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 月の光が、影を作る。
 「満月か・・・。」
 雲一つなく、月も星も輝き放題って感じだ。
 放射冷却のせいで、ひどく冷え込む。
 車に乗り込むと、外と変わらないくらい寒かった。
 とりあえず暖機。
 エンジンをかけながら、俺は、ぼんやりと青子のことを考えていた。
 そういえば、中森警部の娘だってことと、うちの付属の看護学生だということ以外、彼女のことはほとんど知らない。 
 彼女の生い立ちや、その他諸々・・・。
 ・・・俺に向けていた小さな背中が、ひどく儚げで・・・
 その胸の中に、一体どれだけの悲しみを抱いているのか。
 「・・・言ってらんねぇよな?」
 誰に言うでもなく、そう呟いた俺は、車内が温もってくる頃、そのまま車を降りた。
 今、あいつを一人にしたくなくて。 
 あんまり気乗りはしないけど、あの人の手を借りてでも・・・
 そんなことを考えながら、俺は再び青子の家の門を開けた。
 ここへ来た時と同じように、リビングの灯りがつけっぱなしだ。
 ・・・まだ、起きてるよな・・・
 玄関扉に伸ばしかけた手がふと止まる。
 ・・・けど、この扉を開けてくれるだろうか。あんなことがあった後で・・・。
 夜更けに俺を家に入れるのは、危険だと思うようになったかも知れない。
 暫く迷っていたが、
 ・・・この扉が開いていなかったら、そのまま帰る。開いてたら・・・
 そう腹をくくって扉に手をかけると、それは、すんなりと開いた。
 ・・・おい、不用心だろうが。
 複雑な気持ちで扉を開けた俺は、しかし、その次の瞬間、家の中に飛んで入っていた。
 
 「青子!」
 そう、そこには、青子がいた。
 しゃがみ込んで、嗚咽を漏らしている青子が。
 俺の声に反応しない彼女を抱きしめると、とても冷たかった。
 「バーロォ!何やってんだよ。こんなに冷たくなって。」
 こちらを向かせると、顔を上げることなく、声を殺して泣いている。
 その頬に触れると、恐ろしく熱かった。
 「・・・」
 ひどく赤く感じる唇が何かつぶやいているが、聞き取ることはできなくて。 
 ・・・やばい!
 俺は一旦青子を玄関先に座らせると、灯りのついた部屋に入り、戸締まりと火の元を確かめ、灯りを消した。 
 ぐったりと身動きできない青子を抱きかかえ、その耳元で怒鳴る。
 「青子、青子!鍵はどこだ?」
 返事がないのをいいことに、俺は、コートや、バッグをまさぐった。
 ようやく見つけだし、青子を連れて外に出る。
 かかりにくい鍵をようやっとかけると、アイドリングをしたままの車に戻り、助手席に青子を放り込んで、すぐさま車を出した。
 青子は、何の抵抗もなく、シートに沈み込んでいた。
 車内は、暑いくらいにぬくもっていたが、俺の手は違う意味で震えが止まらない。
 ・・・バッカヤロウ!
 投げつける先のない悪態をつきながら、夜の街を走り抜けた。

 途中で、携帯電話をかける。
 受話器の向こうでは、多少不満げな声がするが、この非常事態にどうのこうの言ってられない。
 さっさと用件を伝え、ちらっと青子を見ると、少し呼吸が苦しそうだ。
 ・・・肺炎なんか、起こすなよ・・・
 こぢんまりしたマンションの地下駐車場に車を入れると、青子を抱いて、エレベーターに乗った。
 いつもは感じない時間がひどく長く感じる。
 ようやっと目的の部屋にたどり着くと、俺はためらうことなく中に入る。
 「あら、随分、しんどそうね。」
 部屋を暖めておいてくれた声の主に、「サンキュ」とだけ言って、青子をセミダブルのベッドに寝かせる。
 「じゃ、後は、引き受けるわね。」
 俺の部屋で待っていた女性の声に、「あ、あぁ」と返事をし、寝室の外に出たところで、ようやっと、人心地ついた。

 さ、まず、何から・・・?
 冷凍庫を開け、氷を取り出したところで、洗面器を風呂に取りに行く。
 滅多に使うことがないそいつを、ざっと洗い流したところで、氷と水を入れ、タオルが無いことに気づいた。
 あ・・・けど、タオルは寝室か・・・。
 とりあえず、それはキッチンに置いておいて、薬箱を開ける。
 熱がかなり出てた。
 体が冷え切っていたはずだが、少しは回復したんだろうか?
 あれこれ一度に、思い浮かんで、頭の中がパンク寸前になる。
 …ちっきしょう!
 たく、これで、本当に医者になれんのか?
 情けねぇ!
 しばらく目をつむり、一つ深呼吸。
 必要なのは、何だ。黒羽快斗先生?
 少し、落ち着いて考えれば、どうってこと無いはずだ。
 俺はゆっくりと目を開けると、必要なものを取り出して、大きめのトレイの上に並べた。
 
 「快斗・・・いい?」
 寝室の扉が開いた。
 「かなり、体が冷えていたから、湯たんぽを入れたままにしておいたんだけど・・・。暫くして、冷えが戻らないようなら、呼んで?直に暖めにくるから。」
 「そんなに?」
 彼女は、軽くため息をつくと、ちらっと俺を見上げる。
 「ま、私は本職じゃないから?見立てはあなたに任せるわ。それと、まぁ、そんなことないと思うけれど、変な気は起こさないようにね。」 
 「・・・あったりめぇだろ。」
 いつもの冗談も、今日はついていけなかった。
 「・・・一つ聞いていい?」
 その瞳が、ちょっと真剣なものになる。
 「・・・なに?」
 「彼女、何者?」
 いきなり核心をついてくる言葉に、俺はしばしためらった。
 しかし、敢えて黙っている理由もなく。
 「中森警部の忘れ形見。」
 一瞬、表情を曇らせたものの、彼女は、軽いため息をつくと、ぽんと俺の肩を叩いた。
 「それなりの覚悟はできているのね?」
 問いかけるような言葉だが、彼女は、そのまま玄関へと向かった。
 覚悟・・・。
 たとえば・・・?
 靴を履き、コートを羽織る彼女の背後で、俺は珍しく、素直になった。
 「青子は、知ってるんだ。キッドの正体を・・・。」
 「・・・そう。」
 彼女は振り向くと、優しい視線を投げてくれた。
 こんな顔を見るのは、一体何年ぶりだろう。
 「じゃ、お休みなさい。何かあったら、遠慮なく連絡して?」
 「ありがとう。」
 扉の向こうに消えていった彼女に、俺はため息をもらす。
 ・・・やっぱ、かなわねぇよな、あの人には。





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