心地よい波長。 音は、波だ。その、波のてっぺんからてっぺんまでの距離を、波長って言うんだけど。 沈み込んでいた意識が、覚醒する直前の辺りで、ふと漂うような、不思議な心地よさの中で、回転の良い脳みそだけが、勝手に空回りする。 心地の良い波長は、俺のかけがえのない人のもので、それが聞こえることは無い筈だから、幻聴なんだろうか。 幻聴ってのは、壊れたレコードみたいに、延々と繰り返されるものなのか? 俺は、ゆっくりと目を開けた。 昼とも言えず、夜とも言えない、闇と白日の狭間の空気。 その一部が、さっきから、微妙に震えている。 未だ、ぼんやりする頭のまま、震えの源へと、ゆっくり首を回し、俺は、動きを止めた。 疲れすぎか? 確かに、昨夜は、未だかつて無い、修羅場につぐ修羅場だった。 今、こうしてここにいること自体、不思議な気がするほどに。 けれど、不思議は、それだけにとどまることが無くて。 ・・・幻覚まで見るようになったのか? だって、あり得ないだろう。 俺は、だるくて重い腕をなんとか持ち上げ、薄暗がりにうずくまる影に、なんとか手を伸ばした。 指先に触れる、しっとりとした髪の感触。 その感触に導かれるように、俺の腕は、髪に指を絡ませていた。 ・・・夢じゃ・・・ねぇのか? 驚きと、歓喜と、疑問と、懐疑と・・・ 大量の感情が、混沌としたまま一度に押し寄せて、頭の中が混乱するけれど、指先から伝わる感触は、紛れもなく、彼女のもので、しかも、現実のもので・・・。 俺の指を絡ませたまま、影は、ゆっくりと動き、やがて、彼女の色の白い顔が、暗がりに浮かび上がる。 瞳というのは、どこから、光を拾ってくるのだろう。 そんなこと考えたって、無意味なのに。 彼女の前では・・・。 「快・・・斗・・?」 薄暮の中で、潤んだ光が俺を見つめる。 まるで、眠っていた炉に最初の火種を投げ込んだように、俺の中の何かが覚醒する。 「・・・青子?」 髪を絡ませていた指を解き、白い肌に、そっと触れると、間違いなく血の通ったぬくもりが伝わる。 それと同時に、冷たくなってしまった涙も・・・。 「・・・なんで・・・?」 自分のものと思えないくらい、疲れ切った声に、けれども返事はなくて。 その代わりに、頬に触れていた俺の指先が、温かなもので濡れる。 「・・・快・・・」 伸ばした腕を両手で抱きしめるようにして、青子が、俺の手に頬ずりをする。 「よかった・・・無事で。」 次から次へと溢れる涙が、俺の手を濡らしてゆく。 「・・・泣くなよ・・・。」 おめぇに泣かれると、堪えるんだから・・・と呟きつつ、ゆっくりと胸の内から、熱い物がこみ上げて来るのを感じていた。 今回の仕事は、えらく危険だったから、万が一って奴を、さすがに考えた。 プロだという自負はある。 それだって、表じゃ大きな声で言えないような仕事のプロだ。いつだって、命がけの真剣勝負。 でも、昨夜のはさすがに・・・。 俺にしちゃ珍しいが、宝石を取り返した直後、寺井ちゃんに託した。 二人三脚を組んだことは、幾度かあるが、依頼品を託したのは、初めてのこと。 一歩間違えれば、寺井ちゃんの命だって危ない。 けれど、俺としては、今回で、ケリをつけたかった。警察が不意打ちで動けるのは、多分、この1度きり。それを、成功してもらうには、情報の攪乱が必要だ。 陽動の囮として、奴らを引っかき回してやる、と。尤も、その気持ちの中に、捨て鉢な物が、なかったかと問われれば、否と、即座には答えられなかったかも知れなのだが。 ボスとやらにお目にかかった時、そのあまりのショボさに、拍子抜けしたのが、命取りになりかけた。 人から盗み出した物を、売りさばくなんて稼業の、どこも偉くはないのだが、それなりの所帯を持っているにもかかわらず、あんな、ちんけな野郎が頭で、そ んな野郎の一味に親父が殺されたのかと思うと、振り上げた拳をどこに下ろしていいのかわからないような、そんな怒りと共に、限りない虚しさを覚えた。 緊張感が、一瞬ほどけたのかも知れない。 熱いような感覚が、すぐさま痛みに変わり、俺は自分が傷を負ったことを知った。 俺の脇腹をかすめたのは、ボウガンに取り付けられたナイフ。 部屋の中に、とんでもねぇもの、仕込んでやがった。 深い傷ではなかったけれど、傷は傷。警察と奴ら双方から、追われているうち、俺の体力と気力は、かなり消耗していった。 この部屋へ戻ってくるまでに、幾度、思ったことだろう。 全て、終結して、それから、・・・俺に明日はあるのか?と。 いや、生きて帰り、傷の手当てをして、ゆっくり休息をとって・・・と、物理的に手当をすれば、問題はないだろうが、俺の心は、もう、これで、ジ・エンドみたいな気分だったのだ。そう、なんていうかな・・・ろうそくの燃え残りが、もう少しで無くなる・・・みたいな感じ。 青子に出会う前の俺って、どんな風に毎日を生きてたんだろう?って、たかだか数ヶ月前のことが、遠い昔のことのように思えた。 明日が見いだせないなんて、俺には経験がなかった。親父が死んだ時さえ、男の俺が、おふくろを守らなきゃいけない、なんて、生意気なこと思っていた。 ま、適当に女遊びしながら、過ごした時期は、ある意味そうだったのかも知れないけれど、なにぶんにも、自覚症状がなかったし。 だからと言って、キッドだと、自首するつもりは毛頭ない。 そんなことをすれば、捜査は、間違いなく、おふくろや寺井ちゃんにまで及ぶ。 親父が守り抜いた二人を、俺のわがままで失いたくない。 それに、・・・警部がいないんじゃな。 そんなこんなで、半分朦朧としながら、部屋にたどり着いたのは、朝方だった。 どうやって、戻ったのか、記憶が定かじゃない。 ついでに言えば、傷の手当てもしたようだけれど、そいつも記憶がいまいち曖昧で。 そして、今に至る。 |
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