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 真っ白な粥から湯気が立ち上る。
 添えられた梅干しの色が、半透明に滲んでいる。
 「温かいうちに、食っちまえよ。」
 じっと、湯気の源を見つめていた瞳が、俺に向けられる。
 躊躇いがちに、ゆらりと視線が揺れ、やがて、彼女は、意を決したように、両手を合わせた。
 ゆっくりと粥を口に運ぶ彼女の目は、伏せられたままで、こちらを向く気配もない。
 差し込む日差しが眩しすぎて、何もかもが、白い光の中に溶けてしまいそうだった。
 その中で、血色の戻った赤い唇が、黙々と動かされる。
 様々な彼女を、言葉にして表す唇。 
 気が強くて、まっすぐで、大人しそうに見えて、華やかで、・・・哀しくて。
 無理矢理奪った甘い唇から、そっとレンゲに隠すようにして、梅干しの種がこぼれ出る。
 それを、レンゲ置きに置いたところで、彼女が、目を上げた。
 油断していたかも知れない。
 あまりに一心不乱に食ってるから、顔を上げるなんて、思いもしなかった。
 深い瞳にとらわれながら、微かに開いた唇が気になって仕方ない。
 俺たちの間に、微妙な間が生じた。
 「そんなに見てたら、彼女の顔に穴が空くわよ?」
 突然降りてきた言葉に、俺の心臓が跳ね上がる。
 そんなことは、すっかりお見通しのように、それ以上のチャチャ入れもなく、俺の前には、モーニングセットが置かれた。
 真ん前でなく、ついと突かれたトレイに気を向けた瞬間、俺の体は、持ってきた本人の尻で、押しのけられる。
 「どう?お口にあったかしら。」
 跳ねとばされて、むっとしたものの、俺は、これまでの習慣通り、逆らうことなく、モーニングを口に運ぶことにした。
 「はい。とても美味しかったです。ありがとうございました。」
 やや、声量がいつもより足りないが、はっきりした口調で、青子が答える。
 「よかった〜。運び込まれてきたときには、どうなることかと思ったもの。これだけ元気になって、ほんとによかったわ。ま、快斗も一晩中ついてた甲斐があったというものよね。」
 突然話を振られ、口に放り込んだ、ゆで卵が喉に詰まりそうになる。
 けたけたと笑いながら、彼女はひとり話を続ける。
 「あ、心配しないでいいからね。あなたの着替えをしたのは、2回とも、ちゃんとこの私だし、それより何より、自分のベッドに連れ込んだあなたを、襲おうなんて甲斐性、この男が持ってるわけ無いから。」
 このまま、放置しておいたら、あること無いことまくし立てられそうで、俺は、彼女の足を踏もうとしたが、敵もさるもの、そんなことは、お見通しだったのか、さっさと立ち上がると、青子の前から、空になった鍋を持ち去った。
 「ま、病み上がりだから、ゆっくりしていってね。」という一言を残して。
 青子の前には、湯気の立った湯飲みが一つ、残される。
 ・・・どこの寿司屋の湯飲みだよ、まったく。
 この場に不似合いなほどの巨大な湯飲みを、青子の細い指が包み込む。
 2枚目のトーストの最後の一かけを口に放り込むと、俺は、カフェオレボウルを掴んで、流し込もうとしたが、そのまま、ぐいっと一気にというわけにはいかなかった。
 ・・・ンの野郎・・・。
 いつもの奴、と思ったのが間違いだった。
 エスプレッソ並に濃く出したコーヒーに、砂糖抜きときやがった。
 薄目で、砂糖たっぷりに入れたカフェオレでないと、飲めないのを知ってて、やってやがる。
 ごほごほとむせながら、何とか吹き出すことは免れる。
 「大丈夫ですか?」
 涙目になりながら、視線を向けると、心底心配そうな、青子の瞳とぶつかった。
 「大・・丈・・・夫。」
 答えながらも、暫く、咳き込みは止まらない。
 ようやっとおさまって、青子を見ると、やはり、心配そうなままで、俺を見つめている。
 「大丈夫。ほら、もう、おさまったから。」
 落ち着いた俺の声を聞き、彼女が、安堵の息を漏らす。
 変わらない、優しさ。
 俺から視線を外した青子は、そっと、湯飲みに口を付け、湯気の向こうで、何を思っている?
 めまぐるしい一夜を過ごした後で、この一時が、ひどく現実離れしている。
 俺は、カフェオレボウルを手にすると、ゆっくりと立ち上がった。
 彼女が、不思議そうに見上げるのに、「ちょっとな」と声をかけ、俺は、カウンターまで、歩いていった。
 カウンター越しに手を伸ばし、しゅんしゅんと湯気を立てるポットから、お湯を注ぐ。
 「これからどうするの?」 
 食器を洗いながら、声だけがこちらに寄こされる。
 「・・・。」
 どうにもこうにも、何も考えてやしない。
 俺にできることなんて、何もないのだ。
 ただ、彼女に、俺の正体を黙っていることを、懇願するしか。
 あぁ、まぁ、彼女の家を暫くは張って、奴らが、手出しをしないか、見張るくらいか。
 「私や、彼が、知らないふりをしたところで、第三者を巻き込めば、ことは、簡単に済まなくてよ?」
 手をゆすいだ彼女が、火にかけたホットミルクを注ぐ。
 手にした、大きめのカフェオレボウルには、カップ一杯のカフェオレが出来上がる。
 ・・・ったく、倍の濃さにしやがって。
 「わぁってるよ。」
 滅多に口うるさくしない人間だが、わかりきったことを言われれば、閉口してしまう。
 早々に背中を向けると、小さく一言投げつけられた。
 「ま、私情に走り過ぎて、足下を見失わないことね。」
 ・・・痛いとこ、つきやがって。
 俺は、返事もせずに、青子の元へと足を向けた。
 




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