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 呼び鈴を鳴らすと、暫くして、青子が顔を出した。
 いつものコートを引っかけている。
 不安げな顔をしたまま、歩いてくる姿に、俺は、つい、笑みがこぼれてしまう。
 「よぉ、久しぶり。」
 「こんにちは。・・・なんのご用・・・なんですか?」
 ったく、ほんとに、つれねぇよな。
 ま、言ったって、しゃあ無いんだけど。
 「ちょっとさ、つき合ってくんねぇかな。」
 「どちらへ?」
 「内緒。」
 青子は怪訝な顔をする。
 当然か。
 門扉を挟んで、俺たちは見つめ合う。 
 青子の顔には、明らかに、とまどいの表情が浮かんでいたが、やがて、目をそらし、小さくため息をつくと、ぽつりと答えた。
 「わかりました。」
 「サンキュ〜」
 そう言いながら、俺は、テディを持ってない方の手を青子に差し出した。
 不思議そうな眼差しが、俺を見つめる。
 「今だけ、腕、組んでくれよ。」
 大きな目が、いっそう大きく見開かれ、かわいらしい唇が、ぱくぱくと空回りする。
 「身の安全だと思ってさ。」
 反論がないことをいいことに、俺は青子の手を取ると、すたすたと歩き始めた。

 たどり着いたのは、俺御用達のケーキショップ。
 ここから、警視庁は、意外と近い。
 それと、これが重要。普通のケーキショップより、朝が早いこと。
 とりあえず、ここに来るまでに、奴らの気配は無かった。
 日当たりのいいテラスの席へ案内され、俺たちは、向かい合わせに腰を下ろした。
 テーブルに、とりあえず、俺は、熊をどんと置く。
 「チョコ、美味かった。これは、なんと言っていいか、そのお礼。」
 彼女は、すっと顔を逸らせた。
 あの夜のことは、思い出したくないと、暗に語っている。
 やっぱり、辛いもんだな。こんなにも恋いこがれる人間に、嫌われるってのは。
 俺は、こっそりため息を吐くと、彼女に向けたぬいぐるみを背後から抱きしめるように、そっと顔を近づけた。
 「青子。これから、大切な話をするから、悪いけど、聞き漏らさず、じっと聞いてくれ。」
 トーンの下がった声に、何かを感じて、青子は俺を見つめた。
 「今から、話すことは、とっても重要だし、お前じゃなきゃ出来ないんだ。」
 そう前置きすると、青子は、とっさに椅子を引いた。
 「青子、あなたのために、何も協力は出来ません。」
 勘がいいと言えば、いいし、ずれていると言えばずれている。
 「聞けってば。」
 低く怒鳴りつけると、体を微かに震わせたものの、青子は浮かせた腰を落ち着けた。
 「これから俺が言うことが、結果的に、俺に協力することになったとしても、それは、あくまで結果論だ。いいか。ちゃんと聞けよ。」
 念を押すと、青子の唇が、少しとんがった。
 あ、すっげ、かわいい・・・
 「聞いてます。」
 俺は、小さく笑ってから、真顔に戻る。
 「今から、おめぇは、警視庁に行ってくれ。で、この熊が持ってるこのカード、これの中味を捜査2課の誰でもいい、出払ってたら、他の課でもいいから、とにかく、信頼できそうな奴に手渡すんだ。家の中を整理していたら、こんなものが出てきたと言って。」
 青子が怪訝そうにカードに手をやる。
 カードの影に、CD-R0Mの姿を見つけ、青子は、さっと顔色を変えた。
 「これって、もしかして・・・」
 察しが良くて嬉しいねぇ。
 「あぁ、あのとき、連中が要求してた奴だと思う。」 
 青子の顔が、一気に近づいた。
 「何で、あなたが持ってるの?」
 声も、トーンが下がる。
 「ひょんなところからな、出てきた。」
 「・・・」
 しばしの沈黙の後、青子が、顎を引くのがわかる。
 「それって、もしかして・・・」
 「おめぇの家の中なんて、忍び込まないからな、俺は。」
 考えていたことを言い当てられて、青子は、ぷぅっとふくれる。
 いちいち仕草が、愛おしくて、ついつい、ゆるんじまうぜ、畜生。
 「で、これ、渡せばいいんですね?」
 「あぁ。で、出来れば、今夜だけは、警視庁に泊まらせてもらうんだ。」
 青子は、目を丸くし、姿勢を元に戻した。
 その時、注文していたケーキセットが運ばれる。
 ウェイトレスが去ってゆくと、俺は、とりあえず、ケーキをほおばることにした。
 カフェオレには、小さな砂糖を2つ。
 1人勝手に、飲み食いする俺を眺めていた青子は、どこか、諦めたように、ゆっくりとミルクポットに手を掛け、カップに傾けた。
 華奢なフォークが、彼女のフルーツタルトを切り分けてゆく。
 一口分、切り取ったところで、青子は自分の皿を見つめたまま、深刻な顔をして、ため息をついた。
 突然のことで、頭が混乱しているのだろう。
 ま、当然といえば、当然だな。
 キルシュトルテを一切れ残し、俺は、すっと腕を伸ばした。
 気付いた青子の目が、不思議そうに、それを追う。
 「あっ!」
 その瞬間、一口分のタルトは、俺の口の中に放り込まれた。
 「ん。やっぱ、これも美味いな。」
 青子は、あんぐり口を開けたまま、呆気にとられている。
 「ここに来ると、ついつい、チョコレートケーキを頼んじまうんだけど、こいつも、結構いけるじゃん。」
 そう言って、ウィンクしてみせると、しばし呆然としていた青子が吹き出した。
 それから暫くは、笑いが止まらなくて。
 よそよそしい雰囲気が、一度に霧散するような笑顔。
 でも、それが、本当に、一瞬のことだと、わかっている。 
 「ようやっと、端から見てて、デートに見えるだろ?」
 その言葉が、聞こえているのかいないのか。
 ひとしきり笑った青子は、落ち着くと、静かにタルトを食べ終えた。



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