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 「あら、結構、時間、経っちゃったわね。美和子達が心配するといけないし、そろそろ戻ろっか。」
 ちらっと、時計を見た由美さんは、空っぽになってしまった紙コップを、傍らのゴミ箱に放り投げた。
 「はい」と返事をして、その後をついて行く。
 心は、少し軽くなっていた。青子って、意外にげんきんなのかな?
 「引き渡し完了♪」
 そう言って、由美さんが部署へ帰っていった後、青子は、再び、捜査1課の片隅に腰を下ろした。
 捜査本部は、少し離れた会議室。
 人の出入りは、相変わらず激しくて、何人かが、現場へと急行していった。
 お弁当食べさせてもらって、唯ここにいるだけで、本当にいいんだろうか。
 だからと言って、自分に何ができるわけでもないのは、分かり切っているんだけど。
 時折、お父さんは、職場の人と一緒に帰ってきて、酔っぱらってるのに、まだ、酒盛り・・・なんてこと、幾度かあった。
 レクリエーションにも、時たま、連れて行ってくれてたから、2課の人には、多少の面識がある。
 でも、この、言いようのない緊迫した空気の中で、彼らの顔も、また、きびきびとした、まさに刑事の顔。
 お父さんは、こんな中で仕事をしていたんだ・・・。
 改めて、それを感じると共に、不意に、黒羽さんのことが思い出された。
 確かに、今回は、キッドと敵対する人たちを一斉逮捕するため、必死で体制を整えようとしている。
 けれど、だからと言って、警察が彼に協力するわけではない。
 すぐ隣の会議室の中で、「拳銃携帯許可」の声が聞こえる。
 あの、凍り付きそうな夜、彼らは、確かに、拳銃をキッドに向けていた。
 いや、そのうちの一つくらいは、自分に向いていたかも知れない。
 けれど、今夜、彼に向けて、一体幾つの銃口が向けられるというのだろう。
 そして、それらを、どうやって彼はくぐり抜けてゆくというのだろう。
 彼に抱きしめられ、彼を抱きしめながら、ビルから降下したあの時、私の目の前には、白い肩越しに、穴の空いた、グライダーが見えた。
 あの時は、それだけで、大事に至らなかったけれど、もし、グライダーを貫いた弾が、彼をも貫いたら?
 着地もままならないほどのダメージを受けたなら?
 それ以上に、彼らに捕らえられたなら、命の保証などあるわけないだろう。
 背筋が、ぞっとした。
 彼が、無事に、仕事を終えることなど、できるのだろうか?
 『もう会えなくなる』
 あれは、あれは、どういう意味だったのだろう?
 単に、これきりで、会わないという意味だけだったのだろうか?
 それとも・・・
 「どうかしましたか?」
 びっくりしたような声に、我に返る。
 その先を考えかけて、私は思わず、立ち上がっていた。
 「あの、大丈夫?なんか、顔が真っ青なんだけど。えっと、医務室か仮眠室とか、行く?」
 そう言いながら、高木さんが、頭をかきながら、辺りを見回している。
 ざわつくフロアで、私のことに気付いてくれたことが不思議だった。
 「いえ、大丈夫です。できれば、ここで、待っていてもいいですか?」
 独り静かに、横になんて、なっていられない。
 黒羽さんのことを思えば、ここでじっとしているのも、苦痛なくらいだ。
 「そう?じゃあ、なんかあったら、受付にでも、言ってみてくれるかな。これから、僕たちも出るから。」
 あぁ、刑事さん達が、現場へ出るんだ。
 恐らく、所轄の警官も、出ているだろう。
 ・・・お父さんに、差し入れを持って行った時、そういうことが、あった・・・
 「はい、わかりました。お気をつけて。」
 じゃ、と言って、軽く手を挙げた高木さんの向こうに、いつの間にか、赤く染められた空が見えた。
 もう、こんな時間なんだ。
 何人かの刑事さん達が、時折、私の姿に気付いて、高木さんと同じように、手を挙げ、微笑んで、扉の向こうへ飛びだしてゆく。
 ぱたぱたと音がして、佐藤さんが、近づいてくる。
 「大丈夫?しんどくなったりしたら、すぐ、誰かに言ってね?」
 気遣いの言葉に、複雑な気持ちが膨らんでしまう。
 ・・・口には出せないけれど、青子は・・・この、沢山の刑事さん達よりも、たった1人の怪盗が気がかりだから。
 ごめんなさい。あなた達が追うべき人を、つかまえたいと切望する人のことを、好きでたまらないの。
 今頃だけど、自分の気持ちが揺らぎ無いことに気付いてしまった。
 だから、この先、彼のことは、やっぱり、一言たりとも、教えてあげられない。
 ・・・ごめんなさい。
 そして、黒羽さん、沢山のごめんなさいとありがとうを、青子に伝えさせて?

 「だけど・・・」
 ふと、顔を上げると、ほんのちょっぴり悔しそうな、佐藤さんの顔。
 「まったく、キッド様々よね。悔しいけど、情報を掴んでいたのは、彼の方だったというわけなのよね。ったく、中森警部じゃないけど、さっさとたれ込みで もしてくれりゃいいのに、あんな手の込んだことして。よっぽどの目立ちたがりか、どっか、頭のねじがはずれてるんだわ。」
 ものすごい言いように、思わず、苦笑してしまう。
 ねじ・・・はずれてるのかな。
 やがて、彼女も、他の刑事さん達と同様に部屋を後にし、その背中を目で追ったあと、青子は、じいっと、片隅で、座っていた。
 そうしているしか、無かったから・・・。



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