「警視庁で、一晩? どうしてですか?」 カップを離したばかりの唇が、動く。 「身の安全以外に、理由はねぇよ。」 俺は、目を細めて、彼女に笑って見せた。 青子自身は、ぴたりと動きを止めて、俺を見つめ返している。 少し驚いたような、どこか悲しげな。 けれど、そのうち、緩やかに視線は逸らされて、俺たちの間に、沈黙が降りた。 彼女のティーカップが空になったところで、よっこらしょっと腰を上げる。 もちろん、テディを小脇に抱えながら。 「んじゃ、そろそろ。行ってもらおうかな。」 慌ててバッグを手にした彼女に、俺は、手をさしのべた。 「お嬢様、お手を。」 一瞬、面食らった顔をするが、さすがに2度目、おずおずと手がさしのべられた。 殆ど事情もわからず、こんな用件だけ伝えられて、はいはいとすんなり受け入れられる方が、不思議だろう。 けれど、彼女にこれを頼むしかない。 ぐるっと見渡してみたが、小さな店内に、不審者がいる様子はなかった。 俺は、勘定を済ませて外に出ると、青子の肩に腕を回した。 「えっ?」 驚いて焦る彼女にお構いなしに、そのまま昼前の街を歩く。 目指すは警視庁。 怪盗キッド、直々のお出ましだぜ?全く。 腕の中では、青子が、かちこちに固まって俯いていた。 ま、慣れねぇだろうな、こんなこと。 俺はといえば、振りほどかれないことをいいことに、そのまま、肩を抱きながら、歩き続けた。 早春の日差しは、日増しに強くなっていて、風は冷たいのに、柔らかく包まれるような心地よさがある。 青子が、居心地悪そうに、身じろぎすると、俺は、腕に力を込めた。 離したくない・・・ 殆ど無意識の行為に、青子が顔を上げる。 どこか、もの問いたげな瞳に、苦笑する。 な〜に感傷的になってんだか、俺ってば。 軽く微笑んでから、俺は、前を向いた。 「今日、予告日なんだ。」 明らかに、彼女が体を強ばらせる。 腕を離さぬまま、俺は続けた。 「で、このデータが手に入ったからには、警察にも動いて欲しくてね。今回は、結構やばそうだし。」 「警察が、キッドの手助けをするんですか?」 内容が内容だけに、青子の声も小さい。 「どっちが、どっちをっていうのは、この際、意味ねぇな。警察とて、この捕り物は、半端じゃ済ませられない筈だ。出来るだけ早く、体勢を整えて、取りか からねぇと、残党狩りも大変だからな。ま、俺は、本部を叩きつぶせれば、それでいいから、後のことは、お任せだ。警察もバカじゃなきゃ、俺が、予告状を出 して、連中の意識を逸らしてる間に、動いた方がいいことぐらい、わかるはずだし。」 青子は、黙りこくってしまった。 何を考えてるか、わかるわけないけれど。 「ほらよ。」 俺は、テディを青子の胸元に押しつけた。 ほんの少し躊躇ってから、青子の手が、そっとそいつを抱きしめる。 「ありがとうございます。」 小さな声が、返ってきた。 「一応、中を確かめさせてもらったけれど、警部は、この前の奴らのシンジケートを概ね把握してたみたいだ。警察関係者に渡せば、警部が言いたかったことは、だいたいわかるはず。・・・そうだ。見張りの警官はどうしたんだ?」 青子は、テディに顔を埋めていた。 端から見れば、彼氏と彼女に見えるかな? ・・・下手すっと、俺、ロリコンに見えたりして。 「暫く前から、来られなくなりました。異常がないって言うことで。」 「そっか。」 緊張感のない…と思ったが、ま、お陰で、青子を連れ出せたんだから、文句はなしか。 「警察が、キッド捕獲でなく、自分たちを捉えようとしていることがわかれば、奴らだって、どうくるかわかんねぇ。警部の忘れ形見としてのお前を知ってるから、人質に取られる可能性も、大いにあるってわけだ。・・・だから・・・」 俺は、顔を上げた。 桜田門外にそびえ立つ、三角柱。 「ここが一番、安全てわけ。」 俺は、青子の肩から腕をはずした。 「着替えの一つも用意させてやれなくて、わりいな。結構、時間がおしてるもんで。」 空っぽになった腕が、寒々しく感じる。 ・・・もうちょっと・・・触れていたかった。 「あの・・・黒羽さん・・・。」 まっすぐ俺を見つめてくるが、青子は、そのまま、言葉を途切れさせた。 「ん?大丈夫だよ。警部の仇は、とってきてやるから。・・・それと・・・。」 俺は、ざっと、周囲を見渡した。 特に、俺たちに注意を払っている人間がいる、様子はない。 と、いうことで。 「キスしていい?」 瞬時、街頭の音が消える。 ぽかんとした青子が、目を見開いて、やがて、その手で、口許を覆った時、俺は、そっと、顔を近づけた。 真っ赤になった頬に、触れるだけのキスを落とし、耳元に囁く。 「唇なんて、贅沢言わねぇよ。」 青子はといえば、硬直してただけだけど。 それをいいことに、俺は、立ちすくむ彼女の首を、片手でそっと抱く。 「今度こそ、本当に、会えなくなるな。もう、青子には、関わらないようにするから。だから、安心しろよ。」 そして、俺は、そのまま、彼女の背後にすり抜けた。 「振り向くな。そのまま、中へはいるんだ。大丈夫。玄関口まで、俺がちゃんと見てるから。」 「く・・・黒羽さん・・・?」 不安げな声に、俺は軽く笑ってやる。 「大丈夫だって。俺が、中まで一緒に歩いていけるわけねぇだろ? 俺のことは知らんふりして、とにかく、中にはいるんだ。いいな。さっき話したこと忘れるなよ。さ、行くんだ。」 青子は、多少ぎこちなく、歩き始めた。 俺は、傍らの壁にもたれ、周囲に目を配る。 玄関口まで、そう、距離はない。 彼女が、建物の中に姿を消すのを見届けると、俺は、足早にその場を立ち去った。 後のことは、彼らに任せるしかないだろう。 |
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