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 2,3人の客が入れ替わって暫くした頃、寺井ちゃんが、姿を現した。
 はやる気持ちを抑えつつ、傍らに立った彼に、小声で尋ねる。
 「青子・・・は?」
 ちらりと一瞥をくれた後、何事もなかったように、仕事をこなす彼に、多少、いらつくが、こういうときは、従っておく方がいい。
 「チョコはうまかったですか?」
 「え?あ、あぁ・・・」
 唐突に尋ねられ、俺は思わず、正直に答えていた。
 はっと口をつぐんだ俺に、しかし、寺井ちゃんは優しい眼差しをくれた。
 「家に帰ると言っておられます。今日の一件があるから、ホテルかどこかに泊まられたらとおすすめしたのですが、どうしても・・・と。」
 カウンターの中でしか、ほとんど聞き取れないようにしゃべるのは、彼の特技。
 それを聞き取ることができるのも、俺だからかもしれない。
 胸の内でこっそり舌打ちしていると、寺井ちゃんがつぶやいた。
 「あなたがお送りする・・・というのが条件です。」
 思わず彼を見つめると、ふぃっと背中を向けられた。
 「行きなさい」と、小さな声がする。
 「じゃ、これで。」
 俺は手元にあった仕事を片づけると、客と寺井ちゃんの背中に軽く会釈をして、青子の待つ部屋へと足を向けた。
 
 青子は、コートを脱いで、ぽつんと座っていた。
 かいま見える、その表情からは、感情を伺い知ることはできない。
 あれこれ悩んでも仕方ない。
 嫌われて当然だから、俺は開き直る。
 「家に帰るって?」
 小さな肩がぴくんと跳ねて、青子はこくんと頷いた。
 「もし、奴らが待ち伏せしてたらどうするんだ?」
 俺は、ベストとネクタイをはずし、ズボンのベルトに手をかけたところで、背後の青子を見た。 
 青子は身じろぎもせず、こちらに背中を見せている。
 一瞬の逡巡の後、俺はズボンも履き替えることにする。
 黒いスラックスなんて、履き続ける気にならない。
 「していないと思う。」
 突然の声に、俺はバランスを崩してこけそうになる。
 「私は、本当に何も知らないし、家捜しをして、何も出てこなかったというなら、これ以上、私に関わっても無意味なはず。」
 落ち着いた声を聞きながら、俺はジーンズに履き替えた。
 「けど、お前が、襲われたって、警察に届ければ、それはそれで、奴らには厄介事の筈だぜ?」
 ん、やっぱりこっちの方が落ち着く。
 「・・・正体も何も分からないから、説明のしようがない。・・・それに・・・彼らだって、私がどうしようもできないのは、わかってる・・・。」
 確かに・・・そう言われればそうなんだけど。
 「・・・俺のことも、届けないのか?」
 俺って、意外と、小心者というか、卑怯者というか・・・
 こうやって、青子の心の中を探っている。
 彼女の中で、俺がどういう存在に変化したのかを知るために・・・。
 「・・・現行犯じゃありませんから。」
 青子の背中が、たまらなく小さく感じてしまった。

 それ以上、話を続けるのはやめ、セーターをかぶってから、ジャンパーを羽織った俺は、何気なさを装って、青子に近づいた。
 「ほら。」
 手を差し出すと、少し驚いた顔で見上げる。
 初めて会ったときですら、人の心の中にするりと入り込んでしまうくらい屈託がなかったのに。
 「・・・許してくれなんて言わない。・・・言えねぇよ。だけど、・・・もう、二度とあんなことはしない。それは誓う。だから・・・。」
 じっと俺の言葉を待っている青子を見つめながら、ふっとため息が漏れる。
 「怯えるなっても無理だよな・・・立てるか?送ってくから。」
 「・・・ありがとうございます。」
 ゆっくり立ち上がった青子の声に、俺は少しほっとした。
 触れることはできないが、口は利いてくれたから。
 「それから・・・」
 俺は白く大きなクロスを見せた。
 青子は、何事かと、好奇心の混じった目で見つめる。
 「ちょっとばかし、目、つむってくれるか?」
 俺の言葉に、青子はじっと俺を見つめ返す。
 まるで、言葉の真意を量っているようだ。
 「そのままだと、まずいんだ。頼む。」
 しばしの沈黙の後、長いまつげが、そっと降りた。
 信じてくれた、という思いにほっとしながらも、胸の奥にうずく痛みは消えない。
 「いいか、俺がいいと言ったら、目を開けてくれな。」
 そう言って、風呂敷大のクロスを青子の頭からすっぽりかぶせ、「スリー、トゥー、ワン」とカウントダウンし、さっと払いのけた。
 「いいぜ。」
 真っ白いオーバーに、赤の混じったシルクのスカーフ。
 髪はふわふわに軽く結って。
 全体的に、淡く軽い色調にまとめられた青子は、やっぱり上品で、かわいかった。
 「よし、これで、別人♪」
 自分の腕も、捨てたもんじゃないなと、それを慰めに、青子を外へ促すと、よっぽど驚いたのだろう、元々大きな目を更に大きく丸くして、自分の姿を眺めていた。
 「似合うだろう?」
 「・・・一体・・・?」
 あまりに驚いたのか、真っ直ぐ俺を見つめる瞳が、たまらなく愛しい。
 ・・・間違いなく、ぞっこんだな、こりゃ・・・
 『守るものができたら・・・』という、中森警部の言葉がよみがえる。
 守りたい・・・?
 青子のこと・・・?
 でも、彼女のたった一人の家族を奪う要因となったキッドは俺だ。
 自分の虫の好さを戒めるような現実に、俺は、青子の腕を引いた。
 「ほら、どんどん遅くなるぞ。」
 微かに、腕をすくめた青子だったが、それ以上の抵抗はなく、俺は、妖精のようにかわいい青子を伴って、駐車場へと夜の街を歩いた。





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