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 車が青子の家に近づいたときだった。
 「あの・・・元の格好に戻していただけませんか?」
 青子が、ずいぶんと言いにくそうに口を開いた。
 「気に入らねぇ?」
 俺の言葉に、かぶりを振る。
 「ううん。びっくりするくらい、すてき。・・・でも、落ち着かないんです。いつもの格好でなきゃ・・・。」
 うつむいてしまった彼女を、それ以上困らせたくなくて、頭のてっぺんで髪を結い上げていた金具をはずした。
 柔らかな髪が、すとんと落ちる。
 それから、後部座席の鞄の中から、コートを取り出し、
 「ここで、脱げるか?」
 と、声をかけた。
 ・・・う〜ん、ちょっと微妙な言い回しだったかな。
 しかし、青子は、微かに頷くと、スカーフをほどき、オーバーを器用に脱いでゆく。
 俺は、気づかれぬよう、視線をはずした。
 さっきの今で、これかよ・・・と、内心苦笑しながら。
 ・・・でも、約束したから。
 青子は、俺から自分のコートを受け取ると、さっと羽織り、いつもの姿になる。
 そして、丁寧にオーバーを畳み、コートの入っていた鞄に入れ直し、
 「それじゃ、どうもありがとうございました。」
 と言って、車を降りようとした。
 ・・・おいおい!
 慌てて、それを止めると、俺はすぐに車を出した。
 「何考えてんだよ。」
 「え・・・、何って、ここで降ろしてくださって、大丈夫です。」
 「ばーろぉ!万が一、本当に待ち伏せされてたら、命がねぇかも知れねぇんだぞ。」
 怒鳴ってしまったせいか、青子がすくむのがわかる。
 「家まで、ちゃんと送らせてくれよ。じゃないと、俺の心臓に悪い。」
 ちらっと彼女を見やると、俺を見つめる瞳とぶつかった。
 けれど、何となく、お互い視線を逸らし、そのまま、沈黙が居座った。

 車を降りた俺達の間に、緊張が走った。
 誰もいないはずの家の中に、灯りがともっている。
 「・・・灯り、つけっぱなしで出てきたのか?」
 隣でこわばってる青子から、それはあり得ないと思いつつ、念のため確認する。
 「いいえ・・・。」
 青子の眉がひそめられる。 
 そのまま、門を開け、すたすたと中に入ってゆく彼女の後を、慌てて追ってゆくと、中で、人影が動くのが見えた。
 「・・・ちょっと、待てよ・・・」
 玄関扉を、何のためらいもなく開ける青子を制止しようとしたそのとき、扉が開いて、中から甲高い声が聞こえた。
 「まぁ、青子さん、今頃まで、どこに行ってらしたの?心配しましたのよ。」
 ・・・なんだ?この耳に障る声は。
 「おばさま・・・。」
 あまり驚いた様子も見せず、青子は多少非難めいた眼差しを、声の主に向けた。
 「お若いから、お友達などのおつきあいもあるでしょうけれど、なんと言っても、まだ四十九日が済んだばかりですし・・・。」
 ちらっと俺に視線をくれた彼女が、嫌味のように青子に話しかける。
 「あの、ご用は何ですか?」
 客の方が、家の中でくつろいでいて、住人の方が玄関先に突っ立ってる。
 妙な光景だ。
 俺は、寒さを遮るため、そっと扉を閉めた。
 「あぁ、そう。青子ちゃん、この間のお話、考えておいてくれた?」
 「そのお話は、お断りしたはずです。父からもお聞きになっていませんか?」
 「あら、でも、あなたももう二十歳でしょう?あなたのお母様が、あんなにお若い年で結婚されたんだもの、あなただって・・・」
 「結構です。お引き取り下さい。」
 「それにね、銀三が亡くなって、この広い家に、あなた一人じゃ寂しいでしょう?だから・・・。」
 「帰って下さい!」
 大きな叫び声に、おばさんとやらはかなり驚いたようだったが、実は俺も相当驚いた。
 シンジケートの奴らとの時もそうだったけれど、こんな青子も初めて見た。
 「青子さん、これでも、私、あなたの身内として、心配してあげてるのよ?お父様が亡くなって間がないのに、男を連れ込んでるなんて、ご近所の噂になったら、あなたも困るでしょう。」
 黙って聞いていたけれど、ここまで言われれば、ちょっと・・・。
 しかし、俺が口を開くよりも先に、青子が口を開いていた。
 「この方は、生前父が協力いただいていた方の息子さんです。父の話を聞きに行って、遅くなったから、送っていただいただけです。」
 へ?
 「どうだか。最近のお若い方は、突飛なことをなさるから。あのね、青子さん、この際言っておきますが、中森の家から、これ以上、妙な人間は出したくあり ませんの。あなたもそろそろお年頃なんですから、おつきあいにも気をつけて、・・・どこの馬の骨ともわからないような人と変なことにならないで下さい。も う、あんなもめ事は、銀三のことだけで・・・。」
 「お帰り下さい!!」
 俯いて肩を震わせてる青子を、憎々しげに見下ろしていた彼女は、やがて、舌打ちをするようなため息をもらすと、部屋に戻り、上着とバッグを持って現れた。
 「後で泣きついてきても、知りませんからね。」
 そんなお決まりの捨てぜりふを残し、俺に胡散くさげな視線を投げ、おばさんとやらは、姿を消した。

 「・・・黒羽さん・・・。」
 「何・・・?」
 「すいません・・・ひどいことを・・・。」
 自分の身内の発した言葉を謝る青子に、
 「いいよ、別に。どこでも、こんなもんだろう。」
 と、答えるのが精一杯で。
 何事にもまっすぐな、青子が、嘘をついた。
 あんなことをした、俺のために・・・。
 だから、もう、他のことはどうでもよかった。
 そう、年頃の娘を囲む環境なんてものは、どこも似たり寄ったりなもんさ。
 「もう・・・大丈夫ですから、どうぞお帰り下さい。」
 「え・・・大丈夫って・・・」
 「ご心配いただいたようなことはなかったようですから、どうぞ、お帰り下さい。」
 待ち伏せ云々ということを言ってるらしいと気づくまで、暫くかかってしまった。
 「・・・ほんとに、大丈夫か・・・。」
 到底、大丈夫とは思えないのだが・・・。
 「はい。」
 「けど・・・」
 「帰って!」
 背中を向けたまま、絞り出された叫びは、全てのものを拒んでいるようだった。
 「じゃ・・・冷えるから、暖かくしろよ。・・・おやすみ・・・。」
 小さな影が、微かに頷いたような気がした。



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