いつも主導権は、彼にあった。 まだ、彼のもう一つの顔を知らなかった頃、「どこへ行きたい?」「何が食べたい?」とか、尋ねてくれることはあったけれど。 でも、彼が、優しいけど、いたずらっぽい瞳で、青子を見つめる時、大抵、言葉はなく、事の行方は、彼に委ねられた。 ・・・そして、結果は、いつも、青子の胸を震わせた。 ひとりぽっちになってしまって、寂しかった日々。 殉職という、尋常でない死でお父さんがいなくなったせいか、青子の神経は、どこか、ぴりぴりとしていた。 そんななかで、あの人がくれた微笑みは、青子の大切な命綱だった。 そう・・・あの瞬間まで。 あの夜、全てが、暗転してしまった。 彼が、お父さんが長年追い続けていた、相手だと知った時、自分が浮かれていたことに、気付かされた。 罰が当たったんだ。 お父さんが、あんな死に方をしたのに、その直後、出会った彼に恋心なんて、抱くから。 悲しみを忘れ、心浮き立つ時間を望んだ、罰が当たったのだ。 大切なお父さんの、宿敵に惹かれてしまうなんて。 事実が、どうだったなんて、もう、いい。 誰が、お父さんに手をかけたなんて、今更、真実を知ったところで、帰らない。 だけど・・・ 青子が拒んでも、彼は、優しく手をさしのべてくれた。 あの人は、青子を心配してくれる。 青子のために、出来る限りのことをしようとしてくれる。 ね、その眼差しも、頬に触れた唇も、こんなに心に暖かいのに。 青子は、許せないの。 あの人の事じゃない。 自分のことが。 死んでしまってから、お父さんを裏切っているような気がして。 ・・・でも。 少し泣いていいですか? あなたの心遣いが、とても嬉しかったのだと。 いまでも、あなたのことを、好きです・・・と。 「どちらにご用ですか?」 受付の、明るい声がする。 私は顔を上げた。 ・・・こんな風に、ぬいぐるみ持って、入ってきたら、不審に思うよね、普通。 さぁ、彼に頼まれたとはいえ、これは、お父さんの大切な遺品。 仕事仲間へのメッセージなんだから、ちゃんと渡して、早く対処してもらわなきゃ。 「すいません、先日亡くなった、捜査2課の青森銀三の娘なんですが・・・」 そう言うと、受付の人は、かしこまって、恐縮してくれた。 ちょっと居心地の悪い思いをしたけれど、すぐに用件を伝える。 「あの、2課の皆さんに、お会いしたいんですが、いいですか?」 受付係の人は、ちょっと思案顔。 そうだろな。キッドが出るんじゃね。 「少々お待ち下さい。」 そう言って、内線電話をかけてくれようとした時、玄関の方が、ちょっとざわついた。 「おやぁ?中森さんとこの、お嬢さんじゃないかね?」 聞いたことのある声が、ロビーに響く。 振り向くと、帽子を目深にかぶったおじさん。 ・・・えっと、会ったこと、ある人だ。 「・・・目暮警部・・・でしたっけ?」 あ、お葬式に来てくださってた。 「おぉ、覚えていてくれたか。どうかね?落ち着いてきたかね?何か、不便があったら、いつでも、連絡してくれていいんだよ。今日は、何か?」 優しい言葉に、ほっとする。 「ええ。父の遺品の中から、仕事で使ってたと思われるようなのが、出てきたんですけど、2課のどなたかに、お会いしたいんですが。」 その言葉に、目暮警部の大きな眉毛がぐぐっと幅を詰める。 「う〜む・・・。2課かぁ。ちょっと、今日は、殺気だって忙しい筈なんだが。」 やっぱり。そうだよね。黒羽さん、わかってんのかな。急ぎだって言うけど、難しいよ、こんなタイミングで、こんなもの渡されても。 けど、その時、ひらめいた。 「あの・・・もし良ければ、中だけ、目暮警部が、確認して頂けませんか。」 恐る恐る尋ねてみる。 「ん?わしかね。おお、いいよ。丁度、今、手が空いているし。わしで良ければ。」 目暮警部が、快く承知してくれたので、受付に軽く会釈をして、青子は、警部について、上階へと、進んでいった。 |
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