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 それからの時間が、どんな風だったか。
 ソファのあるエリアに場所を移して、ただ、じっと、時の過ぎるのを待った。
 もちろん、シンジケートの一員に接触したことがあるから、そのことについては、尋ねられたので、できうる限りのことを答えた。
 けれど、やっぱり・・・彼のことは、口にはできなくて。
 それでも、刑事さん達は、誰も、青子のことを疑わない。
 キッドの正体を知っているなんて。
 彼の家を知っているなんて。
 誰ひとり知るわけ無い。
 それが、胸に痛いのに、・・・彼のことは、言えない。
 そんな自分の、どうしようもない感情に翻弄されて、思わず、手に持っていたテディを抱きしめた。
 ・・・大体こんなもの持ったまま、警視庁に来させようなんて、一体、彼は、何を考えていたのだろう?と、思ったけれど、何となくわかってしまった。
 答えは、今の自分の行為。
 こんな風に、不安に煽られながら、時を過ごさなければならないことを、見通していたのだろうか。
 頭の中が、ぐしゃぐしゃになりそうだった。
 彼の手を振りほどいて、会わないようにしてから、自分の気持ちに気付いてしまった。
 どうしてだろう?  
 彼は、お父さんの追っていた泥棒なのに。
 ・・・心を許してしまうのは、何故?
 あんな乱暴されたのに。
 ・・・それが、あなただから、悲しかった。
 人を好きになるって、こんなに苦しいの?
 もっと、素敵なことじゃないの?
 「もう、会えない・・・」と言われた時に、泣きそうになった。
 青子って、何て勝手なんだろう?
 彼に会わないようにして、彼を記憶の中に封印しようとしていたのは、自分なのに・・・ 目の前のテディは、どことなくくたびれた感じで、優しく青子を見つめてくれて。
 頬に残る、やわらかな感触も、軽く抱きしめられた時の彼のぬくもりと匂いも、みんな、青子の中にしっかりと刻印されて、消えることなどあり得ない。
 まわりのものが、ぼんやり滲んで見えた。 
 ・・・やだ。こんなところで、いきなり泣いちゃ、怪しすぎる・・・。
 気付いて、すぐにハンカチを出したけれど。
 そんな青子を、しっかり見ていた人がいた。
 
 「どうしたの?大丈夫?」
 声をかけられて、驚いて思わず顔を上げると、濃紺の制服が目に入った。
 屈んで、首を傾げる彼女の肩から、長い髪がさらりと落ちる。
 「あ、なんでもないです。大丈夫です。」
 なんでもないわけ無いのは、一目瞭然なんだろうけれど、だからと言って、細々と説明できるわけもなくて。 
 「あ、千葉君、これ、頼まれてた書類。」
 彼女は、脇を通った男の人に、持っていた書類を渡すと、すぐさま、こちらへ向き直った。
 「ひとりで、こんなところにいたら、心細いよね。えっと・・・中森警部のお嬢さんだっけ?」
 なんか、知らないところで、有名人になってる感じ。
 「ねぇ、ちょっと休憩しに、外に出ない?」
 はい?
 「え?でも、青子、勝手に動かない方が・・・」
 う〜んと、彼女が考え込む間に、こぼれそうだった涙は引っ込んでしまった。
 その時、一組の男女が、会議室から出てきた。
 そこをすかさず、彼女が声をかける。
 「ねぇ、美和子!」
 高木さんと、書類を見ながら話をしていた佐藤さんが顔を上げた。
 「あら、由美。」
 ファーストネームが飛び交って、ちょっとびっくりする。
 「この子さ、ちょっと息抜きに、ここから出せない?」
 小さくなって、縮こまっていた青子を、3人が見下ろす。
 「建物の外には出せないわよ。」
 佐藤さんが、眉を顰めた。
 それを、由美さんという人は笑いながら、ひらひら手を振る。
 「大丈夫、大丈夫。私も、外までは、ちょっと。ただ、ほら、緊張しまくってるみたいだし、コーヒーでも一緒にどうかなって。」
 その時、黙っていた高木さんが、口を開いた。
 「僕、警部に断ってきましょうか?」
 「そうね・・・」
 でも、思案してたのは、一瞬だった。
 「それもそうね。高木君、お願いするわ。由美、適当なところで、戻ってきてくれる?それで、いい?中森さん。」
 最後に、柔らかい声が、青子に降ってくる。
 「あ・・・はい・・・。」
 「じゃ。」
 その一言で、青子も立ち上がり、由美さんの後をついて行った。
 
 そこは、自動販売機の前。
 青子の手の中には、湯気の立つココア。
 由美さんは、なかなか聞き上手な人で、ぽんぽんと威勢のいい相づちを打ちながら、青子の話を聞いてくれるから、いつの間にか、黒羽さんの話をしていた。
 ・・・でも、なんで、そんな話になったんだろう?
 だからと言って、やっぱり、彼がキッドだなんて、口が裂けても言えない。
 適当にごまかすっていうのは、とっても大変なことなのだけれど、それでも、その辺は、「よくわからないけど」で、カバーして、話をしていた。
 何となく、思いついたことを思いついたまま、おしゃべりをしていたのだけれど、彼女はコーヒーを一口飲むと、目を細めて、青子を見つめた。
 「青子ちゃんって、その彼のこと、すっごく大切なんだね。」
 それは、不思議な言葉だった。
 好きだという自覚はある。それ自体が、苦しいのだけれど。
 「ねぇ、確かに、青子ちゃんの言い分も、わからないじゃないよ。だけど、あれじゃないかなぁ。お父さんとしては、いつまでも、自分の死を引きずってるよりは、恋人のひとりでも作って、明るく人生を生きてゆく、あなたの方が、嬉しいんじゃないかな。」 
 由美さんの言いたいことは、わからないではない。
 でも、でも・・・
 「あのね・・・」
 由美さんの口調が、少し変わる。
 「口は堅い方?」
 いきなり顔を寄せられて、びっくりする。
 「は・・・はい。」
 これでも、警察官の娘だ。お父さんが、仕事の話を家ですることなんて、無かったけれど、それくらいの心構えはある。
 「ま、私の知ってる人・・・なんだけど。その人警察関係者なんだけど、娘さんがさ、結婚式に、毒を盛られたのよ。で、命に別状はなかったんだけど、その、盛った人ってのが、新郎だったんだよね。」
 いきなりな展開で、さすがに、引いてしまう。 
 「新郎は、その警察官の方に恨みを持っていて、復讐のために、彼女に毒を盛ったのよ。ま、ちょっとした行き違いで、勘違いをしてただけなんだけど。で ね、その新郎新婦って、新郎は気付いてなかったけど、お互いが、初恋の人だったの。そういうこと全部、承知していて、彼女は、盛られた毒を飲んだんだけ ど・・・」
 かなり、複雑な事情に、混乱しそうになりながらも、ふと、浮かんだ疑問を口にしていた。
 「あの、毒をわかっていて、飲まれたんですか?」
 由美さんの話だと、そんな風に聞こえたんだけど。
 「そう。で、・・・どうなったと思う?」
 見当もつかない。
 「破談・・・になったんじゃないんですか?」
 だって、毒を盛ったと言えば、殺人未遂じゃない。
 「それがさぁ〜」
 ちらりとこちらを見て、由美さんは、にっこり微笑んだ。
 「ちゃーんと、仕切直しで、ゴールイン!」
 「嘘・・・」
 「事件後の詳しいことは私も知らないわ。でも、ね、彼女も彼女だけれど、それを許した父親のことを考えてみて。いくら、毒を盛った彼に、情状酌量の余地があったとしても、彼女が幸せにならなきゃ、結婚は許されてなかったと思わない?」
 心の中で、舌を巻く。
 由美さんって、あんな間引きした青子の話で、核心をついてる・・・。
 一瞬、本当に、交通課の婦人警官なんだろうかと思った。
 「亡くなったお父さんのこと、まだ、辛いんだと思うけれど、だからと言って、恋をしちゃいけないなんてこと、無いと思うけどなぁ。それよか、お父さんにとっては、安心なんじゃない?あなたが選んだ人なら、わかってくれるわよ。」
 ね?と、顔を覗き込まれ、そうなのかな・・・と、思ってしまう。
 なんか、ものすごい説得力があるような・・・。



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