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(4)




 それからの日々が、ひどく殺伐としたものだったのは、言うまでもない。
 もう、何気なさを装って、青子に声をかけることすらできない。
 あの日、ランチで、混み合う前に、俺たちは、店を後にした。
 「家まで送ってくる。」と告げたとき、おふくろは、実に非難めいた目で、俺を見てくれたが、説得できなかったんだから、仕方ねぇじゃねぇか。
 強引にでも、俺の部屋の隣へ住まわせるべきだったのかも知れないが、それもできなかった。
 何となく、そんなことはしてはいけないような気がして・・・。 

 奴らは、本当に青子が何も知らないことを納得したのか、彼女につきまとうことはなくなったようだった。
 もちろん、青子は、俺の意見を入れて、奴らのことを警察に届け出た。
 キッドには、助けられたものの、安全圏まで逃げて、友人宅で一夜を過ごしたことにして。
 友人は、なかなか理解のある子で、俺の部屋にいてたとは言えないからと言うと、やたら笑顔で、アリバイ作りに協力してくれたので、助かった。
 シンジケートの奴らにとって、彼女の家を襲うなんて、下っ端の仕事だろうが、気を抜かないに越したことはない。
 ということで、彼女の家に、しばらくの間、刑事が張り付くことになった。
 しかし、事態を軽んじているわけではないだろうが、彼女自身に、刑事が張り付くことはなかった。
 そこんとこ、不満と言えば、不満だったが、何せ、人手不足な警察のことだ・・・俺が、夜空を駆ける度、相当数の警官が動員されるが。
 そうそう、彼女ひとりに構っていられないのかも知れない。
 だからと言って、俺にどうこうできない。
 奴らは、姿を見せないが、どこで、どう、アンテナを張り巡らせているか、わからないから、彼女の家を見張るだけとはいえ、下手に黒羽快斗が出しゃばっていけば、キッドの正体が奴らにばれるとも限らないからだ。
 警視庁捜査2課では、リーダーの中森警部を失っても、順調にチームは機能していた。
 そうでなくちゃな。
 そして、たまに制服警官を装い、青子の周辺を確かめつつ、俺は、シンジケートの首の根を押さえようと、躍起になっていた。


 桃の花咲く頃、その仕事は舞い込んできた。
 あたりを付けた、シンジケートの核心部に間近なところを狙う一件。
 さて、これは、本当に、俺に依頼されたものなのか、それとも奴らの罠なのか。
 神経質そうな依頼人と別れ、俺は、シャネルスーツのまま、歓楽街をぶらぶらと歩いた。
 モデルなどの芸能関係者や、ニューハーフなんて連中がいるお陰で、俺が女装して歩いたところで、それほど、目立つこともない。
 それでも、ハイヒールってやつだけは、いただけないので、ローファーを履いている。
 途中、酔っぱらったおっさん数人に声をかけられたけれど、幸いなことに、奴らとおぼしき連中に、とっつかまることはなかった。
 しかし、油断は禁物。
 俺は、人混みに紛れ、わからないように、いくつもの変装を経、寺井ちゃんの店にたどり着いた。
 姿は、ちょっとよれっとした、中年のおっさん。
 さすがに、今回のこの仕事は、ここで、変装を解く気になれない。
 俺は、「ハイボール一つ」と、声をかけ、ちびちびやりながら、時間を潰した。
 客が引き、店内が空になったところで、小さなメモを渡す。
 寺井ちゃんは、それをちらりと確認すると、微かに頷き、淡々といつもの仕事をこなす。
 沈黙だけが、しばし、その場を支配する。
 寺井ちゃんと、俺との間で、幾度か、メモがやりとりされ、やがて、俺は、さえないおっさんよろしく、小銭をチャラリと出して、席を立った。
 「んじゃ、また・・・おやすみ。」
 そう声をかけると、寺井ちゃんは律儀にも、礼を返した。
 「又、お越し下さいませ。」
 ・・・彼がバーテンダー向きなのが、よくわかった。

 数日後、俺は、依頼人を呼び出した。
 もちろん、変装して、彼を張り込んで、後のこと。
 裏は取れたし、彼が、何が何でも極秘で、その宝石を取り返したいこともよくわかった。
 まぁな、本人が堅気でも、ご先祖様が、泥棒じゃな…と、思わず苦笑する。
 彼の身辺調査は俺がやって、宝石の調査は、久しぶりに寺井ちゃんに頼んだ。
 こんなに、慎重なのは、やはり、青子が襲われたときの一件もあったし、俺の蓄積した、キッドとしての勘・・・みたいなのもあった。
 一筋縄ではいかない・・・と。
 依頼人の期限は、10日間。
 向こうも、信用問題がかかっているから、譲れない。
 二人で、粘り粘って、エクストラ料金をぶんどることで、片が付いた。
 ・・・時間を、金で買ったって、増えやしないんだけど。
 コロンボよろしく、よれよれ中年親父を装った俺は、とりあえず、依頼人が姿を消すまで、見送って、この前のように、手間暇かけながら変装を解き、下準備に取りかかった。
 この、限られた日数の中で、今度のような大仕事をするのは、はっきり言って初めてだ。
 店に顔を出す時間も削ったが、青子の様子を伺うことも、減った。
 気がかりではあるが、本職がついてる、と、自分に言い聞かせた。
 そういったあんばいで、多忙を極めていたが、やっと、決行日が決まった。
 一段落した俺は、前日、客が引けた頃合いを見計らって、寺井ちゃんの店に、顔を出すことにした。
 この若さで、命を散らすつもりなど、はなから無いが、何かの時に、頼りになるのは、やっぱり、彼なのだ。
 
 薄暗い店の中にはいると、寺井ちゃんは、微かに「おや」と言う顔を見せたものの、すぐに、元の、何を考えているかわからない顔になった。
 「お決まりですか。」
 リネンで、磨き上げられたグラスが、行儀よく、並べられてゆく。
 「ん、まぁな。」
 カウンターの、手頃な場所に腰掛けた俺は、あくびをしながら、思いっきり伸びをした。
 久しぶりかも知れない。
 こんな風に、体から、力が抜けるのは。
 かといって、テンションが下がっているわけじゃねぇ。
 いい具合に、アップできてるって言えばいいだろうか。
 「寺井ちゃん、ココア、いれてくんねぇ?」
 何となく、いつもの癖で、そんな風に呼びかけてみたのだけれど、返事が返ってこなかった。
 「寺井ちゃん?」
 その、不自然な間に、俺は、彼に視線を投げると、寺井ちゃんは、店の一番奥の座席を見ていた。
 「お〜い・・・」
 普段滅多に見られない、そんな姿に、俺は思わず、手をひらひらさせて呼びかけてみる。
 と、彼が、ようやくこちらへ視線を向けた。
 「どうしたんだ?」
 それは、何となく気になった、程度のものだったのだけれど。
 「いや、そういえば、あそこに・・・。」
 彼の視線が、再び、奥の座席に移る。
 「あそこがどうかしたのか?」
 俺も、そちらへ視線をやる。
 「亡くなる前の日に、中森警部が、座っておられましたな・・・。」
 右から左へ聞き流せる話では、決してなかった。

 「な・・・?!」
 一瞬絶句した俺は、ドンと音をたてて、立ち上がった。
 「寺井ちゃん、それ、どういうことだよ。っていうか、何で、今まで黙ってたんだよ。いや、それより、・・・警部は、何しに来たんだ?」
 悪いが、どうしても詰問調になってしまう。
 だってそうだろ?
 彼が亡くなったのは、昨年末半ばのことだった。
 もう、街のウィンドウには、春物がぞろりと並べられているのだ。
 「さぁ。けれども、本当に、一杯引っかけに来られただけのようでしたが?」
 バーテンダーの常か、寺井ちゃんは、実に客の顔をよく覚えている。
 常連なら、その口からこぼれ出たパーソナルデータも、おおよそ頭の中に入っている。
 ま、大衆食堂じゃねぇから、顔ぶれが限られてるってのもあるんだろうけれど。
 そのなかで、警部は、明らかに初顔の筈だ。
 こちらが、一方的に知ってはいても。
 「なんで、そんなことわかるんだよ。それに、ほんっと、すぐに教えてくれよ、そういうことは。」
 思わず、頭を抱えてしまう。
 いや、別に、教えてくれていたからといって、警部が助かっていたかどうかなんてのは、全く別の話なのだろうけれど、何か、こう・・・
 何か?
 俺は、ふと、寺井ちゃんを見る。
 「寺井ちゃん、中森警部とは、話をしなかったのか?」
 「いささか。」
 「どんな内容か、覚えてねぇか?こう、何か、キッドに絡んだものをほのめかすような。」
 「いえ・・・そう言ったことがなかったので・・・。」
 敢えて、俺に言わなかった、ということか。
 「でも、どんな話したんだ?警部に会ったのは、初めてだったんだろう?」
 寺井ちゃんの記憶を促しながら、俺の頭がフル回転する。
 警部が、ただ単に飲みに来たと思えなかった。
 何か、何か理由があったんじゃねぇのか?
 心の底がざわめくのは、ただ単に、キッドとしての勘だったのかどうか。
 「思い出せねぇか?寺井ちゃん。」
 「そう言えば、ご家族のことなど、少し・・・」  


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