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 日差しを浴びた青子は、多少やつれて、はかなげに見えた。
 それでも、その眼差しは、芯の強さを隠すことはなくて。
 そろそろと腰を下ろすと、俺は、思っていたことを口にしようとした。
 が、先に口を開いたのは、青子の方だった。
 「きれいな・・・方ですね。」
 一瞬、何を言われているのかわからなかった。
 「え?あ、あぁ・・・そうか?」
 それが、カウンターの向こうで、せっせとグラスを拭いている女性と気付くのに、暫くの間を要した。
 「単なる、若作りじゃねぇの?」
 俺は、おもむろに砂糖壺から、山盛りのシュガースプーンを取り出す。
 それを3回ほど繰り返すと、青子の見開いた瞳と目が合った。
 「そ、そんなに入れるんですか?」
 「重労働の後はな。」
 その一言で、彼女は、口をつぐんでしまう。
 モーニングの時間が過ぎて、店内には、軽いポピュラーミュージックが流れ始めた。
 あと1時間もすれば、早番のランチが始まるだろう。
 混んできたら、この場も明け渡さなければならない。
 その前に、彼女に、やはり伝えておこう。
 「暫く、ここで暮らさないか?」
 驚いた視線が向けられた。
 「ひとりで、あそこにいても、しんどいだけなんじゃないのか?」
 彼女の目が、伏せられる。
 表情が、少し辛そうだ。
 「それに、ひとりであの家にいるのは、リスクが多すぎる。昨夜の奴らが、好き勝手にあの家に入り込んでいたし・・・。」
 そこで、言葉を切ると、青子は、何とも言えない表情で、俺を見た。
 まるで、泣き出しそうな・・・。
 「今、ひとりで、いるなよ・・・。」
 ひとりで、傷を受けながら、ぼろぼろになってるなんて、俺の方が耐えられなかったのかも知れない。
 「口封じですか?」
 意外に物騒な言葉がこぼれる。
 一瞬、意味がつかめなくて、呆然としたが、俺は、ぐいっと、カフェオレを流し込む。
 「好きにとれよ。」
 そんなこと、微塵も考えてなかったなんて、思うわけねぇよな。
 俺自身、都合の良い、棚上げをしていたもんだと、半分呆れたくらいだから。
 空になったカフェオレボウルを置くと、俯いて、考え込む青子が目に入った。
 「別に、俺と一緒に暮らせって、言ってるんじゃねぇよ。部屋が、俺の部屋の隣が、一つ空いてるから。俺がいなくても、いざというとき、彼女がいるし。」
 カウンターの向こうを顎でしゃくりながら、言うと、青子は、そっと彼女を見つめる。
 「あの方は、あなたのことを、よくご存じなんですね。」
 問うような、呟きに、俺は、ほおづえをつくと、ため息を一つ零した。 
 「まぁ、よく存じ上げてるだろうな。一応、おふくろだから。」
 「えぇ?」
 驚いた声を上げた青子に、俺は、にやっと笑ってみせる。
 「もしかして、妬いてた?」
 それは、冗談半分、希望半分。
 青子は、一気に顔を真っ赤にすると、ぱたぱたと手を振った。
 「そ、そんなことないですっ!あのっ、まさか、黒羽さんみたいに大きな息子さんがおられるなんて、思いもしなくて・・・。」
 ・・・あ、そ。
 「ま、見かけはああだけど、百戦錬磨のおばさんだぜ。」
 そんなに大きな声で言ったわけでないけれど、カウンターの向こうからは、必殺の視線が飛んできた。
 そ、俺なんか、全く、太刀打ちできねぇ。
 キッドの妻であり、母親であるんだからな。
 親子2代のキッドにつき合う、寺井ちゃんといい勝負だ。
 青子は、暫く、おふくろをじっと見つめていたが、やがて、しっかり閉じていた口を開いた。
 「家に、戻ります。昨夜は、ほんとにすいませんでした。」
 そう言って、深々と頭を垂れる。
 「いいよ、別に。あんな状態の人間、放っておけるわけないし。」
 けれど、面を上げた青子の表情は、複雑な心情をそのまま浮かべている。
 今更、やさしい言葉をかけたところで、昨夜の事実が、消えるわけでもない。
 俺は、ふいと窓の外を向きながら、ぽつりと零した。
 「借りにするのはやだろ?昨夜見たこと、黙ってるのと、相殺ってことで・・・。」
 自分で、自分の傷をえぐってるような気がした。
 もちろん、青子の目など見れるわけもねぇ。
 だから、彼女が、傷ついた瞳をみせたことに、俺はつゆほども気付いていなかった。
 
 「わかってると思うけど、奴らは、容赦ないぜ?それでも、本当にひとりで、いるつもりなのか。」
 幹部に直に触れられた青子なら、それは、嫌というほど、わかっていることだろう。
 「それに、今度は、俺のことを問いただしに、やってくるかも知れねぇし。」
 俺は、逸らせていた視線を、青子に戻した。
 青子が、ぐっと顎を引く。
 ・・・こういう頑固ささえ、惚れ込んでしまっている俺って・・・
 「その時は、その時です。」
 ため息が漏れる。
 これ以上、余計なもの、背負い込むなよ・・・と思いつつ、俺は、釘を刺した。
 「奴らの気配を感じたら、すぐ逃げろ。でなきゃ、何が何でも、助けを求めるんだ。・・・俺なら、説明抜きで、すぐ駆けつけられるからな。」
 ずいっと体を乗り出し、俺は、青子を見つめた。
 少し引いた彼女が、微かに俯くのを、俺は腕を伸ばして、遮る。
 顎を捉え、その目を覗き込む。
 昨日の感覚がよみがえったのが、怯えた目をしたけれど、俺は、彼女がうんと言うまで、手を離すつもりはなかった。
 「わかったな。」
 それだけで、彼女を手放すなんて、自分としては、到底、承伏しかねるものだったが。
 微かに頷いて、「わかりました。」と見つめ返した彼女に、俺は、にっこりと笑ってやることしかできなかった。


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