そこに、レジンがいないというのに。
 が、カインは、いつもと違う光景に、眉をひそめた。
 「・・・?」
 水面が、不自然な波紋を描いている。
 剣の柄に手が乗ったのは、無意識の行為だった。
 騎士の館と娘達の園の間に、刃傷沙汰になるような物騒な事件などありはしないにもかかわらず。
 息を殺しながら、静かに泉のほとりを巡ると、やがて、カインの足が止まった。
 殺していた息が、止まってしまったような錯覚を覚える。
 声も出なかった。
 数度瞬きすると、知らず足が動き、踏まれた小枝が音をたてて折れる。
 目の前の、大きな柳の根元にしなだれかかっていた人影が、身じろぎをし、眉をひそめながら、そっと目を開けた。
 「・・・?!」
 奇妙な既視感。
 その髪も、瞳も、何より表情が。
 「・・・レ・・ジン?」
 思わず漏れた自分の声が、うわずってかすっているのを感じる。
 けれど、目の前のその人物は、思いっきり顔をしかめただけで、返事はせず、ただ、少し顔を背けた。



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